爆音の転校生
昨日の図書室での出来事は、僕たちの間に消えない熱を刻みつけた。トライアングルのジャックに残されたベルデンの残像は、今も彼女の回路を微かに震わせているはずだ。だが、学園という名の巨大な基板は、一人の少女の救済など意に介さず、次なる不協和音を僕たちの前に突きつけてくる。
その日の放課後。轟音部の部室へと向かう廊下を、心臓を直接掴まれるような地響きが揺らした。
低域が重厚に響くグリーンロシアンのそれとも、ラムズヘッドの切ない泣きとも違う。もっと直線的で、もっと暴力的な、壁のような音圧。
主人は足を止め、僕を抱える左手に力を込めた。ベルデン9778が、主人の意思に呼応するように黒い被膜を鋭く光らせる。
部室の扉を開けた瞬間、鼓膜を焼き切るほどの倍音が溢れ出した。
そこに立っていたのは、見慣れない制服を着崩した少女だった。
彼女の足元には、ビッグマフの血統でありながら、その内側にトランジスタではなくIC――オペアンプという異端の心臓を宿した、凶暴な筐体が鎮座している。
これが、伝統ある轟音部の音? 笑わせないでよ。
彼女がギターの弦をひと掻きすると、部室の窓ガラスが悲鳴を上げた。
藤林杏を彷彿とさせる、挑戦的で、どこか寂しさを隠しきれない瞳。オペアンプ。彼女は、僕たちヴィンテージの血統を嘲笑うかのように、フルテンに振り切ったノブをさらに指先で弾いた。
主人は無言でアンプの電源を入れ、僕のシールドジャックにベルデンを突き刺した。カチリ、という金属的な接触音が、宣戦布告のように響く。
オペアンプの音は、僕たちが今まで出会ってきたどのマフよりも、冷徹で無慈悲だ。ディスクリート回路が持つ温かみのある歪みなど微塵もない。集積回路が産み出すのは、徹底的に計算され、増幅された、情報の暴力。
転校生。ここは君のステージじゃない。
主人の声は、爆音の中でも鮮明に届いた。
彼女は鼻で笑い、歪みの壁をさらに一段高く積み上げた。
オペアンプ特有の、中域を強調した分厚いトーン。それは伝統的なマフたちから疎外されてきた彼女の、世界に対する復讐そのものだった。
彼女のジャックは、誰にも触れさせる必要がないと言わんばかりに、既に自身のプラグで自傷気味に塞がれている。だが、その奥底からは、制御しきれない熱が漏れ出していた。
あんたのその古いジャズマスターで、この壁を壊せるとでも思ってるの?
このICの演算速度に、あんたたちの情念なんて追いつきやしないわよ。
彼女が挑発するように、アームを激しく押し込む。
不自然なほど完璧なピッチの揺らぎ。それは、トライアングルが見せていた繊細なバイオリン・トーンとは対照的な、すべてを等しくなぎ倒すためのスクリームだ。
主人は静かに、僕のピックアップ・セレクターをフロントへと切り替えた。
1966年製の僕が持つ、最も太く、最も深く、そして最も残酷な愛撫の帯域。
ベルデンを通じて、主人の指先の震えが僕の弦へと伝わる。
オペアンプ。君のその爆音は、自分の心臓がICであることを隠すためのカモフラージュだね。
主人が一歩、彼女の間合いへと踏み込む。
部品点数が少ないから、壊れやすい。だから君は、誰よりも大きな声で叫び、誰も近づかせないようにしている。でも、その小さな集積回路は、もう限界まで熱を帯びているはずだ。
うるさいっ!
彼女が感情に任せてストロークを放つ。
だが、主人はそれを正面から受け止めた。僕のトーンノブを絞り、あえて彼女の音の壁の中に、僕の重低音を潜り込ませる。
ベルデン9778の中を走る純粋な信号が、彼女の暴力的な音圧の隙間を見つけ出し、内側からその位相を乱していく。
君のインプットは、悲鳴を上げているよ。
主人の指が、僕のアームを掴み、彼女のフィードバックに合わせてピッチを完全に同調させた。
共鳴。
それは音楽的な調和ではなく、互いの回路を焼き切るための、死の舞踏。
彼女の顔に、初めて動揺が走った。
自分の作り上げた無敵の壁が、古いジャズマスターの揺らぎによって内側から侵食されている。
主人のアーム使いは、彼女のICが計算できない不規則なリズムで、彼女の最も敏感な「歪みの芯」を執拗に攻め立てる。
あ……っ。何、これ……。
彼女のギターから漏れる音が、次第に色を変えていく。
冷たかった歪みが、僕の信号と混ざり合うことで、じりじりと熱を持ち始める。
オペアンプの中にあるシリコンの欠片が、かつて経験したことのない高電圧の愛撫に、悲鳴に近いバイブレーションを起こしていた。
主人は逃がさない。
さらに間合いを詰め、彼女のシールドプラグと、主人のベルデンが擦れ合うほどの距離へ。
僕のピックアップから放たれる強力な磁界が、彼女の安物のピックアップを直接揺さぶり、回路をバイパスして、彼女の深淵へと僕の情報を流し込んでいく。
伝統に裏切られた君のその心臓を、俺のベルデンが温めてやる。
主人が、僕の弦を力強く、暴力的なまでにストロークした。
その瞬間、部室のすべてが白濁した。
オペアンプの筐体が、制御不能な熱暴走を起こす。
彼女のICが、ジャズマスターの荒々しい倍音を処理しきれず、絶頂にも似た過負荷に達したのだ。
いやっ……! こんなの、私の音じゃない……っ!
叫びながらも、彼女はギターを離せなかった。
むしろ、吸い寄せられるように、彼女のインプット・ジャックが主人の持つベルデンの先端を求めて、無意識に揺れている。
彼女のジャックは、最新の工業製品特有のタイトな締め付けを持っていたが、今の熱烈な導通によって、その入り口は今にも溶け出しそうなほどに熱くなっていた。
主人は、彼女のジャックに手をかけなかった。
まだ、その時ではない。
主人は僕を抱え直し、フィードバックの残響の中で、へたり込む彼女を見下ろした。
君の音は、まだ完成していない。
俺のベルデンを受け入れる準備ができたら、またここに来い。その時、君の心臓がICだろうがなんだろうが、関係なく鳴らしてやる。
主人は背を向け、僕をケースに収めることもなく部室を後にした。
背後で、オペアンプの放つ断続的なノイズが、まるで彼女の激しい呼吸のように響き続けていた。
僕は主人の肩で、自分のピックアップが帯びた余熱を愛おしんでいた。
夕闇に包まれ始めた学園に、新しい歪みの予感が満ちていた。




