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束ね鬼怪奇譚  作者: ばち公
『戸籠』
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「戻ったか」


 紫苑は一瞬、娘とほのぼの遊んでいた上に、のん気にそんなことを言ってのけた男の顔面をぶん殴ってやろうかと思った。


「マイちゃんとしおんくん、おかえりー」

「フミちゃーん」


 のこのこ駆け寄って行こうとする舞夜を引っ張って止める手間がなければ、実際に殴っていたかもしれない。向こうも向こうで、こちらに来ようとしていた福美子を抱き上げていた。どちらも原因は、舞夜が持つその『札』にある。

 何も分かっていない舞夜と福美子を挟んで、紫苑と男は静かに睨みあった。


「……どういうことだよ、これ」

「見てのとおりだろう。事情は、それを知る人間に聞いてくれ。私は詳しくは知らないよ」

「そんなんで納得すると――」

「なんの話?」


 舞夜が不安げに、自分の両肩を掴む紫苑を見る。その目に、紫苑はぐっと口を噤んだ。――元はと言えば、舞夜が自分自身のことを何一つ分かっていないことが原因だが、それにも理由があるのかもしれない。そう思うと、この話題に彼女を巻き込むのも気が引けた。

 なによりせっかく諸々の事情が落ち着いたのに、今更蒸し返すようなことはしたくない。つまり、また仲違いしたくない。

 徳幸が、咳払いをした。


「舞夜。その、すまなかった。彼から聞いたが、その『札』のことで私達を庇っていてくれたんだろう? 今更になってしまうかもしれないが、感謝する。ありがとう」


 自分より年上の人間に頭を下げられ、舞夜は慌てて頭を下げ返していたが、複雑な表情をしていた。当時の記憶が曖昧な彼女からしてみれば、おそらく実感がないのだろう。


「しかし私が言うのもなんだが、そうやって一人であまり無茶はしないでくれ。ここは所詮お化け屋敷みたいな場所だが、それでも……」

「お化け屋敷!?」


 声をあげたのは紫苑だった。

 

「あんな殺意のある仕掛けしておいてお化け屋敷!? よく言えたな!?」

「最後のやつなら、あれは落ちても目を回すだけだ。奥行きはあるが高さについてはほぼ幻覚だ。そもそもあんな地下にああもだだっ広い空洞があるはずないだろう。それに管理するべき札を見に行って落ちたら意味もないだろう」


 正論だった。ど正論だったので紫苑も納得し、黙っていた。表情だけ苛立ちを抑えきれなかった。


「そもそも舞夜には基本的に何も起きないはずだ。一本道だっただろう? 札に近づきすぎたら、罠も発動したかもしれないが……」


 確かに、と舞夜が呟いていた。紫苑にとっても、彼女がどうやってあんな場所にたどり着いたのか疑問だったが、一本道なら納得だ。罠として地面が割れるまでは、舞夜はあっさり札の元にたどり着けたというわけだ。


「友の子を殺すほど薄情でもなければ世を捨ててもいない。……変な男が付いてたら追い払ってやろうとも思ったが。まあ、いい」

「人を虫みたいに言いますねえ?」

「そもそも舞夜もあんな見るからに危険なところに入ってはいけない。幻覚とはいえ、岩の洞窟だ。どんなことがあるかわからないし危険だろう。友人思いであるのも親切なのはもちろん美徳だが、一人で抱え込まず――」


 徳幸はくどくどと話している。彼の表情が陰気臭い、哀れっぽいのもあって、舞夜はしょんぼりとその説教に聞き入っている。

 紫苑はしばらく、舞夜が懇々と――というよりも切々と諭されているのを聞いていたが、さすがに長くなってきたので口を挟んだ。


「それより。この『御札』ですけど――」

「あ、これ! すぐに返――」

「待って」

「待ってくれ」


 徳幸と紫苑の言葉が重なったことに驚きつつも、舞夜は物分りよく頷いた。普通の、素直な少女に見える。胸ポケットに恐ろしい『札』さえ潜めていなければ、の話だが。


「それのことだが。こちらでは扱い切れないのは、事実だ。……今まではこの場所に頼って守ってきたが、今後もそう出来るとは限らないとよく分かった。嫌味ではない。……なんとなく、分かっていたことだ。いつまでも、こんなことは続けられない。そもそもが、私のような常人の手には余るものなのだから」


 徳幸は寂しげに微笑んだ。


「後日――いや、明日にでも、そちらの家に相談に行かさせてもらう」

「……お待ちしてますよ」

「折角だというのに、あまり嬉しくなさそうだな」

「(僕なんかの手には負えない、使い勝手最悪の代物だって分かってしまったんでねえ!)……まあ」


 予想以上だった。悪い意味で。狐が寄り付くのさえ嫌がるほどに強力なのは分かったが、扱い辛さはそれ以上だ。使い所がさっぱり分からない。こうも労力をかけるようなモノではなかった。

 苦い表情を浮かべる紫苑に、徳幸は、「ほら最初からそう言っていただろう」とでも言いたげな呆れた顔をする。しかし紫苑は、他人の発言を鵜呑みにできる人間ではない。自分が求めるものであればなおさらだ。友人と仲違いしてでも、無駄な労苦を費やしてでも、それに手を伸ばす必要があった。


「結局これはどうしたら……」


 横で二人の会話を聞いていた舞夜は、戸惑ったように自分の胸ポケットを見下ろした。


「もう僕のモノになったから返さなくていいよ」


――と、そこで紫苑は少し考えた。

 舞夜にただ預けっぱなしにするのも心許ないが、かといって、まさか何も知らない徳幸に渡すわけにもいかないだろう。紫苑にだって、客(になる予定の人物)に対してならそれくらいの良識はある。


「……それより君、ひっどい格好だね」

「え? ……うわあ、むっちゃ汚い……。これ絶対怒られる……。うわ、どうしよ」

「僕の家よってく? 少しはマシになると思うよ」


 唐突な提案にきょとんとした舞夜に、「あの親子、二人きりにしてあげた方がいいんじゃない?」と囁く。すると彼女は勝手に顔を輝かせて頷くのだ。面白いくらい予想どおりに。

 こうして、舞夜に余計な説明する必要なく、紫苑は彼女を『札』ごと連れて行くことに成功した。紫苑の家に行けば、『札』だろうがなんだろうが保管する何かしらの手段はある。

 想定外だったのは、なぜか福美子まで興味を示したことだった。


「フミも、ちょっとだけあそびに行きたいなー」

「今日はだめだ。もう夕方だから家に帰らないと……ほら、『見えない人』も疲れているだろう?」

「疲れた?」


 福美子から急に話を振られた『見えない人』は、焦りながらも話をあわせるように身振り手振り、福美子に何かを伝えている。こうしていると、単に子守りをしている親戚くらいにしか見えないが……。

 紫苑は二人を眺める徳幸に目をやった。彼はわずかに目尻を下げていたが、紫苑の視線に気付くとすぐさま無表情を取り繕った。


「その『見えない人』は――」

「義両親が亡くなる直前に、手配してくれた方だ。『札』の管理を全て任せる代わりに、ということだろう。……今思うと、詫びの面が強いな。今後の全てを任せる、ということだったから」


 徳幸は感情の見えない、ひどく静かな口調で説明を続ける。

 最早『札』とその伝承を知るものは徳幸のみであったから、それについては様々な課題が残されていた。それら全てを押し付けられたようなものだが、なにより愛する妻からの願いもあったから、徳幸はその全てを受け容れた。もちろん、受け容れただけで問題が解決するわけではないことは分かっていた。毎日、ただ出来ることをこなしていた。


「幸い、収入にだけは余裕はあったから、ここの監視に時間を費やしても問題はなかった」

「お父さんてなんのお仕事?」

「昔相続した建物の家賃収入で生活している。福美子は、行ったこともなかったな」

「ないねぇ」

「……そもそも、共に出かけたこともほとんどなかったな。すまない、すまなかったな、福美子。これからは、お前を絶対に一人にしないから」

「マイちゃんとかと、お出かけしとるから大丈夫」


 のんびりそんなことを言う福美子を抱いたまま、徳幸は項垂れた。おそらく『見えない人』が、それこそ身内のように子守りをしていたのだろうが、育児に関わらないにも程がある。

 紫苑の考えも知らず、福美子はにこにこしている。


「……よくこんなまともじゃない父親のとこに飛び込んでいけたねえ?」

「だってさー、フミは可愛いし賢いし、世界一のすごいいい子やろ? だからお父さんも、フミのこと抱っこするはずやからー」


 つまり、こんなにも可愛く素晴らしい自分を、父親が抱きとめないはずがない、と福美子は断言しているのである。自己肯定感があまりにも強い。


「うんうん。フミちゃんは可愛いしすごいし天使やしホンマいい子や……」


 舞夜は横で、ほくほく顔で頷いている。福美子のまっすぐ父親に向かっていく姿勢――そのお蔭で、今回のことはうまくいったようなものだ。それは紫苑も否定しない。


「君達が徹底的に甘やかしたせいだろうね。……貶してないよ、一応言っとくけど」

「おお、珍し……どういうこと?」


 福美子には、強い自尊心がある。父が自分を厭う可能性なんて微塵も思い当たらなかったからこそ、ああも堂々と父親にぶつかっていけたに違いない。それはきっと、柊家で可愛い、天才、いい子と、惜しげもなく褒められ続けた結果だろう。あるいは、『見えない人』に、誰よりも尊重された、丁寧な扱いを受けていたからか。……まあ、若干自信が過ぎる気もしないではないが。

 紫苑はそう指摘すると、「だから、自分の気持ちが定まれば、後は父親に向かっていくだけだった」と続けた。


「だからまあ、君達のお陰って言えば、そうなんじゃないの」


 へー、と感心しながら聞いていた舞夜は、そこでふと何かに気が付いたかのように、紫苑の顔をまじまじと見つめた。


「なに?」

「――じゃあ、シオンくんのお陰でもある?」


 一瞬、紫苑の思考が止まった。「だってさあ、」と舞夜は続ける。

――舞夜の記憶が正しければ、福美子が、『自分はお父さんを嫌っていない』と気づいた強いきっかけがあった。以前、舞夜が福美子自身からちらっと教えてもらった、そのきっかけは、……


「…………さあ、どうだろうね」

「んふふー、んぶ!」


 ゆるんだ舞夜の両頬を、紫苑の片手が鷲掴みにした。唇を突き出す変な顔の「止めてください」という訴えに、紫苑はその手をさっさとはなした。

 そのまま面倒事から逃げるように去っていく背中を、舞夜は早足で追いかける。


「なーなー、今シオンくんも照れてんの誤魔化したやろー。なーなー、なーってばー」

「なーなーうるさい!」


 追ってくる舞夜を鬱陶しがって、紫苑が邪険に押しやる。

――そんな二人の背中を眺めながら、仲が良いのか悪いのかと、徳幸は小さく苦笑を浮かべた。


「仲直りやね!」


 腕の中の福美子が、ぱっと徳幸の顔を仰ぎ見た。


「え?」

「マイちゃん達! よかったねえ!」

「……そうだな」


 微笑む徳幸に、福美子の満面の笑みが輝いた。

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