第七話 初日の終わり
「結局、三百アルムってどれくらいなんだ?」
大きな桁の計算ができなかったレイドは、マリが着替えている間にガストンとアダンに聞いた。
しかし、二人も計算できていなかったらしく、二人も困り顔である。
ガストンが答えられないところを見てか、アダンはギュッと目を瞑り、計算を始めた。
「えーっと、千ウルムが一イルムで、千イルムが一アルム。ということは、千の千倍だから、一アルムは……」
「百万ウルムだな」
ガストンに計算を先回りされたアダンは、さらに強く目を瞑って計算を続けた。
目を瞑るのは、集中するときのアダンの癖だった。目をどれほど強く瞑ろうと計算速度に影響はないはずだが、目元に刻まれる皺はどんどん深くなっていく。
「ローブは三百アルムだろ?じゃあ、百万ウルムの三百倍を考えればいいわけだ。だから、つまり、んーと……」
頭の中だけで考えても埒が明かないと判断したのか、アダンは指を折って桁を数え始めた。
「一千万、一億、十億……」
「三十億ウルム!?」
「おい、なんで美味しいところを盗るんだよ!」
「すまん、つい」
またも先にガストンに計算結果を言われてしまい、アダンは顔を赤くして怒りを表した。
「それにしても、指輪とブレスレットだけで三十億ウルムを支払えるって、すごいっていうより怖いよね」
空気が悪くなりかけたところで、ローブの値段からマリのお財布事情へと、レイドは微かに話題を逸らした。
「本当だよ。嫌な仕事を引き受けちまったもんだぜ」
「しっ、余計なこと言うな」
「おおっと、悪いな」
アダンはガストンに釘を刺した。これでアダンは溜飲を下げることができたようで、満足気にふすっーと息を吐いた。
それから三人は、余計なことを話してオリヴィエに怪しまれないよう、マリとレネーが戻ってくるまで黙って過ごした。
♢♢♢
扉を開けると、そこは小さな部屋で、正面の壁は鏡張りになっていた。レネーを先に部屋へと押し込む。
ここは、仕立て屋なんかにある試着室の役割を果たす部屋なのだろう。しかし、わざわざここを隠し部屋にする理由があったのかはわからない。私が思うに、これは隠し部屋が現れるときの演出含めオリヴィエの趣味だ。
「早くしてよ」
部屋に入って立ち尽くすだけのレネーに呼びかける。レネーはこちらを振り返って、惚けた表情で言った。
「何を?」
「着替えさせてよ」
「……意外と甘えん坊さんなのね」
「ッ違うわよ!このドレスとか脱ぎ方わからないし、そのローブとかも着方がわからないから手伝えってこと!」
自分の怒鳴り声が狭い部屋で反響する。それを聞くと、スッと自分の中の熱が冷める感覚があった。少しムキになりすぎたみたいだ。
「自分で服を着替えたことないの?」
「ないわよ。いつもメイドがやってたから。庶民にはわからないかしら?」
「だったら、最初からそう言ってくれればよかったのに」
「そうね、悪かったわ」
私だって、エキナドだかエナキドという魔女を知らなかったのだし、誰しも知らないことはたくさんある。知らなければ、教えてやればいいのだ。ふふん、私ったら大人ね。
「じゃあ、ドレス脱がせちゃうね」
「丁寧に扱いなさいよ」
「わかってるって。――あれ、これどこから、ん、どうなってるのかな。よっ、ほっ、ふんっ」
「ちょっと、大丈夫なんでしょうね?」
レネーはドレスとの格闘に夢中で、私の問いかけに答えない。
妙な掛け声とともに、ドレスのあちこちをいじっている。くすぐったいから、早く済ませてほしいのだけど。
「うーっ、ここを引っ張れば……」
あれ、少しお腹の辺りが窮屈になってきたような。
「もう少し、もう少しなはず……」
窮屈さは増していく。苦しい。胃がせり上がってくるような感覚。間違いない、これは――
「締まってる!ゲホッ、苦しい!ウエエッ」
「あっ、ごめん。逆だったみたい」
「ハア、あなた、わざとじゃ……ないでしょうね……」
「わざとじゃない、わざとじゃない」
自分は清廉潔白ですと言わんばかりの澄まし顔で、首を振るレネー。わざとじゃなかったとしても、一発顔面に叩き込みたい。今なら、直接火葬まで済ませるサービス付きだ。
その後、コルセットなどの下着類も外してもらい、一糸纏わぬ姿となった。
「意外といい身体してるのね」
「レネー、どこ触ってるのよ!」
「若いっていいわねえ……」
私の胸やお尻を撫でながら、レネーはしみじみと言った。
「あなただって十分若いでしょ!」
そう言ってレネーを突き飛ばす。レネーはフガフガと鼻息を荒くしていた。
なんて下品な女なのかしら。
「いいから早く着させてよ」
「はーい」
今度からは一人で着替えられるように、レネーから説明を受けながら着替えていく。
まず、下着にはコルセットなどではなく、ブラジャーとパンツというものを着けるらしい。これはレネーのものをもらった。近年、女冒険者の中では常識化しているもので、先進的な貴族にも浸透し始めているとか。たしかに、コルセットよりも圧迫感がなくていい。若干、シルエットが崩れるのも気にならない程度だ。
この上に直接ローブを着てもいいらしいけど、今回は、レネーの強い勧めで購入した肌着を着ることになった。なんでも、ミスリルという金属を繊維に織り込んでいる代物だという。よくわからないけど、すごいらしい。
その上には、一般的なブレストアーマー。胸部の鎧だ。防御力に乏しい魔法使いにはあったほうがいいという話だった。
そして、肝心のローブ。頭から被せられる。せっかくの髪型が崩れてしまうことすら、どこか心地よかった。袖も裾も少し長いが、長すぎるわけではない。許容できる範囲だ。そして特筆すべきなのは、力が湧き上がってくるような感覚。クラクラするような全能感で満たされる。これが魔女の力なのだろうか。
靴を履き替えたら、最後にペンダントも着けてもらった。大きな宝石がついている割に、意外と軽い。金属部分が軽いのかもしれない。
「はい、完成!――あ、この杖も持ってみて」
私の背丈と同じくらいの木製の杖を渡される。結構重い。けれど、すぐに自分の身体の一部かのように馴染むのがわかった。
改めて鏡に映った自分の姿を見る。なかなか様になっていた。やはり、私は何を着ても似合うみたいだ。
物語の中から飛び出してきた魔女みたい、と柄にもない感想を抱いてしまうほど、私は興奮していた。まあ、魔女が登場する物語なんて、ロクに知りもしないのだけれど。
「すっごく似合ってるよ!」
満面の笑みでレネーに褒められたのも、ほんの少しだけ嬉しかった。同時に、こんな笑顔ができるレネーが羨ましくも思った。他人を羨ましいと思うなんて、慣れないことが続いて疲れているのかもしれない。
隠し部屋を出ると、男三人衆にも褒められた。あと、オリヴィエにも。男が私を褒めるのは当然のことなので、何も思わなかった。
アダンは「まごにもいしょう」とよくわからないことを言っていたけど、私の美しさを称賛していたのは間違いない。
「どうぞご贔屓に!」
大量の商品が売れて、心なしか背筋の伸びたオリヴィエに見送られ、私たちは店を出た。
「さあ、ダンジョンに行きましょう!」
私の装備も整ったことだし、後はもうダンジョンに行くだけだ。探索をして宝を手に入れ、戦闘をして戦利品を持ち帰るのだ!
「いや、こんな荷物でダンジョンなんて行けねえよ」
ドレスを抱えたガストンが言った。そういえば、ガストンに私が着ていた衣類を持たせていたのを忘れていた。
「それに、マリは到着初日で疲れてるだろ?今日一日しっかり休んでから、明日出直そうぜ」
「まあ、あなたたちがいないと入れないらしいし、それでもいいけど」
「よし。そうと決まれば、宿に帰ろう。俺ァなんか疲れちまったぜ」
「だらしないのね。そんなので明日大丈夫?」
「……ははは。ベテランだからなァ、大丈夫だって」
ガストンたちが取っているという宿へ来た。意外といい宿に泊まっているみたいだ。上位の冒険者だと自称するだけのことはある。
私が自分の部屋を自分で取ろうとしたら、四人に止められた。支払いをアクセサリーで済ませようとしたのが悪かったらしい。目立つから止めろとのことだった。結局、四人に宿代を出してもらった。
そういえば、フラーム公爵領から王都まで、宿に泊まることはあっても、お金を払っていなかった。あの御者が払っていたんだろうか。まあ、どうでもいいけれど。
夕食後、自室のベッドで横になる。旅路の中で寝てきたどのベッドよりもふかふかだった。とはいえ、さすがに家のベッドには敵わない。
「明日が楽しみだわ」
ベッドに横になっても、明日が楽しみでなかなか眠気が訪れてこなかった。いや、眠くてもなかなか寝付けないと言った方がいいだろうか。初めての感覚だ。普段はそんなことはないのに、独り言も勝手に漏れてきた。
「いい歳をしてこんなにはしゃいでいるなんて、少し恥ずかしい気もするわね」
ここに来るまでのことが色々と思い起こされる。婚約破棄から始まり、反りの合わない御者との旅、全然見つからなかったギルド、初めての買い物。停滞した世界に留まっていた日々のことが、遠い昔のことのようだ。
そして、これから待っているだろう自由な冒険者人生に思いを馳せる。冒険者歴二日でダンジョンに挑むなんて、私くらいのものだろう。でも、私ならきっとできる。
冒険者初日がもう終わろうとしていた。
ふと、胸の奥に何か引っかかった。初日という言葉が、妙に気になる。なぜだろう。
……そうだ。ガストンだ。ガストンは、今日が私の王都初日であることを知っていた。なぜだ。
今日冒険者になることを伝えはしたが、今日王都に着いたとは伝えていないはずなのに。なぜだ。
胸がざわつく。気にしすぎだろうか。わからない。考えることは苦手だ。ああ、もう眠い――
一ウルムで十円の想定です。




