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(60)この世界のお話

 冬の寒さも一段落し、少しづつ暖かさを感じられてきたころ、アリーシャの生活も穏やかに過ぎていた。

 当初は底抜けということで腫れ物扱いで居た使用人たちも、彼女の無邪気さと聡明さに、大半は態度を軟化させていった。

 また、アリーシャと母ブリージダにまつわる妙な噂の流布も鳴りを潜め、『底抜け姫の大冒険』は四巻まで刊行されて王都で人気を博し、女性記者の書くアリーシャ関連記事が王都の民達に浸透したことで、『底抜け』としてではなく、『アリーシャ姫』として見られるようになっていた。


     *    *    *


「以上が北方森林地方の概要となります。次に、」

 バルバラの教育係でもあった賢者をアリーシャの為に招聘し、ジョーではカバーしきれない様々な専門知識を学び、アリーシャは砂が水を吸い込むように知識を吸収していった。


『北方の大森林、東方の海、最大の穀倉地帯である南東平原、鉱山資源の豊富な南西山脈、そして丘陵地帯の広がるここ西方』

「その中央には例の右腕でできた銀の尖塔が本当にあって、聖地と呼ばれているんだって」

 アリーシャは休憩時間中、復習を兼ねて、先ほどの講義の内容についてお兄様との会話を楽しんでいた。

『森林は髪の毛、海は左腕の出血ってところだね』

「右足に当たる南西に金床神殿があるし」

『その全てを混沌山脈が囲っているわけじゃな』

「しーふー、お兄様との逢瀬を邪魔しないで」

 師父はやれやれと肩をすくめるイメージを残して、アリーシャの思考の海に消えていった。

『でも海の向こうに突然山脈が立って世界を覆ってるなんて、すごいな』

「いつか行ってみたいね」

 二人きりになれてご機嫌のアリーシャであった。


「ジョー、アリーシャはいるかしら」

「これはバルバラ姫、いらっしゃいませ。今はいつもの一人遊び中です」

「あー例の『お兄様』ね。何か月か前に居なくなったって泣いてたのに復活したのね。きっとあと何年かしたらこの日のことを思い出して恥ずかしさに転げまわるんでしょうね」

 下の姉は自分の経験を重ねて、その日の妹の姿を想像して微笑んだ。


     *    *    *


 この世界の言語の文法は前世の極東列島語に近いが、単語には各国言語が混じっている。

「異端審問を『オーディット』と言ったり、異物を『コンタミ』と言ったりと、元の世界の20世紀以降の影響が絶対にあるよね」

『でもこの世界ができて5000年近く経ってるんだよ。時間軸はどうなってるんだろう?』

「時間といえば一週間は七日で週に一度は安息日、一年は365日でうるう年まであるじゃない」

『偶然……じゃないよね、きっと』

「だよねぇ」


     *    *    *


「あの方が来られたぞ」

 それは砂漠でもたらされる慈雨の如き福音。

 そこは秩序神の庇護無き混沌の渦中、あらゆる矛盾が同時に並び立つ場所、その矛盾を突き付けられた者はその身を削って辻褄合わせをせねばならない魔境。

 その名も西方王国(仮)文方事務所!


「お邪魔しま~す」

 王の第三姫であるアリーシャは、初めに文長ふみおさのバルトローメス翁に挨拶をした後、ブラブラと事務所を練り歩く。

 本人は国内外の知識を得る勉強のつもりで書類をのぞき込んでいくが、

「あ、ここ計算違ってます」

「これ、向こうの部署の記述と矛盾してます。でもこう直せばつじつまが合います」

「この方法では間に合いません。こっちを先にして、ここの隙間を準備に充てて、その間にこの人員をこっちに回して、」

 など、偉そうに間違いを指摘するだけのこれまでのお偉いさんと違い、具体案を示しながら快刀乱麻に混沌を鎮めていく彼女はまさに魔境に降り立った聖女。

 彼女が訪れると怒号は静まり、書類の混沌山脈は消え、人々は穏やかな気持ちで定時上がりできるという。

 文官達の崇拝の念はもはや信仰に近い。

 一度女性文官達に乗せられて、写真のように写実的な自分の姿絵を描いて見せたら、いつの間にかそれが事務所の入口に飾られていた。

 文官達は毎朝、それに一礼してから仕事を始めるらしい。


「どうしてこうなった!」

「皆さん喜んでいますし、よろしいのでは?」

 主の奇行に慣れ切った世話人は軽く流した。


     *    *    *


『それにしてもこの国、いやこの世界の内政はひどいもんだね』

「何もかも足りてないよ、これでよく戦争なんかする気になるよ」

 戦争とはリソースの奪い合いだ。

 人の力で広大な【魔の領域】を駆逐できない以上、他の人間から奪うしかない。

 この世界は全てが魔力頼りで、魔力が無ければ何もできない世界。それなのに人の生み出す魔力では社会を健全に維持するには足りない。

 だが他から魔力を奪う戦争をするのだが、戦争するにも魔力を大量に必要とする。

 グリゴリ王は大規模魔法に頼らない戦術を旨とするため、比較的低コストで侵略し、収支は黒字になっているが、これが他の豪族たちだと、戦争にかかったコストの補填のため、略奪に走る。

 本当は魔法を使える(財を生み出せる)者を奴隷とするのが手っ取り早いのだが【魔法が使えるもの(キャスター)】とは即ち『神の恩恵を受けた者』であり、それを奴隷とすることを神殿は禁じていた。

 結果として略奪の苛烈さを増し、民の被害も増える傾向にあったのだが、その点を神殿はどう考えているのやら。


『そうやって人を減らせばさらにリソースが減るのにね』

「その癖、魔力源となる【魔法を使えないもの(サイレント)】を活用しようともしない」

『それはアリーシャが端緒となって構造改革していけば』

「そうだね。それにととさまの侵略は黒字経営で、なるべく魔法に頼らない領地経営を目指してるから、この国の内政はまだマシな方なのかも」

『答えが導き出せるだけマシなんだろうね』

「他国に比べたらね」

 お兄様とのおしゃべりは続く。


     *    *    *


 齢五百年を数える大賢者の下には世界中から様々な書簡が届く。

 大半は読むに値しない招聘やおもねり、見当外れな批判や自称新発見であった。

 その中でその手紙は、少々言葉遣いに幼稚な点が見られたが、内容は実に興味深かった。

「確か社会のリソースについて書いた本じゃったな。どれどれ」

 自分が以前書いた『人の生産魔力と社会の必要魔力から見た魔の領域の経済に対する功罪についての考察』を取り出し、質問の箇所を確かめて確信する。

「面白い」

 その指摘は本の内容はもちろん、筆者の意図を理解していなければ出せない着眼点であった。

 大賢者は筆を執り、返事を書くことにした。

「西方王国のアリーシャ殿か。どこかで聞いた気もするが……まあ、よい。さぞ優秀な研究者であろうな」

 大賢者の脳裏に浮かんだイメージは、実際の十倍ぐらいの年齢であったが、それを大賢者が知ることなく両者の知的文通が始まった。


     *    *    *


 やせぎすの料理人トムが料理をしている。

 助手が触媒(パン)に魔法をかけて8枚切りを作っている。切ったことで元のパンと比べて大きさや形に矛盾が出るがトムも助手も誰も気にしない。そういうものなのだ。

 今晩はハンバーグのようだ。素材の豚肉が準備されている。

 豚肉は豚のドロップアイテムだ。

 家畜でも野良でも魔物でも豚を殺して、生贄の短刀(サクリファスナイフ)を突き刺すと豚肉などのドロップアイテムを残す。こうしたドロップアイテムは【適正化】されておらず、普通に調理することもできる。

 しかしドロップアイテムをインベントリに収納したり、魔法で加工したりすると【適正化】され、形状が全て同じになる。


         |触媒 |加工 |形状

  採取・解体  | 可 | 可 |様々

  生贄の短刀  | 可 | 可 |様々

  インベントリ | 可 |不可 |画一的 【適正化】

  魔法で加工  | 可 |不可 |画一的 【適正化】


「生贄の短刀の形は、()の夢、創世神話のあの短刀とおんなじだよね」

『コミックヒロインの少女を生贄にして作った世界。これ、結構魔力を使って作る高級品らしいよ』

 アリーシャはお兄様との会話を楽しみながら、自分の短刀に手を当て、じぃじありがと、と小さくつぶやく。

『生贄の短刀によるドロップアイテムは、俺たちの感覚でいう()()の物だけど、インベントリや魔法で作ったものは、魔法などのシステムを通さないと活用できない、文字通り()()()()になってしまう」

「大きいリンゴも小さいリンゴも、一度インベントリに入れると全部『リンゴ』っていう()()()()になっちゃうんだね。取り出すと大きさがみんな同じになって、なんか損した気分」

『データ容量の節約なんじゃないかな』

「うん、そう思う。リンゴっていうIDがついたオブジェクトにテクスチャを貼っただけって感じ。だから無理に食べようとすると光となって消えてしまう。【食用(エーダボゥ)】をかけると食べられるようになるけど、味が一緒って、結局情報量が少ないってことだし」

『インベントリに収納するときに分解されて、IDだけ保存。取り出すときに再構成、って感じかな?』

「そうやって情報が失われていくと、多様性が失われていくよね」

『極限まで多様性がなくなったらビデオゲームみたいになるのかな? ……この世界はまるでゲームみたいだよ。ゲームと現実が混ざり合った世界なのかな?」

「わお、異世界転生の定番だね」

『もう少しイージーモードにして欲しかった』

「誰のせいよ」

『そりゃそうだけど、知らない人から悪意を向けられるのは、正直しんどい』


--死ね(Die)! ケツの穴野郎(ASS)


 顔も知らない何千、何万という人たちに死を望まれた前世の記憶を思い出し、お兄様とアリーシャは口をつぐんだ。


     *    *    *


「やあやあ、アンタが来たんですか。上も随分、あのお姫様を買ってるんですね。えっ、違うの? 偶然? なんだ、アンタの()()()のほうね。でもこの王都で()()の目を逃れてそういうオイタはできないよ。あ、知ってる? やっぱりね、さっすが三等級。おーけーおーけー、大丈夫、アテはあるよ」


「本日は取材に応じていただきありがとうございました。最後に一つ、あなたのターゲットは王妃ではなく、底抜け姫ですよね? いやいや、ある程度情報があれば誰でも辿りつけますよ。誰かが()()()()()をやって、あなたが気付かないわけがない。ならば()()はあなたがやったか、少なくとも黙認している……ですよね? それでね、一つ提案なんですが……」

明日も投稿予定

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