第一話
校舎の窓から差し込む朝の光の中、私は自分の机にカバンを置いた。事故で入院していたせいで久しぶりの教室はどこかよそよそしく、クラスメイトたちの楽しげな話し声も、まるで遠い場所で鳴っている音のようだ。
「——百合。本当に、目が覚めてよかった」
頭上から降ってきたのは、低く甘い声だった。振り向くと、そこに立っていたのは同級生の月島 朔だった。園芸部で校内でもモテると有名な彼は、私を見つめるとホッとしたように目元を緩めた。
「月島くん……心配かけてごめんね。私、事故の前のこと、まだあんまり思い出せなくて」
「いいんだ。君がこうしてまた目を醒ましてくれたなら、記憶なんてどうだっていい」
月島くんは私の前に屈みこむと、細い指先でそっと私の髪をかき分けた。その手つきは驚くほど優しく、けれどどこか、壊れものを扱うみたいだった。
「これ、復帰祝い。事故に遭ったって聞いて本当に心配したんだから……お守りにネックレス買ったんだ。ずっと渡したくて」
彼がポケットから取り出したのは、小さいルビーのネックレスだった。
「あ、ありがとう。……着けてもらえる?」
背を向けると、月島くんは「うん」と低く答え、私の首の後ろへ手を回した。つ、と冷たい金属が肌に触れ、カチリと小さな音が鳴る。
留め具を留め終えても、彼の指先は私の皮膚から離れなかった。まるでなぞるように、滑らかな体温の薄い指が首筋を撫で下ろし、そのまま後ろからぎゅっと抱きしめてきた。
「……月島くん?」
「百合……会いたかった」
私の肩に顔をうずめたまま、月島くんが静かに囁く。首筋に残る彼の冷たい指の感触と、背中から伝わる強い体温。私を閉じこめるみたいに回された腕の力強さに、胸がキュッとなる。でも、私を抱きしめる月島くんの体は、どこか切なくなってしまうほどかすかに震えていた。
「よかった、すごく綺麗だ……。お昼に温室に行こう!君に見せたいものがあるんだ」
私から体を離したあと、心底愛おしそうに微笑んだ。
「なんだろ?楽しみ!」
私がそう答えると、月島くんは満足そうに微笑み、自分の席へと戻っていった。
胸元のルビーのチャームに触れながら、私はふと、壁に掛けられた教室の時計に目をやる。
……あのアナログ時計、さっきから針が動いていないような気がする。首をかしげながら、私はじっと文字盤を見つめた。
文字盤が指しているのは、『7時59分』。登校して席に着いてから、もう何十分も経っているはずなのに。秒針すら、ピクリとも動かない。
「ねえ、月島くん。あの時計——」
そう言いかけた、その瞬間だった。
カチッ。
死んだように固まっていた長針が、重々しく一メモリ動いた。針が重なったのは、ちょうど『8時00分』。
——キーン、コーン、カーン、コーン……
静まり返っていた校内に、朝のホームルームを告げるチャイムが甲高く響き渡る。
(……あ、なんだ。動き出した)
やっぱり事故の後遺症で、頭がぼーっとしていただけみたいだ。私の勘違いか。一人で納得して小さく苦笑いした私だったが、ガラガラッ!と教室の前ドアが開いた音に顔を上げた。
担任の先生が、いつもの調子でクラス全体を見回す。
「みんな、席に着け。……急だが、今日から転校生を迎えることになった」
ザワッ、と教室が揺れる。私が不思議そうにドアの方を見つめていると、不意に隣の席から、恐ろしいほどの冷気が伝わってきた。
振り向くと、さっきまで愛おしそうに微笑んでいた月島くんが、血の気の引いた顔で教室のドアを睨みつけていた。
「お前……」
月島の絞り出すような呟きと同時に、一人の少年が教室へと足を踏み入れる。
「転校生の、神代 司だ。よろしく」
爽やかな笑顔を浮かべて入ってきたのは、まるで太陽のように整った容姿の少年だった。
クラスの女子から歓声が上がる中、神代は教壇を離れると、一直線に私たちの席へと歩いてきた。そして、固まっている月島の目の前で足を止めると、心底楽しそうに目を細めた。
「——はじめまして。よろしくな、月島くん」
神代はそう言うと、爽やかな笑みのまま、顔面蒼白の月島に向かってゆっくりと手を差し出した。
その瞬間、窓の外の空が、まるで破れた紙のように一瞬グラリと歪んだ。




