プロローグ2 入学式
春らしい透き通るような青空に、桜の花が色を添えている。
入学式。
入学式、かぁ。
もう一回自分のなかで繰り返す。
人生のターニングポイントであり、新たな生活の始まりとなる場であるはずが、卒業式に比べるとなかなか記憶に残らない。
現に、高校の入学式すら覚えておらず、写真を見れば「あ、そんなこともあったな」と思い出すレベル。高校のときは両親も入学式に来ていたが、一昨日引っ越しを手伝ってもらったときに「もう大人なんだから」と言い残して、来なかった。
高校の友達で、峯島大学に入った人は誰もいない。同じ高校から入学した人はいるらしいが、おそらく自分の知らない人だろう。
誰も知っている人はいない場に、慣れないスーツを着て飛び込んでいく。
緊張してきた。周囲を見るとグループが出来上がって盛り上がっている。両親と来ている学生もいる。その中で、僕は完全にぼっちだ。この県では唯一の国立大ということで、カメラクルーまでいる。
「話かけないでくれ」と言わんばかりのオーラを出しながら、グループやテレビ局がいるところの合間をするするっと抜けて、会場となる体育館の入口へと向かう。
受付で聞いた話では、入学制代表挨拶をする人以外は、どうやら自由席らしい。
後ろは陽キャが集まっているので、真ん中より前のほうの、通路側の空席を探し、見つけたところに座る。
式が始まるまで、あと20分。少し来るの早すぎたかな、と思いながら、特にすることもなくぼーっとスマホの画面を眺める。Twїtterの画面を開いては、スクロールして、更新がなくなったらTwїtterのアプリを閉じる。そしてまた開くの繰り返し。
「隣、良いですか?」
そんな動作を繰り返して数分経った頃、知らない男の子の声が聞こえた。
スマホから顔を上げると、黒縁メガネの細身の少年が立っている。
「あっ、いいですよ。」と一言かけると、黒縁メガネは「ありがとうございます。」と小さく言って、僕の隣に腰かけた。
ふと周囲をぐるりと見渡すと、座席はだんだんと埋まっていることがわかる。早めに来て通路側の席に座っていてよかったなとつくづく思った。
「よければ教えていただきたいんですけど、学部はどこなんですか?」
黒縁メガネから質問が飛んできた。話すつもりはなく、スマホに目を落とそうとしたその瞬間の質問だった。オタクで陰キャっぽい印象の黒縁メガネだったが、どうやらコミュ力がかなりありそうだ。少なくとも、僕よりは高い。
「あっ、僕は理工学部です。」
とりあえず、ためらうことなく正直に答えた。
「えっ!俺と一緒だ!」
黒縁メガネはとても驚いた様子だった。なんとなく、ほんのなんとなーくだけれど、この雰囲気なら理工っぽいなという気はしていた。
「同じ学部の人、初めて会ったから超嬉しい!!やった!!」
そんな黒縁メガネは、まるでガチャでSSRを引き当てたかのような喜びようで、一人で浸っている。
……あれ、名前とかは聞かれないのか?
せっかく同じ学部。小さい大学だから、一緒になることもあるだろう。ここで仲良くなってあまり損はない。
「せっかくなのでお名前、教えてもらってもいいですか?」
今度は僕のほうから話を振ってみた。初対面だから、同級生なのにかなりかしこまってしまう。
「小城晃太郎。これからよろしくぅ」
「こじょう?」
聞きなれない苗字だ。
「漢字だとどう書くの?」
「小さいに城と書いて、『小城』。よく『おぎ』さんと間違えられるし、古い城で『古城』さんもいるから、よく間違えられるんだ。」
ふうん。後半は聞いたところで損する内容だった気がする。無駄な話だったかな。でも、せっかく話が進んだんだ、質問を続けてみよう。
「ところで、出身はどこなの?」
「地元よ、地元。実家から通っているんだ。」
「へぇ~、そうなんだ。」
「ところで、君の名前は?」
そうだった。僕の名前は一言も出していなかった。
「ああ、僕は大枝佑也。」
「大枝っていうのか、これからよろしくな」
「大枝くんの出身って………」
小城くんの言葉を遮るかのように、カッカッカッ、と小さいながらに甲高い靴音が、自分のすぐ横から聞こえた。
思わず音が聞こえたほうを目で追ってしまったが、女性が自分の真横を通り過ぎていったところだった。
しかし、スラっとした体格で美しいブラウンヘアに、白い肌。顔は見えなかったが、横を通っただけでも圧倒的美少女オーラを感じる。
上背はそこまで無かったが、男女問わずとも100人中90人が目を奪われるような女性だったと思う。
「うわぁ、すげえ。もう大学生デビューしたのか?」
隣からは小さく声が漏れていた。しかし、その声は感嘆よりも愚痴にも聞こえた。
「いや、どんな感想よ」
思わず突っ込んでしまったが、確かにあれだけ綺麗な茶髪は、日本人の地毛には見えなかった。外国人留学生か。あるいは小城くんの言うとおり、大学生デビューで髪を染めたパターンだろう。
「いやそのまんまの意味。我々陰キャからは遠い世界ですねぇ~」
「勝手に俺を陰キャ扱いするな。事実だけど」
自分が陰キャかどうかはともかく、あの美女オーラ全開のあの子は何者か。少しばかり気になってしまった。
「あの子、学部どこなんだろう?」
「おっ、あの子のことが気になるのかい?」
「違う違う。違うけど気になるじゃん。」
「まあ安心しな。あんな『大学生でーす』って感じの人、理工にいるわけないじゃん。それにさ――」
「僕のタイプは『黒髪ロングのおしとやかでオタクに優しい大和撫子』。あの子、理想の対局にいるもん。」
小城くんはドヤ顔でグーサインを出してきた。思わず苦笑いしてしまう。
「いやいや、そんな子いないから。オタクに優しい大和撫子なんて、高望みしすぎ。」
「絶対どこかにいるから!オタクに優しい大和撫子は絶対いる!」
「次元を下げない限り、見つからないと思うぞ……」
半ばいじけている小城くん、どうやら俗に言う「オタク」のようだ。どうりで自分と波長が合い、会話の嚙み合わせが初対面と思えないくらい良い。
周囲もそれぞれで会話が盛り上がってざわざわしていたが、「まもなく式を始めます」というアナウンスで、急に静まった。自分たちも盛り上がっていた会話を止めて姿勢を正し、壇上に注目する。
入学式は30分くらいで終わった。学長の長い話と、来賓のくだらない挨拶を聞くだけだった。彼らの話は右耳から左耳へと抜けていった。なお、新入生代表挨拶は、教育学部の男の子だった。堂々とした立ち振る舞いで、さすが首席だなぁと感心してしまったし、彼のカッコイイ姿には、まるで自分までもが壇上に立っているような錯覚も覚えさせた。
人数が多いので、後ろの席から順番に退場している。ちょっと前のほうの席に座ったせいで10分ほど待たされてしまった。入学式が終われば、今日のイベントは終わり。
小城くんと一緒に体育館を出ると、写真を撮る親子やサークル勧誘などで騒がしい。そんな様子を見て二人は目を合わせると、即帰宅する判断。駅のほうへと歩み始めた。
なお、あと10分ほどで電車が出るらしい。それなら帰るほうが賢明な判断かもしれない。僕も、人混みに慣れているほうではない。むしろ疲れているので、はやく帰りたいのである。
小城くんは「疲れたー」と伸びをしながら歩き始めたが、キャッチボールよりもドッジボールに近い他愛のない会話を続けていたら、いつも間にか駅はもう目の前。
しかし、駅へと向かう信号が、直前で赤になってしまった。
「あ、そうだ。せっかくだしLIНE交換しようぜ。」
「おぅ、そうだな」
やはり、困ったときのLIНEである。これで「困ったことがあれば質問できる友達がゼロ人」という最悪の事態は回避できたようだ。
「K.K.小城」というクセのあるLIНEの名前が気になって仕方がないが、今は聞かなくていいだろう。
信号が青になった。
「あ、僕はこっちだから」
右側を指さしながら言うと、「あ、そうなんだ。なんかあったら部屋に上がりこむわ」と笑った。
「これから、よろしくな!バイバーイ」
小城くんはそう残しながら横断歩道を渡り、元気に駅のほうへ駆けていった。