アルカディアの23
人間というのはやはり図太いもので、先の騒動からまだそんなに経っていないにも拘らず、店の中は客で溢れかえっている。必然的にフィリーネと同じようにテラス席に案内されたリュージたちは昼食をとっていた。
のうのうと食事をしている場合でもないはずなのだが、そういえば朝から何も食べていないという事実に気付いたラフィに押し切られる形でこうしている。
何も食べずに動き続けるのは結果として効率を落とすことに繋がるから丁度いいのは確かだ。
唯一の問題点と言えば主なメニューがパスタなことくらいか。
リュージはパスタをきれいに食べるのが苦手だった。すすってしまうたびに姉から拳骨を頂戴していたのは懐かしい思い出だ。
「なーんでパスタ食べるだけでそんなに腕がプルプルするのかしら」
「話しかけんな今集中してんだから」
「……なんか意外だな、旦那ってなんでもこなせる感じの人かと思ってた」
「分かるわ、私も初めて会った時はこう『できる男』って感じだと思ってたんだけど、実際はねぇ、不器用だし口下手だし嘘つけないしすぐ騙されるし」
「おい!集中できねえだろ」
「なによう、そのくらいで怒らないでよね、もう!集中すると周りが見えなくなるのも良くないところよ?」
そのやり取りに思わず笑みをこぼすイナセ、ラフィはそれを見て安堵したように表情を緩めた。
「少しは力抜けた?」
「……そう、だな、少しは楽になったよ」
「そうそう、人間力入れすぎると上手くいかないもんよ、そのうえ傍から見ると見苦しいわ、あんなふうに」
「は、ははは、そうかも」
やっとの思いで一口目を口に運ぶリュージを視線で示しながら、ラフィは肩をすくめている。
イナセもその真剣すぎる雰囲気に笑っていいものかと顔をひきつらせた。
ちょうどその時、店内で店員に話を聞いていたヴィートが戻ってきてリュージの隣に座った。
心なしか焦げ臭いのは気のせいだろうか。
「リュージさん、話聞いてきたんですけど」
「おう、どうだった」
「心当たりあるって店員はいました」
「ホントかよ!?それで!どこのどいつだったんだ!」
「いや、それがねイナセちゃん、店員さんが覚えてたのは変な客がいたってことだけなんだよ」
「……変な客?全体的に焦げ臭い男の子よりも変な客ってこと?」
「ラフィさんのせいですからね!?この服替えが少ないんだから二度としないでくださいよ!?」
ぶつぶつと文句を言いながらも、ヴィートが聞いた話をまとめるとこういうことだった。
朝方、開店から間もなくやってきた客がいた。書類カバンを片手に持つどこにでもいそうな男だった。
その客は店内が混雑していないにも関わらずテラス席を選び、紅茶を一杯だけ注文すると、いつ帰るか分からないからと料金を先に払った。
ここまでならば何の違和感もない、街並みを眺めながら紅茶を嗜むのが趣味だったのかもしれない。
おかしいのはここからだ。その後男は何もせずに数時間座り続けていたと言うのだ。
読書をするでもなく。
書類を片手に仕事を始めるでもなく。
待ち合わせた友人が来るでもなく。
出された紅茶に手を出すでもなく。
まるで何かを見落とさないように見張っているかのように、じっと座っていたらしい。
そして男は何の前触れなく動き出した。正直不気味だった客が出ていくことに店員は内心安心したそうだが、そうして出ていく際に――。
「人にぶつかって、二人とも荷物を落としたそうなんです」
「タイミング的に考えて確実にそいつね、それで?他には何も覚えてないって?」
「はい、『こういう客がいた』ってことは皆覚えてたんですけど、見た目には何の印象もない人だったみたいで」
「……ま、これだけ繁盛してればな」
ようやく掴んだつもりの尻尾はいとも容易く切れてしまったわけだ。
つい舌打ちでもしてしまいそうになるが、イライラしている暇も勿体ない。
「イナセ、ここ最近フィリーネの近辺で変わったことなかったのか」
「ん、んー、アタシたちいつも一緒にいるわけじゃねぇし、けど多分いつも通りだったぜ?昼は知らねぇけど夜はたいてい『あの人』のとこ行ってたし」
「あ、『あの人』って誰のこと?」
「そっか言ったこと無かったっけか」
そしてイナセの口から語られるのはフィリーネのパトロンの存在。
それを聞いていたリュージは自然と眉間にしわが寄るのを抑えきれなかった。怒りではない、疑問だ。
話しているうちに自分でも違和感に気付いたのかイナセも似たような顔になっている。
二人より先に。
「その人、何やってるんだろうね、こんな時なのに」
「そういやそうだよな、フィリーネがこんなことになってんのに何もしてこねぇなんて、考えられねぇ」
「聞いてる限りそこそこの権力者なんだろ?だからこそ首突っ込みづらいってのもあるんじゃねえのか」
「いや無いよ、旦那たちには分からなくて当然だけど、あの人のフィリーネに対する溺愛っぷりは相当だぜ?」
「だ、だったらなんで――」
「そのことは後回しいいと思うわ、何なら気にしなくていいんじゃない?」
それまで黙っていたラフィが事もなげにそう言った。
その口調はまるで、議論が脱線しつつあることを知っているようだった。
「お前、何か気づいてるのか?」
「なんにも、ほとんど勘よ、ただそのお相手は犯人側じゃないと思うわ、結構な確率でね」
「でもよぉ、それ以外って言われるとホントに何にもないぜ?」
「ちょっと、他の二人が気づかないのはまだしも、あなたが思いつかないのはおかしいでしょイナセ、当事者なんだから」
「……あっ!」
イナセだけでなく、隣にいたヴィートも同じように声を上げる。リュージも同じ気持ちだ。
何故忘れていたのか、一番の事件があったではないか。
フィリーネと同棲しているイナセが襲われるという事件が、しかも二度も――。
「で、でもよ、襲われたのはアタシだぜ?関係あんのかな」
「それを考えられるのはあなただけよ、思い出して、何か引っかかることがなかった?」
「んなこと言われたってもう十日くらい前だし」
イナセは腕を組んでうなる。
記憶の海から十日前をサルベージしようと必死になっているようだ。
リュージもラフィも、その件については二度ともほぼ関われなかったから本当にイナセ頼りだ。
固唾を飲んで見守っていたリュージがふと隣を見ると、同じように考え込んでいるのがもう一人いた。
「いやなんでお前も考え込んでんだよ」
「えっと、僕も何か忘れてる気がして……」
そういえばヴィートも両方の現場にいた数少ない人物だ。つくづく運がない奴だと同情してしまう。
イナセがそういえばと口を開いたのはそんな折だった。
「二回目襲われたときにさ、あいつらの一人が言ってたんだ『もうお前はどうだっていい』って」
「一回は攫おうとした相手にほっとけねぇ……」
確かにおかしい、可能性があるとすれば一度目と二度目で完全に目的が違った場合だが、間一日でそこまで劇的に目的が変わるとは思い難い。
ならば考えられるのは――。
「最初からイナセが目的じゃなかった……?」
「そうね、多分だけどそれが正解じゃないかしら」
「――じゃああいつらの目的って」
「状況的に考えてフィリーネ、しかいないでしょうね、なんでイナセと間違えたのかは分からないけど。一緒の家に住んでるからとか?」
「アタシそんな下らねぇ理由で狙われたのかよ……」
「多分って言ってるでしょ、ホントのとこなんて本人に聞かないと分からないわよ」
「だが連中の狙いがフィリーネだとすると、ここに来た男とあいつらはグルって考えられないか」
「十中八九そうでしょうけど、問題はそれが分かったからって解決につながらないってことよね」
「なんでだ?あの三人組に聞きに行けばいいだろ」
「どうやって?今から行っても収監され終わってるわよ」
「面会とか――」
「手続きに時間がかかりすぎるわ、今日中には無理よ」
朝の男は誰だかわからず、件の三人組は会うことができない。折角見つかった繋がりだが、問い詰める相手がいないのだ。
リュージはイナセを見るが、これ以上思い出せることはなさそうだった。
暗礁に乗り上げた。
その言い回しがリュージの頭の中をぐるぐると回る。
明確な情報不足、その現状が圧し掛かってきていた。
沈黙が四人の間を支配する。決して諦めたわけではない、だが道が見えてこないのだ。
重苦しい沈黙が続く中、リュージは少しずつ大きくなる足音に気づいた。
顔を上げればこっちに寄ってくる店員の姿があった。
「おい、誰か何か頼んだのか」
「あ、私よ、食後の一杯が欲しくて」
「お前の口から一杯って聞くとアルコールの匂いがしてくるんだが」
「失礼ね時と場合くらい選ぶってば」
「場所は選ばないって?」
「何か問題でも?」
何の気なしに放った皮肉に清々しいほどの開き直りで返される。
あまりに堂々とした姿に言葉を失う程だった。
そうこうしているうちにやってきたウエイトレスは湯気が立ち上るティーカップをトレイに乗せて、ヴィートとラフィの間に立った。
「たいへんお待たせしました、レモンティーになります」
「ああー!!」
突然、本当に突然だった。
おもちゃのスイッチを入れたようにヴィートが叫んだ。
至近距離で絶叫を聞かされたウエイトレスの手からトレイが滑り落ちる。
そこからは景色がスローモーションで流れていった。
ラフィが俊敏な動きでトレイとソーサーをキャッチ、しかしそこまでだ。腕が二本しかない以上ここが限界だ。
残されたティーカップは緩やかに回転しながらその中身をぶちまけた。
――ヴィートの頭に。
「ほわああああああ!!」
「お、お客様!?申し訳ありません!」
絶叫が悲鳴に変わる。
ウエイトレスが顔を青くしてあたふたとしていた。
「へーきへーき、驚かせてごめんなさいね、替えは要らないからカップ下げてもらえる?」
「は、はぁ……」
ラフィの言葉に従って遠阪っていくウエイトレス。
ラフィはそれを見届けてから空中に水の塊を生み出すと器用にもそれをヘルメットのような形にしてヴィートに被せた。
「何やってんのよ、場を和ませたいにしても体張りすぎでしょ、正直見ててきつかったわ」
「そ、そんな意図ありませんって、そうじゃなくて、僕思い出したんです」
「その様子じゃ重要なことみたいだな」
「はい!イナセちゃんが二回目襲われたときに、何か変な感じがして、それを今思い出したんです」
「……そんなのあったか?一回目と何にも変わんなかったような気がするけど」
「ううん、あったんだよ、明らかに違うところがあったんだ!」
「ああもう、勿体ぶってないで早く言いなさいよ、何が違ったの!」
やっと思い出した何かに舞い上がっているヴィートをラフィがせかす。
ヴィートは満を持して自らの気づきを告げた。
「匂いです!」
『匂い?』
三人の声が重なった。
ヴィートは自信満々に頷いて続ける。
「最初に戦った時は何も匂わなかったんです……それどころじゃ無かっただけかもしれないですけど、でも二回目あの人たちに近づいたとき確かにしたんです、 柑橘系の強い香りが」
一見何の価値も持たないその情報。
しかしリュージの記憶に辛うじてあるとある場所と関連する。
リュージはヴィートと視線を交わす。ヴィートは大きく首肯した。
次いで口元に手を当てて考え込んでいるラフィを見る。
リュージの視線に気づくと小さく頷いた。
イナセは一人きょとんとしていた。仕方ない、彼女はあの場にいなかったのだから。
「――よし!決めたわ」
ラフィはその銀長髪を後ろに払いながらヴィートとイナセを順に指さした。
「ヴィート、気付いたついでよ、『あそこ』にはあなたが行ってきなさい」
「うえ!?で、でも僕じゃあ」
「だからこそよ、あなたが相手なら口を滑らせるかもしれないでしょ、せいぜい煽ってきなさい!」
「煽りませんよ!だけど、わかりました、行ってきます……ちょっと怖いですけど」
「それからイナセ!」
「う、うん」
「フィリーネの――ていうか自分の部屋調べて、何かあるかもしれないし」
「分かった……ちょうど取りに行きたいものもあったからさ」
「私も少し調べたいところがあるから行ってくる!じゃ、解散!」
「待て!」
立ち上がって動き出すラフィを慌てて止める。
ラフィは不機嫌さを隠さずにリュージを睨んだ。
「なによ、今からって時に出鼻くじかないでよね」
「そうじゃなくて……俺は?」
「リュージ・キド二十五歳好きな食べ物はリンゴ嫌いな食べ物は――」
「誰が俺のプロフィール言えっつった、俺はどこに行けばいいんだって聞いてんだよ」
「えー、んー……イナセについて行けば?」
「お前そんな適当な」
「だってほかの心当たりないし、それにイナセのとこが一番調べるとこが漠然としてるから人手がいるでしょ」
「……わかった」
明らかに今考えたという理由だが、これ以上つっかかっても意味がない。
リュージの行き先が決まったのを皮切りにラフィが腰に手を当てて言い放つ。
「それじゃあ解散、集合時間は決めないわ、何かつかんだと思ったら帰ってくること!」
「ざっくりしすぎだろ姐さん……」
イナセは呆れていたが。この程度の無茶ぶりにはすっかり慣れてしまった二人はラフィの勢いに毒されつつある自分に複雑な気持ちになりながら立ち上がった。
「そ、それじゃあ行ってきますね!」
「次会うときは全部解決っていきたい所ね」
「だといいんだがな、行くぞイナセ――イナセ?」
返事がない。
不思議に思ったリュージが振り返ると、そこには当然イナセの姿があった。
ただ一つ数秒前と違うところは、帽子を外していること。
とれたてのリンゴのように艶めく髪と、燃える炎を閉じ込めたような瞳を惜しげなく晒し、少女はリュージ達をまっすぐ見つめていた。
目立つのが嫌だから帽子をかぶっているのだと前にイナセは言っていた。
現に今もその珍しい風貌に周囲の注目が集まりつつある。
そんな視線を気にも留めず、もじもじと手を揉んでから、イナセは笑った。
「あの、さ、その……えっと、みんな、ホントにありがとう」
一面の向日葵が一斉に咲き誇ったような、可憐な笑みだった。
リュージもまた下手くそな笑みでそれに答える。
「礼言うのは早いぞ、全部こっからだ」
「助けようね、絶対に」
「……うん、そうだな頑張るのはこっからだもんな、姐さんも――あれ?」
やけに静かだと思えば、真っ先に口を開きそうなラフィが黙り込んでいた。
それだけではない、地面に向けられた顔のせいで表情は伺えず、肩もぶるぶると震えている。
尋常ではない様子に隣に立っていたリュージはぎょっとした。
ラフィはそのままつかつかとイナセの方へ歩み寄る。
「あ、姐さん?」
「……ぎでしょ」
「へ?」
「かわいすぎでしょ!」
言い終わらないうちにラフィがイナセに抱きついた。
突然の奇行にイナセは目を白黒させるばかりだ。
「ちょっと何よ今の!可愛いのは知ってたけど笑ったらもっと凄いわ!こういうの、こういうのよ!生活に必要な潤いって言うのは!普段男どもしか視界に映らないし、村にいた時も若い子いなかったしこんなに癒されるなんて知らなかったわ!ああもう!荷物に詰め込んで持っていきたい!」
「わわわ!や、やめやめ、やめろよぉー!」
女性としては背の高いラフィに抱きかかえられて、ただでさえ小柄なイナセは必死な抵抗も空しくされるがままに振り回されていた。
揉みくちゃにされるイナセを見て、止めるべきかとおろおろしていたヴィートの肩を、リュージは軽く叩いた。
「ほっとけ」
「え、で、でも――」
「邪魔すると後が怖そうだ」
その言葉に深く納得してしまったヴィートは、申し訳なさそうにイナセのほうを見るばかりだった。
ラフィが落ち着いて四人が行動を開始したのはもう少し後のことになる。




