209◇帰還(後)
魔力感知能力を既存の感覚に例えるのは難しい。第六感というのが最も適しているが、無理に一番近いものを上げるならば嗅覚だろうか。
普通の人間が自分の周囲しか嗅ぎ取れないのに対し、優れた者は犬並みに嗅ぎ分けることが出来る。
おおよその距離や、強弱まで。
初めてクウィンと逢った時、彼女は神殿に現れた幸助の反応に気づき、生命の雫亭に足を向けたのだという。彼女のように平時から並外れた魔力感知能力を発揮する者は稀だが、英雄規格であれば誰もが常人以上に魔力を感じ取れる。
キースが苦手だといい、アリエルやサラがアルに頼ったように、個人差はあるが。
そしてまた一人また一人と、幸助とトワを見つけた者達が現れる。
「……っ。なによどいつもこいつも、わらわらとあんな優男に群がっちゃって。これじゃあたまたま気分転換に街を散歩していたところで偶然帰還したアイツを見つけただけのアタシが、まるで同類みたいじゃない」
建物の影に隠れながら悔しそうに唇を噛むのは、赤茶けた髪をツーサイドアップに結った少女だ。
気の強そうな印象を受ける吊り目がちな瞳、不機嫌そうに歪む口許。ストリングデザインのキャミソールは胸を覆う程度の布地しか無く、胸部を包む生地は左右で色が違う。深いスリットの入ったスカートからはレースのガーターリングが覗いている。
威圧的な表情かつ扇状的な恰好だが、どちらも過去生での経験に起因している。
だが今この瞬間機嫌が悪いのは、何か別のことが理由のようだ。
「いや、同類だろう」
冷静に評価を下すと共に、彼女の臀部を蹴り飛ばす少年がいた。
「いだっ。――こんのっ。シオン、アンタねぇ、アタシのことなら蹴っていいとか思ってない?」
中性的な容姿をした、背の低い銀髪紅眼の吸血鬼。
商業国家所属・『統御の英雄』オーレリアと『血盟の英雄』シオンだ。
そういえば、以前も同じようなことがあったか。
「晴天の下でうじうじと情けねぇ」
「はぁ? それを言うなら吸血鬼が晴天の下で歩き回らないでくださる? 灰になりなさいよ、灰に」
「吸血鬼はその程度のことじゃあ死なねぇ。どうか弱点があってくれと願った人間達の妄想を、英雄サマが信じるなよ、哀れになんだろ」
「むかつく!」
「奇遇だな。オレもお前が疎ましいよ。クロノを迎えに行きてぇなら最初から――っぐ」
シオンの口許が何かに塞がれたように動かなくなる。
オーレリアの魔法だ。
「黙りなさいチビ吸血鬼」
羞恥からか、オーレリアの頬に赤みが差す。
険悪なようでいて、あの二人は毎回致命的な仲違いは犯さない。彼らなりのコミュニケーションなのだろう。そう思うことにする。
また一方では。
「くっ、完全に出遅れたではないか! それもこれもルージュリア、貴女が昼寝から中々目を覚まさなかったから――そもそも昼寝の時間を外せない英雄とはどうなのだよ……!」
スーツ風の衣装に身を包んだ、神経質そうな眼鏡の青年である。
情報国家所属・『魔弾の英雄』ストックの言葉に応えるのは、マゼンタの毛髪と左目をした童女だ。
右目部分は眼帯で覆われ、フードつきのケープマントと長い毛髪の所為で瞳もほとんど隠れてしまっている。熊を限界まで凶悪にして悪魔を融合させたようなデザインのぬいぐるみを抱え、今日も眠た気な様子。同情報国家所属・『編纂の英雄』プラナだ。
「その指摘は正確性を欠く。そもそもがクロノ及びシンセンテンスドアーサー卿の出迎えをするなどと言ってわたしの安眠を妨害したのは貴殿であるし、起床後間もないわたしを連れ出しておいて生花店の軒先で花選びに熟考し出したのも貴殿であるからして、この状況を出遅れたと表すのであればその要因はまず間違いなく貴殿に――」
「よく分かった! 済まない、おれの失言であったと認める! だから声量を抑えてはくれまいか! シンセンテンスドアーサー卿に聞こえたらどうするのだ」
見れば、今日も彼は花束を背中に隠すように持っている。
彼はトワに恋しているのだった。
「クロ……っ!」
これまでのように街の方向ではなく、逆。
一瞬、誰かと思う。いや、判別はつくのだ。だが、以前までの彼女と違い過ぎて脳の処理が僅かに遅れてしまった。
それまで攻略用衣装ばかりで着用を避けていたダルトラの女性軍服。伸ばしっぱなしだった金糸のような毛髪は、後ろで一纏めに。常に携帯するようになった鞭タイプの宝具。感情の乗った声に、嬉しそうに綻ぶ表情。
『白の英雄』クウィン。
とある研究者が死した英雄の魂を利用し創り出した人造英雄。禁忌の領域に及んだその存在は、神に『非業の死』という呪いを刻まれた。
だが、その呪いも最早消えた。
心の在り様が変わったが故に、英雄という役目に対する姿勢も変わったのだろう。
任務帰りだろうか、頬を紅潮させたクウィンが幸助に駆け寄ってくる。
幸助の前に到着する寸前で何かを思い出したように立ち止まり、軍服の埃を払い、それから髪が跳ねていないかを確かめるように手櫛を通す。
死の呪縛から解き放たれたことで、彼女がそれまで「どうせ消えてしまうもの」という諦観から心の奥に押し込めていたものが表に出てくるようになった。
意中の相手にみっともない姿を晒したくないという、実に人間らしい反応。
「あの、おかえり。おかえり、なさい」
前髪を整えるフリをしながら、クウィンが言う。
「あぁ、留守中どうだった?」
「平気。万事滞りなし。そっち、は?」
「こっちも上手くいったよ」
二人の会話を聞いていたらしいトウマが進み出る。
「主、不肖トウマ、恐れながら気付いたことがあります」
「ん?」
「この方が主の思ひ人なのでしょう」
ふふん、と自信有りげなトウマ。
ぴくっ、とクウィンの長い睫毛が揺れ動く。
彼女はおもむろに両手を頭上に上げ、円を描くように繋げた。
「大、正解」
「やはり」
「嘘を吐くな嘘を」
「そう誤魔化さずともよろしいではないですか。無論このトウマ、秘密は厳守致します」
「あー、いや、だからだな」
「へぇ、きみはクウィンさんとも付き合っていたんだねぇ。知らなかったよ」
こうも騒がしければそれは気付くだろう。
エコナと同じく給仕娘の制服に身を包んだ少女。白銀の長髪はかつて幸助が贈ったシュシュでポニーテールに結われ、黒曜石の瞳は悪戯っぽい色を宿しこちらに向けられていた。
「これは帰還早々話を聞かなきゃいけないね、ナノランスロット卿?」
転生者は神殿に出現する。そしてダルトラでは、案内人なる者がアークレアの基本を教えるのだ。
王都付近に在る森の神殿を担当する案内人にして、幸助の恋人でもある少女・シロ。
幸助の困ったような顔を見ると一転、彼女は柔らかく微笑んだ。
「なーんてね。おかえり人気者。ところで……街の人が何か起きるんじゃないかって集まってきちゃってるよ」
英雄が総結集しているのだ、人目も集めよう。
「あー、そうだな。なんでもないって説明して、その後は」
きゅるるる、と可愛い音が鳴る。
犯人は即座に自首した。
「わたしのお腹の仕業です。お腹が空きました。お腹と背中のお肉がくっついてしまうくらい」
ライムだった。
『娘』が腹を空かしているとなれば仕方がない。
「飯にしよう」
そうして、ちょっとした騒ぎに発展しつつも、幸助は無事帰還したのだった。




