きたない/2
結局わたしは、手当をされてしまった。
無理矢理にでも近づいてくるならば走って逃げよう、とまで考えていたというのに、手当をしようと諦めない彼女の名前を呼んで探しに来たのは、当主さまだったのである。
そうだ、彼女は確か一族の現当主さまの娘であった。
わたし達を見つけた彼は、自分の娘がわたしという汚れたものと一緒にいることを嫌悪したのか、低い声で何をしているのかと問いかけた。
それに、恐れることなく彼女はわたしの手当をしようとしていたのだと告げたのだ。
彼女と当主さまは、奥様と三人で外出なされた帰りであったらしい。
広い屋敷の庭の中でふと姿をくらました彼女を探しにきたらしい彼は、屋敷へ帰るために早く済ませろと彼女に言った。当主さまが見ている前で逃げるわけにもいかず、わたしは手当を許してしまったのである。
切って直ぐとは違い、殆ど血が止まった手のひらを指でもにょもにょとつつきながら、ふと顔を上げる。
作業台の上には彼女のものであるレースのハンカチが、血で真っ赤に染まって他のガーゼと一緒にまとめて置かれていた。
「どうしました、お嬢様」
じっとハンカチを見つめていたからだろうか、わたしの行動に気がついた千種は、本邸の方から補充してきた新品の包帯やガーゼを腕に抱えながら問いかけてくる。
何本か使用する分だけを別にして、彼女は残りを棚の中に仕舞った。
「……そのハンカチって、捨てていいの?」
千種やわたしよりも上の立場に居る者が渡してきたハンカチ。
何の断りもなく、このまま捨ててしまって良いのか分からずに考えていたのだというわたしに、あっけらかんとして彼女は言う。
「でも、もう使い物にはなりませんからねぇ」
まぁ、それは千種の言うとおりだ。
薄い桃色のハンカチには、赤というよりも赤黒い血がびったりと染み込んでいるし、仮にその血を全て洗い落として綺麗にすることができたとしても、そんなものをもう使いたくはないだろう。
そんなものなのか、とわたしはいまいち普通の常識が身についていない自分に嘆息した。
包帯を巻くので手を出して下さい、と千種の言葉に素直に手を出して、大人しく消毒や処置をする様子を眺める。
昔からこうして怪我をしたわたしの治療をするのは千種であったから、彼女の手つきももう慣れたものだ。本邸で働くという選択肢もあったというのに、今に至るまでわたしの世話をしてくれる物好きな侍女。
彼女がいなければ、きっとわたしは既に死んでいたのかもしれないと考えれば、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、どうにも微妙な気持ちである。
「さて……今日はどこを切られましたか、お嬢様」
右手の包帯を巻き終わり、一息ついたわたしに千種が言った。
ぐっと黙りこんで何も言わないわたしに彼女は呆れたようにため息を吐いて、わたしの頬に手を当てると、容赦なく両手で頬を抓った。
「っいひゃいいひゃいいひゃい! ひぅは、いひゃいおっ!」
「ならばさっさと、正直におっしゃって下さいな。あなたが鋏を持ちだしたことはしっかりと、解っているのですよ凪咲様」
「いうっ! いひまふ、ひゃからはにゃひて……っ」
ようやく開放された頬を手でさすって労って、目元に溜まった涙を手で拭う。
頬が赤くなって腫れているような気がするのだが、そうなっていても別に気にする人も見る人もいないのだと考えてしまって、落胆して、やはり自分は醜い人間だと目を伏せた。
「……きょうは、その、邪魔されたから酷くないの」
右手は仕方なかったとはいえ、また千種に迷惑をかけてしまうのだと思えば、とても申し訳なくなる。
けれど、どうしてもその衝動は収まりそうになくて、何時も何時も、昔から彼女には心配や苦労ばかりかけさせてしまっているようだった。
「頼むからあなたは、自分の身体を大切にして下さい……っお願いだから……」
今日傷つけてしまった首の傷を処置して、包帯を巻きながら千種は言う。
今回は他のものよりも比較的浅くて軽い傷ではあるが、もし邪魔が入らなかったら、多分喉を痛めて話せなくなる位には深く押し込んでいただろう。
自分で予想がついてしまう事実に、わたしは何も言えなくなる。
「ごめん、なさい……」
どんなに訴えられても繰り返すことの判っているわたしには、それ以外の言葉を紡ぐことは出来なかった。
千種の頬に雨が伝ったように、みえた。