(87)二人のアリーシャ
--あ、しんだ
そう思ったアリーシャの身体が、グイっと後ろに引かれ、誰かが覆いかぶさった。
疑問を覚えるより早く、爆発音と衝撃で何も判らなくなった。
* * *
赤いクマが明らかにヤバそうな助手の男を殺そうとしたら、ニセモノに邪魔されてしまった。
一瞬、まとめて殺そうかとも思ったが、正体が知れないし、何より彼女が発する魔力には覚えがあった。
自分の魔力だ。
おそらく魔力走査で何かを調べているのだろうが詳細は判らない。この身体になってから、うまく魔力操作ができないのだ。
逆に以前の身体ではできなかった、魔力を直接力に変えることは、容易にできるようになっていた。
魔力を使ってクマの肉体を作ったのも、そうした魔力を物理的な力に変えた結果だ。
そして魔力は丹田ではなく、額の宝石から湧き上がっている。そして自分自身の意識もまた宝石に……。
今の自分は、宝石に宿った人工知能のような存在なのかもしれない。
「フン」
そこまで考えて、その状況の皮肉さに鼻を鳴らす。今はそんなことを考えている時じゃあない。ついつい思考が脱線するのは悪い癖だ。
ニセモノが何をやっているにしろ、どうやら時間切れのようだ。
何が起こるにしろ、身を守るものどころか、服すら来ていないあの身体では一溜まりもないだろう。
……考えるより先に身体が動いていた。
魔力が自分の身体を作り替え、クマの爪ではなく少女の手に変じた自分の腕が、ニセモノ少女の腕を掴み、強引に引き寄せた。
そして背後の毛皮に渾身の防御を込めて、自分とニセモノの守りを固める。もちろん小人さんも一緒だ。
その判断と行動、そして魔力を用いた変化は一瞬のうちにできた。おそらく反応速度も通常の人の身より早いのだろう。
--ニンゲン……じゃなくなっちゃったか
ちょっぴり残念に思いながら、背中に爆発と衝撃を受けた。
* * *
--愚かだ。
蚊の魔物は初めから見ていた。
少女の愚かな選択の数々を。魔物の助けがなければ何度も死んでいるのに、それでもなお、自己より他者を優先して愚かな選択をし、死の危険に踏み込む愚か者。
赤い髪のアリーシャ……想い人の想い人。
蚊の魔物は、最も古き魔の領域の一つ、【悪夢の城】の主である最も古き魔物の一人、【悪夢の淑女】であった。
しかし今は【悪夢の淑女】を名乗るに値しない、矮小な存在だ。
本体の命に従い、分身として別れたそれは既に、ただの彷徨う魔物に過ぎない。本体にあったような高度な思考も、力もない。ただ対象の少女の体内に隠れ潜み、その魔力をかすめ取って生きながらえている、寄生虫のようなものだ。
多少卑下しすぎの感もあるが、かつての自分との力の差に、自嘲気味に魔物は己をそう断じた。
しかし本体もまた、封じられ、かつての力を奮えず、人間の慈悲で見逃されているに過ぎないのだから、大した違いは無いのかもしれない。
そんな目くそ鼻くそな本体の、嫉妬と寵愛を欲する欲に塗れた矛盾した命令を忠実に守ってきたが、その任務も失敗に終わった。
愚かな少女が、ついに殺されてしまったのだ。
--これで任務は終いじゃな
ホッとする一方、少々残念でもある。
今更本体に戻れるわけでも無し、このまま魔力を使い果たし、ただ消えていくだけだ。
しかし、少女は殺されてもなお、自らの核を残し、魔物として復活を遂げた。それは同じ魔物である蚊の魔物から見ても、脅威といえるものだった。
それだけではない。わずかな臓器から【復活】まで果たし、二人に増えてしまったのは、奇跡というよりもはや喜劇だ。
それだけの奇跡の上で拾った命であるのに、なお危地に飛び込む愚か者。
「大丈夫、いま助けるから」
自らを傷つけた男に対してアリーシャが発した小さなつぶやき。本人すら自分の言葉に気づかない小さなつぶやきを、蚊の魔物だけが聞いていた。
「愚か者め」
魔力を力に変えて自爆する男と少女の間に、魔物が割って入った。
* * *
轟音は神殿を揺るがし、天井を崩落させた。
「あれ?」
自分が生きていることに驚いたアリーシャは、自分を抱き留め、庇ってくれた者を見上げる。
赤い熊の毛皮のコートをまとった自分と同じ姿の少女。
「ニセモノ!」
思わず口走る赤眼のアリーシャを、熊毛皮のアリーシャがポイっと床に投げ捨てる。
「いった~い」
服を着ていないので、瓦礫に尻餅をつくと、とても痛くて涙目になるが、彼女が自分を助けてくれたことは間違いない。
「助けてくれてありがとうございます。ところであなたは誰ですか?」
問われたクマのアリーシャが、居住まいを正し、優雅にカーテシーをする。
「わたしはグリゴリ王が第三姫アリーシャです。そういうあなたはどなたですか?」
「わたしもグリゴリ王が第三姫アリーシャです。同じお名前なんて偶然ですわね」
ふっふっふっ、と顔を突き合わせて互いに牽制する二人。しかしクマのほうがふっと視線を落とし、
「……あ~ら、グリゴリ王の第三姫ともあろうお方が、裸でうろうろするなんて、はしたない」
「うっ、し、仕方ないじゃない。緊急時よ」
言われて顔を真っ赤にしたアリーシャが周囲を見回すが、脱がされた服は爆発で見当たらない。
どうやらクマの影になって難を逃れたらしい白衣の男がいたので、その白衣を奪って着込む。
「うー、心もとない。その毛皮もわたしのなのに」
「違う、わたしのです。あんたはこれでも付けてなさいよ」
とクマが魔封じの首輪を赤眼に投げつける。
「むっかぁ」
再度睨み合う二人。
「いい加減にせんか」
第三者の言葉に振り替えると、半身を失ったドレス姿の少女が立っている。歳は違うがその顔に見覚えがあった。
「「デボラ!」」
* * *
「デボラ! やっぱりあなただったのね」
「大丈夫? なんかボロボロだけど」
二人の言葉に構わず蚊の魔物は言葉を継ぐ。
「早う逃げろ、バカ者どもめ。そんなに死にたいのか」
確かに周囲から怒号や悲鳴が聞こえる。すぐに神殿関係者が大挙して押し寄せてくるだろう。
「デボラもいこう」
クマのアリーシャが手を伸ばすが、デボラは動かない。
--違う、動く力がないんだ
もう一人のアリーシャの左の赤い瞳はデボラの情報を捉えていた。
彼女は蚊の魔物の集合体だ。その数が少なすぎるのだ。
本体から離れたこの蚊の魔物は、ある一定の数を維持することで、情報ネットワークを作り人格を保ってきた。蚊の魔物という群体故に可能だった方法だ。しかしその数が先ほどの爆発の盾となったことで大きく減じ、機能不全を起こしていた。
数は魔力があれば増やすことはできる。しかし失われた情報を補うには時間がかかる。迫る怒号を聞くまでもなく、今は時間がない。
しかしアリーシャには、その答えもまた視えていた。
「小人さん、その宝石を貸して」
「やだよ、あっちいけ、ニセモノ!」
聞こえない小人さんの声も左目で視える。その内容と、それが本気の言葉であることに凹んでしまうが、何とか踏みとどまる。
「お願い、このままじゃデボラが死んじゃう。あなたからも言って。あなたと同じようにすれば、デボラは消えずに済む」
その言葉にクマのアリーシャは激昂しそうになるが、デボラが消えてしまうのは彼女も望んでいない。それに赤眼のアリーシャの言葉が正しいことも理解できてしまう。しかし理解できるが、気持ちは別だ。ムカつくものはムカつく。
ムッとしながらも、小人さんに声をかけて、中で光が揺らめく宝石を、デボラに渡す。
「……良いのか? これを得ればワシは自由じゃ。お前を殺すかもしれんぞ」
「今更でしょ? それに今のわたしも同じよ、そう簡単に殺されないんだから」
わたし~、わたしが発案者なのに~、と背後で何か聞こえるが無視して、クマのアリーシャから宝石を受け取ったデボラは、まるで宝石に吸い込まれるように消えていった。
「大丈夫かな?」
クマの疑問に答えがない。
「アリーシャちゃん、ニセモノが!」
先ほどまで元気そうにしていた少女が、左眼を抑えてうずくまっていた。
* * *
左眼で見えるもの全てが、情報として視える。本質が理解できる。
この場に居ながらにして、遠く離れたものも、今だけでなく、過去や未来の情報も見える。
--これが四次元の、いや【混沌】の視点?
一瞬そう思うが、三次元に存在するアリーシャの脳はそれを処理しきれず、また理解することを拒んでいた。
理解したら、理解できたら、三次元のまともな感覚が失われてしまうような予感。周囲から見たら狂人とした見えない精神に作り替えられてしまうような恐怖を感じ、うずくまる。
手で左眼を抑えても、手を透かして視えるものは広がる一方だ。
過去も現在も未来も、この場所も世界の果ても、別の次元さえも、同時にそこにあり、俯瞰して見ながら、その場に居るような、遍在するかのような感覚。
この場で起きたことも見える。クマのアリーシャがどんな目にあったのかも、その時の感情までも視える。
それをした白衣の男と助手の男の所業も、その二人を支配する魔力の細い糸も、それがこの次元じゃない場所を介して、伸びているのも視える。
うずくまり、下を向いているのに、神殿の壊れた天井から空が見える。
灰色の霧が視える。灰色に見えるけど、その中に沢山の色があるのが視える。
前世で一緒に働いたおじさんたちも視える。極東列島の黒髪のおじさんたち。おじさん達がバラバラにされ、情報の意味を失うほど、薄く広く拡散して、灰色の霧の中にいる。
かかさまも、ジョーも、バルバラねーさまも、ムティアもカシムも、赤ちゃんの時に施術してくれた黒髪の神官さんも、みんなみんな、灰色の霧でバラバラにされて、拡散し、エントロピーが極限まで増大していく。
--霧じゃない、砂だ
極限まで意味を失った【ナンニモナイ】砂漠が無限に広がっている。
混沌山脈に囲われた世界は、砂漠に飲まれ、すべての意味を失い、消えていく。
--五千年を待たずに決着がつくやもしれぬな
--神殿システムよりも、このビジネスモデルのほうが効率的だったな
誰かの独り言が聞こえた。
* * *
「ちょっと、あんた、だいじょーぶ?」
クマのアリーシャがさすがに心配になり、うずくまる赤眼のアリーシャにおずおずと尋ねる。
「うう、左眼に宿った【混沌】が抑えきれない」
「……冗談に付き合ってる暇ないんだけど?」
だが手で押さえた眼から出血し、顔は真っ青、頭は高熱を発し、代わりに四肢は死んだように冷たいことに気が付き、さすがに冗談ではないと悟る。
「……しかたがない」
クマのアリーシャはそして高熱を放つ赤眼のアリーシャを背に背負い、白衣の裾で自分に縛り付ける。
それから魔力を以って、力を汲み上げ、熊の体に変異していく。
チラっ、と昏倒した白衣の男が目に入る。
「殺しておくか」
「ダメ」
独り言のつもりだったが、耳元で返答があり、驚く。
意識がないと思っていた背中のアリーシャが、弱々しい声で反対する。
「……何にも知らないくせに」
「……あの人もさっきの人も、誰かに支配されてた。誰かに心を幽閉されてた。使い捨ての道具にされてた。だから、殺すのはガマンして……ごめんね」
辛そうにそれだけ言って、あとは荒い呼吸だけになった。
クマは低くうなり、爪を振るって、近くのテーブルを破壊した。八つ当たりのようだ。
「小人さん、デボラの宝石をちゃんと持っててね。あと背中のニセモノの様子も見といて」
「まかせて!」
瓦礫を取り除いた神官たちが、クマと目が合った。
「がおー!」
少女の声で吠えるクマに目を丸くした神官たちを尻目に、クマは身軽に壁を飛び越え、屋根を走り、町の外へと走っていった。
* * *
混沌姫アリーシャ。
クリュークの町で神殿を破壊し、高位神官を殺害の上、赤いクマに乗って逃走。
「何がどうなってるんだ?」
混沌狩りの冒険者一行は、その情報に首をひねっていた。
* * *
--まさか底抜け姫があれほどの混沌とは
--『巨大な混沌』があの小さな姫とは、言葉に惑わされた感があるの
--暴走でも殺しきれなかったか
--所詮は五等級であったし、やむを得まい
--神殿騎士の派遣を命じた。混沌狩りだ
--アンズーマリーの監視部隊も動かすか
--うむ、いや待て。……なんだと!
--どうした
--……アンズーマリーに『巨大な混沌』が現れた
--はあ?
三次元人に過ぎない私には、四次元の表現は荷が重すぎますw あれが精一杯です




