政略と密室の約束
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皇帝暦1899年2月30日、夜。
セイラント侯爵邸、生誕の宴。
「これはこれは皇帝陛下、ようこそお越しくださいました」
いつものように、領主である父ドットが深く頭を下げる。私はその横に並び、至高の権力者たちへと視線を向けた。
「皇帝陛下、ならびにサン皇女殿下。本日は私の九歳の生誕宴にご参列いただき、恐悦至極に存じます。どうか今宵の宴を、心よりお楽しみいただけるよう願っております」
非の打ち所のない、淡々とした完璧な挨拶。しかし、私の正面に立つ第一皇女サンは、少し目元を赤くしながら不満げに頬を膨らませた。
「もう、アクル! 堅苦しいわ。お互いの立場があるとはいえ、身内しかいない場ではその余所余所しい態度は要らないって、前にも言ったはずよ?」
「まあ、サンよ。そう責めるな。アクルよ、貴殿はやはり並外れた品格を持っておる。……この後、少し話がある。ドットと共に私の元へ来てもらおうか」
皇帝ワイント・カント・ラップ5世の言葉に、私は「かしこまりました」と静かに頭を下げた。ふと横を見ると、父上はいつものように媚びへつらう風ではなく、何か大きな覚悟を決めたような、深く読めない瞳をしていた。
同日、ドットの執務室。
重い扉が閉まった瞬間、室内の空気がぴりりと張り詰めた。
「アクルよ。これは王家に関わる国家機密である。心して聞きたまえ」
皇帝陛下が、鋭い眼光で私を睨みつける。刃のような沈黙ののち、王の唇が開いた。
「アクルよ。貴殿には、我が娘サンと婚約してもらう」
感情の読み取れない冷徹な声。しかし、その背後にある政治的意味の重さに、私は一瞬思考を巡らせた。
「アクルよ、これはこの上なき名誉であるぞ! もう少し驚いたらどうだ」
父上が堪りかねたように口を挟む。その瞳には、先ほどまでの緊張とは違い、隠しきれない歓喜が滲んでいた。
「……大変光栄なことでございます。幼少期より唯一無二の友人であったサン様と婚約の契りを交わせるなど、身に余る幸せにございます」
私は政治家として、それらしい模範解答を並べてみせた。だが、皇帝陛下はフッと鼻で笑い、さらに鋭い視線を私に突き刺す。
「そのような上辺の綺麗事はよい。アクル、お前の『本心』を申せ」
「……。では、本心を。私個人としてはこれ以上ない好機であり、嬉しく存じます。しかし……帝国の現在のバランスを鑑みるに、情勢的には少々早計であるかと。他の諸侯、特にワットラン辺りがどう動くか、懸念が残ります」
9歳の子供が口にしたとは思えぬ、大局を見据えた地政学的リスクの指摘。それを聞いた皇帝と父上は、「なんだ、やはり嬉しいのか」と言いたげな、どこかおかしそうな目で私を見てきた。一応、これでも中身は人間なのだが、彼らの目にはどう映っているのだろうか。
「心配するな、アクル。諸侯の反発など、私が生きているうちはセイラントの軍が力でねじ伏せてみせる」
父上が自信に満ちた笑みを浮かべる。
「そうだぞ、アクルよ。我が臣下たちも、そこまで愚かではない。ワットランとて、王命に表立って逆らう度胸はあるまいよ」
皇帝陛下も太鼓判を押す。そこまで言うのなら、私に異論はない。
「では、喜んで婚約者として振る舞わせていただきます。……して、サン様はこのことをご存知なのですか?」
一応、当事者である彼女の意思を確認しておく。どうせサン側からの仕掛けなのだろうが、念には念を入れて、だ。
「ああ。サンからの猛烈な、それこそ毎日のようなアピールに私が根負けしたのだ。心配はいらん……」
どこか遠い目をする皇帝陛下。娘の熱意に振り回された苦労が偲ばれ、思わず心の中で同情を禁じ得なかった。こうして、密室でのピリついた対談は終わり、私たちは再び華やかな宴会場へと戻った。
「……父上。私が主役なのですが、主役より先に潰れてどうするのですか」
相変わらず、酒に呑まれて有頂天になっている父上を横目に、私はため息をついた。すると、ドレスの裾を揺らしながら、少し頬を赤らめたサンが私の前に進み出てきた。
「アクル様! わたくしと、一曲踊ってくださりませんか?」
「これは、皇女殿下……。お誘いを断る理由がございませんね」
手を取り、ステップを踏み始める。彼女の緊張と、年相応の初々しさが手のひらから伝わってくる。
『素晴らしいダンスだ……』
『あれがセイラントの神童か……』
周囲を取り囲む各地の貴族どもが、口々に感嘆の声を漏らす。実につまらない有象無象だ。彼らには表面的な華やかさしか見えていない。私のダンスに「歓声」を上げても、その裏にある政治の地殻変動に気づく「感性」は持ち合わせていないらしい。
こうして、私の九歳の生誕宴は、表面上は極めて順調に幕を閉じた。
王家との血の繋がり、そして未来の玉座への切符。
最上の手札は揃った。さて、ここからが本当の本番だ……。
また次回も読んでくだせぇ!




