(74)見えてきた道筋
どことも知れない場所。
魔法と呪術紋を用いて幾重にも結界の張られたその部屋に、生まれたばかりの赤子を連れた人物が訪れた。
むずかる赤子に、わずかな情も動かさず、しかし丁寧に祭壇に載せる。その丁寧さは貴重な魔法の触媒を扱うかのようであった。
その者は慣れた様子で高価な触媒をいくつも並べ、呪文を唱え始めた。
それは神殿でもごく一部の者しか行使できず、また現在の神殿に、いや公同派に不可欠な魔法である。
その魔法は生暖かく感じる魔力として赤子の脳を侵していく。
そして頃合いを見計らって、次の呪文を唱え始めた。
「【読心】」
* * *
翌朝、まだ暗いころにピーオとコンスタンスに起こされた子供たちは、大事な話と前置きされて、机につく。
「エリー、例のペンダント、意匠は無しで【防護】の効果だけならどのくらいで作れる?」
「木の板の形に整えるのに一枚半日、呪術紋を掘る場合は半日。木の板に呪術紋を描くやり方なら一枚当たり十分ぐらい」
問われたアリーシャは質問の意図も考えずに即答した。
「木の板はこちらで準備しよう。それに呪術紋を描いてくれ。三日後の新年の大市で売り出す。必要な物は?」
「黒檀のインクとペン。あと魔力を込めるためにクリフの協力が必要です」
クリフが顔を赤くし、その頭を母が撫でる。
「それと君は、既存の服に呪術紋を描くことができるね?」
昨日、エリーが着ている熊のコートに描いていた。
「あい」
「私たちの服にも描いてくれ。【防護】など、身の安全を守る類のものだ。無論料金は支払う」
「お代はいただけません。あくまでわたしを安全に輸送していただくための必要経費と考えます。代わりと言っては何ですが、わたしの装備も充実させてください」
「承知した」
その後具体的な打ち合わせを行い、ピーオとクリフは店番、エリーとコンスタンスは必要なものの買い出しに出た。
幸いペンダントになる無地の木の板は職人見習いが作る練習用のものが安く手に入った。本来これは魔法の触媒であり、これに創造系魔法をかけることで装飾されたペンダントになる。無論【適正化】されているため魔法を用いずに加工することはできない(光となって消えてしまう)が、表面に描く分には問題ない。それを確認してから百枚購入した。
「買いすぎじゃないかい?」
「一日八時間労働で二日分です。ちょうどいいぐらいです」
【適正化】されていない黒檀のインクを探して、街の方々を探し歩くと、正午の鐘が鳴った。
すると大勢が移動するざわめきが聞こえ、合わせて咽るような酸っぱい臭いが漂ってきた。
「今日の当番は誰だ!」
「風魔法急げ!」
どうやら今いる辺りは魔法を使えないものへの施しのために設けられた【恵みの道】に近いらしい。
「……離れよう」
コンスタンスの言葉に頷き、はぐれない様、手を引かれてその場を離れる二人。
「あれ?」
エリーは、人ごみの向こうに知った顔を見た気がして思わず立ち止まった。
「何してるんだい、行くよ」
「あ、はい」
目を離した隙に見失ってしまった。エリーたちとは反対方向、【恵みの道】のある方に向かった金髪の少年。
「どっかで見た気が……」
「エリー!」
「はぁい」
ま、いっか、と軽く考え思い出さなかったことを、後にアリーシャは悔いる事になる。
* * *
その日の午後から、クリフに協力してもらいながら木の板のペンダントに呪術紋を描いていった。
多少の試行錯誤があり、一日目はあまり進まなかったが、それでも【防護】の魔法効果は問題なく発揮されピーオから、十分すぎます、と呆れ半分にお墨付きをもらった。
「ところでエリー。なぜいきなり私がこんなことを始めたのか聞かないのかね?」
今朝いきなり言われて準備し、呪術紋のペンダント作成に一日忙殺された夕飯の席で、エリーはそんなことを言われて首をかしげる。
「なぜって、新商品の開発と販売ですよね?」
なにを当たり前のことを、とキョトンとした顔を見せるエリーにピーオは、頭を抱えたくなるのを我慢して補足する。
「どうして、単に商隊に同行しているだけの君が、我が商隊の商いのためにそこまで労を割かねばならないんだね?」
自分でそれを依頼しておきながら、それを完全否定するピーオの意図が判らず困惑するエリー。
「? おじさまにはお世話になってますから、姪として当然だと思ったんだけど……」
「……エリー、君の名は?」
「? エリザベスですけど?」
「違うでしょ。そうじゃないでしょ。エリザベスは偽名でしょ!」
たまらずコンスタンスが突っ込むと、おお、と手を打つアリーシャ。
「そーでした、そーでした。おんなじアバターをずっとロールプレイしてたら、つい没頭してました」
「あばたー?」
両親とエリーのやり取りの意味が分からないクリフ。
「いいかい、君は追われてるかもしれない。それをくれぐれも忘れないでくれよ」
「Sir Yes Sir!」
「いえっさー?」
「話を戻すが、リー君」
エリザベスではなく、アリーシャに話しかけていることを強調しながら、ピーオが続ける。
「君に作ってもらっている呪術紋のペンダントを市価より安めで一気に売りぬいて、まとまった財を確保する」
ピーオの話しにアリーシャがうなづく。呪術紋で描いたものとはいえ、曲がりなりにも【防護】魔法の効果を持つ魔法の品だ。それなりの値段で売れる。
「その財で冒険者を雇う」
「冒険者ですか?」
【魔の領域】での狩りを生業とする者たち。それ以外にもその腕っぷしを買われて戦時の傭兵や護衛などの荒事をこなすことも多い。
「長距離移動が可能な飛行騎獣を持ち、信頼できる者を伝手を頼って紹介してもらった。彼らに君を託し、西方王国まで飛んでもらう」
「え、それって……西方王国に帰れ……る?」
半信半疑のアリーシャの言葉に大きくピーオが頷く。
「いいんですか!?」
「モチロンだ」
「あ、報酬。報酬の宝石」
食卓から離れ、自分のリュックをあさるアリーシャは、後にしなさい、と止められる。
「そこまでしていただけるなんて」
「別に私たちだって無料奉仕でこんなことをしている訳じゃないよ」
ピーオのその言葉に居住まいを正す。
「私どもは今後ともあなた様、征服王グリゴリの第三姫アリーシャ様とお取引を続けたい。それが私どもの求める報酬です」
ピーオとコンスタンスがそろって頭を下げる。
「……いつから?」
「君が魔力を使えると知った時、かな? まあ、カマをかけただけなんだけどね」
そう言って笑う小柄なおじさん。やっぱりこういう生身のやり取りではまだまだ経験不足を痛感させられる。
アリーシャは食器を置いて立ち上がり、ピーオ親子三人に向き直る。
「あなた方の誠意に感謝を。我が父グリゴリと我が母ブリージダの名誉にかけて、わたしアリーシャはあなた方に誠意を以て接することを誓います」
底抜け姫は頭を下げ、最大限の謝意を示した。
「ありーしゃ?」
クリフだけが、ぽかん、としていた。
* * *
カリグラフィのような複雑な文様をフリーハンドで小さな木の板に次々描いていく様は、まるで魔法のようだ。
翌日もアリーシャとクリフは呪術紋を描く作業を続けていた。
クリフは、文字通り魔法を見るような目で食い入るようにアリーシャの手元を見ていた。
「あんまり見ないでよ。なんか恥ずかしい」
「でも目が離せないよ」
抗議しても止める気配がないので、諦めて作業を再開する。描いていく内に段々慣れて描くスピードが上がっていくし、アリーシャ自身の集中も上がり、一心不乱に描いていく。
一方クリフは左手はアリーシャの首に、右手はインク壺に、と固定されて身動きできない。彼女の邪魔をしないように頑張っていたが、段々飽きてきた。
「エリー」
「ん~」
生返事が返る。
「小人さんの歌、歌っていい?」
「ん~」
呪術紋に集中しているので、やはり生返事。
クリフが歌い始めたうろ覚えの歌に、半ば無意識にアリーシャの声が重なる。
小人さんの歌。意味を為さない音の歌。紡がれる呪文の詠唱。小人を召喚する【複写】の魔法。
【底抜け】で、ステータス魔法も使えないアリーシャにとってはただの歌。
意味を成さない言葉のはずなのに、なんとなく意味が分かる不思議な感覚。
「つどえ、つどえ、小人たち
わたしの仕事を助けておくれ
助けてくれたらミルクをあげよう
つどえ、つどえ、小人たち
わたしの仕事を助けておくれ
助けてくれたらチョッキをあげよう
つどえ、つどえ、小人たち
わたしの仕事を助けておくれ
だけど子供はあげられぬ
助けてくれても子はやらぬ」
アリーシャの右手、幼馴染との思い出の髪飾りを染めた黒檀のインクで混沌山脈とリンゴの樹の跡がついた当たりから小人がひょこん、と顔を出す。
「あっ」
クリフと一瞬目が合ったが、すぐに引っ込んだ。呪術紋と歌に集中しているアリーシャは気づいていない。
かと思うとアリーシャの頭の上に小人が現れた。
黒檀のインクで染めた髪。身体の表面についたインクは、長い時間をかけてアリーシャの魔力をふんだんに吸っていた。
そのインクから現れた小人は、アリーシャの歌に合わせて一緒に歌っていた。声は聞こえないけど口が動いていた。
「エリー、小人さんが」
ひょこんと小人は黒髪の中に消える。
「あれ?」
アリーシャの筆が止まった。
「エリー、いま小人さんがエリーの頭の上にいたんだ」
「…………………」
アリーシャは無言であった。
「嘘じゃないよ。エリーの右手から顔出して、そのあと頭の上にいて。前にも見たんだ。小人さんがエリーと一緒に歌って、踊ってた。エリー、エリーったら」
「……うん、分かった」
静かなその言い方が拒絶に感じられたクリフは、嘘じゃないよ、ホントに見たんだよ、と泣きそうな声で言い募る。
「クリフ。大丈夫、分かってるから、分かってるから。ほら見て」
アリーシャが指さした先では、まだ手を付けていない木の板全部に呪術紋が描かれていた。
そして黒檀のインク壺の上には小人の親方と仲良しの小人の二人。
親方は軽く手を挙げてインク壺の中へ、仲良し小人はぴょんと飛び上がりアリーシャの右手のインクの中に消えていった。
アリーシャは右手をぎゅっと握りしめた。
「ずっと、一緒にいてくれてたんだ……」
静かに熱い涙を流す少女に、クリフはずっと狼狽えていた。
アリーシャは知らない。
ステータス魔法無しに【魔法】が行使された、その意味に……
* * *
たった一日で百枚の呪術紋を描き終えたエリーに、ピーオたちは驚きを隠せなかった。
その為、小人さんが、小人さんが、という息子の訴えはスルーされていた。
追加を作るというエリーの言葉をピーオ達は断り、自分たちの服への呪術紋やアリーシャの装備の充実を優先させることにした。
新年を明日に控えたその年最後の夜。
食事も終わり、寝仕度をしているアリーシャにピーオが書類を渡した。
ピーオの姪、エリザベスの身分証であった。
「西方王国への旅の途中で必要になるかもしれない。持っていきなさい」
礼を言うアリーシャを優し気とも、悲し気とも見える瞳で見つめるピーオ。
「あの、今更ですけど、本物のエリザベスさんに迷惑かかりませんか?」
「その心配はない。あの子はもう居ないからね」
「……亡くなられたのですか?」
ピーオの表情が暗く沈む。
「【混沌】に……殺された。死体も残らず、光となって消えてしまったんだよ。わたしの目の前でね。その身分証は姪がこの世にいたことを示す、唯一の証だ」
アリーシャは書類を大事にしまい、ピーオに約束した。
「確かにお預かりしました。必ず……お返しいたします」
「ああ」
こうして法歴4986年最後の日も恙なく終わり、アンズーマリーの街は新しい年を迎えようとしていた。
* * *
かつて秩序神の支配する世界の一部を混沌の悪魔が混沌山脈で覆い、奪い取ったのが今の世界の成り立ちであり、混沌山脈の外には秩序の支配する世界が広がっているという。
その境界となる混沌山脈の頂は常に灰色の雲が覆っているため窺い知ることはできないが、2000年ほど前から少しづつ標高が下がっていることが分かっている。
それは混沌に対し秩序神が優勢である証といえた。
「いつの日か、混沌の悪魔の力が潰え、秩序ある世界に帰還する時が来る」
それは神殿の教えとして一般的なものだが、具体的に何時かというと諸説ある。
混沌山脈の標高の変化から計算した説、法典に隠された暗号を解き明かしたという説、などその説は多岐にわたる。
その中でも特異な説が5000年説だ。
根拠となる文献も論拠も何もなく、ただ、世界は5000年で終わる、という者がいるだけなので、神学者や研究者にはまともに相手にされていない。
5000年説の最大の特徴は、何の根拠もないのに広範囲に流布している点にあった。
根拠のない説を常識的な人が取り合うはずがない。
しかし、根拠がないのに広く流布されているのは、それが真実だからだ、と考える者たちが確かに存在した。
そんな者達にとって、あと十三年余りで今の世界が終わるというのは、現実的な恐怖であった。
神殿すら使いきれない細かい規則が定められた秩序神の【法典】。
【法典】の支配する世界への帰還は、本当に自分たちにとって福音となるのか?
酒食を楽しみ、色に溺れ、権力を持つ者にとって、秩序の支配する世界への帰還は悪夢なのではないだろうか?
そんな風に考える者たちが確かに存在した。
今の世界の延命を図るために、秩序神の勢力を弱め、混沌に加勢するために活動する者たちが確かに存在した。
そんな彼らは人の世のために秩序神と混沌の悪魔の双方を手玉にとる第三勢力を自任し、密かに活動を続けていた。
彼らは自らを【賢き者】と呼び、神殿は彼らを【混沌教団】と呼んでいた。
広く【混沌の霧】が広がる南西地方は、【混沌教団】の勢力が特に強い地方であった。
* * *
--アンズーマリーか。如何にする
--出現はいつか?
--これまでの傾向から半年以内といったところだな
--混沌を使うか?
--あれは王への保険だと何度言わせる
--そっちじゃない。獣のほうだ
--幸い霧も十分。目はあるか?
--四等級が常駐している
--では監視をさせよ
--獣の投入準備だけ進めておこう




