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(13)穏やかな日々

 世話人のジョーは、村の仕事を手伝いに出かけており不在。二人の友達も家の用事で一緒に遊べない。そんな日は案外多く、アリーシャが一人でいる機会は多い。

 無論、そんな時に屋敷の管理人の老夫婦の元を訪れたり、村中のアチコチに出没したりもしているが、そればかりでもなかった。

 一番多いのは本を読むことだった。

 ジョーに文字を教えてもらってから、アリーシャは貪るように本を読んだ。ジャンルは問わず、料理魔法のレパートリーが網羅されたカリスマコックの料理本(ジョーが買ってきた)や、神殿の教本や法律書、冒険活劇や恋愛小説から過去の人物の日記や研究書など、村にあり、貸してもらえる本は何でも読んでいた。時にジョーに内容について質問をしたりするが、答えを返せないことがしばしばだった。

「面白い?」

 本を読むアリーシャは問われると必ず肯定的な返事を返す。

「なんでそんなに読むの?」

 そう問われると彼女は、リーにできることをするためだよ、と迷いなく返してきた。

 【底抜け】にできること、という意味かと問うと、ちょっと違うらしい。

 最近は本以外にもナイフを持って木を削ったりしている。正直小さい子がナイフを持つことに、心配の声もあるが、それもまた【底抜け】にできることなので、村では彼女なりの試行錯誤なのだろうと思われていた。


     *    *    *


 アリーシャに感化されたのか、いつの間にかカシムも一緒に本を読むようになっていた。元々おとなしめの子だったので、読書は性に合うようだ。

 とは言ってもアリーシャほど大人向けの本はまだまだ無理で、子供向けの本から入って、簡単なものから読み始めていた

 雨の日などはアリーシャの屋敷か老神官の家に集まり本を読むことが多い。というのも老神官はこの村で一番の読書家で、本を所持していたためであった。

「あー、たいくつ!」

 そんな時に最初にそう言いだすのはいつもムティアだ。

「ねえ、リーシャ、なに読んでんの、面白い?」

「うん、面白いよ」

「なんて本?」

「えっと、『人の生産魔力と社会の必要魔力から見た魔の領域の経済に対する功罪についての考察』。今では大ケンジャって言われてる人が150年ぐらい前に書いた本」

「うわぁ、つまんなそう」

 ムティアは床にひっくり返って、

「ベンキョウなんかしなくたっていいじゃない。わたしは冒険者になるんだから」

 と、子供らしい無謀な夢で勉強の必要性を否定し、老神官の苦笑いを誘った。

「……ベンキョウできない冒険者がワルイ豪族にダマされるお話ってあったね」

「族長ヘンリルの冒険だよね!」

「そう、それ。確か商人の息子で家出した人が、計算できなくて」

「借金負わされて」

「無謀な冒険に出て」

「死にそうなところを」

「ヘンリルに助けられて」

 カシムとアリーシャが楽しそうに読んだ本の話をしているのに、二人だけで話さないでよ、とムティアが怒り出す。

「まあ、まあ、ムティア。そんなに怒らないで。君もこれを読んでごらん」

 老神官が宥めて子供向けに書かれた『族長ヘンリルの冒険』を差し出した。

 老神官に怒鳴りつけるわけにもいかず、しぶしぶ座りなおして本を読み始めるが、しばらくすると物語に没頭しているのか、静かになった。

 このまま静かにしてくれてるといいなぁ。カシムはコッソリ嘆息し、自分の本に集中した。


     *    *    *


 夏も終わり、季節が秋の匂いを感じさせる頃。

 深夜、アリーシャはベッドからむくりと起き上がった。

「チッコ」

 誰に言うでもなくそう呟き、布団からはい出し、トイレに向かう。夜の空気は涼しく、急な寒気が尿意の遠因かもしれない。

 トイレでズボンを脱ぐと露わになる自分の足。左足全体と右足の腿付近がケロイドに覆われ、左足の指も一部癒着してしまっている。

 以前は毎日ジョーが【治癒】の魔法をかけてくれたが、すでに傷の塞がった脚がそれ以上回復することはなかった。

「ジョーも諦めたのかな?」

 毎日のあの魔法のために、ジョーは魔力を全力で注ぎこんでいた。それを毎日続けるのは気力体力を使うだろうし、何より本来それはジョー自身の財産とすべき魔力だ。

 だからあの日課が無くなって、ホッとしたのが正直な気持ちだが、ほんの少し残念な気持ちもあった。

「はやいとこジリツして、ジョーをカイホウしてあげないとね」

 明かりもない暗い屋敷だが、危なげなくアリーシャは自分の部屋への帰路についた。自分の魔力を薄く周囲に広げて周辺の状況を把握する一般的にフィールドと呼ばれる技術であるが、アリーシャは独自にその技術を編み出し、活用していた。

 そのフィールドが屋敷内で働く魔力を捉えた。

「……まだ起きてるんだ」

 アリーシャは自分の素直な好奇心に従い、ジョーの工房に向かった。


     *    *    *


 高めた魔力を細いペン先に込め、ジョーは慎重に文様や文字を描いていく。使っているのは以前老神官に依頼して入手した黒檀のインクだ。

 彼女の魔力は多くない。手元にある魔力結晶(マナクリスタル)を使えば【極大治癒】(グレーターヒーリング)も可能だが、それでもアリーシャの脚の傷痕を癒すには足りない。これは魔力量の問題だけではなく、術者の魔力密度の問題だ。

 ジョーはそれを補うために儀式魔法の準備をおよそ一年かけて続けていた。

 魔力が少ないからこそ、『呪術』を専門に学んだ彼女は、魔法を補う呪術紋の専門家(エキスパート)でもあった。

「ふう」

 目に疲れを感じ、指で目元を揉む。【治癒】をかけてもいいが、触媒と魔力がもったいない……その分、アリーシャの治癒を進めたい……との思いから、気力で自分を奮い立たす。

「もうちょっとです。必ずあの子の傷を癒しますよ。ガンバレ私、えい、えい、おー」

 生真面目と評判の女神官にして王の第三姫の世話人ジョー・ミリガンは、コブシを突き上げた姿勢のままアリーシャと目が合い、そのまま固まってしまった。


     *    *    *


 斜めになった作業机に固定された大きな薄い紙にジョーが一心不乱に何かを描いていた。びっしりと書き込まれた文様や文字がそれを書くのに要した時間を容易に想像させた。

ーーカリグラフィみたい。あれってもしかして呪術紋?

 過去に読んだ本にその記載があった。

 曰く、魔法が神の恩恵であるならば、その恩恵を解き明かし、それを補助する文字や文様が呪術紋であるという。神殿の非主流派である【神智派】の神官たちによって生み出された『技術』だ。

 ジョーの様子から魔力を振り絞って描いているのが判る。

--何のために?

--わかってるくせに

 疑問が湧くと同時に自分でそれを否定する。

 先ほど感じていた安堵と落胆を思い出し、嬉しいような、申し訳ないような気持ちで一杯になる。

 アリーシャから見て、ジョーの魔力は多くない。その少ない魔力をギリギリまで振り絞って彼女は……、

「もうちょっとです。必ずあの子の傷を癒しますよ。ガンバレ私、えい、えい、おー」

 込み上がる気持ちのままに、アリーシャは部屋に飛び込み、大好きな世話人の前に立った。


     *    *    *


「ひ、姫? どうしたんですか、こんな夜遅く」

 恥ずかしい独り言を聞かれて、慌てる世話人にアリーシャが抱きついた。肩が少し震えている。

「どうしました? 怖い夢でも見たんですか?」

 抱きついたまま首を振るアリーシャ。

「……なさい」

「えっ?」

「ごめんなさい。わたし、ジョーにヒミツがあるの。ジョーはこんなにリーのことを思ってくれてるのに、だから」

 ごめんなさい、と膝に抱きついたまま幼子が言葉を継ぐ。

「秘密なんて誰にでもありますよ。それにこれは私の仕事です」

「ウソ! 知ってるもん。ジョーがケイヤク以上に、自分の財になる魔力までわたしの治療のために使ってること」

 涙に濡れた顔でアリーシャはジョーにそう詰め寄る。

「うれしいけど、つらかった。まいんちの治癒を止めたとき、ホッとしたけど残念だった。ジョーはそんなにわたしのためにしてくれるのに、わたしはジョーにできることがあるのに、それをしなかった」

「姫が私にできること、ですか?」

 コクン、と大きく頷き、アリーシャは再度、ジョーの腹のあたりに抱きつく。

「ジョー、疲れたでしょ? 自分に【治癒】をかけて」

 ジョーはその言葉の意味を測りかねて動けずにいると、アリーシャの触れている当たりから暖かいものが流れ込むのを感じて、身を固くする。

「アリーシャ姫! こ、これは魔力。魔力が」

「うん。つかえる。リーは魔力がつかえます」

 それはジョーの最大魔力を軽く凌駕し、魔力回路を傷つけないギリギリの太さで、しかしその分圧力を高めて彼女の身体を巡っていた。

「ジョー、治癒を」

 しかしジョーはそれを無視し、筆を取った。

「ジョー?」

 ジョーの筆が素早く動き、文様を一つ瞬く間に書き上げた。

「これならかなり早く進みそうですね」

「ジョーったら、もう!」

 プンプン怒りながらも魔力を維持し続けるアリーシャ。その操作技術は熟練の神官にも匹敵することだろう。

 ジョーは笑みを浮かべて、素直に自分に【治癒】をかけてから、屈んでアリーシャと目を合わせた。

「詳しい話は明日にしましょう。でも秘密にしていた罰を二つ与えます」

「あい」

 アリーシャは神妙に頷いた。

「一つ、この呪術紋を完成させるのを手伝ってください。先ほどと同じように魔力を流してくれれば良いです」

 それは結果的にアリーシャのためだから罰というのは少し違う気もしたが、流石のアリーシャもここで指摘することはしなかった。

「もう一つは、」

 ジョーはステータス画面を開き、マナ貨を実体化させ、アリーシャに手渡した。

「?」

 首をかしげるアリーシャに、

「先ほどの姫の魔力を使って財に変換しました。『底抜けの魔力で財が得られた』のです。余剰の魔力で貴女の財を貯めます」

「もう! どっちもリーのためじゃない。全然罰になってない!」

 嬉しそうに言い返す姫に、しかしジョーは真面目な表情を浮かべ、

「但しこの事はほかの人には秘密です。いいですね」

「神殿の異端審問官(オーディッター)?」

「そうです。それとこのことは王妃様には伝えます。いいですね」

「あい。あ、魔力のことはムーちゃんとカシムはもう知ってるよ」

「判りました。そちらの口止めは私の方でしましょう」

 口止めって、うん、まあ、いいか、とツッコミは控えた。

 ホッと気を抜くと、途端にあくびが出てきた。

「さ、もう寝ましょう」

「あい。ジョーももう寝てね。お肌によくないよ」

「まったく、どこからそういう知識を仕入れてくるんだか。わかっています、片づけたらすぐに寝ます」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 アリーシャは少し名残惜し気に佇んだ後、ありがとう、と言って部屋を後にした。


 ジョーは暫し瞑目し、考えをまとめた。

 これからやらなければならないこと、やりたいことがいくつも思いつく。

 だが最初に彼女は神に祈りを捧げた。

「あの子の未来に希望をお与えくださったことに感謝します」


     *    *    *


 次の日からアリーシャが魔力を供給し、ジョーが呪術紋を描いていった。試しにアリーシャが魔力を通して練習用の紙に描いてみたところ、効果のある呪術紋を描くことができた。

 呪術紋を用いた魔法の補助具は手間がかかる上、描ける者が少ない為、一般には流通せず、あっても高額だ。【底抜け】姫でもそれが作れるなら、将来の生活の安定に繋がる。

 ジョーは治療用の呪術紋を描く傍ら、自分の持つ呪術の知識をアリーシャに教えていった。

 合わせてこれまで、魔法が使えないということで故意に避けてきた魔法の知識を、積極的に教えるようになっていった。

 そして秋も深まり、そろそろ冬の足音が聞こえてくるころ、呪術紋が完成した。

「後1年ぐらいかかると思ったのに」

 ジョーは1平方メートルほどの紙にびっしりと書き込まれた文字や文様を感慨深げに眺めていた。

「いつやるの?」

 アリーシャの疑問に

「2週間後には王妃様がいらっしゃいます。その時にやりましょう。傷が治ったらごちそうを作って、ムティア達も呼んでパーティにしましょう」

 本当に嬉しそうなジョーの笑顔に、アリーシャの胸は詰まった。


--わたしには、まだヒミツがあるの


明日も投稿予定

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