幕間
「う、う~ん。終わったわ」
アリアは、自分のオフィスの中で、思いっきり体を伸ばした。たまった書類をかたずけるのにずいぶんと時間がかかってしまった。昨日の昼から取り掛かった作業は、わずかな休憩をはさみながら、夜を越え明け方まで続き、気が付いたら東の空は明るくなり始めていた。
「さて、あとは、今後の作戦立案書とデルタの研究報告書の作成だけね。少し休憩したら、明日の朝には終わりそうだわ。その後は、イベントまで、当面休暇ね。今週末にはあっちに戻れそうだわ。
ふふ、デルタ、退屈していなければいいけど」
アリアは、机の上に置いてあるタンブラーに手を伸ばす。金属の質感を持ったそれは、保温性が高くて、とても軽い素材で作られている。大倭で作られたそれを、アリアはとても気に入っていた。蓋を開けて、タンブラーから、コーヒーがのどに落ちそうなそんな時だった。
「大変です。アリア技術大尉!すいません、アリア特務技術少佐!」
そのオフィスに駆け込んできたものがいた。リリムだ。慣れ親しんだ以前の階級でつい呼んでしまうほどに切羽詰まっているらしい。せっかくのティータイムを邪魔されて、一瞬アリアは訝し気な視線をリリムに向ける。だが、いつもは冷静なリリムが、これほどまでに慌てているのはただ事ではないと感じ、タンブラーの蓋を閉めた。
「リリム上級医官。どうしたのですか?いつもは先触を出すあなたがそれほどまでに焦った行動を行うなど……珍しいことですね」
リリムに着席を促す。リリムは、頷くとサブテーブルをかたずけると、手に持ってきた資料を並べていく。几帳面なリリムらしく付箋と小さなメモだらけになった、それは下位軍人用の情報共有紙だった。 リリムは、マーカーと注釈と付箋がべったりとつき元の紙面の2倍ほどに膨れ上がったその紙面をめくり、目的のページを見つけ出しアリアに示す。
「こ、これを見てください!」
アリアは、提示されたページに目を移す。そのページは、全体行動のスケジュールのようだ。医官としては、長期の作戦行動では、部隊同行を命じられることも多い。しかも、その作戦内容が機密にあたることも多いため、その命令は直前になってから下されることも多い。医官の第一歩は、怪しいスケジュールから直近のイベントを見破ること。とまで言われるほどに、スケジュール確認は、リリムにとって、怠ることはできない重要なタスクである。
「スケジュールなんて見せて何かの作戦行動の確認なの?作戦行動には機密が含まれるから、口外できる情報は少ないわよ」
「いつもなら。そうですね。で、引き下がるのですが。そんなことを言っている場合じゃないんです。来週に予定されているスケジュールなのですが、あの悪名高い第三工兵隊の出撃が予定されています。しかも、その前日には、第八保管庫封印解除を第三工兵隊が行うとあるんです」
第八保管庫。帝国軍が、想定される外敵に対抗するため開発拠点。または、その外敵を想定した装備が保管されている。ただ、現在の魔属領の軍に自由に利用できる権限はなく、辛うじて完成した装備を使用することができる。だが、ただそれだけのことでも、極めて複雑で煩雑な承認手順を踏む必要がある。
「第三工兵隊が、想定外の外敵に備える様な行動を行う行動権限を持っているなんて聞いていないわ。本営からの命令だとしたら……少し待っていて」
アリアはそういい、立ち上がると、自分のデスクに向かうと、士官用の情報共有紙を取り出す。リリムの待つ応接セットまで戻ってくる。席に戻ると、目の前には、にやけているリリムの顔があった。ううん。っとアリアは咳ばらいをすると、いつもの命令を行う。
「リリム医官は、アリア特務技術少佐の執務補佐中に偶然にも士官用の作戦行動書のページを確認しました。アリア特務技術少佐は、リリム医官に、得た情報を規律に沿い取り扱う様に命じ、自らが知りえる情報を共有することを許しました」
いつもの文言。だが、今日の意味は違う。今日確認しようとしている情報は、全く他の部隊。技術・医術科の情報ではなく、工兵科の情報になる。
二人は、視線を合わせると山のような情報の記されている本営の作戦行動所に目を通し始めた。
「見つけました……」
「見せて!」
アリアは、リリムからそれを奪い取るように受け取ると、まるで紙面に穴が開くのではないかと思うほど、食らいついて見始めた。その間、リリムは心配そうにその様子を見定めていた。
「……本当に……そうなのね……」
アリアは、疲れたように、紙面を机に放ると、椅子に深く腰掛けなおした。それを、あなたも読みなさいということだと、解釈したリリムは、それを手に取り目を通していく。その間に、アリアは一度デスクに戻り、自分のタンブラーと、リリム用にコーヒーを淹れてくる。
「……デルタちゃん大変なことになっているみたいですね……」
リリムの口から出た言葉はそれだけだったが、その口調からは、心配しているような雰囲気がありありと伝わってきた。
「オルテガ上級工兵は?」
「オルテガ上級工兵なら、いま、ライト情報準佐と演習に出てます。明日の朝には帰りますよ。明日か……明日まで行動が起こせないなんてもどかしいな」
研究棟の部屋は、この1か月ほどは夏季休暇で閉めてある。小帝都のこの場所に出向班の全員がそろっていることが、幸いなことだった。
「現地の指揮を執っているのは、グリフ中尉だったわね」
「はい、そうです」
「では、その上官に緊急連絡。戦闘姫に関する報告を元帥へ行うので、同行を願うと」
その言葉に、ぱっとリリムの顔から微笑みがこぼれた。
「今日から動いていいのですね。了解しました」
リリムが敬礼して出ていくのを見送る。少しの時間まるで逡巡するような、表情を見せていたアリアは、自分のデスクに戻り、カギを掛けていたデスクの引き出しを開ける。そこには、1冊の分厚い本が置かれていた。それをそっと捲る。そこには、オレンジ色のドレスを身に纏って、空を飛んでいる戦闘姫の姿を記した写真がいくつも張り付けてあった。
「デルタ、ごめんなさい。護ってあげると言いながら。こんなことしかできなくて。
でも、こんなことしている場合じゃないわ」
アリアは、デスクに戻ると、先ほど書き始めたばかりの研究報告書と作戦立案を仕上げる。さらに追加の報告書並びに行動立案を行い、それをまとめる。さっき朝だった執務室にはすでに夜のとばりが深く入り込んでいる。その瞬間だった。不意に本営より連絡が入った。
≪元帥が、それに対して興味を示している≫
その短いメッセージを確認したアリアは、表情をまるで戦場に行くように、ぐっと引き締めると、オフィスから、ドアを開けて戦地へと歩き始めた。




