(89)騎士と獣
山野を駆ける赤いクマを天馬を駆った騎士が追い、更にそれを別の騎士が追いかける。
地を走るクマに比べ、空を行く天馬の方が有利に見えるが、森によって視界が制限されるため、一概に空が有利とも言えなかった。
クマのペースに合わせるため、後続の天馬にも追いつかれ、都合五騎一個小隊の騎士が赤いクマを追った。
時折、攻撃魔法が放たれるが、クマは素早い動きでそれを躱す。しかしクマの方でも反撃できず、逃げに徹している。
何よりクマの背中の荷物が、文字通りお荷物であった。
「ああ、もう、捨てちゃおうかしら、コレ」
赤いクマは、できもしないことを独り言ちるが、かと言って打つ手もない。結局は我慢比べのような追いかけっこを、このまま続けるより他なかった。
* * *
赤いクマ……神殿の浄務と呼ばれる者によって、生きながら切り刻まれ殺されたアリーシャの記憶を有する宝石を核として生まれた魔物……は、クリュークの町の神殿を抜け出し、そのまま郊外を目指した。
しかしその目立つ容姿はすぐに捕捉され、神殿並びに町を支配する豪族の騎士たちにも追われることになった。
町の騎士はクマが【魔の領域】に入ったところで追跡を断念したが、神殿騎士は諦めることなく、追跡を続行していた。驚くべき執念と賞賛すべきか、周りが見えていないと貶すべきかは意見の分かれるところだろう。
クマ一人ならば、踏みとどまり、反撃し、撃退することも可能だったかもしれない。
しかし彼女の背には、お荷物がいる。それを抱えたまま戦闘すれば、自分はともかく、お荷物がどうなるか判らない。
「はぁ、はぁ」
お荷物からは今も息も絶え絶えな荒い呼吸音が聞こえる。
自分の生前の姿そのままの生身の少女。違いがあるとすれば左眼が赤いことだけ。初めはニセモノかとも思ったが、どうやら自分同様アリーシャとしての記憶を有しているらしく、詳しい事情を聞くまでは死なせられない……主に自分の好奇心を満たすために、である。
だが魔物となった自分が失ってしまった生身を持ったもう一人のアリーシャの存在に、嫉妬心が浮かぶのを抑えることができない。さらには今この大変な時に、コイツのために自分が苦労しているのも、またイライラする。
「小人さん、どうしよっか」
生身のアリーシャの白衣に包まれ、デボラが宿った宝石をしっかりと持つ小人さんは、質問の意味が分からなかったらしく、なに? と聞き返してくる。
「ん~ん。ひとりごと」
今更方針変更は無し。とにかくこの場を乗り切る。
魔の領域である以上、魔物との遭遇があれば、状況も混乱し、あいつらに隙もできる。
逃げ切って、コイツから話を聞き出せれば、お荷物ともオサラバだ。
背後の騎士が【疲労回復】や【栄養補給】を自分や騎馬にかけている。向こうも持久戦は覚悟の上らしい。
日は傾き、周囲は少しづつ暗くなってきた。
* * *
いまアリーシャは、以前訪れた【魔の領域】に入り、奥を目指していた。以前アンズーマリーの街で気を失った後、目覚めた時に居た場所だ。
周囲ではオオカミの遠吠えが聞こえ、大きな羽音がそこかしこから聞こえてきた。
それに伴い、騎士たちの追跡も少しづつ距離がとられてきた。追手の士気が挫けてきたのだろう。
しかし一人の騎士が、何事か叫び、周囲を叱咤している。隊長か何かだろうか? その割には声が若い。
まあ、揉め事はこっちにとっては好都合。向こうは飛べるが、こっちは森を盾にして身を隠している。距離をとってクマから人に姿を変え、森の中に潜んだ。以前王都に居た頃にマリア先生に習った隠形の技術がここで役立つ。
騎士たちの騒ぎがひと際大きくなる。見失ったのだろう。
いま、アリーシャの腕には魔封じの首輪がひっかけてある。魔封じの首輪は装着者の魔力を封じるとともに、魔法の追跡に対する【隠蔽】の効果もある。気休めだがこれが効いてくれれば、このまま逃げ切れる。
刹那、周囲に魔力を感じた。
「あそこだ!」
フィールドか! 非常に高出力のフィールドを一瞬だけ広げてパッシブレーダーとして使ったんだ。常時展開せず一瞬だけだから魔力が少なくても広範囲を走査できるが、その分高度な魔力操作技術が必要であろう。それほどの使い手が向こうに居るということだ。
「こんな方法があったなんて!」
口惜しさが言葉となり、身を起こしたクマアリーシャを目掛けて、術者である騎士がまっすぐ突っ込んでくる。
その魔力は狂的に膨れ上がり、その魔力を使い魔に送り込むことで、高速で向かってくる。
その術者は、先ほどの高度な魔力操作をしたとは思えないほど年若い騎士であった。まだあどけなさの残る顔立ちだが、その顔の半分は表情の抜け落ちたようであり、もう半分は怒りと恐怖と絶望に彩られるという奇妙な表情を浮かべている。
その魔力は、まるで押し潰すことで圧力が高まるように、魔力が高まり、木々に突っ込み、枝で傷だらけになりながら向かってくる狂的な様にアリーシャは恐怖を覚え、一瞬体が硬直する。
背後で動く気配がした。
と、その騎士は天馬の首にもたれかかるように意識を失い、アリーシャの脇を駆け抜けて、止まった。
「ザック!」
四騎の騎士が先ほどの若い騎士の名を呼びながらこちらに向かってくる。アリーシャがクマに変じようとすると、その裾が引かれた。
「まって、話しをさせて」
背後で寝かされていた白衣の少女であった。
「何を悠長なことを。あいつらは、わたしたちを殺そうとしてるんだよ」
「うん、だから、あなたは逃げて。わたしは説得してみるから」
「ば、」
怒鳴りつけようとしたが、それより早く、騎士たちに囲まれてしまった。
「……どうしようもなくなったらわたし一人で逃げるからね」
「……だからそうしてって言ってるじゃない」
こそこそと喋る少女たちに三人の騎士が剣を向け、一人は先ほどの若い騎士の様子を見に行った。
「観念したか、【混沌】め。大人しくお縄につき神の裁きを……ってなんで二人いるんだ?」
隊長格らしい四角い顔の男が、馬上から二人を睨む。
「混沌だからか?」
「そーゆー、何でもかんでも【混沌】だからっていうのは、思考停止だよね」
別の騎士の言葉にクマのアリーシャが思わずぼそりと呟く。
「なんだと!」
言われた騎士は素早く反応し攻撃魔法を唱え始めるが、その詠唱はすぐに止んだ。
攻撃魔法を唱える騎士の前に、素肌に白衣だけ着た少女が立ち塞がったからだ。しかしその呼吸は荒く、立っているのがやっとという風情だ。
ふっと、少女の視線が外れる。若い騎士を乗せた天馬を引いて、もう一人の騎士が戻ってきた。
「そちらの騎士様はご無事ですか?」
「意識を失っているだけだ」
手綱を引く細目の騎士が、仲間に対してともアリーシャに対してとも聞こえる返答をする。
「……どなたかその方の頭を魔力走査して様子を見てください」
「そんなことはどうでもいい。【混沌】の言葉に惑わされんぞ」
隊長格らしい男の言葉に、周囲の騎士も警戒感を強める。
「『正しい人は【こんとん】のことばを聞いてはいけません。【ばるばろい】はしずかでなければいけません。そうしないと、わたしたちみんな、【こんとん】になってしまいます』……でしたよね?」
以前読んだ絵本の一説を引用して、騎士たちを睥睨する少女。
「ですから言葉ではなく証拠を示すために魔力走査をお願いしたのです。先ほどの狂的な魔力と暴走は外部から命じられたものです。その方の本当の心は封じられ、囚われています」
細目の騎士が若い騎士の頭に手を触れた。魔力走査をしているのだろう。隊長から、おい、と強く声をかけられるが構わず続けている。
「確かに頭ン中に封じられた領域がある。とは言ってもその子の言ってることが本当って証拠もないけどな」
「はい、それでいいです。一応その方に自爆を命じていた命令線は切断しましたが、その方の本当の意識は封じられたままです……ごめんなさい、どうすればそれを解除できるのかは、わたしにもわかりません」
「……自爆ってのはどういうことだ」
胡乱げな隊長の言葉に、お腹の中を走査してください、と白衣のアリーシャ。
「多分何か魔法の品が埋め込まれているはずです。暴走した魔力をそれに注入して敵諸共自爆する。それがその方に与えられていた命令です。神殿の爆発もそれです」
その言葉に顔を見合わせる四人の騎士。
「……証拠は」
「ありません」
「誰がやらせている」
「今はまだ、わかりません」
「今はまだ、ね。どうするつもりだ」
「見つけ出して止めさせます。神殿に蔓延る悪行も、人の生活を破壊する灰色の霧も、世界を無に帰す企みも……止めます」
白衣の少女の言葉に、そうかい、と言った隊長は聖印を触媒に槍の刺突魔法を唱え、アリーシャに迫るが、ガキン、という音ともにクマに変じたもう一人のアリーシャの爪が槍を受け止める。
「こんな奴ら、説得できるわけないでしょ!」
「でもまず話してみないと」
「ごちゃごちゃうるせぇよ【混沌】が!」
四角い顔の騎士が吠える。しかし、
あおおおおおおおおおおおん
それを圧する狼の遠吠えが上がり、呼応するようにあちこちから遠吠えが響いた。
さらに羽ばたく何かが近づいてくる。
「ち、お荷物抱えてこのクマと魔物まで相手にできるか! 一度体勢を立て直すぞ!」
隊長が命じ、騎士たちはパッとアリーシャ達から距離をとる。
「いいか【混沌】! おめえの言葉は信じねぇ。忘れるな!」
それだけ言って、五騎の騎士は飛び立ち、魔の領域の外を目指して飛んでいく。そして、その後を人間ぐらいありそうは巨大な鳥の群れが彼らを追っていった。
* * *
「タイチョウ」
半人鳥の追撃を撃退する戦闘の最中、神殿騎士小隊の隊長、ホーマーの耳元で小さな使い魔が囁いた。
「ザックノナカニ、マホウノシナ、アリ。コウカフメイ」
「取り出せるか?」
隊長も口の中だけで小さく答える。
「コウイチユガ、ヒツヨウ」
「判った、伝手を当たる。暫くは謹慎名目でザックを監視しろ」
使い魔はそのまま闇に消えていった。
--公同派の奴ら、何考えていやがる
ホーマーは懐に入れた三つのアイテムを服の上から確認し、小さく嘆息した。
* * *
「で、あんたは大丈夫なの?」
神殿騎士たちを見送ったクマのアリーシャが、赤眼のアリーシャに様子を尋ねる。
「はい、休んだからなんとか。それに出力も弱めてくれたみたいですし」
赤眼……というより少し赤みを帯びた茶色という色に変じた左眼を瞬かせて、白衣を着たアリーシャが応じる。
「弱めたって、ダレが?」
「えっと、【混沌】が」
「……………………」
いやいやちょっと待って。ここでいう【混沌】は、なんかの比喩表現? それともあの芸人集団みたいな【混沌教団】? 兎にも角にも、
「で、【混沌】がなんだって?」
「『いや~、つい下界が面白くって、眼ぇ凝らしてたら、危うくダサイちゃんの脳みそ、パーンッさせちゃうとこだった。メンゴメンゴ』って言ってました」
ダサイって、また懐かしいフレーズを聞いたものだ。前世で散々揶揄われたっけ。それはさておき、
「……いま一番にすべきことは判ってるよね?」
「はい、ご飯です」
「違うでしょ! 情報交換でしょ」
おお、とポンっと手と打つ白衣の少女。確かにわたしもそういう動作するけど、してきたけど、なんかこっちがまじめな時にそーゆーことされるとなんか……
「ムカつく」
「えー、なんで~」
ブーっとほほを膨らませる白衣の少女。本当に……ムカつく。
「それはそうと」
「うん?」
「囲まれてるよね」
こちらが気付いていることに向こうも気づいたらしく、森の中から魔物たちが姿を現した。
人狼、半人鳥、蜥蜴人、森妖精、岩妖精、等々、総勢五十名ほど。
魔物はその容姿、属性、性格に関わらず共通した性質を持つ。それは人や動物など、魔物以外の普通の生物を問答無用で攻撃し、またごく少数の例外を除いて意思の疎通ができない点である。
しかしアリーシャたちを取り囲む魔物達は、襲い掛かる様子もなく、むしろこちらを警戒しているそぶりが見えた。
やがて一同を代表するように、蜥蜴人の一人が進み出て来た。
「人の姿をとっているがお前は神か、それとも悪魔か? 一体何者だ」
赤眼のアリーシャを指し、蜥蜴人が重々しく問いただす。それはクマのアリーシャにしても知りたいことだったので、その返答を固唾を飲んで見守った。
「グリゴリ王が第三姫、アリーシャです」
裸白衣の少女は、魔物達に優雅にお辞儀を決めて応えた。
「…………(いやいやいや、訊きたいのは、そういうことじゃないから)」
その場にいた五十体+クマアリーシャの内心のツッコミが調和した。
「ん?」
白衣のポッケの中で小人さんが首を傾げていた。
困惑した雰囲気の周囲を見回し、赤眼アリーシャはニッコリと笑みを浮かべ、
「答えられる範囲で、お知りになりたいことはお教えします。ただし条件があります」
「ちょっと、」
蜥蜴人の重い問いかけにボケで答えた少女の続く言葉に、五十体の魔物達に警戒と怒気が上がるのを察知し、クマアリーシャが慌てる。
「……なんだ」
警戒感MAXの蜥蜴人の言葉に空かさず、
「ご飯食べさせてください。あと一晩寝かせて、もう眠くて限界。あ、あと服があったら一着譲ってください、条件は以上です…………あ、あとあなた方のことも教えてください、条件は以上です…………ああ、っと、あとあと、」
「いーかげんにしなさい」
クマアリーシャのゲンコが脳天に決まり、赤眼のアリーシャはそのまま昏倒してしまった。
次回投稿は来週の予定




