207◇帰還(前)
異界の死者が転生する大陸――アークレア。
妹の復讐に人生を傾け、それを果たした末に自殺を選んだ少年は、その世界に飛ばされた。
様々な出会いと苦難を越え、自分と同じくアークレアに召喚されていた妹との再会が叶う。
凄惨な過去を封じていた妹だったが、とある事件をきっかけにして封じた記憶を取り戻す。
五年の空白を経て、幸助は真に妹を取り戻した。
だが、そこでおしまいとはならない。
転生に際して大きな力を得た黒野幸助と妹の黒野永遠には、英雄としての立場と責務が求められた。
単にそこから降りることは、しかし出来ない。
アークスバオナ帝国。
虚構ではありふれた世界征服なんて目的も、彼らをすれば実現可能なものらしい。
それに留まらず、彼の国は異界さえも手中に収めんと企んでいた。
放ってはおけない。
この世界に来てから良いことばかり起きたわけではないけれど、静観を決め込むには大事なものが増え過ぎた。
だから、兄妹は戦うことを選んだ。
現在。
前回の戦いで『蒼の英雄』ルキウス及び『神癒の英雄』エルフィの裏切りに遭い、神話英雄であり同時に別の可能性の自分でもある『黒の英雄』エルマーの従者・セツナを攫われた。
劣勢の状況下でも勝利を掴む為、幸助と仲間達は東奔西走。
次の決戦は中立国家ロエルビナフで行われる。
表向きは捕虜交換と平和に向けての交渉。
だが、それは幸助を誘き寄せる罠であった。
それが分かっていても飛び込まねばならない。
勝率を少しでも上げる手はなんでも使う。
その内の一つが、閉鎖国家ヘケロメタンとの同盟締結。
それが叶い、幸助とトワはダルトラ王国王都・ギルティアスに帰還した。
『黒』で出来たワイバーンによる高速飛行によって移動時間を大幅に短縮。
戻ったのは昼時だ。
「ほぅ……同じ大陸と言えど、こうも違うものなのだな」
ヘケロメタンの使者である黒髪の麗人が小さく声を漏らす。
改造セーラー服に羽織、具足、曲刀という奇抜な出で立ちだが、凛乎たる気韻溢るる彼女には不思議と似合っている。
十士五劔『風』のトウマ。
ヘケロメタンの都を守護する五劔の一角を担う少女である。
同盟を取り付けたことを証明する為にも、先んじて兄妹に同行してもらった。
時代劇風の木造建築が立ち並ぶヘケロメタンの都と比べると、王都ギルティアスの景観はファンタジー風とでも言うべきか。掛け離れすぎていて、対極とさえ言えるかもしれない。
だがトウマから漏れたのは感嘆や驚愕ではなかった。
「……わたしで良かった」
美しい街並み、平和――少なくともそう見える――を享受する人々。
ヘケロメタンの者からすれば、それは大英雄エルマーを封じた末に成立したもの。
トウマ以外の五劔は全員千年前の人間だ。主であるエルマーを襲った悲劇を思えば、それを礎とした笑顔の群れは正視に堪えないだろう。
自分が一番、この景色によって生じる心の負担が小さい。そう思ったから、トウマは自分で良かったと口にしたのだ。
そしてヘケロメタンの者達は、それを押して協力してくれる。
その決断と想いを、無駄にしてはならない。
「ところで主、付かぬ事を伺いますが」
彼女を見ると、先程までとは異なり困惑した面持ち。
ちなみに、国を発つ際にトウマは幸助への態度を従者のそれへと変えた。
出逢った当初、彼女にとって幸助は仲間達を死地へ連れ去る死神のように思えただろう。
誤解も解け態度は随分軟化したが、それとはまた別に彼女なりのけじめのようなものなのかもしれない。
「ん?」
「……主は仰りましたね、魔物を解放する術があると」
「あぁ、言ったな」
ヘケロメタンに発つ前、新たな英雄規格が神殿に現れた。
幸助とシロを父母のようだと言った童女・ライム。
色彩属性『黒白』保有者で、司る能力は『浄化』。
悪神の支配から魔物を解き放つ破格の魔術属性。
ヘケロメタンにも悪神の支配下に無い魔物が生きているが、それは『黒白』によるものではなく、神話の時代より生きる長命な個体だ。太古の昔、悪神の支配を逃れた魔物達。
「……ダルトラとは、わたしが考えるよりも寛容な国なのでしょうか。その、わたしの両の目が節穴でなければ……噴水の周囲を駆け回るあの生き物は……魔獣では……?」
「あぁ……」
毛並みの良い、白い大型犬のように見える。尻尾を振り乱し、楽しそうに飼い主らしき童女と噴水の回りを追いかけっこしていた。時折その純白の毛から、黒い毛玉が覗く。
犬も毛玉も魔物だ。
「人と魔物の共生が叶った……というわけではなさそうですね。あの童女が……?」
「そう。魔物の救世主」
案内人であり幸助の恋人でもあるシロと、魔術師志望の同居人エコナが勤める酒場・生命の雫亭は目と鼻の先にある。ライムが英雄規格である以上、危険は無いのだろうが……。
「むむ」
ふと立ち止まったライムが、相変わらずの無表情で立ち止まる。何事かと魔犬が彼女の前でおすわりの姿勢。
幸助の横に立っていたトワが、両手を口許に当てて「きゃわ……」と悶えている。
竹箒を被ったようにボサボサだった髪は綺麗に整えられ、シロのように左側の横髪が結われている。
「これはお父さんの気配」
どうやらこちらに気付いたようだ。
彼女はその人物が表層に浮かべた感情を捉えることが出来る。初対面の段階から幸助とシロに懐いたのも、二人が自分に向ける感情が温かいものだったからだという。
ぱたぱたと駆け寄ってきたライムは、「おとーさーん」と間延びした声で胸に飛び込んできた。
無表情なので分かりにくいが、喜んでくれているのだろう。
童女の身体をそっと抱きとめる。魔犬も彼女の横でおすわりしていた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「ライムちゃん? トワおねーちゃんも帰ってきたんだけどな?」
そわそわした様子のトワに、ライムは「おかえりなさい」とトワにも抱きつく。
トワは目一杯童女の抱擁を堪能するようにぎゅうっと抱きしめ返す。
「父親の妹なら、姉じゃなくて叔母だろ」
「コウちゃんは黙ってて」
「おかえりなさい、おばさん」
「ぎゃあ!」
嘆くような声がトワから上がる。恨みがましい視線をスッと無視。
「ところで、そちらの方はどちら様でしょうか。なにやら驚愕で固まっているようですが。かちんこちんです、石像の如しですね」
トウマのことだ。
視線を向けると、確かに口を半開きにした状態で固まっていた。
「む、む、む、」
「む?」
「娘御様がおいでなのですか!?」
確かに何も知らない者からすれば、そうとしかとれない会話をしてしまっていた。
王都の景観を見た時と比べ物にならない程の感情の発露だった。
苦笑しながら、説明する為に口を開く。




