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新月の蛍  作者: 十三岡繁
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宝満山

 その日は宝満山に登っていた。宝満山は福岡では多分一番登山者の多い低山だ。同じ低山でも立花山の標高が367mなのに比べれば、830mあるのでそれなりに登りごたえがある。いつもの様に早朝に登り始めたが、山頂に着く頃にはもうすぐ昼食という時間になった。そこで偶然また斉木さんと遭遇した。


 彼女は山頂にあるいくつかの大きな石の一つに座って、遠くに見える福岡の街並みを眺めている。後姿を見ただけで分かったのは、きっと立花山で会った時と同じザックを背負っていたからだろう。今度は僕の方から声を掛けた。但し邪魔になってはいけないので、彼女がその景観に見飽きるまでは待ったつもりだ。


 宝満山の山頂は狭くはないが人が多いので、少しだけ降りたところにある広場のような所で、一緒に昼食をとることになった。そこには木でできた椅子とテーブルもある。運よく空いていたところに腰かけて、彼女は持参したおにぎりを食べ始める。僕はと言えばメスティンと呼ばれるアルミ製の小さな飯盒でご飯を炊く。


「米から炊くんですか?」

 彼女は驚いた顔をして僕を見ている。大げさな事に思えるかもしれないが、実は山で米を炊くというのはそれほど難しい話ではない。しっかり含水さえしておけば、十数分火にかけるだけでほぼ失敗なく炊き上がる。炊きながらもメスティンの上にはレトルトカレーのパックをのせて温めておく。炊き上がるまでの時間はする事もないので、彼女に近況を聞いてみた。今は派遣会社に登録していて、服飾関係の会社で事務をしているんだそうだ。


「人手不足で、もうすぐ正社員に登用してもらえそうなんです」

 彼女は嬉しそうにそう言った。

「やっぱり正社員の方がいいですか?」

「そりゃ急に契約切られたりする心配が無いですからね」

 そう言われて僕は少し胸のあたりが痛かった。

「なぜうちで契約社員をしていたんですか?」

「芸術系専攻はつぶしが効かないんです。新卒で就活失敗すると大変なんですよ。好きな事してきた報いだなんていう人もいますけどね。ド近眼になるくらい絵ばっかり描いてました」

「今でも仕事中は眼鏡なんですか?」

「そうですね。私眼鏡派なんです。でも山に登るときは、眼鏡だと汗ですぐ曇っちゃうでしょう? だから仕方なくコンタクトにしています」

「ああ、それ分かります。ただ僕の場合はもうコンタクトに慣れてしまって、仕事でも山でもコンタクトです」

 僕がそう言うと斉木さんは僕の顔をじっと見る。

「……印象を強くするなら眼鏡の方がいいんじゃないですかね? もの凄く変わったデザインのものにすれば、取引先の覚えも良くなるんじゃないでしょうか」

「お笑い芸人みたいな発想ですね。でも今更眼鏡というのもちょっと面倒くさいです」

「私にはコンタクトの方が面倒ですが人は色々ですね」


 米が炊けたところで、火からおろして今度は保温袋に入れる。そうして五から十分くらい蒸らすのだが、この時に保温袋にレトルトカレーも一緒に入れておくと、むらなく温まるのだ。


 彼女が持参していたおにぎりは一個だけで、それに比べて僕の方は米を一合も炊いていたので、蒸らしている間に少し食べませんかと聞いてみた。

「でも私食器とか持ってきていません」

 どこかで聞いた様なセリフだったが、僕は前と同じくシェラカップをザックから取り出した。そうしてメインの折り畳みスプーンは彼女に渡して、僕は普段あまり使わないアーミーナイフ付属のスプーンで食べる事にした。


 一口食べたところで彼女は驚きの声を上げる。

「おいしいです。とてもレトルトカレーとは思えません……なるほど、こういう山の楽しみ方もあるんですね」と彼女は言った。

 二人ともに一通り食べ終わったところで

「食器は前の様に洗ってお返ししたいところですが、もう職場も違っているので申し訳ないですがこのままお返しします」

 そういいながらシェラカップとスプーンを僕の方へと戻してきた。

「……実はそれ斉木さんが会社を辞める時に渡しそびれたものなんです。だからこのまま持って帰って使ってくれませんか? あ、それ今日初おろしだったんで僕はまだ使ってないですよ」


 そう言って僕はザックから小さなビニール袋を出して彼女に渡した。立花山のコーヒーの時とは違って、そのままではカレーの汚れがザック内についてしまう。彼女は不思議そうな顔をして僕に聞いてきた。

「どうして私に?」

「斉木さんタイムカードの横に置いた花瓶に、花を活けてくれていましたよね。毎日あの花には少しだけ癒されてたんです……」

「少しだけですか」

 そう言って彼女は笑った。

「では遠慮なく頂いておきます。道理でピカピカだと思いました。あ、スプーンはお返ししておきますね」


 彼女の荷物を増やしてしまったが、結構容量は余っていそうなので問題はないだろう。お互いにザックの荷造りをしているときに彼女が聞いてきた。

「私が最後に挨拶に行った時、あの白いタンポポを花瓶に活けたのは高橋さんなんですか?」

「ああ、会社の玄関脇で咲いていたのを見かけて何となく真似してみました……」

 僕はそう答えた。

「なんとなくそんな気がしてました」

 彼女はそれ以上何も言わなかった。


 下山予定のコースがお互いに違うという事で、彼女とはそこから別行動になった。別れの挨拶をしてから昼食をとった広場へ、互いに背を向けて逆方向に歩き始める。

少し進んだところで僕は振り返って彼女の方をみてみた。しかし茂みに向かう背中のザックがちらっと見えただけで。それはすぐに木々の中へと消えていった。



 それから更に三ヶ月ほどが過ぎた。あれ以来彼女と山で出くわす事も無かった。もうすっかり電子カードを使った出退勤システムには慣れてきた。仕組みは便利だと思うが、出退時間は分どころか秒単位で記録されていて、それには何ら手心を加える事が出来ない。どうしても仕上げたい書類がある場合は、家に持ち帰って作業する事も増えてきた。残業時間を増やすと色々とややこしい話があるらしい。


 その日外回りから帰ってきて自分の席まで行くと、机の上に小さな荷物が置いてあった。梱包にはサンプル在中と書かれたシールが貼ってあって、伝票の差出人のところを見ると聞いたことのない会社名が書かれていた。


 箱を開けるとそこには、かなり派手なネクタイが一本入っていた。深い藍色をベースに黄色い水玉模様がはいっている、ちょっと見た事の無いようなデザインだ。メモも同封してある。


『目立つネクタイをすれば印象に残ると思います 斉木由香里』

 斉木さんの下の名前は由香里だったのかとその時に初めて知った。


 僕は慌てて包み紙に貼ってあった送り状の部分を見返してみる。


 そこに書かれた電話番号は080から始まっていた。


  了



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