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お春  作者: 生川 恵愛
最終章
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最終話:お春

 松本先生に近況を訊く日々も、どれほどすぎたのだろう。いや、あまり日はすぎていないかもしれない。


「沖田くん、土方くんからだよ」

「珍しいですね、近藤先生ではなくて土方さんからだなんて」


 たしかにそのとき、いやな感じはした。だが気のせいだとそれを無視して文を開く。珍しく土方さんから文が届いたからだと、自分の勘をごまかして。

 読み進めるうちに、指先はふるえていた。最後まで読み進めることはできず、はらりと落ちていく。

 どうした。顔を覗きこむ松本先生の声に我に返り、なんでもないと口にはしたが、ごまかしきれている自信はない。

 近藤先生がなぜ話してくれなかったのか。その理由は明白で。彼の元来のやさしさは残っているのだと思えば、それに腹を立てる気持ちにはなれなかった。


「土方さん──なんでいまこんな文を送ってきたんですか?」


 戦のためすぐに所在が変わってしまう彼らに、わたしから文を送ることはない。

 書くことも見当たらず、ましてやじゃまになるだろうとわかっているから。おなじことをくりかえし送るぐらいならば、送らないほうがましというものだ。

 それでもいまは、彼の文に返事を返したくて仕方がない。詳細を求めたくなってしまう。

 山崎さんが亡くなっていた。鳥羽、伏見での戦いで撃たれたらしい。

 知らないうちに、またもや仲間が死んでいた。これに涙を流さずにいられるはずがない。

 ここまで弱っているわたしより、なぜみな早く死んでいく? 仕方のない世だとしても、納得できるはずなどない。

 ひとり月明かりをさえぎり、歯を食いしばりながら涙する。気づかれないように、声をださないように。

 翌朝。総司は関係なく、“わたし自身”が愛した人。慕っていた人を亡くした世界は、どことなく色を喪ったように思えた。

 あれほどまぶしかったはずの朝陽にも影が差し、青々と茂っていたはずの草花もうすくみえる。

 近藤先生からの文もこないいま。わたしが完治すると信じてくれていた人は、あとどれほどいるのだろう。もしかすると、もう誰ひとりとしていないのかもしれない。

 弱気な心がむくむくと膨らむ。それを制御する術すら持たないわたしは、ただ深いため息をつくほかない。

 ため息が引き金になったのか、堰を切って飛びだしてきた発作に耐えきれず、うずくまるように背を丸めた。

 片手では受けとめきれないほどの喀血。息を吸う度いやな音を奏でるのどをそのままに、血にまみれた手のひらをこぶしに変えた。

 思えば、こうして苦しんでいるのは、わたしが斬ってきた連中の恨みなのかもしれない。

 ひとり。またひとり。大切に思っていた人たちが先に逝く。助けることも、護ろうとすることもできず、ただそれを知らされるだけの力ない自分。

 突拍子もないといえば、たしかにそうだ。だが、そんな想像はとまらなくて。諦めているひとつの理由となっているのかもしれない。

 ──なあ。

 そのときひとつ猫の鳴き声が部屋に向かって投げかけられた気がした。

 わたしの望み通り閉め切られた障子の向こうにはちいさな影が映る。ずり這うように障子へ向かい、そろりと手をかける。

 もうひと鳴き。早く開けてくれといわんばかりのその声に、思わず障子を開けた。


「黒猫……?」


 どこかでみたような黒猫。見憶えのある紅色の髪紐。

 首に結ばれたそれとの間には、ちいさな紙が挟まっていた。

 大きな瞳の黒猫に促されそれを取りだすと、最初に飛び込んできたのは、あの人特有の文字で刻まれた本人の名。

 ふるえる手でそれを開くと、『沖田組長』という書きだしで案じる言葉がつづられていた。

 諦めてはいけない。きっと治ると希望を捨てたら、ほんとうに治らなくなってしまう。そんな言葉の最後には、気を張りすぎるなと正反対の言葉があった。

 どちらなんだ。ともれた苦笑に、黒猫まで笑う。

 先に逝って、藤堂組長をからかって待っている。

 そう締めくくられたのをみた途端。待っていたように水滴が落ちていく。

 細くなった指でふれたのは、こけたほほ。そこに流れるものは、まだ温かくて。まだ生命の灯火は消えてはいない。

 すり寄ってきた黒猫が、わたしの文を持ったままの指先をなめる。

 静かに流れる涙をそのままに、文を置き黒猫を抱きあげた。


「くろ。持ってきてくれて、ありがとう。最期まで、諦めちゃいけないってことだよね」


 目線を合わせた黒猫は、そうだといわんばかりにひと鳴きする。胸に抱き寄せたそのちいさな身体は、生命力に満ちあふれていた。

 それからくろはどこに行くわけでもなく、わたしの部屋で寝起きをしていた。

 ときおり散歩でもしているのかふらりとでかけ、食事のころには戻ってくる。

 野花をひとつ咥えて戻ってくるときもあれば、どろだらけになって戻ってくることもある。

 ばあさんが何度、どろだらけで部屋に入るなといい聴かせても知らんふり。何度目かでついにばあさんは部屋の前で待ち伏せするようになった。


「これ、くろ! 洗ってからお入りなさい!」


 ばあさんに捕まってひびく悲鳴のような鳴き声に、つい笑みがこぼれるのは一度や二度ではない。


「少し顔色がよくなったね。くろのおかげかい?」

「かもしれませんね。ねえさまもこれなくなって、文で仲間の死や決別を知らされてばかりで──気が滅入っていましたから」


 いまはばあさんとくろのおかげでだいぶ色も戻っているように思える。

 笑みがこぼれるほどとはいえ、咳がやむわけでも血を吐かなくなるわけでもない。

 相変わらず部屋からはでられない日々ではあるし、力も弱まっているのは自分がよくわかっている。

 きっともうすぐ、わたしの生命も消えるだろう。

 それを感じつつも恐ろしくないのは、先に待っている人たちがいるからだ。

 くろがそばに寄り添っても、起き上がることすら困難になった。すっかり寝たきりになって、空の代わりに天井をみつめる日々。


「くろ、わたしが死んだら……おまえはどこに行く?」


 かすれた声は泣いているようで、となりで丸まっていたくろは頭を持ち上げた。

 布団からでた手のひらに近づき鼻先でつつく。そんなくろの様子に、ゆるりと手を持ち上げてなでてやる。

 うれしそうに目を細めているのをながめながら、重たいまぶたを閉じた。


「あら、沖田さん、お休みですか?」

「すこし、眠ります……。近藤先生からの文がきたら、起こしてください」


──お春さん。


 かすかな声に気がつくと、わたしは布団の上で寝てはいなかった。

 名も知らない花たちが、わたしを囲むように咲いている。

 起き上がらせた身体は信じられないほどに軽くて、手のひらをみるとずいぶんしっかりしているように思えた。


──お春さん。

「総司の、声?」

──お春さん。

「どこ、どこにいるの?」


 最初のかすかな声は、徐々にしっかりと聴こえるようになってくる。

 座ったまま辺りを見渡してみても声の主はみあたらない。思わず立ち上がって呼びかけても、彼の姿はみつからない。

 地味な袴は、さくら色の着物に。藍色の髪紐で結われていた髪は、整えられた日本髪に。

 あのときとおなじ。いや、それ以上に。いつの間にやら女の姿になっていることに気づくはずもなく。総司、と声をあげた。


「せっかくきれいな格好をしているのに、それじゃあ台無しですよ、お春さん」

「総司……なんで」


 しっかりとした声に振り向くと、そこにはほほえみを浮かべた総司の姿。

 組にいたころのわたしとおなじ姿に、ほんとうに総司が生きているのではないかと錯覚してしまう。

 伸ばされた手のひらへ腕を伸ばすと、ようやく着物が変わっていることに気づく。

 呆然として着物をみおろしているわたしに、総司はほほえんだまま両手を握った。


「すごく、似合ってます。これがほんとうのお春さんの姿なんですね。最期まで“沖田総司”として生きてくれて、ありがとうございます」

「……そっか、わたし──」

「お春さん、お疲れさまでした。あなたには、感謝してもしきれません」


 人を斬りつづけたことを責めるでもなく。最期まで戦えなかったことを責めるでもなく。ただ労いの言葉を告げる総司のやさしさに、手の甲にぼたぼたと涙が落ちていった。

 気づけば視界はにじんでいて、なにもみえない。

 ただ首を振ることでしか伝えることのできないわたしに、総司はただやわらかな笑みを浮かべていた。

 しばしの涙ののち。それを両手でぬぐい、いまさらながらに問う。


「わたしの名、ほんとうにお春だったの?」

「そうですよ。平助がおなじ名をつけたとき、なんということかと思いました。まさか平助が昔のわたし自身とおなじ思考だったとはね」


 肩をすくめた総司に思わず笑いながら、互いの手をいま一度取り合う。

 わたしたちは、もう一度ひとつになるのかもしれない。だけど、その前に。仲間たちが──愛する者たちが待っているだろう場所へ行きたいと、最後にねがった。




*****




  沖田総司と名乗り、沖田総司として生きた女は眠るように世を去った。

 世話係として松本良順が雇っていた女性は、彼女の死に際を看取っていた。だがそれに当初は気づかぬほどの安らかな亡くなり方だったという。

 双子の魂は交わることなく。だが離れることもなく。輪廻を巡りつづけた。

 男は女を護れるように。

 女は男に護れられるだけではないように。

 なにかに繋がれているかの如く、ふたつの魂は離れることはなかった。

 ときには親友。

 ときには兄妹。

 彼らはきっとその魂擦り切れるまで共にすごしていくのだろう。

 だがそれはまた、別のお話。

 稚拙な文節も多々あったとは思いますが、なんとか完結できてうれしく思います。

 ご愛読大変ありがとうございました。

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