32・エピローグ・クライヴの秘密
それから、二週間後。
『ベーカリー・スクライン』の店先で、サクラは頬杖をつきながら一通の手紙を眺めていた。それは、王都に戻ったケイトからの手紙である。
「ギルバート様との結婚式は一年半後かぁ。それにしても! ケイト、王都に戻ってからも遊びに来てくれるって言ってたのに……全然来てくれないいいいい」
いつものテンションで叫んだサクラは、カウンターに突っ伏した。
「ケイってものすごいお嬢様なんだろう? 勝手に逃走したりして、しばらくは説教地獄だろ。それより、そんなに人相悪いヤツが店に立ってたら、客が逃げる。ちゃんと接客できないなら部屋にいろよな」
憎まれ口にしか聞こえないそれは、クライヴなりの気遣いである。
恋愛面でも本当の意味でも手癖が悪すぎたエミリーは、あの日そのままクビになってしまった。
エミリーの両親が娘の犯罪に青くなり領主さまのところに連れて行ったらしいが、その後の消息は定かではない。
今、この店にはサクラとクライヴ、エリノアの三人だけ。昼のピークを終えて、エリノアは休憩中。パンもすべて焼き上がっていて、のんびりとした時間が流れている。
端的に言うと暇だった。
ぼーっとしたままのサクラは、窓際でパンを並べるクライヴのことを見る。ガラス越しに差し込む陽の光に髪の赤が透けて、綺麗だった。
「ねえ」
「あ?」
「クライヴのその髪の色、最近赤が濃くなってきてない?」
「あー……そろそろ染め直しの時期か」
「はい?」
「染め直し」
「……クライヴの、その赤みがかったブロンドって地毛じゃないの?」
「ああ。地毛は、もっと真っ赤」
「……!」
サクラは息を呑む。この世界に来て一か月と少し。ブロンドではない髪色の者はそのほとんどが変わった背景を持っているということを理解しつつあった。
(やっぱり、クライヴって隠しキャラ……!)
「俺、エリノアばあちゃんとは血がつながってないからな」
「……そうなの?」
重ねて告げられた思わぬ爆弾発言に、サクラは目を丸くする
「そーだよ。俺は名のある戦いに特化した魔導士の末裔。いろいろあって困ってたところをばあちゃんに拾ってもらった」
「……だからドラゴンをあんな簡単に倒せたの? だって、騎士団からスカウト来てたよね? 数十人分の働きができる、って。ていうかこれほとんどチートだわ!」
「チート……? 相変わらずわけわかんねーな、サクラは。生まれてからばあちゃんに拾ってもらうまで、俺は戦いの訓練漬けだったんだよ。今だって、この前みたいなことがあったときにばあちゃんを守るためそれなりに動けるようにしてるだけだよ。サクラは俺に助けられて本当にラッキーだったな?」
「……! 決定! もう絶対に、クライヴは隠しキャラ! すごい、ケイト×ギルバートシナリオのハピエンの後に明かされるなんて、本当にゲームの世界っぽい! でも、ヒロイン!! エミリーは全然違ったし!! どこ!」
「……サクラさぁ」
クライヴは息を吐く。
「はい?」
「いつも、そんな話ばっかりしてるけど、お前はどうなわけ」
「はい?」
「……だから、おまえは、国に恋人とか気になるやつとかいないわけ」
「わ……私?」
「そう。おまえ」
この問いは、いつもと逆だ。サクラがクライヴの想い人を探るのがいつものパターン。もちろん、それは隠しルートのヒロインに目星をつけるためのものだ。
でも、現時点で彼にそんな素振りはなくて。一体いつシナリオがスタートするのか、もしかしたら五年後とか十年後の大人になった後なのかもしれない、クライヴは絶対にいい男になっているだろうけど、そんなの待てない!とサクラはやきもきしているところでもあった。
……が、ここにきて、クライヴからのこの質問。その意図するところは。
サクラは、不思議すぎる彼の話題選びに首を傾げる。そして、クライヴの顔をまじまじと見つめてみた。
「なんか……顔が……赤い気がする」
「うるせーな」
「あ、ごめん、声に出てた」
――あれ。
些細な違和感に、とくん、とサクラの心臓は軽く跳ねる。異常に巻きになっていたシナリオ、ハピエン以外はすべて見たはずなのに知らないエピソード、驚くほど立ち回りが下手なライバルキャラの出現。
――これは、本当にケイト×ギルバートのシナリオだったのだろうか。
突っ伏していたカウンターから顔を上げ、あらためてサクラはクライヴに向かってお辞儀をした。
「ドラゴンから助けてくれて、ありがとう」
「ん」
「あのときのクライヴは、かっこよかった」
「……ん」
「やばいすごいファンタジー! って感動したんだけど、結局怖くて一歩も動けなかったんだよね」
「だろうな」
空になったパンの飾り棚を拭きあげていたクライヴは、サクラの方を見ない。耳まで真っ赤にして、不自然なほどひたすら同じ場所だけをぴかぴかに磨き上げている。
「……ケイがいなくなっても、サクラはしばらくここにいるんだよな」
「うん、もちろん。パンが好きだし、エリノアも、クライヴも。とっても居心地がいいよ」
「……そっか」
ぶっきらぼうながらもうれしそうに答えるクライヴを見て、サクラは胸の奥にむず痒さを感じていた。喜びや興奮とはまた違った高揚感。でも、少しだけまだ知られたくない。この正体は何なのか。
ケイトとギルバートは、確かに小さな頃から想いあっていた。二人とも変な拗らせ方をしていたけれど、無事にハッピーエンドを迎えた。
でも、恋は恐ろしいことにそれだけではない。些細なことをきっかけに、ゆっくりと育っていくことだってある。
そう、今この『ベーカリー・スクライン』に芽生えたくすぐったい気持ちのように。
長めのプロローグを終えて、今やっと始まる隠しキャラと異世界から来た力が強くて声が大きい少女のスペシャルストーリー。
きっと、それはまた別のお話。
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