前編 お人好し令嬢と黒猫のクロ
(ララベル視点)
ララベル・マグノリア子爵令嬢は、今日も人助けをしていた。
道に迷った老人がいれば目的地まで案内し、転んで泣いている子どもがいれば回復魔法で傷を癒す。
間違えて届けられた手紙を見つければ、本来の持ち主のもとまで自ら届けに行く。
それがどれだけ手間のかかることであっても、彼女は嫌な顔ひとつしない。
むしろ笑顔だ。
そんな彼女を人々はこう呼んでいた。
『歩く親切』
『お人好し令嬢』
本人は褒め言葉だと思っているが、半分は呆れられている愛称でもある。
そんなララベルには誰にも言えない秘密があった。
前世の記憶を持つ転生者なのである。
もっとも、だからといって特別なことはしていない。
ただ、人に親切にするのが好きなだけだ。
そして、その日の休日も――。
「今日はいいお天気……じゃなかったわね」
空を見上げた直後、土砂降りの雨が降り始めた。
慌てて屋根のある場所へ向かおうとしたララベルは、ふと路地裏で小さな鳴き声を聞いた。
「にゃあ……」
そこにいたのは、一匹の黒猫だった。
足を怪我しているらしく、びっこを引きながら雨の中を歩いている。
「あら、大変!」
ララベルは迷わず駆け寄った。
この国では黒は不吉の象徴。
黒猫など特に嫌われている。
けれど、前世が日本人だったララベルにとってはどうでもいい話だった。
(黒猫って可愛いじゃない)
それが彼女の率直な感想である。
ララベルは黒猫を抱き上げると、自宅へ連れ帰った。
回復魔法で傷を治し、温かいミルクを用意し、寝床まで作った。
「あなた、今日からクロね」
黒猫は不思議そうな顔で彼女を見上げた。
それから数日。
クロはすっかりララベルに懐いた。
朝起きれば隣にいて、読書をしていれば膝の上に乗ってくる。
どこか人間臭い賢さを持つ猫だった。
そしてある日。
屋敷に見知らぬ男性が訪ねてきた。
燃えるような赤髪の青年。
執事服に身を包んだその男は深々と頭を下げた。
「突然の訪問をお許しください。私はロイと申します」
「は、はい?」
「その猫を迎えに参りました」
「クロを?」
ララベルはクロを抱き締めた。
するとロイは困ったように微笑む。
「その方は、本来猫ではありません」
「……はい?」
「フィサリス王国第一王太子、クロード・フィサリス殿下でございます」
ララベルは盛大に固まった。
抱いていたクロが気まずそうに視線を逸らした気がする。
話を聞けば、クロード王子は魔女の呪いによって猫の姿に変えられているらしい。
しかも解除条件は――。
「真実の愛を見つけること」
「え?」
「残念ながら望みは薄いでしょう」
ロイが暗い顔で告げる。
「殿下はもう元には戻れません」
「それ地獄すぎませんか!?」
思わず叫んでしまった。
だってそうだろう。
ある日突然猫にされて、一生戻れないかもしれないなんて。
前世知識がどうこう以前に同情しかない。
だからララベルは決めた。
これまでと同じように接しよう、と。
王子だろうが猫だろうが関係ない。
困っているなら助ける。
それだけだ。
だから今日もクロの頭を撫でる。
今日も一緒に食事をする。
今日も膝の上で眠るクロに毛布を掛ける。
それが当たり前になった頃だった。
「いい子ね、クロ」
赤ん坊をあやすように額へ口づけた瞬間。
眩い光が部屋を包んだ。
「――え?」
次の瞬間。
そこには一人の青年が立っていた。
月光のような銀髪。
澄んだ蒼い瞳。
息を呑むほど美しい青年。
けれど、その表情だけは見慣れていた。
「やっと戻れた」
柔らかく笑うその顔は。
間違いなくクロだった。




