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ワケあり姉妹の薬店  作者: 綾月シボ
6/10

第六話 汚された詩

「それでは出掛けて来るわね、シエラ。今日はこれで充分よ。後はお兄さんを手伝って上げるなり、ゆっくり羽を休めるなりして頂戴」

「かしこまりました!」

 陽が僅かに西に傾き始めた頃、ナーシアは一足早く店を閉めると小間使いとして雇っているシエラに告げた。シエラは通りを挟んで建つ宿屋〝羊の枕亭〟で働くルベオルの妹だ。以前にナーシアが肺炎になりかけた彼女を助けた縁で時折店を手伝ってもらっている。シエラは素直な心根を持ち、頭も冴えた少女で早くもナーシア直伝の接客話法を覚えつつあったが、年齢的にはまだ十一歳になったばかりで一人で店番をさせるには無理がある。ナーシアは妹のリーアと得意先に出掛けるに際して彼女を兄の下に戻したのだ。

「じゃ、行って来るよ!」

「はい、お気をつけて!」

 勝手口の鍵を掛けたリーアが改めてシエラに別れを告げると、姉妹は街の西側を目指して歩き出した。

 二人が見えなくなるまで見送ったシエラは、思いがけなく出来た自由時間に安堵を覚える。命の恩人であるナーシア達には尊敬と親しみを抱いているが、やはり自分のために使える時間を持てるのはうれしいことだ。

『兄さんには悪いけど・・・夕方までレンエイと遊びましょう!』

 レンエイは〝羊の枕亭〟に棲みついたフェアリーの名前である。人間にはあまり姿を見せないこの小さな居候は、シエラに対してだけは自分から積極的に姿を現しており、今では友人という間柄になっていた。彼女はリーアから貰った飴がポケットにあることを確認すると、小さな友達が浮かべる笑顔を想像して本人もつられるように口角を崩した。妖精は甘いお菓子が大好物なのだ。


 一方、ナーシアは鞄を持つリーアを連れて街の中央広場を抜けると、そのまま富裕層が暮らす地区を目指して歩き続ける。彼女の後ろを追うリーアは、その背中から姉が多少とは言え憂鬱を感じていることを読み取った。負の感情は滅多に表に出さないナーシアだが、永い付き合いである。彼女は姉の胸中を知ることが出来た。

 今回リーア達は得意客であるゼノー夫人の屋敷に出向くことになっている。その目的はナーシアが作る特製化粧薬を夫人の友人達に紹介するためであった。もっとも、これは〝白百合薬店〟としての売り込みではなく、ゼノー夫人からの依頼だった。前に別の症状、腰痛に関する依頼でゼノー夫人を訪れたナーシアは夫人から、その容姿の美しさから化粧について尋ねられ、自身が使う特製化粧薬のことを話したのだ。当然、夫人はナーシアの化粧薬を欲しがり譲ってくれとなる。

 その化粧薬は、各種の薬草を練り込んで作られた軟膏で、皺の出来やすい目尻や首筋、ほうれい線等に塗り込むことによって皮膚の活性化を促し肌の老化を防ぐ効果を持っていた。本来は彼女が個人的に使うための非売品だったのだが、口に出してしまった以上は売らないわけにはいかない。『お客様だけ特別にお譲りします。ですが、このことはご内密に!』という約束で売ったのだが、このゼノー夫人は街の領主とも血縁のある有力者で、夫を既に亡くした中年の未亡人という金と暇を持て余した人物だ。特性軟膏の効果が露わになると、おそらくは友人達に自慢したのだろう。そして友人達もその軟膏を欲しがり、頼まれて仕方なく、いやおそらくは教えることによって得られる優越感からゼノー夫人はその軟膏のことを嬉々として教えたに違いなかった。複数の友人達に漏れてしまっては個別に〝白百合薬店〟と取引をするのは時間の無駄ということで、ナーシアはゼノー夫人が主催するサロンの余興も兼ねて軟膏の実演と販売を打診されたのだった。

 領主にもコネがあるゼノー夫人の依頼を蔑ろに出来ず、やむを得ず引き受けていたが、ナーシア個人にとって今回の出来事はあまり有難いことではない。軟膏を作るには希少な薬を多分に使用する。あまりにも需要が増えすぎると自分で使う分も確保出出来なくなる懼れがあった。ナーシアは商売と自分の優位性との板挟みになっていたのだ。

 そんなナーシアの心境を見通しながらもリーアは、歩きながら自分の後ろ髪の長さを気にする。彼女からすれば、姉の心配は軟膏の値段を金貨10枚くらいにすれば解決することだと思われた。強欲とも言えるが、高額なれば諦める者も出るであろうし、大切に使うだろう。希少な薬を使うのならば、それに相応しい値段を付けるだけである。姉は変なところで大胆さに欠けるところがあった。

 リーアとしては自分の髪、生まれて初めて肩に届いた髪の長さ、女性としてはこれでもまだ短い方なのだが、こちらの方が気になった。姉を始めとする身近の人物は似合っていると伝えてくれるが、自分ではどうも落ち着かない。もう、髪を掴まれるような荒事をする機会は滅多にないはずなのに、そんな状況を考え付くとやっぱり短髪に戻そうかと考えてしまうのだ。

「着いたわ。乗り気はしないけど、やるしかないわね・・・」

 屋敷と通りを隔てる長い塀を抜けてゲゼノー夫人の屋敷に辿り着いたナーシアは溜息を吐くとリーアに語り掛けた。

「うん、さすがにお茶とお菓子くらいは出してもらえるだろうしね!」

 手入れの行き届いた大きな屋敷の威容にリーアは、これまでの心配ごとを忘れると笑顔で姉に告げる。正式な客というわけではないが、これほどの屋敷に招かれるのだからある程度のもてなしを期待したのだ。

「そうね、少なくとも私達が作るケーキよりは良いお菓子を出されるでしょうね!」

 リーアの軽口にナーシアも笑みを浮かべる。道中はそれぞれの悩みに耽っていた姉妹だが、頭の切り替えは早く、やるとなれば何事も全力で当たることを信条にしている。

 ナーシア達は門衛に名前を告げると、屋敷の中に恭しく案内された。


「しばらくこちらでお待ち下さいませ。奥様からお声があり次第、お迎えに上がります」

 応接間の一つに通されたナーシア達がソファーに腰を降ろすと、案内したメイドが丁寧に告げる。やはりこれだけの屋敷で働くメイドだけに、教育がしっかり行き届いている。ナーシアに比べれば幾らか霞んでしまうが容姿も整っており、先程まで自身の髪について悩んでいたリーアも彼女の黒絹のような艶を持った髪に興味を寄せる。姉の金髪も綺麗だが、黒髪もそれに劣らず美しく見える。同じ色の髪を持つリーアとしては心の支えになる気がした。

「では、失礼したします」

「・・・うん、やっぱり美味しそうなお菓子が出た!」

 メイドが部屋から立ち去ると、早速リーアはテーブルに置かれた茶とミルクを練って作られたと思われるケーキに手を付ける。最近色気が芽生えてきた彼女だが、食い気の方も優勢だ。先程の予想通り、ゼノー夫人は客をもてなすことに関しては下手な倹約するような人物ではなかった。

「ええ、このお茶も最高級のものね」

 同じくティーカップに口を付けたナーシアが妹の声に答える。今回の出張販売は夫人のわがままに巻き込まれた形だったが、やはり顧客としては上客であると認めなくてはならない。夫人に呼ばれるのが何時になるのかわからないが、快適な応接間で最高級のお茶とお菓子でもてなされているだから文句の付けようはなかった。


 その音はナーシアが二杯目のお茶を飲み干す頃に彼女の耳に届いた。遠くで何か重い物が落ちたような鈍い音だ。妹との他愛のない会話の最中であったが、彼女はそれを逃すことはなかった。

「姉さん・・・」

 リーアもそれまで浮かべていた微笑を消して表情を堅くする。素人ならば聞き逃してしまうか、もしくは特に気にすることのない遠くの物音であったに違いないが、彼女達は過去の経験から人が転ぶか高所から落ちた音であると察したのだ。

「ええ・・・」

 肯定をしながらも、ナーシアは無意識に呼吸を浅くする。これだけの屋敷である、使用人は一人二人ではないし、誰かが転ぶこともあるだろう。だが、彼女の勘はそれが不吉な出来事の前触れであること見抜いていた。

「ああ!!誰か、誰か!!」

 しばらくして、直感の正しさを証明するように女の黄色い悲鳴が響き渡る。

「・・・確認しましょう!」

「仕方ないね、あたし達は薬師だし!」

 ナーシアはリーアに告げるとソファーから立ち上げる。本来なら客分である二人が積極的に動く必要はないのだが、二人は医療技術を持つ薬師である。仮に命に係わる怪我人が出ている場合、応急処置を行うのが早ければ早いほど助かる確率は上がる。座して呼ばれるのを待つよりも、自ら動く方が良いのだ。

「どうしたのですか?!」

 応接間を出た二人は廊下を進んだ先にあるホールまで出向くと、おそらくは悲鳴を聞いて集まったと思われる使用人達に後ろから問い掛けた。

「そ、それが・・・何かが落ちる音を・・・確認しに・・・」

 ナーシアに問い掛けに答えたのは料理人と思われる中年の女だった。彼女は自分が目にしている光景に驚いて声を震わせていたが、他の使用人は若いメイド達だったので自分が答える必要があると思ったのだろう。身体を壁側に寄せると背後のホール、二階に繋がる階段の前で倒れている人影を指差した。

 そこには洒落た服を着た若い男が倒れていた。顔付きはなかなかのハンサムだが、今その顔は苦悶に歪んでいる。何しろその胸には短剣が深々と突き刺さっているのだから無理もない。

「うう・・・」

 ナーシアとリーアはその光景に驚きながらも素早く動き出すと、呻き声を上げる男を楽な姿勢にして胸の短剣が抜けるのを阻止する。今、短剣が抜け落ちれば失血死は免れようがない。もっとも、短剣は男の心臓の付近を貫いており、どんなに優れた薬師でも彼の命を助けられるとは思えなかった。この男を助けるには、神の力を行使出来る敬虔な司祭か、祈祷魔法に通じた魔法使いが必要だろう。そして、ラハダスは街としては中程度の規模を持つが、そのような力を持った者がおいそれと存在するわけではない。呼び出すことが出来たとしても、とても間に合うとは思えなかった。

「う、あ・・・」

 ナーシアとリーアは何とか延命処置を施そうとしたが、男の命を長く保つことは出来なかった。最後に彼は何かを口にしようとして絶命した。


「ああ、なんてことに!」

「もしかしたら、賊がまだ屋敷内にいるかもしれません!奥様方の安全を確保して下さい!それと街の衛士隊に使いをやりましょう!」

「や、やはりグメン様はこ、殺されたのですか?!」

「おそらくは!ですから、彼を殺した賊がまだこの屋敷に居る可能性があります。しばらくは奥様方をお部屋から出さない方が良いでしょう。私なら衛士隊が駆けつけるまでは屋敷の男達に部屋の入口を守らせます!」

「そ、そうですね!そうしましょう!」

 死体を見て慌てる初老の男にナーシアは助言を与える。彼は騒ぎを聞きつけて確認に来たこの屋敷を取り仕切る使用人頭だが、グメンと呼ばれた男の死体を見つけると動揺してその役目を果たせずにいた。もっとも、胸に短剣が刺さった死体を発見することなど、普通の人間が体験するようなことではない。彼を責めるのは酷だろう。

 ナーシアが使用人頭と言葉を交わしている間に、リーアは改めて短剣を胸に受けて死んだ男を詳しく調べる。状況からして男が何者かに襲われたのは明白である。ないとは思うが、その犯人に部外者である自分達がでっち上げられる可能性は否定出来ない。反論の証拠や材料は確保しておくべきだと判断したのだ。

 男の死因は胸に突き刺さった短剣と思われるが、それ以外にも彼は幾つかの怪我を負っていた。左足首の骨折に多数の打撲である。胸を刺された後か前かは不明だが、この優男が二階に続く階段から一階のホールに転げ落ちたのは間違いなさそうだ。緩やかにカーブを描く螺旋階段は設計上の制約なのか、やや傾斜が強い。階上から受け身の心得のない者が突き落とされれば、打撲や骨折の一つくらいはするだろう。

 死体の検分を終えたリーアは、次に悲鳴や騒ぎを聞きつけてホールに集まった屋敷の使用人達にさり気なく視線を送る。姉は建前で賊と言っているが、内部の者の犯行である可能性も否定出来ない。いや、むしろそちらの方が高いだろう。下手をすればこの中に犯人がいるかもしれないのだ。リーアは怪しい者がいないか注意深く確認する。そして彼女は茫然と立ち並ぶ人垣の奥に床に崩れ落ちて泣く一人のメイドを見つけた。先程自分達を応接間に案内してくれた黒髪のメイドだ。

「彼女は死体を見たことでショックを受けているようです。どこか別の場所に連れて行ってあげて下さい」

「ええ・・・誰か、アニーサを部屋に連れていって介抱してやってくれ!」

 リーアの指摘は使用人頭を通してやや年配のメイドに下され、彼女は泣き崩れていた黒髪のメイドの手を取ってこの場から連れ出して行く。

「彼女はこの男性とはどんな関係なのですか?」

 アニーサと呼ばれたメイドが去ると、ナーシアはリーアから引き継いだように使用人頭に問い掛ける。リーアが彼女の心配をしたのもこの質問に繋げる布石だった。胸に短剣が刺さった死体はショックな存在だが、あそこまで取り乱すのは不自然と思われたのだ。

「アニーサはグメン様・・・このご遺体の方の妹なのです。兄の変わり果てた姿を見たことで激しい動揺を受けたのでしょう。本来はもっと早く気を使ってやるべきでしたが、私もこんなことは初めてなので気が回りませんでした。先程からのあなた様方の助言には感謝の限りです!」

「グメン氏も奥様のお客様なのですか?」

「ああ、・・・少し説明不足でございましたね。グメン様はアニーサの兄上なのですが、立場は奥様の援助を受けている・・・・芸術家で詩人であらせられます。当屋敷に住まわれていますが、そのような事情で兄妹でも我々の対応が異なるのです」

「ああ、なるほど・・・」

 全てを察したナーシアは頷いた。使用人頭は芸術家と紹介しているが、グメンは妹の縁か紹介でゼノー夫人の寵愛を射止めた愛人ということなのだろう。未亡人なので世間的には大した問題にならないが、さすがに愛人ですとは立場上言えないのだ。

「ひょっとしたら、賊が二階にいるかもしれません。衛士が来る前に逃げたり、証拠を隠滅したりするおそれがあるので調べても良いでしょうか?出来れば彼の部屋も確認したのですが?」

 泣き崩れたメイドの背景を知ったリーアは、グメンの死を更に検証するため使用人頭に確認を求める。仮に犯人が外部からの賊だったとしても、未だに屋敷内に潜伏しているとは思えなかったが、許可を得やすいように大袈裟に誇張を加えた。

「ええ、お、お願いします。ですが無理はしない下さい!」

 これまで的確な助言を与えてくれたナーシア達の提案だけに使用人頭は素直に認める。

「ええ、もちろんです!」

 リーアは詩人の死の真相を究明しようと頷いた。


 樫で作られた頑丈な扉を潜り抜けて、ナーシアとリーアは死んだ男グメンのアトリエを兼ねた部屋の検分を開始する。その部屋は一間続きではあるが充分に広く、奥には天蓋付きの寝台、中央にはソファーなどの応接セットが置かれていた。衣装箱を始めとする家具も多いが、部屋が広いのでどれも優雅に置かれている。唯一カ所だけ家具が密集している場所があるが、それの正体は机と本棚である。机の上には羊皮紙が置かれており、詩人とういうふれ込みは満更嘘ではないようだった。

「ここまで、私達が調べる必要はなかったじゃないかしら?」

 華美でありながら、どこか淫靡な気配を持つこの部屋の雰囲気にナーシアは眉を顰める。

「そうなんだけど、あたしらに罪を擦り付けられるかもと思ってさ」

「私達は応接間にずっといたわけだし、それはないと思うけど・・・」

「うん、でも衛士に任せたんじゃどうなるかわからないし、姉さんも真相がこのまま未解決で終わったら嫌でしょ?」

「まあ、確かにそれはあるわね・・・ってこれは!」

 昔の記憶を思い出したからだろうか、いまいち乗り気ではなかったナーシアだが突如驚きの声を上げた。

 彼女が動揺した理由は直ぐにわかった。机の上に置かれた羊皮紙にインク壷が倒れ、紙を黒く染めていたからである。更に濡れて光るインクの様子からそれが起ったのはつい先程のことのようだ。

「どうやら、わざとインクを零した・・・いや、ぶちまけたみたいだね・・・」

 羊皮紙に書かれた文面を埋め尽くすように零れたインクの様子から、リーアは姉に自分の見解を述べる。先程の死体検分でグメンが右利きだったことは突き止めている。その彼が文章を書くとすればインク壷は利便性から右側に置かれるだろう。もし誤ってインク壷を倒したとしたら右から左に掛けてインクが掛かるはずだった。だが、机の上の羊皮紙には全体が均等になるようにインクが掛けられている。間違いなく意図的に上から零されたのだ。

「そのようね・・・おそらくグメン氏の死の鍵を握る何者かがこれを行ったのでしょう。書いた本人なら例え後から内容が気に入らなくなったとしてもこんなことはしないわ。羊皮紙は端切れでも貴重だからね。持ち去って処分するわけでもなく、こんなことをするのだから・・・よほど腹の立つことが書かれていたってことかしら・・・」

「そして、その内容に怒った犯人がグメンを殺したと・・・。この部屋には争った痕跡はないけど、逃げる彼を後ろから追って階段から突き落としたのだとしたら全ての辻褄が合うね」

「ええ、更に言うならばこの羊皮紙に書かれた内容を読むまでは、その人物はグメン氏と少なくとも表面上は友好的な関係だったはずね。でなければ部屋に入れたりしないもの」

「うん、最初から察していたけどやはり内部の者の犯行だね」

「ええ、この紙に何が書かれていたかわかれば、問題の本質にかなり近づけるはずよ!」


「ええっと、お二人はこの羊皮紙に下手人に繋がるようなことが書いてあるはずだと、言っていましたね?」

「ええ、そのとおりです」

 ナーシアとリーアは、最初に通された応接室で衛士隊の下士官と思われる男から二度目の尋問を受けていた。部屋には彼以外にももう一人の衛士がいたが、扉の前に歩哨として控えているだけで、会話に加わるのは中肉中背で年齢も中年のこの男だけだ。顔付きも平凡で身に纏っている革の鎧もくたびれているが、厚ぼったい瞼の向こうにある眼光は鋭いように感じられた。

 彼には最初の尋問で、自分達が屋敷にまだ残っていたかもしれない殺人犯の確認を行い、グメンの部屋で意図的に汚された羊皮紙を見つけたことを報告してある。派遣された衛士の能力によってはナーシア達も容疑者の候補に乗せられると思われたが、彼は屋敷の使用人からの証言で、二人が時間的にも動機的にも容疑者から外れることを早々に見抜いてくれていた。本来はたまたま現場にいた部外者となるのだが、最初の尋問で助言を伝えていたこともあって、二度目の尋問、正確には会合を設けることになったのだ。

「私も気になって、部下に紙を洗わせて何が書かれてあったか可能な限り復元させてみました。インクが完全に乾く前に気付くことが出来て幸いでしたよ。まあ、ところどころ判別不明な箇所もありますが、大体は何が書かれていたのかわかりました。とりあえず、口で言うより見てもらった方が早いですな!」

「ありがとうございます。フォルクス様」

 男が差し出した二枚の紙をナーシアは礼を告げて受け取る。一枚はインクを洗い落とした先程の羊皮紙、もう一枚はそこに書かれている文字を解読しながら書し直したものだった。

「やはり、詩ですね・・・それも恋歌。作者の想い人に焦がれる気持ちが上手く表現されています。そして・・・宛名はシェレーラという名前の女性ですね。この方は実在するのでしょうか?」

「ええ、私はそっちの方はさっぱりですが、こんな私でも悪くない詩だってことはわかりましたから。殺されたグメン氏は詩人としてはそれなりに優秀だったようですな。そしてシェレーラについてですが・・・・もちろん実在します。おそらくはこの屋敷のゼノー夫人のご友人で今日も来訪されているマクギス夫人のことだと思われます・・・」

 衛士隊の下士官フォルクスはナーシアの感想に当初は苦笑を浮かべて答えるが、後半は顔を強張らせた。ゼノー夫人の愛人が彼女の友人に恋文とも言える詩を書いていたのである。この事実に笑ってなどいられないと気付いたのだ。

「栗色の髪が素敵なご婦人なのですね。妹に見せてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いません。ご指摘のとおり、詩の内容の通り栗色の髪色をされています」

 フォルクスの許可を得たリーアに詩が書かれている紙を手渡す。受け取ったリーアは直ぐに目を通すが、それはまだ若い彼女からすれば、赤面したくなるような内容だった。

 インクで汚された紙から詩心のない衛士が書き写したので所々に不自然な場所もあるが、詩は相手女性の容姿、特に栗色の髪の美しさを褒めながら、それに惹かれる作者の心中を最近流行りの韻を踏んだ三節の詩で表現されていた。リーアは自分でも芸術的な才能は皆無であると自覚していたが、この詩を男から贈られるなり、囁かれたりしたら女ならばその男のことが気になって仕方がないだろうと想像することは出来た。

「私がゼノー夫人の立場でこの詩を読んだら、腹を立てて羊皮紙を丸めて暖炉に放り込んだかもしれません・・・」

「もしくは、インクをぶちまけますか?今日は比較的に暖かかったので暖炉は使われていませんでしたし、机から暖炉までは距離がありましたから、衝動的にこの詩に怒りをぶつけるとしたらインクの方が手っ取り早いでしょうね」

「でも、ゼノー夫人はグメン氏が襲われた時間帯には、サロンでご友人達とご一緒でしたのでしょう?」

「ええ、それは既に確認しています。彼女はこの屋敷の主ですから使用人達も夫人がどこにいるのかは常に把握しています。こっそり愛人・・・いや詩人の部屋に向かうのは無理でしょう」

 貴重な証拠品を自分達に見せたことでナーシアはフォルクスの意図を理解すると、突っ込んだ内容を口にする。おそらく彼はインクで汚された詩の内容と宛名から今回のグメン殺しの容疑者に、愛人の裏切りに憤ったゼノー夫人を想定したに違いない。だが、時間的なアリバイで夫人が犯人であることはありえない。それもあって彼は鋭い観察眼を持つナーシア達に相談、または自分の考えを客観的に計るための話し相手としたようだった。

「必ずしも自分の手を汚す必要はないから誰かにやらせたのでは?」

「それだと衝動的と思われるインクをぶちまけた理由が説明出来ないのです。夫人・・・いえ主犯からの命令となると、ある程度は計画的な犯行となるはず。外部から賊を装って何者かが侵入したような細工もされていませんし、詩を侮辱するために何かをするとしても実行犯が証拠品を現場に残すとは思えない。もっと策を弄するはずなのです」

「そう、あれは嫉妬した女性の突発的な行動のように思えるわ」

 とりあえずの思いつきを口にしたリーアはナーシアとフォルクス双方からダメ出しを受ける。可能性の一つを上げたつもりだったが、二人の視線にはそんなことなら苦労はしないと無言の圧力が込められているようだった。

「とまあ、こんな感じで行き詰っており・・・。美しいだけでなく、聡明なお二人に私の愚痴を聞いて貰ったわけです」

「まあ、フォルクス様も口がお上手ですわね。・・・でも、同じ女だからでしょうか?犯人の気持ちには同情が出来ますわ」

「それは、ナーシアさんには犯人が誰だかわかっているということですか?!」

「ええ・・・確たる証拠はありませんが、この詩を読んだことで大体の目星は付きました」

「誰です!教えて下さい!」

「・・・さすがに何の確証もない女の勘でそれを口には出来ませんわ・・・。けど、そうですね。その者が真実を打ち明けるように仕向けることは出来ます。今回の関係者、この屋敷に居る女性を一カ所に集める機会を作って頂ければ立証させられるかもしれません」

「ああ、なるほど!そういうことですか・・・そうですね。やってみましょう!」

 ナーシアの発言に食いついたフォルクスだったが、会話の最中に彼女の考えを理解したのか激しく頷きながら提案に同意した。


 時刻は既に宵の口を迎えラハダスの街には夜の帳が降ろされたが、ゼノー夫人がサロンを開く広間には煌々と明かりが灯っていた。上等の油を使っているので煤も嫌な匂いもなく光も強い、昼ほどではないが豪華な家具が立ち並ぶ部屋を充分に照らし出していた。

 そしてこの部屋にはゼノー夫人とその友人達、そして屋敷で働く女性の全てが集められている。男性でこの広間に存在するのはフォルクスを始めとする五人の衛士達だけである。つまりここにいる女性達はナーシアとリーアを除くと全て潜在的なグメン殺しの容疑者だった。

「何を始めるのでしょうか?」

 屋敷の主人で広間の中央に腰を降ろしているゼノー夫人がフォルクスに問い掛ける。彼女は三十代後半ほどの暗褐色の髪をした女性だ。一目で上物とわかる薄桃色のドレスを纏っているが、それは彼女の年齢にはやや派手すぎるように思える。そしてゼノー夫人は肉付きの良い顔に涙を浮かべ、右手にはその涙を拭うためのレースのハンカチを握っていた。

「もちろん、グメン氏の死の真相を解明するための調査です。期待していた芸術家を亡くした奥様を煩わしてしまい恐縮ですが、治安のためのやむを得ない処置ですのでご協力下さい」

「・・・そういうことでしたら、仕方ありませんわね」

 ゼノー夫人はフォルクスの説明を聞き入れると、思い出したかのように自身のハンカチを目頭に当てて顔を伏せる。そして彼女を取り巻くように座る友人達はこぞって夫人を慰める言葉を掛けた。本来ならその光景は慎ましく見えるはずなのだが、リーアの目には下手な芝居に感じられた。ゼノー夫人は愛人を失って悲しんでいるというよりは、その状況にある自分に酔っている節があり、友人達もそれに合わせているようだ。

 とは言え、上流階級のご婦人達全てがこの即興劇を演じているわけではなく、やや離れた場所に座る栗色の髪の女性は冷ややかな目でゼノー夫人達を眺めていた。この女性こそがグメンに詩を捧げられたシェレーラことマクギス夫人だ。彼女とゼノー夫人は表向きには友人同士となっているが、その実体はラハダスの社交界におけるライバル関係にあった。仲が悪いなら付き合わねば良いではないかと思われるが、彼女達はお互いを張り合う相手として必要とし、取り巻きの数を競い合うようにサロンを開いている。実を言えばリーア達姉妹がこの日呼ばれたのもその一環の一つで、この事件がなければ優れた化粧薬を友人達に紹介したゼノー夫人は社交界での株が上がるはずだったに違いない。

 リーアからすると、マクギス夫人の容姿はやや拍子抜けの感があった。顔付きもそれなりに整っており、その栗色の髪も上流階級の女性に相応しく綺麗に結われているが、詩で歌われる圧倒的な若さと美しさはない。彼女を思い浮かべてあの詩を書いたのだとしたら、グメンの発想力は天才的と言えただろう。

「皆さんをこの部屋に集めたのはグメン氏の死の究明のためであります。あまり時間は掛からないはずなのでご協力をお願します」

 ゼノー夫人を宥めたフォルクスは部屋に集まった女性達に改めて告げる。夫人の友人達は口には出さないものの早く自分の屋敷や家に帰りたいであろうし、使用人のメイド達にもやらなければならない仕事がある。集められた目的は理解してもらう必要があった。

「亡くられたグメン氏は優れた才能を持つ詩人でありました。その彼が生前に残した傑作と思われる詩を皆さんに聞いて頂きたいと思います」

 御膳立てが整ったと判断したナーシアはフォルクスに合図を送ると行動を開始した。突然語り出した彼女の姿に何が始まるのかと女性達は固唾を飲む。

「巡りゆく時の中 変わらぬ輝きが存在す それは天の星々とそなたの髪の輝き ああ美しき黒髪の乙女よ

 世は人の子に儚し されど我が人生に実りあり それは麗しきそなたとの邂逅なり ああ尊き黒髪の女神よ

 わが魂潰える時 瞼に浮かぶはそなたの笑顔 それは定められた甘き真実なり ああ愛する黒髪の想い人よ」

 滔々と詩を歌うナーシアの声に全員がその耳を傾ける。普段は艶やかな声の彼女だが、敢えて声質を低くして男性的に喉を震わせている。その声は詩の内容も相まって極めて魅惑的だった。

 既に詩の内容を知るリーアは、一部に姉が手を加えた箇所があることに気付いた。栗色の髪が黒髪に変えられているのだ。そしてナーシアが詩を歌い終えると同時に、壁際に並んで立っていたメイドの一人が嗚咽を上げて泣き崩れる。それはまさに美しい黒髪が特徴の死んだグメンの妹アニーサだった。

 その後の展開は手際よく行われた。脱力して項垂れるアニーアを抱えるようにして衛士達が部屋から連れ出して行く。別室で尋問を施すためだ。

「こ、これはどういうことなのです?!」

 詩の余韻から覚めたゼノー夫人が屋敷の主人としてこの場を代表するようにナーシアに問いかける。フォルクスはアニーサに付き添っておりこの場にはいなかった。

「あの娘がグメン氏を殺害したということでしょうか?」

「いずれ、フォルクス様が正式な調査結果を出してくれると思われますが、・・・あの女性がグメン氏の不幸の切っ掛けとなったのは間違いないはずです」

 ゼノー夫人に続いたマクギス夫人の質問にナーシアは答える。どうやらマクギス夫人の方が状況に対する理解力は上のようだ。

「そんな、妹が兄をその手に掛けるなんて」

「そのことですが・・・。ここからは私の憶測になりますが、先程の詩で愛を語られる立場の黒髪の女性はアニーサのことであり、二人は恋人同士だったと想定しています。グメン氏はその詩の才能でアニーサの心を掴み恋人同士となりました。そして恋人である彼女を言い含めて兄妹であると偽って、ゼノー夫人に近づき・・・その庇護を得たのです。これはアニーサにとっては芳しくないことでしたが、恋人がその才能を高貴なご婦人に認められたという事実を持ってして何とか耐えたのでしょう。これだけでも危険な賭けと言える行為ですが、グメン氏は一回の成功で満足するタイプの男性ではなかったのです。奥様とは別の秘密のパトロンを得ようと行動します。彼は優れた詩人でしたが新たに詩を作り出すよりも、既に作り出した詩を改変する方が容易いのは事実です。黒髪のアニーサに捧げたられた詩は標的・・・失礼、新たなパトロンと願った女性の髪色に変えられて恋文として再利用とされました。それを知ったアニーサは怒ったに違いありません。恋人のこれまでの行いを許していた彼女ですが、この詩は自分だけの存在、グメン氏の本当の恋人である証であったのです。それほど大事な詩の一部書き換えて他の女性に捧げるなんて耐えられなかったのでしょう!」

「それで、グメン氏を殺したのですか?!」

 ゼノー夫人の質問に答えたナーシアは敢えてグメンの標的となった女性の名前を出さなかったが、話の内容からこの事件に自分が絡んでいることを察したマクギス夫人が結論を確認するように問いかける。グメンは以前から彼女に色目を使っていたのだろう。

「いえ、その証拠はまだありません。・・・私はグメン氏の死は事故だったと思います。もし、アニーサが殺害しようとしたのならば、彼の部屋で行ったでしょうから。すいません、少し話を戻させて頂きます。グメン氏は恋人であるアニーサを使って今日のサロンに集まった・・・あるご婦人に手紙を届けさせようとします。自分で渡すには目立ち過ぎますからね。その際、手紙の内容を知った彼女は先にあげた理由で激怒し、衝動的に羊皮紙にインクをぶちまけます。そして、これまで我慢していたあらゆる感情が堰を切ったのでしょう。彼女は自分達の関係をゼノー夫人に打ち明けるとして彼の部屋を出て行ったのです。この事実をゼノー夫人に知られればグメン氏は今の生活を失うことになります。なので、必死にアニーサの後を追い掛けます。この時彼は短剣を持って行くのを忘れませんでした。そして階段前で恋人に追いつくと口封じを計ろうとします。今、この場の私達からすれば利口な方法とは思えませんが、追い詰められた人物は何をするかわからないものです。アニーサが抵抗したか、グメン氏には戦いの才能がなかったのか、彼は階段から転げ落ちて利き手の右手で持っていた短剣を自分の左胸に刺してしまい・・・それが原因で絶命したというのが私の見解です」

 語り終えたナーシアに合わせるように部屋にいる女達は身分に関係なく溜息を溢した。彼女の見解はあくまでも推測に過ぎないのだが、これまで明らかになっている状況を説明するに充分な説得力を持っていたのだ。

「真相は・・・フォルクス様と衛士隊の方々が究明して下さるでしょう・・・」

 ナーシア自身も深い溜息を吐くと、男に運命を狂わされた憐れな女性アニーサに同情を寄せたのだった。


「あなた方のお蔭で事件は思っていた以上に早く解決することが出来ました。それで、結果の報告とお礼を伝えに出向いたわけでして」

 グメンの死から五日後、衛士隊の下士官であるフォルクスがその後の展開を説明しに〝白百合薬店〟を訪れていた。

「いえ、そんなこと・・・同じ女だから早く気付いただけのことです。フォルクス様ならご自分のお力だけで解決出来たはずですわ!」

「ははは、そういって頂けると私の面子も保てて助かります」

「では、あの女性アニーサはどうなりましたの?」

 ナーシアはフォルクスをカウンター席に案内すると、社交辞令を早目に切り上げて本題に入る。彼女はフォルクスがその見た目によらず有能であることに気付いている。下手な探り合いは無用と判断したのだ。

「まあ、それについては順を追って説明しましょう。まず、私から一つ質問をよろしいですかな。なぜあの二人が兄妹ではなく恋人同士だとあの段階で見抜けたのですか?」

 結末を問い掛けるナーシアに最後の確認とばかりにフォルクスは逆に質問を浴びせる。

「・・・消去法とやはり女の勘ですわ。屋敷内部の者が関わっており、グメン氏の部屋にあった詩を読める者とすれば数は限られますし、あの詩からすると美しい髪を持った女性であるはずです。私の目からすると褒めるほど美しい髪を持った女性は知る限りアニーサだけでした。それにあの手の男は見境がありません。兄妹ならばある程度親しくしても不自然ではありませんから、良い隠れ蓑になります。また、私の勘が外れていたとしても詩が書かれた羊皮紙にインクをぶちまけた人物です。あの場で詩を聞かせれば必ず動揺するだろうと思っていました」

「なるほど・・・まあ、詩を聞かせれば下手人が動揺するというのは私も気付きましたが、いやはや女の勘とは恐ろしいですな!あなたの推測どおりアリーサは自分とグメンは兄妹ではなく恋人同士だと自白しました。これにより殺人の動機がはっきりしたので、追及したのですがグメンの死は事故だったとも主張しました。階段で肩を掴まれた彼女はそれから逃げようとしたところ、グメンが誤って階段から落ちたそうです。助けようとしたそうですが、胸に刺さった短剣を見たらどうして良いはわからなくなって逃げたと言っています。その後は怯えながら真実を打ち明ける機会を探していたとか・・・」

「もちろんそれを全て信じたわけではないのでしょう?」

 一度言葉を切ったフォルクスにナーシアは合いの手を入れる。

「ええ、当然ですね。私としてはこの証言の矛盾点から殺人の自白に繋げようと捜査したのですが、彼女がグメンを殺した決定的な証拠は見付けることが出来ませんでした。凶器の短剣はグメンの所有物でしたし、正面から胸を刺されていますが、優男とはいえグメンが体格で劣る女性に簡単にそれを許すとは思えません。また襲われたのだとしたら屋敷に向かって助けを求める声を上げるはずなのです。ゼノー夫人の庇護を失う不安から焦っていたと思われますし、むしろ事故死の信憑性が高まっただけでした。それに・・・」

 そこでもう一度言葉を切るとフォルクスは重い瞼を開くようにナーシアを見つめる。

「それにですね、これは大きな声では言えないのですが・・。上の方からこの事件に対して圧力が掛かったのですよ。事故死として早く幕を引けとね。まあ、私も九割の確率で事故だとは思うので、それを受けて決着をさせたのです」

「ゼノー夫人は領主様ともお近い方ですので、そういうこともあるかもしれませんね・・・」

「ええ、そういうことなのですが、誰かがアニーサに対して同情的になるように仕向けたんでしょうね。いわば彼女はろくでもない男に利用されていたわけですから。背景を知れば誰でも気の毒と思いますよ」

「お節介な人がいるものですね・・・それで可哀相なアニーサはどうなったのです?釈放はされてもゼノー夫人の屋敷にこれからもお仕えするわけにはいかないのでは?」

 フォルクスのさり気ない追及にナーシアは惚けながら話を促した。彼女がゼノー夫人達に聞かせた話はあの時点ではあくまでも推測に過ぎないのだ。

「・・・グメンに強要されていたといえ、ゼノー夫人を騙していたのは事実ですからね。アニーサは屋敷を出ましたよ。ですが、偶然新しいメイドを探していた栗色の髪を持つご婦人に雇われました。運が良いのでしょうね」

「それを聞いて安心しましたわ!」

 フォルクスも話の最後はわざと惚けたように苦笑しながら結末を伝える。直接的に訴えたわけではないが、ナーシアがゼノー夫人達にアニーサの境遇に寛大な処置を施すよう働き掛けたのは間違いない。彼女は今回の事件において早い段階でその真相を見抜いただけでなく、悪い男に利用されて殺人の容疑が掛けられた一人の娘を救ったのだった。

「まあ、私としても多少の順序は省かれましたが、事件の解決には安堵しています。ただ・・・団結した女性は敵に回してはいけないと、自覚しましたよ。私もかみさんには今まで以上に気を使うことにしました。ではこれで・・・また何かありましたらその時はよろしくお願いします!」

 フォルクスはそう伝えるとやって来たように飄々と去って行った。

「なんとか丸く収まったみたいだね」

 店の奥で話を聞いていたリーアはナーシアに語り掛ける。彼女にとってアニーサは他人だが、同じ黒髪を持つ身としてその処遇が気になっていたのだ。

「ええ、上手く収まったみたい。ところでリーア、あなたもその黒髪を褒める男が現れたら気を付けなさいよ!あなたは男には興味ないって言っているけど、そう嘯く女ほど簡単に男に惚れちゃうんだから!」

「そんな!あたしは大丈夫だよ!前にも言ったでしょ、自分より弱い男には興味ないって!それにあたしの髪はあの娘みたいに綺麗な艶のある髪質じゃないし!」

「ふふふ、大丈夫!私特性の化粧薬を使えばもっと艶が出て来るわ!沢山作ったけど、あの事件のせいで売ることなく余ったからね。あなたも使いなさい!これは肌だけでなく髪にもいいの!髪を洗った後に人肌で軽く暖めてから薄く伸ばして頭皮の地肌に・・・」

「ああ、そういえば!そろそろシエラがやって来るから、煎じ薬の作り方を教える準備をしないと!」

 化粧とその技術には並々ならぬ熱意を持つ姉の言葉から逃げるように、リーアは奥の部屋へと引っ込んだ。この話が始まると長くなるはこれまでの経験で明らかだ。綺麗な髪には憧れるが、焦って女としての魅力を高める必要はないとも思う。今のリーアにとっては姉を始めとする身近な人物に囲まれる今の生活こそが大事なのだった。


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