ロイタースへ
頭のいい人ほど騙されます
「本日は、お忙しい中、お越しいただきありがとうございます。どうぞ、こちらにおかけください」
「どうもありがとう。失礼するわ」
「では、早速なのですが、あの事件についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ……」
「あなたは先日起きた、あの痛ましい事件の数少ない生存者のお一人です。わたくしどもは、生存者の一人であるあなたにお話を伺い、あの事件の全貌を明らかにしたいと考えております」
「本当のことを言うと、あまり思い出したくないのよ」
「お気持ちはお察しいたします。けれど、わたしはあの事件をこのまま終わらせてはいけない、このまま闇に葬ってはいけない、と考えております。つらい記憶を呼び起こしてしまうのは、大変心苦しいのですが、何卒ご協力いただければと思います」
「そういうことなら協力させていただきますけど、あたしも全てを知っているわけではないわ」
「もちろん、ご存じの範囲で結構です。では、初めにあらためて事件の概要を確認させていただきます……」
1
『この家に歌を歌う草か、青い鳥はいないかね?』(モーリス・メーテルリンク『青い鳥』)
マリーは自動車の窓越しに、外の景色を見ていた。
どのくらい乗っているだろう。ずいぶん長い時間走っているような気もするし、自動車に乗り込んだのはついさっきのことのようにも思える。
外の景色はいつの間にか長閑な田園風景に変わっている。
少し前までの騒がしさが嘘のように静かだ。
あの喧噪はどこにいってしまったのだろう。
それこそ”戦場”のような喧しさだったのに、今は鳥のさえずりしか聞こえてこない。
あれは夢だったのかしら……
流れ去る風景を眺めながら、マリーはふとそんなことを思った。
「行きたくないな」
マリーは窓に視線を向けたまま、ぽろりと呟いた。心の奥に居座っていた気持ちが前触れもなくこぼれ落ちた、そんなつぶやきだった。
「仕方がないのよ」
マリーのひとり言に、助手席のママが答えた。ママの答えもまた、マリーとおなじように溜まっていた思いが溢れ出たといった感じだった。
自動車を運転しているパパは何も言わなかった。
どうして仕方がないんだろう?
マリーはいつもいい子にしているし、ご飯も残さないし、寝る前はきちんと歯磨きもするし、転んでも泣かないし、お手伝いもするし、ママやパパを困らせることなんてしないのに、どうして仕方がないんだろう? どうしてマリーだけが家を出なければならないんだろう? どうしてマリーだけが学園に行かなければならないんだろう?
次から次へと疑問が湧き上がってくるのだけれど、幼いマリーにはたったひとつの答えを見つけ出すこともできなかった。
やがて、前方に古びた建物が見えてきた。
丘の上にぽつんたたずむその建物が、マリーには酷く侘しく映った。あるいは、そこに行くことを拒むマリーの気持ちがそういうふうに見せているだけかもしれなかった。それも幼いマリーにわからなかった。
「嫌だな」
また口をついて出た。
今度はママも何も言わなかった。
マリーの気持ちを置いてけぼりにして、自動車は吸い寄せられるように、丘を登り建物に近づいて行く。
『REUTERUS』
アーチ型の門を潜るとき、銘板に記されている文字が目に入った。
「ロイタース……」
これからマリーが入る学園の名称を、胸の内で読み上げた。
同時に小さな違和感がよぎったが、その違和感はすぐに、「嫌だな」の気持ちにかき消されてしまった。
自動車は門を通り抜け、建物の入り口の前に止まった。
「着いたよ」
パパが言った。今日初めての言葉だった。
「ええ」とマリーは答えたけれど、身体が動かない。
パパとママが先に自動車から降りてしまった。
マリーは後部座席の背もたれに身体をけたままじっとしている。
マリーがまだ車内にいることに気づくと、パパがコンコンと後部座席の窓硝子をノックした。
マリーは顔をあげる。
パパが外から覗き込んでいる。
その表情からはいかなる感情も読み取れない。もしかすると、マリーを悲しませないようにわざとそうしているだけなのかもしれないが、マリーにはパパが、誰か別人に入れ替わってしまったように思えた。
動こうとしないマリーを見かねたのか、パパは無表情のままドアを開けた。
仕方がない。
マリーは諦めて、身体を捩り、渋々自動車から降りた。
目の前に聳え立つ建物を見上げる。遠くから見たときは寂れた印象を受けたけれど、近くから見てみると、押し潰されそうな威圧感があった。
パパとママは、自動車のトランクからマリーの荷物を下ろしている。マリーは自動車にもたれ、地面に目を落としたまま、ふたりの作業が終わるのを待っていた。
そうしていると、建物の中から人が出てきた。
痩せた背の高い女性と、その女性よりもさらに背が高くさらに痩せた男性が、女性を先頭にマリーのほうへと向かってくる。
カツカツカツと高らかにハイヒールを踏みならして近づいてくる女性に、マリーは思わず身を固くした。
ふたりが目の前に立った。
「こんにちは」
女性が身をかがめ、猫なで声で言ったが、その目はちっとも笑っていなくて、マリーは返事することさえできなかった。
もう一人の男性は、女性の後ろで従者のように控えたまま、黙ってマリーを見下ろしている。
マリーが俯いたままご挨拶もできないでいると、「先生、こんにちは」とマリーに代わってママが対応した。
女性はマリーから視線を外し、ママのほうへ向き直った。
「遠いところご苦労様でした」
マリーに向けた笑顔とおなじ笑みを浮かべ、先生と呼ばれた女性が言った。
ふたりは知り合いのようだが、どこか事務的で、親しい間柄というわけではなさそうだった。
ふたりは小声で何やら話し始めたが、その間も、背の高い男性はずっとマリーのことを見下ろしていた。
男性の不躾な目線に耐えきれず、マリーは恐る恐る顔を上げた。
光のない男性の黒目は縦に長く、猫みたいだった。
マリーと目が合うと、男性は口の両端を持ち上げ理由なく笑った。その人を食ったような笑みに、マリーは背筋が冷たくなった。
「この方が園長先生よ」
短い遣り取りのあと、ママが女性のことを紹介した。
「園長先生?」
マリーは訊き返した。
「そうよ。この方がこれからお世話をしてくださるのよ」
ママは言った。
ママの言葉にマリーはいよいよ絶望的な気持ちになった。こんな場所まで連れて来られたいまになっても、まだどこかでパパとママのことを信じていた。『驚いた? マリー、冗談はこれくらいにして家に帰りましょう』。そうママが言ってくれると思っていた。『はは、パパがそんなことするわけないじゃないか、マリー』そうパパが言ってくれると思っていた。でも、そうじゃなかった。パパとママは本気でマリーとお別れしようとしている。この学園にマリーを置いてけぼりにしようとしている。その現実に、マリーの心は鉛のように重たくなった。
「また会える?」
縋るような口調でマリーは訊ねた。
「……ええ、そうね。また会えるわ」
ママは一拍おいて躊躇い気味に答えた。マリーの目を見ようとはしなかった。
「本当?」
ママの言葉をすっかり信じることのできないマリーはもう一度確かめた。ママはやっぱり視線を逸らしたまま、小さく頷くだけだった。
困り果てたママを見ていると、これ以上訊くのは何だか気の毒に思え、ひとまずママの言葉を受け入れることにした。
「わかったわ……」
マリーは消え入りそうな声で答えた。
「ここが新しいお家ですよ」
園長先生と紹介された女性がマリーに声をかけた。
マリーは園長先生のほうを振り返る。
「ロイタースにようこそ」
園長先生が言った。が、園長先生が言葉を発すると同時に強い風が吹き、マリーは最後まで聞き取ることはできなかった。口の動きからそう言ったのだろうと判断したにすぎない。




