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「アニエス、君との婚約はなかったことにしたい」
「モートン第二王子殿下、それはつまり……」
「つまり君と僕との婚約は破棄にしたい」
「なるほど。私の一存で決めることはできませんが、婚約破棄についてどう思うかについて答えるならば『分かりました』です」
私ことアニエス・オリヴィア・ブランシェットは、婚約者である第二王子モートンから婚約破棄を告げられた。でもある意味これは……願ったり叶ったりの結果だった。
「アニエス、君の意志を聞けてよかった。後は僕に任せて欲しい。ブランシェット侯爵には王家から話をつける」
「はい。では……私はこれで」
「ああ、見送りは……」
「不要です。……それでは失礼いたします。ごきげんよう」
私はラズベリー色のドレスのスカートを摘み、立ち上がった。綺麗に磨かれた窓ガラスに可憐な表情の令嬢が映っていた。
(いい顔だわ。ちゃんと婚約破棄されること、悲しいと感じている表情を出来ている)
いつもポニーテールにしているキャラメル色の髪をおろし、濃い紫色の瞳をうるうるさせた私はいつもと大違いで、か弱そうに見えていた。
一方のワイン色の宮廷衣姿のモートン殿下は紅茶を口に運び、退出を許可するため、頷く。
しずしずと宮殿の喫茶室を退出した私は……。
「やっほ~い」と声は出さずにガッツポーズを決めてしまう。
(やった、やった、上手く行ったわ!)
もうスキップしながら回廊を進んでしまう。
(大勢の前で生き恥を晒すこともなく、大変穏やかに婚約破棄をされた! これって見事フラグを折ることに成功したのよね!?)
ここが前世の世界なら『実録! 悪役令嬢、フラグをいかに回避したかを激白』という本を出版したいぐらいだ。
何せ乙女ゲームを舞台にした小説の世界に転生している……と気づいたのは赤ん坊の頃。そこで私は自分がヒロインでも、ただのモブでもない、悪役令嬢に転生していることに気づいたのだ。
(冗談じゃないわ。悪役令嬢ということは、ヒロインにねちねちと嫌がらせをする役割がある。その嫌がらせが婚約者にバレ、辿るルートによっては婚約破棄&断罪からの死亡エンド! そんなの冗談ではなかった)
ヒロインに嫌がらせをせず、かつ婚約者からもいい感じで嫌われる。そして婚約解消は穏便に済ませる――そのために私が赤ん坊の頃に決意し、やったことは……これ! そう、騎士になること!
私は右手の中指にはめている指輪を春のような陽射しの冬空にかざす。
今回、ヒロインである男爵令嬢ユイ・マーコックは、攻略対象にこの国の第二王子モートン・ジョージ・グランヴェルを選んだ。悪役令嬢であるアニエスはモートンの婚約者に収まり、三人は十五歳の春、王立グランヴェル学園に入学し、ラブバトルを始める。
モートンはユイに心惹かれ、アニエスは逆上。ユイに散々嫌がらせをして、卒業式の舞踏会でその悪事を暴かれ、モートンから婚約破棄された挙句、断罪され、修道院送りになるのだ。その修道院へ向かう途中に馬車が事故を起こし、アニエスは死亡。実質、第二王子攻略ルートはアニエスにとってバッドエンドの一つだった。
だからこそ、私は幼い頃から父親に「騎士になりたいです」アピールを続けた。この世界は女性の要人警護のために女性の騎士も少なからず存在していたし、そもそもブランシェット侯爵家は騎士の一族。そして我が家は妹が二人いるが、子どもは私を含め女子のみ。父親も私が騎士になりたいと言い出しても、反対することはなかった。むしろ自身がソード・マスターでもあるので、その技術をいかんなく私に伝授してくれたし、七歳から騎士見習いを始めることを容認してくれたのだ。
おかげで私は王立グランヴェル学園に入学することなく、従騎士として三年間を過ごした。晴れて十八歳になった時に騎士にも叙任されているのだ。これは私にとって喜ばしいことだが、モートン殿下からするとそうではない。
そもそもモートン殿下はこの世界で量産されている従順で控えめで大人しい令嬢が好みだった。そしてヒロインであるユイはまさにモートン殿下好み。学園で出会った二人が恋に落ちるのはまさに秒だったと思う。お互いに一目惚れ。かくして二人は悪役令嬢であるアニエスの邪魔を受けることなく、三年間、愛を育んだ。その結果、私はモートン殿下から婚約破棄を伝えられたのだけど……。
卒業舞踏会での婚約破棄は小説ではお馴染みだけど、あんな大勢の前で婚約破棄され断罪されるなんて生き地獄以外の何物でもない。それを回避し、モートン殿下との二人きりのお茶会の席で淡々と婚約破棄を伝えられたのは……もう御の字。大万歳案件だった。
(せっかく自由になれた。しかも私は騎士なのだ。ここは騎士団に所属し、さらなる高みを目指してもいいかもしれない。父親のようにソード・マスターになるとか!)
夢は膨らむ中で、エントランスホールに向かう廊下の曲がり角まで来た時――
「あっ」
「おっと」
「すみません、大変申し訳ありません!」
出会いがしらで誰かとぶつかりそうになり、慌てて避けようとすると……。相手は私を避けつつ、倒れそうになる身体を支えてくれた。
(すごい運動神経がいいわね。どなた?)
そこで私を支える高身長で体幹の良い男性の顔を見て、「!」と驚くことになった。
サラサラの前髪は七三分けで、その髪色は透明感のある白水色。瞳は澄んだ泉のような碧さで、肌は陶器のように滑らか。引き締まった体躯は王太子教育で鍛え上げられたもので、濃紺のセットアップをシュッと着こなしていた。
「リック王太子殿下、失礼いたしました」
「いえ、こちらこそ。大丈夫ですか?」
「はい」
「とてもご機嫌に見えましたが、何かいいことがあったのですか?」
モートン殿下の兄であり、文武両道、容姿端麗、有言実行の三拍子揃ったこの国の王太子であるリック殿下が朗らかに微笑む。
「念願叶い、遂にモートン殿下に婚約破棄いただきました!」
そう言いたくなるが、それは呑み込み、代わりにしおらしい表情をする。
「いえ……良いことではなく、悲しいことに、私は……モートン殿下と婚約解消となりました」
「え」
「でもそれも仕方ありません。私は侯爵令嬢ですが、騎士に叙任されるなど、普通の令嬢とは違います。モートン殿下が求めるのはおしとやかなご令嬢。私はその真逆ですから……。こうなるのも致し方ないことです」
「……なるほど。そうだったのですね……。とはいえ、モートンの一存でどうかなるわけでもないでしょう。ブランシェット侯爵に話が行き、最終的にすべてが決まると思いますが……」
そこでリック王太子殿下が口ごもるのは仕方ないこと。
モートン殿下の一存では決まらない……というのは建前で、王家側から「この婚約、なかったことにしたい」と言われたら、侯爵家の我が家が「え、それはダメですよ」とは言えないのだ。モートン殿下が一声上げた時点で、婚約破棄は決定事項。あとは書類上の処理を粛々と行うだけのこと。そしてその辺りはこの世界がモートン殿下とヒロインのハッピーエンドに向けて動いているので、滞りなく済むはずなのだ。
「……気を落とさないでください。……気休めかもしれませんが、ブランシェット侯爵令嬢は騎士でもあるのです。騎士として職務に励むことで、モートンとの件も忘れられるかと」
「はい。まさに私もそう考えていました。正式に騎士団へ入団することも考えていたところです」
「そうなのですね……」
そこで考え込んだ表情になったリック王太子殿下は、春のような軽やかな笑顔で私に告げた。
「それならばわたしの配下の護衛騎士になりませんか」
お読みいただきありがとうございます!
久々の連載ですが、最後まで楽しくお届けできればと思います。
次話もよろしくお願いいたします!
















