籠の中の戦闘姫 1
全身の倦怠感がある。それは、微熱のようで、衰弱なのだろうか?
身体は、ただただに重く。起き上がることすら億劫で。目を閉じればきっと楽になる。でも、誰かが声をあげている。
私は、ここで倒れているわけにはいかない。起き上がらないといけない。
「……わたしは……」
ゆっくりと座り込む。裸だ。それを気に留めることもなく、目の前にそびえる大きな機械を見上げた。そこから、水が流れ落ちている。それがまるで血のように感じていた。
それをぼうっと眺めていた私は、その胸の奥から感じたこともないような、それでいて懐かしいような感情が迸るのを感じた。
「行かなくちゃ。皆が……早く……行かなくちゃ。わたしは、……デルタ……12……。っ、な、なんで。何も思い出せないの?」
歯がゆく頭を振って、気を確かにして、ゆっくりとあたりを見回した。そこには、銀のドレスが鎮座していた。這うような速度で、まるで縋りつくようにそのドレスに触れる。ペタペタと、触れる。金属のようでありながら、なぜか微かな温かみを感じる。うねるような微かな熱が何かを伝えているようにも感じる。ただ、それがわたしに伝わることはなく、ただ少しずつ
その熱が消えていくような気がしていた。
記憶は曖昧。でも、触れれば触れるほどに、このドレスから感じる。感じる意識は一つになっていく。
「持っていかないと。これ、大事なもの。みんなの……寒い……」
目の上には、大きな穴が開いている。そこから空が見えている。空からは雨が降っているのだろう。水滴が目に飛び込んできた。それをぬぐう気にもなれない。ただ、只にそれがうれしかった。
「空が見える。……ああ、うれしい。あいにくの天気だけど……うれしいよ」
雨に負けないほどに涙が、頬を伝う。何の覚えもないその小さな体に、得も知れない感情が沸き起こる。
その後、わたしは無事に地上に出たところを、警邏中の警備兵につかまり、ドレスは没収されて、孤児院に入れられた。
孤児院では、私一人で過ごしていた。ただ、その時間は不意に終わりを告げた。
帝国で布かれている、『愛の仔法』。記憶も何もか失っていたわたし。その何物でもないわたし。デルタ12は、あっという間に、ある貴族の養子としてその家に入ることなった。
その家の名を『フォルフォード家』と言った。
それから、しばらくの月日が過ぎた。
「お空見たいな……」
日の加減から、もう、太陽が南中しようとしていることは、少女にもわかっていた。
しかし、天井には、採光用の天窓に擦りガラスがはまってる。そこから太陽の光こそ届くものの、空を見ることはできなかった。
いつからだろうか、少女は、屋根裏の4畳半ほどの一間にひっそりと隔されるように閉じ込められていた。
時折、きれいな服を着せられて、階下に降り、監視付きで屋敷の周りを歩くことは許されていた。ただ、それは、外を歩くというのには短く。そして、その歩く場所からは行きかう人も、本で読む大きなお城も、きれいな大聖堂も見えなかった。
それでも、少女は空を見上げることもできない。たいてい、屋敷の周りを歩くのは、くもりの日だけだったから。
ドン ドン
「デルタ?いるのでしょ」
「はい、養母様おります」
外からカギがかけられているのに、出られるわけがない。デルタはそう思いため息をついた。このドアから聞こえてくる言葉は決まっている。それでも、デルタは願いたかった。
「――残り一週間ね。貴女が私たちの家族を名乗れるのは。今まで大変だったわ」
聞こえてきた声は、いつもの通りだった。なぜ期待したのだろうと、デルタ12は考えた。ただ、その言葉をおくびにも出さず、1週間と言われた意味を考えた。
『愛の仔法』20年前に制定された貴族法の一つである。帝国貴族の義務の一つ。臣民保護の一環として、捨て子の養育を定めたものである。当初は、困惑の声も出たが、報奨金の制定がされたことで、それは、貴族の中でその義務に賛同するものが増えた。貧乏貴族は、報奨金目的に自らの許容範囲を超えて捨て子を受け入れるものもあらわれた。
余談だが、子供が泣いたときに、貴族様のところに出すよというと泣く子が黙る。という噂があることからも、この制度の実態が分かるというものだが。
ただし、それも、13歳の裁定の儀の間まで。
登録された市民はすべて、13歳になったとき、魔力や、魔力回路の判定のために、教会で裁定の儀を行っている。
「とても大変だったわ。あなたのこと」
「ごめんなさい」
「……。でも、……。それはいいわ。もう、次の子が決まってるの。メルセス公爵家の子供よ
寄る辺のないあなたを最初に受け入れて、……。時間がかかったわ。……。」
メルセス家。貴族名鑑で呼んだことがある。元大帝国の名家でこの小帝都と呼ばれる街の主代を賜るほどに忠義に熱い家という知識はあった。特に『愛の仔法』の意向に賛同し、多くの家無き仔らに自らの営する別宅での生活を保障していることから、慈愛の家系とも呼ばれ、内外から高く評価されていると言われている。
当然デルタは知らない話だが、食事を持ってきたメイドに「何か変わったことはない?」と聞いたとき、同情と憐憫に満ちた視線を受けた。
このことだったのかと、デルタは、ようやく少し胸のつかえがとれたような気がした。
「そして、デルタ。あなたにもいいお話よ」
「私にも?」
「ええ、この裁定の儀が終わったら、帝立学園に入れてあげるわ……。」
「えっ?」
デルタは、まったく理解できないという声を上げた。貴族の集まる学園に、入る?自慢ではないが、登録市民として受けるべき教育は受けているが、それ以上は何もできない。そもそも、
これから『愛の仔』を受け入れるフォルフォード家に、学費などはらえる見込みがあるはずもなかった。
それに一抹の不安を感じたデルタは思わず口を開いた。
「私が?学園に?あの、お義母様、差し出がましいですが、わたしを学園に入学させるなんて……」
「だれが、入学させるといいました?あなたは、学園の実験棟で、ある方の被験体になるのです。生かされる道が見つかってよかったわね。……。」
デルタはぎゅっと小さな手を握る。デルタには、人とは大きく違う体質が2つあった。
1つは、”魔素吸収体質”。空気中の微細な魔素を吸収する体質が、デルタには備わっていた。とはいっても、その魔素の吸収自体があまりに小さく、使いどころがない機能だった。
そして、もう1つは、”接続部”。普段はからは見えないが、体のいたるところに、体内の魔力に同調する何らかの仕組みが刻まれていた。しかし、そのせいなのか、デルタは魔法を一切使うことができなかった。
「あなたにできることを当家として行いました。……お礼を言いなさい」
「お義母様。ありがとうございました」
「……。」
少しの時間の後、立ち上がる音。義母の足音が遠くなっていくの感じると、デルタの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。拭っても、拭っても止まらずにあふれてくる。
「うぇぐ、」
簡素なベッドに顔をつけ、デルタは声を押し殺し泣いた。
とん とん
「デルタ。おりますの」
デルタは声をかけることもできなかった、ドアの外にはきっと、メアリがいる。こんな時に声を出せば、きっと泣いていたことがばれてしまう、
「少しだけお話をしたいことがありますの。よろしいかしら?」
「?……メアリ?」
いつものメアリと違う?こんなに優しく、わたしを心配してくれいている。デルタは、顔を上げて、ドアに近づいた。
「メアリ。話って」
「……。あら、いましたのね。1週間後のことを少しお話に来たのですわ。その、その日が、私たちが家族でいられる最後の日ですし、それに、審判の日でもありますわね。……。デルタは、審判の日はご存じ?」
「審判の日……」
「そう、審判の日ですわ。その日は教会で皆が魔力の量と精霊との誓約を行うの。昔は、自らの天恵を得る場だったのだけど、それを皇帝様が変えたの。人はギフトに縛らず、自らの力で生を得る権利があるってね。だから、その日に……」
ああ、まだ道は開けていたんだ。とデルタはかすかな希望を持つことができた。そう、その日は、審判の日だ。その日に希少な力に目覚めることができれば。私は、もしかしたら、もう一度皆に見てもらえるかもしれない。
皆……。
「メアリお義姉さま、慰めてくれたの、ありがとう。わたし、もう少し希望をもって頑張ってみる」
「……。か、勘違いしないでよ、デルタ。私は、義妹のあなたに、そんなことを言いに来たんじゃないの」
「え?」
今までの優しい声色は消え、いつもの見下すような声が、ドアの向こうから聞こえてきた。
「……。独り言を言いに来たと思われるといやだから、待ってたのよ、甘い言葉にあなたが何の考えもなく近づいてきてくれるのを」
「メアリ?」
「どこの生まれとも知れないあなたに、聖女の力なんて宿るはずないでしょ?ほかの希少なもの持っているわけないでしょ。……。だから、だから、明日の結果なんてわかっているのよ。」
嘲笑うような笑いがドアを挟んだ場所から聞こえる気がした。
「ほんと、鈍いみたいだから言っておくけど、あなたと契約する精霊がいるわけないでしょ。……。」
デルタはメアリの冷たい言葉に反応も、反論もできず、ただ、ドアの前で立っていることしかできなかった。しばしの笑い声の後、ようやくに飽きたのか、メアリの声が再び聞こえた。
「デルタあなたは、少し夢を見すぎ、いや、……。何もわかっていなかったのね」
その低い声に、思わず、デルタはしりもちをついた。
「デルタ聞いたでしょう?帝立学園に実験体として参加させるって。……。実験体さんは、実験棟で一生を終えて、私は聖女になって皇帝陛下や貴族の皆様に愛されるの」
「ふふっデルタにはわからないと思うけど、聖女教育ってものすごっく疲れるのよ、ストレスもたまるし、ありがとうすっきりしたわ。……。では、っふぅ……。ごきげんよう。」
デルタは、もう、そこから動く気力もなくなり、夕飯を侍女が持ってくるまで、泣きながら、床をただただ、ぼんやりと眺めていた。