アルカディアの24
いつの間にか空にどんよりと掛かっていた雨雲は晴れ、空は透き通るような青さを人間に見せびらかしていた。
そんな空の下、緑の騎士服に身を包んだ少年、ヴィート・マッシは、背の高い建物を見上げながら右手を心臓の上に置いていた。
無論高鳴る鼓動を押さえつけているのではない、単純に心臓が痛いのだ。
ヴィートは先ほどから眼前にそびえ立つ直方体を見ては目を逸らし、一歩踏み出しては一歩退いて溜息をつくようなことを、かれこれ十分は繰り返していた。
当然彼を見る通行人たちの眼は不審者を見るそれになっており、彼が来ているのが騎士服でなければ今頃誰かが騎士を呼んできていただろう。
そんなにも怪しまれているヴィートだったが、当の本人は何も気づいていなかった。
それどころじゃないとも言う。
「……なんで引き受けちゃったんだろう」
当然フィリーネを救うために他ならない。
そんなことは分かっているのだ。分かってはいるが気が重い。
臆病者だと笑わば笑え、明確な理由さえあれば憂鬱さがなくなるのならば人間誰も悩みなど持たないだろう。
口から洩れる溜息くらいは許してほしいと思う。
何せ今から会うのは一度本気で怒らせてしまった相手だ。しかもそれ以来会っていないときた。
誇り高きブロックスの騎士という立場を持ってはいるものの、ヴィートはまだ十六の少年なのだ。
そうでなくとも臆病な彼が、この状況で尻込みするのは仕方のないことと言えた。
――リュージさんに着いてきてもらえば良かったかな……。
つい頭に浮かんだ情けない考えを頭を振って追い出す。
リュージもラフィも自分が一人で行くことに口を挟まなかった。
ヴィートならば一人でもやるべきことをやると信じているからだ。
ならばそれに応えなければならない。信頼を裏切るのは辛いことだ、それこそ怒鳴られて叩きのめされて追い出されるよりもずっと――。
ヴィートは力強り足取りで扉の前まで行くと最後に一度だけ呼吸を整えた。
「……よし、よーし、よし!行くぞ!」
そうして決意を固めた少年が扉に手を伸ばすのと――。
「何をしてるんですか?」
急に背後から聞こえてきた声に飛び跳ねんばかりに悲鳴を上げたのはほぼ同時だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「すみません、まさかあそこまで驚かせてしまうとは」
「い、い、いや、良いんです、スヴェンさん何も悪くないですから」
気にしていないと手を振るヴィートだが、その手が未だ震えているのだから説得力はない。
「それより、スヴェンさん今日も仕事なんですか?」
「ええ、それが何か」
「いや、今朝ナディヤさんと一緒にいるところを見たってリュージさんが言ってたから、てっきり休みなんだと」
「なるほど、そう言うことでしたか、お言葉通り午前中は休みだったんです、しかし明日のことを考えると準備をしておくべきかと思いまして」
「明日?何かあるんですか?」
「……隠すようなことでもありませんね、明日は社長と縁談相手が顔を合わせる日なんです」
「え゛っ!?」
ヴィートの口からおかしな声が出た。
しかしそれも当り前だろう。ヴィートの記憶が正しければ社長であるブルーノはこのお見合いに積極的ではない。
というより嫌がっている、初めて会った時それで怒らせたのだから確実だろう。
「よりもよって、そんな日に来ちゃったわけですね」
「……そうですね、更にいえば今日の社長は近年稀に見るくらい機嫌が悪いです、理由がお見合いだけとは思えませんね」
「うわぁ……」
とんでもないタイミングだ。何なら今すぐ帰りたい。
だが仮にもヴィートは騎士、もっといえば覚悟を決めた騎士なわけで、ここで帰るという選択肢は建物に入った時点で捨てている。
汗をだらだらと流しながら、痛む心臓を抑えるヴィートに、スヴェンが問いかけた。
「……犯人、捕まったそうですね」
「え?スヴェンさんもあそこに?」
「いえ、その場にはいませんでしたが、もう都市中で話題になっていますよ」
「あー、やっぱりそうなんですね」
「でも門が開くのはまだすこし先になるらしいです、何で今日開かないのかはわかりませんが」
「……きっと色々手続きとか、あるんじゃ、ない、ですかね」
まさか自分たちのせいですとも言えず、ヴィートは苦笑いしながら視線を逸らした。
幸いスヴェンはヴィートの様子がおかしいことには気づいていないようだった。
「しかし明日までに開いてくれないと困ります、もし手間取っているようであれば多少強引な手も使わないといけなくなりますから」
「ご、強引な手?」
「失礼、お客様に聞かせる話ではなかったですね、忘れてください」
「は、はぁ……」
「そんなことよりも、今更ですが社長に何のご用で?」
「え!?あ、えーとですね――」
今の今まで何も聞かれなかったので気にされてないのかと思って油断していた。
どこまで話したものかと口ごもっていると、スヴェンは小さく頭を振った。
「言い辛いのならば結構です」
「え?良いんですか」
「ええ、犯人も見つかったことですし、社長を疑いに来たわけではないのでしょう?」
そう言われてヴィートは考えた。
自分は会ってどういう風に話をするつもりなのだろう。
相手が犯人かどうかを確かめたいのか、問い詰めたいのか。
犯人だと決めてかかっているのか。
――いや違う、僕は……。
「……どうかしましたか」
急に立ち止まったヴィートを、スヴェンが訝しげに見た。
ヴィートは視線を逸らさないように顔を上げてはっきりと口にした。
「疑いに来ました」
途端に、場の雰囲気はピリピリしたものへと変わっていく。
スヴェンは鋭い視線でヴィートを射しながら問い詰めるような、それでいて静かな口調で言った。
「……もう事件は終わったはずですが」
「でも疑いに来ました」
「よくはっきりと言いましたね、今からでも帰れと言われることは考えないんですか」
「考えは、しました、でも疑わなくちゃいけないんです」
「何故ですか」
「信じたいからです、ブルーノさんは犯人じゃないって」
スヴェンの眉がぴくりと動いた。
ヴィートは構わずに舌を回し続ける。
「ブルーノさんは、あなたからもナディヤさんからも信頼されてて、きっと凄く良い人なんだろうなって、そう思います、だからこそ疑うんです。疑いぬいて、犯人とは何の関係もないってはっきりさせたいから」
信じたいから疑いぬく、自分でも無茶苦茶を言っているという自覚はある。
だがそれがヴィートの紛れもない本音だった。
場を覆っていた緊張感が薄くなっていく。
ヴィートを見るスヴェンの目は露骨な呆れを含んでいた。
「正直なのは良いことですが、もう少し嘘をつくことを覚えるべきではないですか」
「でも、結果オーライです、よね?」
「……とりあえずできるだけ刺激しすぎないように気を付けてくださいとだけ伝えておきます」
気づけばもう目的地だった。
目の前にある扉には『製図室』のプレートがかかっている。
ヴィートは意を決して扉を叩いた。
返事はないが、行かないわけにもいけない。
「外で待っていますから終わったら出てきてください」
スヴェンの言葉に背中を押されるように、ヴィートは扉の中へと足を踏み入れた。
記憶に違わず強い柑橘系の香りがした。
しばらく部屋にいれば匂いがうつってしまう程の――。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
床には棚に置いてあったはずの紙束が散乱していた。
それだけではなく倒れている棚そのものも少なくない。
元より迷路のようだった製図室は更に外からの進入を拒む迷宮と化していた。
最もそれは物理的な話に限らず、中にいる人物が放っているプレッシャーによるものでもあった。
「……誰だ、何勝手に入ってきてる」
部屋の奥から聞こえる声にヴィートは倒れている棚をまたいで姿を現した。
「えっと、お久しぶりですブルーノさん」
「お前は……何しに来た」
意外にもブルーノは冷静だった。
ヴィートを見た瞬間に眉間に深い皺を刻んだものの、すぐに冷静さを取り戻していた。
ヴィートは安心して口を開いた。
「少し聞きたいことがあってきました」
「……急ぎじゃなならまたにしてくれ、今は相手をしてやれる気分じゃない」
「急ぎなんです、あの、すぐに終わりますから」
「疲れてるんだ、どうしてもっていうなら手短に済ませてくれ」
「ありがとうございます!聞きたいことって言うのはさっきの、ブルーノさんも見てたあの事件についてで――っとぉ!?」
咄嗟に思い切り首を右側に曲げる。
さっきまで顔があったそこを猛烈なスピードで通過したのは先のとがったペンだった。
それが壁にぶつかったのを見届けてから、ヴィートはゆっくりと投げた張本人へと視線を戻した。
肩で息をしながら殺意すら滲ませた瞳を向けてくる男がそこにはいた。
「お前は……狙ってやってるんじゃないだろうな、毎回毎回一番聞かれたくないことばかりに首を突っ込みにきやがって」
「それってどういう――」
「黙れ!もう帰れ、二度と来るな!次来たら命の保証はしないぞ!」
ここに至ってヴィートはようやく気づいた。
ブルーノは冷静だったわけではない。
むしろ逆だ。
度を越して怒っていたから――。
過剰な八当たりをしそうだったから――。
手短に話を済ませてヴィートを帰そうとしていたのだ。
だがそんな思惑も空しく何らかの琴線に触れてしまったらしい。
もうこんな状態になっては話など聞けないだろう。
ここは一旦帰ってブルーノが落ち着いた頃に誰か別の人間を寄こすべきだ。
と、いつものヴィートならばそう考えて帰ったかもしれない。
だが今日の彼は覚悟を決めて来ていた。
故に――。
「帰りません」
「……何?」
「話聞けるまで帰れません!僕は、僕たちはフィリーネさんを助けたいんです!だから帰りません!」
「フィリーネ?」
「さっき捕まっちゃった人です、あの人は無実なんです、何もやってないんですなのに捕まってるんです!僕は騎士だから!無実の人が捕まってるなら助けないといけないんです!」
「……」
「今更隠しごとなんて意味がないだろうから単刀直入に聞きます、ブルーノさんはこの事件に関わってるんですか?」
「俺が?なんでそうなる、俺は何も知らない!」
「フィリーネさんはつい十日前に正体不明の相手に襲われました」
ブルーノは眼鏡越しの目を大きく見開いた。
突然聞かされたことに混乱しているのかもしれない。
それでもヴィートは止まることなく喋り続ける。
「僕も偶然その場にいたんです、その時その人達から匂いがしたんです、この部屋の香りと同じものが」
「それは――」
「もう分かってるかも知れないけどフィリーネさんはオットナーさんからある物を盗んだ犯人だと思われてます、でも僕はあなたを疑ってます、あなたが犯人と繋がってるんじゃないかって思ってます」
「違う!俺は何も知らない!」
絶叫するブルーノにヴィートは頷いて見せた。
「――ナディヤさんもそう言ってたらしいんです、ブルーノさんがオットナーさんからアイデアを盗むのはあり得ないって」
「ナディヤが、そんなことを――」
「だから教えてください、何であなたがオットナーさんのアイデアを盗むことはあり得ないって言えるのか」
問いかけに対してブルーノは肩を震わせて俯くばかりだった。
よほど言いたくないことなのだと言うのは良く分かった。
だが、今回ばかりはヴィートも引く気はない。
「お願いします、フィリーネさんを助けたいんです、もし犯人でも何でもなくて、僕がここに来たのが時間の無駄だったとしたら、僕は早く次の手がかりを探しにいかないといけないんです!だから――」
「もういい、十分だ」
「待ってください!まだ話は――」
「違う、そんなに聞きたいなら話してやると言ってるんだ」
「へ?」
「なんだその意外そうな声は、お前が頼んできたんだろうに」
「い、いや、そうなんですけど、ね」
「それに、俺もいろいろ聞かせてもらったしな、オットナーのアイデアなんて単語が出てくるってことは、盗まれたのはシャトランジに送る企画書当たりか」
「あ!えと、その――」
「口止めされてるんなら言わなくてもいい、話を続けよう」
予想よりもすんなりと話が進んでしまった。
もっと時間がかかると思っていただけに肩透かしを食らった気持だ。
「それで、お前は俺たちのことをどこまで知ってる?」
「ぜ、全然です、昔仲が良かったことくらいしか――」
「……俺とあいつは同じ孤児院出身なんだ。拾われた日も同じ、兄弟みたいなもんだった」
「それは……」
「境遇への同情なんて求めてない。話の本筋とは関係ないだろう。違うか?」
「……ごめんなさい。続けてください」
「あいつの会社はもともと俺とあいつと気の合う仲間たちで始めたものだった、当時は十数人しかいなくてな、ナディヤはその中でも一番後に入ってきた新入りだった」
十五の小娘の割にはよく働く奴だったよ。
そう語るブルーノの表情は見たことがないほどに穏やかだった。
過ぎ去った時間をどれだけ大切にしているかが、一目で分かるくらいには――。
「あれは会社ができて、軌道に乗って、社員が増えてきて、そう今から数えれば十年……いや、きっかけは十二年前か」
虚空に当時を見たのか、視線を空に漂わせながらブルーノは語り始めた。




