籠の中の戦闘姫 2
それから、1週間の間、久しぶりに、デルタに自由な時間が与えられた。ただ、自由な時間が与えられただけで、屋敷の外に出ることは許されず、屋敷の中でも、首輪とリードを付けた状態で、決められた部屋に入ることだけを許された。
「デルタ様、時間が来るまでは、気にせずに過ごしてください」
「ありがとう。マリー。」
「いえ、お気になさらず。お昼ご飯ができましたら持ってきますので、ここで過ごしていてくださいね」
その中でも、デルタが長い時間を過ごしたのはフォーディン子爵家では、物置としても使われている図書室だった。デルタは、図書室の中で、様々な本や資料を読んだ。ただただ、失ったものを詰め込むように読み漁った。その日も、図書室で、デルタは、帝国に上げられた地方都市の報告書の副本を読んでいた。そんな折だった。
あれ?人がいる?
デルタは、驚きを持って、そちらを見た。壁によりかかるように、赤い衣装を身に纏った人が、何か本を読んでいるようだった。逆光で顔も見えないけど、きっと、きれいな人なのだろうと、気配から感じた。
この図書室に、自分以外の人がいることはまれだったから、少しうれしさと、いつの間にいたのだろうかという、不気味さを感じながら、デルタは、その人を観ていた。不意に、その人が、本から目を離して顔を上げた。
「あら、邪魔してしまったかしら?」
「いえ、そんなことはないです。ただ、初めてのことだったのでびっくりしただけです」
若い女性の声だった。フォルフォード子爵家の図書室には、似つかわしくない、凛とした声。デルタは、ブンブンと首を振った。
その女性は、微笑みを浮かべて、デルタの真向かいに座った。薄暗い部屋の中に溶け込んで、女性の肌の色がわかることはなかった。
「あら、どうしたの?」
物珍しそうに見つめる、デルタに、女性が微笑みかける。すっとした、手が、一見ポニーテールのように見える形にまとめた髪をなぞった。軽い何かがぶつかるようなさわやかな音が響いた。初春のまだまだ寒い時期にそれは、部屋に澄んだ音を響かせていた。
その音すら気が付かないほどに、デルタは、女性のことをまたまじまじと見つめた。
「私が、何か珍しいの?」
その声に、デルタはブンブンと首を振る。
「いえ、この部屋に人がいるのが久しぶりすぎたので、驚いただけです」
その声に、その女性は、微笑むと、デルタの目の前に座り、手に持った本を、自分のバッグにしまい込んだ。
「ここなら、ゆっくりと読書ができるから好きだったんだけど、かわいいお客さんがいるから無理なのかもね。ねえ、あなたは、この家の人?」
そっと、デルタの手に、その人の手が置かれる。デルタの色と違う、黒い色の手から、確かな暖かさがつたわる。初めてのことで困惑してしまったのだろうか。
「あ、あの……」
その人の手の下から、蒼い光がこぼれた。接続部が、どうやら露出してしまったらしい。感情が昂ってしまった。
失敗した。
初対面の人に、一番見られたくないものを見られてしまった。人とは違う私を見られてしまった。デルタは、表情を硬くしたが、それは、この薄暗さの中でも、相手に伝わったらしい。その女性は、一瞬驚いたような表情こそ浮かべたものの、微笑みながら、私の接続部を優しく撫でていた。
「あ、あの?こ、怖くないのですか?私人と、こんなに違うのに……」
その声に、その人は、優しそうに微笑んだのだと思う。
「頑張っているなって、思っただけよ。私も、いろいろあったからね。だから、このくらいのことでは、あなたにどう思ったりはしないわ」
「そ、そうだったんですか?」
女性の口から、かすかに笑い声が聞こえた。
「あなたは、かわいいし、それに、今は気が付かないかもしれないけど、きっと心の奥底には、勇気がある。その行動が、皆を助けてくれる。そして、あなたを助けてくれるわ」
デルタは、それを意味が分からないというように首を傾げた。女性は、その微笑みのままに、デルタの両手の接続部に触れる。
「もう、明後日には、ここから出ないといけないのでしょう?」
デルタは、その通りだと、思わず、うんうんと頷いた。もう、昨日から、部屋の掃除を始めていて、少ない私物なんかも全部処分してしまっている。残っている物はほんのわずか。それも、今日、捨てる予定だ。この家にデルタがいたという足跡は何も残らない。それを察したのか、女性は、デルタの手を包み込むように握りしめると、その手に力を込めた。
「デルタ。だからね、今から、大事なものを返してあげるわ。」
その意味を解らないままに、デルタは、その手を受け入れた。接続部から、強い光が漏れて、図書室内を覆った。
「デ……デルタ様……デルタ様」
「う、うん……」
デルタは、気だるい体を机から引きはがした。何もない机の上、そこに突っ伏して寝ていたらしい。
「あれ?資料がここに置いてあったと思ったのだけど?」
「寝ぼけていらっしゃるのですか?もうすぐ、お昼ですよ。一度お部屋までお戻りください」
デルタは、あたりを見回すが、そこには、自分以外がいたような形跡を見つけることはできなかった。
「ねえ、女の人が、ここから出て行かなかった?」
「いえ、ここに入ったのも、出たのも、デルタ様だけですよ。やはり、寝ぼけていらっしゃるようですね」
「ごめんなさい、マリー。ちょっと緊張していたみたい」
マリーは、そんなデルタに微笑みかけると、そんなこともありますよと言うと、準備ができたら、部屋の外に来てくださいねと言い残して、図書室から出ていった。
それを、デルタは見送って、そっと、立ち上がり、机や椅子を手に持っていた乾いた布で拭いていく。
「ふぅ」
噴き上げると、布を小さなカバンに直して、そこから、ハンカチーフを取り出し、額に当てる。
その時だった。
「あれ?」
手の平から、今まで嗅いだこともないような、甘い香りがした。デルタは、香水というものを見たこともないし、そういうものを使ったことはない。でも、その甘い香りから、やはり、誰かがいたのだろうと、直感的に感じた。
でも、それ以上の探索は、無意味に感じて、図書室を後にした。
デルタの食事は、家族の集う食堂ではなく、近くの従者たちの休憩室で取ることが許されていた。デルタの目の前には、湯気を上げているオートミールと、茹でた根菜と少しの鶏肉、そして、小さなお菓子が置かれていた。
「え?これって?」
デルタは、昨日までの冷めて冷たい食事と大きく変わったような気がして、小さく驚いた声を上げた。
「デルタが、ここに来た日がいつだったか覚えていますか?」
「ううん」
「3年前の今日だったよ。『愛の仔』として、この家に来て……まあなんだ、いろいろあったな」
料理人のおじさんが、優しそうな微笑みを向けた。マリーが、よく頑張ったねと声をかけてくれる。
「でも、わたしは、もう、」
「知っているさ。俺たちには止めることもできないけどな。だが、何か、憶えておいてほしいと思ってな」
「こっそりと準備していたの。さあ、食べて」
デルタは、うんと頷くと、おそるおそる食事に手を付けた。その食事はとってもおいしくて、とっても楽しかったのに、少しだけしょっぱい味がした。




