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うつくしい二つの人形  作者: あさぎ
一章 人形は歩き出す
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5.自由のない世界を所望する

 


 アラン様は私の視線に気づいたようで、すぐにまた元の穏やかな表情に戻った。


「だけど、そうだとしても……これで良かったと私は思っているよ。あんなひどい生活続けてて、どのみち長くは生きられなかっただろうし」

「……」

「それはそうと……こんな小さな田舎町の事件だ。平和すぎて、町の誰もが新しい刺激に飢えている」

「……?」

「君、一刻も早くここから逃げた方がいい。そろそろあの出来事が町の人達の耳にも入ってくる頃だ……きっと野次馬達が大勢ここに集まって来る。だからほら……好奇の目に晒される前に、早く逃げるんだ」




 ほら!と言われて背中を軽く押されるも、それでも私は動かなかった。

 動かないどころか、あまりにも急かしてくるのでわざとストンとその場に座り込んだ。


 ここから違うどこかへ移る気なんて全然ない。

 どこへ行ったってまた現れるであろう次の苦しみの渦に、また自分から突っ込んでいく気力なんて全くなかった。


「それでも逃げないか……まさか君、ここで働きたいとか?」

「……」

「それも違う、と。むむ……」


 うんともすんとも返事のない私に、完全に困り切ってしまったアラン様。


 眉を顰めて悩む顔すら美しく、伏せられた長いまつ毛はまるで芸術品のようだった。


「う〜ん、そうだな……何か足りないのかい?ここにある物で何か欲しいものがあれば、なんでもあげるよ。遠慮なく言ってくれ」

「……」

「町で働くつもりなら……ちょっとしたお金と、綺麗な服、仕事がなくてもしばらく過ごせる分の食料を渡そう。もし隣町とかどこか遠出するなら、その馬車代も出してあげよう。どうかな?」

「……」

「君は何が欲しいんだい?」

「……し……す」

「うん?」

「……です」


 いくら意識しても掠れた小さな音しか出てこない。


 常に無言で黙々と働いてきて、ここでようやく久しぶりに使われる私の喉。

 発音の方法すらすっかり忘れてしまって、もはやたった一言を捻り出す事すら難しくなっていた。


「すまない、もう一度言ってくれるかい?」


 どうにか聞き取ろうとして、アラン様はしゃがみ込んだ。

 座ったままの私に合わせるように。


 しかしそのおかげで端正な顔が至近距離まで近づいてきてしまった。


 私の心臓は耐えきれず、すぐに大きな悲鳴を上げた。

 それもドキッ!でもトクン!でもなく、シンクに熱湯を掛けた時のようなボゴン!だった。


 びっくりしたなんてもんじゃない……正直ここで死ぬと思った。

 心臓が破裂して一瞬で絶命するんじゃないかと、本気で思ったくらいだった。

 比喩でも冗談でもなくて、本当に。


 できればこうする前に、数秒でいいから心の準備をさせて欲しかったのだが……きっとこれは彼にとって無意識なのだろう。




 当の本人、アラン様は柔らかい眼差しで私をじっと見つめていた。

 ゆったりとした雰囲気をまとい、怯える野生動物を優しく宥めるかのように。


 とはいえ、それはそれでかえって余計に私を緊張させているのだが……おそらく彼は分かっていないのだろう。




 胸に片手を当て、騒がしいままの鼓動をどうにか抑えながら、唾を飲み込み喉を潤す。


 このままではいけない。

 奴隷から解放されたとはいえ、相手は屋敷の主人。

 そんな人から質問を受けている以上、ずっと無視し続けるのはさすがに失礼にあたる。




 やはりここは、もう一度大きな声で正直に言うべき……か?


 いや待てよ。


 やはり駄目だ。

 拘束して欲しいだなんて言っていいものか……いや、駄目だ。


 さっきから頭を離れないその気の迷いが、余計に声を絞らせていた。




 本当にここで本音を言ってしまうべきか。

 やはりやめておくべきか。


 私の脳内で会議が始まっていた。


『本当の気持ちを打ち明けたところで、どうせ何の対策もない。いくら聡明なアラン様だって、そんなの伝えたところでただ困らせてしまうだけだ』


『苦しい環境が居心地いいだなんて……そんな事を大真面目に答えたところで、ただ頭のおかしい奴だと思われて終わりじゃないのか』


『いや、待てよ。でもそれなら……むしろ、ここで気持ちを打ち明けてしまってもいいのかもしれない。扱いに困ったり気味が悪くなったりしてどのみち私から離れていくのなら、言っても言わなくても変わらないんじゃないのか』


 そうだ、それがいい。そうしよう。


 方針は決まった。

 あとは勇気を振り絞り、声量を上げるだけ。




 軽く深呼吸。


 そしてまた一回唾を飲み込み、お腹に力を込め、カラカラの喉に鞭打って少し強めに声を振り絞った。


「アラン様!」

「うん?」

「私は……私は……『束縛』が、欲しいです……!」

「……っ?!」


 アラン様の目が丸くなった。

 驚きのあまり、声も出ないようだった。


「私を拘束して欲しいのです。今までと同じように狭い部屋を与えられて、ひどい扱いを受けて、きつい仕事を強要されて……そんないつも通りの息苦しさで安心したい」


 彼は二、三度瞬きをしたが、声はまだ戻ってこないようだった。


 それもそうだろう。

 せっかく逃がしたはずの奴隷が、また元の生活に戻りたいだなんて言うのだから。


「アラン様。これは嘘偽りない私の本当の気持ちです。私は自由のない世界が欲しいのです。以前のように、支配下に置かれた環境が欲しいのです。そうすれば何も考えずに過ごせるから、苦しまずに済む……」


 アラン様はまだしばらくポカンとされていた。

 開いた口が塞がらないとはこの事だろう。


 何を言っているのか分からないといった感じで……かと言ってそんな感情を表すうまい言葉が見つからず、わずかに口を開いたまま目の前の私を見つめていた。



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