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ビガナ通りへと出てさっそく悠馬はげんなりと、先を歩くアダルを見やった。
扇情的な衣装を身に着けた女たちが、親しげにアダルに声を掛けていく。それも、何人も。
「もう! どうして最近来てくれないの?」
だのと甘えた声をだし。
「あら、久しぶりね。今日はお友達も連れて来たの?」
とか。どう見てもそういう商売の女性ばかりだ。
纏わりつかれているアダルは嫌な顔などするはずもなく、へらっと笑って「今日は仕事だから」と適当に受け答えをしている。
ここはいわゆる裏界隈で賭場や娼館が集まった地区だ。治安が良いとは言い難く、こちらの夜警の担当に警官であるアダルが加わるのは順当なのだが、あちこちに知り合いがいるようで少し釈然としない。
一緒に廻っているアゲルは「お盛んだな。俺も若い頃は中々だったんだぞ」とにっと悠馬に笑って、客引き女に鼻の下を伸ばしている。
条件反射的に柔らかそうな腰に目をやりつつ、女たちの間を通り抜けて悠馬はなんとなくため息をついた。
「なんで人間は人間なんだろう」
ぼそっと呟いた日本語に、アルゲがなんだ? と顔を向ける。
「『孤立した自我欲動』とのたたかいについて考えてた」
「ユーマの言葉は意味がわからん」
「……だよね」
賭場前で酔っ払い同士の喧嘩騒ぎがあり、アダルベルトが仲裁し一応近くの詰め所に酔っ払いを連行した。そのほかは特に目立った問題もなくビガナ通りから三人は抜けた。
そして細い路地裏を通って「一旦会館へ戻ろう」とアルゲが言い、三ツ又でそれぞれ別れて先に進んだ。
小石が混じった土道は暗さも手伝って歩きにくかった。角灯のロウソクの明かりを頼りに悠馬は足元を見ながら歩いた。
ぽつっと腕に水滴が落ちて悠馬は空を見上げた。
ぽつりぽつりと頬や腕に雨粒かかかる。会館に戻るまでは本降りにならないでくれよと、悠馬は足を速めたが雨脚が強くなるまで数分も掛からなかった。
覆いがあるので角灯の火は消えないだろうが、悠馬は見つけた軒下に入って雨宿りをする事にした。
夏の夜の雨だ。そう長くは降らないだろうし、止みそうになければ濡れて走ればいい。
「あんなに星、見えてたのにな。ん?」
と、悠馬は目の端に映ったものに疑問符を浮かべ、路地裏で放置された木材置き場によく見えるようにと灯りを向けた。
なんだろうと、悠馬は目を細める。ロウソクのか細い灯りに照らされた白い棒が材木の間からちらりと見えた。悠馬は目を凝らして、はっと息を呑んだ。その先にあったものは、細い足だった。
「ひと?!」
驚愕の声を上げた悠馬は、ばしゃりと水溜りを蹴って材木置き場へ駆け寄った。
材木の隙間に角灯を掲げる照らす。
乱れた髪の所為で顔までは分からなかったが、ぐったりと横たわる体はどう見ても子供のそれだ。
死んでいるのかもしれない。一瞬そう思ってぞっとした。
邪魔な木材を蹴り除けて小さな体の傍で膝をつく。頬にかかる絡んだ髪をはらった時、手に感じた呼吸にほうっと肩の力を抜いた。
「おい。聞こえるか?言葉わかる?」
悠馬は焦るなと言い聞かせつつ、気を失っている子供の頭を注意深く撫でる。
「たんこぶないな。怪我も、ないみたいだし―― おい、動かすから、ゆっくりするから」
肩から背中に腕を入れて、悠馬はそっと、少しずつ子供の上体を起こしていく。
だらりと落ちる細い腕と力なく反れる首に、なくなる命を思い出して落ち着きをなくしそうになる。
悠馬はぶるっと首を振り。
「死ぬなっ! 助けるから!」
叫んで、雨に濡れた小さな体を抱き上げた。
***
なんとも言い難い顔付きで、町医者のコヒは診療台に目を向ける。
まだ青白い顔色の、薄汚れた子供。落ち着いた呼吸は大事無い事を伝えている。
「また難儀な子を拾ってきたな」
ため息交じりのコヒの言葉に悠馬は怪訝な顔をする。
コヒは悠馬に視線をやらずに、こめかみを軽く揉んだ。
「めんどうな、という事だ」
「めんどう違う。コヒ医者でしょ?」
「馬鹿もん。そういう意味ではない。この子自身の事だ。難民かもしれん」
最近聞いたばかりの普段使うことのない単語に悠馬は首を傾げる。
ノメーン? 迷子の事ではなさそうだ。見るからに風呂に入れていない体と、いつ着替えたのか分からない衣服。一週間も二週間も迷子のまま、ではないだろう。だとすれば。
「えっと、ストリートチルドレン?」
本当に居るのか? そんな子供が? テレビの中の遠い国のニースではないのか? そう考えて、悠馬は表情を曇らせる。
「ノメーンならどうなる?」
「ただの難民なら保護は可能だが……。体を見ても烙印は押されてなかったから奴隷にはまだなっていないようだが、奴隷商人から逃げて来た子だとしたら厄介だぞ?」
今日覚えた言葉をまた聞いて、悠馬は不快感を顕わに言い返す。
「にんげん売ったり買ったりするのに、この子が使われてるって?」
ありえないだろ子供だぞ?! と悠馬は日本語ではき捨てるように言った。
「怒鳴るな。私だって良い気持ちじゃない」だがなと、コヒは続ける「ユーマの国ではどうか知らんが、ここらは治安が良いとはいっても、奴隷交易は少なからずあるのも事実だ。中でも未成熟の女子は高く取引される。難民の一団が食料と交換で子供を売る事もあるんだ。それに」
「コヒ。『ごちゃごちゃ煩い』」
「あ? なんだって?」
「とれい商人かかわるなら警察にいく。で、この子は起きたらどうすればいい。薬飲ませる?」
言葉を遮られたコヒは眉を顰めて、嘆息した。そして憮然とした表情の悠馬を見る。
「起きたらまずは水分を摂らせて、薬草を飲ませる。胃腸も弱ってるだろうからまずは消化に良い柔らかいものを食べさせて、もう一度診察する」
なんとなく嫌な予感がしつつもコヒはそう答えて、干して粉にした薬草を薬棚から取り出して天秤に乗せ量を測りだした。
悠馬はコヒの手元を見て、診察台に顔を向ける。
「あの子、動かしてもだいじょうぶ?」
「……どうする気だ?」
「帰る」
即答した悠馬に、コヒは盛大にため息をついた。
悠馬はコヒは半ば無視して窓の外を確認した。雨はもう止んでいる。抱えて帰るのに問題はない。あるとすれば未成年略取になるかどうかなのだが、人間を売買するようなところだ問題ないだろうと勝手に活論づける。
ユーマと、咎める声音でコヒに名を呼ばれ、悠馬は眉根を寄せて言葉を返す。
「おれみたいに移民ってことにして、おれが引きとれば売られない? そうなら、ちがっても家に帰る」
「ユーマ」
「雨、ふってたんだ」
言って悠馬は小さく笑う。
「ブルクが俺、助けてくれた時も、雨ふってたんだ。すてるはできない」
「気持ちは分からんでもないが、無理だ。だいたい、女の子だぞ?」
「男の子供でも同じ。見つけたのにすてれない。ブルクはおれをひろってくれた」
土砂降りの雨の中、絶望だけを感じていたあの日。
あたたかさをくれたのは、優しい黄土色の瞳をしたブルクだった。
言葉を交わした三ヶ月。言葉を交わせなくなった、最後の一ヶ月。
誰が捨てるものか。
「だいじょうぶ。この子が帰る家あればおくる。警察にはアダルにそうだんして、親いない子供が住む家あるなら、そこにも言いにいくから」
そういう悠馬に、コヒはしばらく無言で薬を用意して「厄介な奴だな」と苦笑いを浮かべた。




