4-8.◯ー◯◯
分かるよな、このタイミングで手袋を交換したらどう対応するか。俺はお前らのこと信じるぞ。
俺はにこやかにボケダコの要求を認め、酔っ払いが持って来た軍手と嵌め換えた。それに続いて上家と下家も嵌め換えた、不安そうに。俺にはなぜ不安そうにするのか分からない。でも、君達のことを信じているよ、胃をキリキリさせながらね。
こいつらは俺を動揺させる。落ち着け、俺。このタイミングで手袋交換を要求するということは俺のベタオリイカサマに全く気付いていないのだ。ならば焦ることもない。
タコは箱を振った。その振り様は激しい。この激しさからすると、何かあるかも、とは思っているのだな。しかし、どれだけ激しく振っても塊から牌が外れて四散することはない。無駄だ。
タコが箱を振り終わったので、俺は絶一門指定牌を引くことを名目に箱に手を入れた。
塊は手触りで直ぐに見付かった。丸まっている塊を真っ直ぐにする。セロテープが貼ってある牌の表面側を天井方向に向けると摘むのが真ん中の一枚だけだとしても列の形は真っ直ぐのまま持ち上げることができる。
そして、その真っ直ぐの牌の列を箱の中の上面にある隙間に入れ込む。この隙間とは箱の側面と上面の出っ張りが作る隙間である。上面の出っ張りは外から見ると、その正体がよく分かる。俺達が先程から使っているドラ表示牌や絶望一門指定牌を嵌めていた窪みだ。
俺は箱の中に出っ張りが欲しくて、この窪みを作ったのだ。窪みに牌を入れるのはその存在を正当化するためだ。理由など何でもよかった。
箱の中の出っ張りと側面の距離は牌の長さより僅かに短くなっているので、セロテープで作った牌の列のうちの二枚を隙間に入れ込むと摩擦力でその列ごと落ちなくなるのだ。
そして列の端にある牌をセロテープから外し、手に握り込み、箱から抜く。その牌をタコに渡す。もちろん、その牌は萬子である。
下家がドラ表示牌を引き、タコが手作りを始める。手作り中は牌の列が箱の上面に付いていることになるが、今まで誰にもバレたことはない。現に東風でも同じことをしたがタコにバレなかった。
この後の予定は、タコが手作りを終え、俺達にツモ番が回り、俺の番になったら箱の中で牌の列を下ろしてセロテープから牌を外す。セロテープは丸めて手の中に隠す。俺がツモるのはセロテープから外した萬子だけ(萬子は絶一門の対象なので安牌)。
セロテープから外した牌は十三枚しかないので、あと七枚は箱の中から調達しないといけない。
通常なら盲牌でその七枚を探せばいい。俺は手袋の親指部分の表面の皮革を削り、裏面のライニングを取り除いた。そうすることによって親指と牌を隔てる物はペラペラの布一枚になる。練習すれば盲牌可能だ。
しかし、今回は手袋を交換させられたので盲牌は使えない。そこで両手ヅモのルールが活きる。上家か下家が安牌を引いた場合、その牌を箱の中に入れた振りをして手の中に握っておく。そして、その牌を卓の下で俺に渡す(その牌は箱の中の俺から見て手前側に置かれるのが理想だが、置こうとすると牌を捨てるだけなのに長時間箱の中に手を入れることになってしまうためバレ易い)。
親指と手の平で挟んで牌を保持するため、どうしても手付きが怪しくなるが、七牌分くらいならスピードで誤魔化せば何とかなる。俺の手許に本来なら箱の中にある筈の牌があるのは不味いが、バカダコが立ち上がって俺の手許の様子を見ようものなら牌を卓の下で上家か下家に手渡し、俺がタコの気を引いている隙に箱の中に捨ててしまえばよい。
俺は絶対に振り込まない。どの様な手を使っても振り込まない。このまま勝ち切る。悪いな、クソダコよ。このまま死んでもらう。
そのタコは俺から直撃を奪えないと知らずに、せっせと手作りをしている。俺は勝ちを確信していたが、次の瞬間、このタコ野郎の不気味さを再確認することになる。
「カン」
タコが四枚の牌を倒した。その牌は四枚とも『七筒』だった。
え、カン?
マジかよ。冗談だろ。カンなんかされたら一枚しかツモれねえじゃねえかよ。どうすんだよ。二枚ツモなくなったら七枚分補えねえよ。ここでカンかよ。どんだけラッキーなんだよ。何でこいつこんなにラッキーなんだよ。納得できねえよ。こんなラッキーな奴居ねえよ。意味分かんねえよ。
待て、整理だ。今の状況を整理。兎に角、十三巡目までは問題ない。セロテープに貼ってあるのは全て萬子だからだ。問題があるのは残りの七巡だ。どうする。どうしようもないか。運任せになってしまうのか。ここまできて運任せかよ。
いや、そもそもこいつの手が満貫以下の場合は振り込んでも俺の勝ちだ。つまり、俺が負けるのはタコの手が満貫超過かつ、俺がラスト七巡で振り込んだ場合だ。可能性はかなり低い。タコがカンできただけでも奇跡なのだ。ラッキーだけが取り柄のタコに負けてたまるか。
タコが手牌を完成させた。
「リーチ、オープン」
俺はタコの手を見て愕然とした。おい、これ、マジか、倍満じゃねえか。
『一・一・二・二・三・三・五・七・七・七・七・九・九・九』全て筒子。役はオープン、一盃口、清一色、よって九飜だ。
何だ、これは。引きが強過ぎる。なぜこの様なことが起きる。なぜタコに都合よく筒子が集まる。
こいつはもうタコというよりはラッキーモンスターだ。化物だ。もう、俺にはどうしたらいいのか。
だが、その様なことを言っている場合ではない。俺は屈さない。俺は負けない。もし、このタコが勝つ流れならばドラが絡んでいた筈だ。実際はそうでない。ということは、俺が勝つ流れなのだ。
首回りが痛くなってきた。ネックレスを回し過ぎてもう痛い。擦り剥いた傷に幽かな痛みと痺れが交互に訪れる。
大丈夫だ。心配するな。まだ希望はある。上家か下家がボケダコに振り込めばいいのだ。そうなったら俺の勝ち。当たり牌の『五筒』はまだ箱の中に三枚もある。十三巡目までにこいつらが引いてくればよい。概観して俺の方が有利なのだ。
上家にツモ番が回った。打牌は『五筒』ではなかった。
次は俺だ。箱の上面に付いている牌の列を下ろし、セロテープから牌を一枚ずつ外した。時間が掛かってしまうが仕方ない。東風では三巡に分けて外したが、この局では一気に外す。タコに、時間が掛かり過ぎだ、と文句を言われても、最終局なので、とかテキトーに言い返してやる。
全て外し終えた。セロテープを端から丸める。そのセロテープと同時に牌を持って手を抜く。その後は牌だけを河に置き、セロテープは地面に捨て、足でどこかへ蹴る。これで証拠は消えた。
次は下家のツモだが、打牌は『五筒』ではなかった。
ふざけるなよ。お前らが『五筒』をツモらないと、俺がラスト七巡でツモってしまうではないか。何をしているのだ、こいつらは。
こいつらはなぜ『五筒』をツモらないのだ。少しは勝利に貢献しようという気がないのか。ないのならば、お前らはフルズに必要ない。ここで『五筒』を引けないギャングなど使えない。フルズに生き残りたくば引け。引くのだ、馬鹿ども。
しかし、俺の願いも虚しく、十巡目が終わっても二人はツモらなかった。もう安牌は残り少ない。お前ら、早くツモってくれよ。
俺は祈りながら箱の中に手を入れた。セロテープから外した牌があと三枚しか残っていない。三枚とも触ってみる。間違いなく三枚しかない。この三枚を切ったとき、俺は運任せで牌をツモることになる。残った三枚のうちの一枚を掴んで手を抜いた。
「六萬」
あと二枚。
下家の打牌は『西』だった。
上家は『北』だった。
こいつら、字牌などツモりやがって。使えない、クズ。勝つ気がないのだ。ギャングのくせに他所のギャングに負けていいと思っている。だから、引けない。ギャングとしての資質が著しく足りない。この様な奴でもフルズに入れる時代になったか。クズどもの皺寄せは俺の許に来る。たった今、来ている。ここで字牌なんかツモるなよ。
俺のツモ番だ。
「一萬」
あと一枚だ。もう一枚しかない。泣きたい。
下家が引いた。
引け。引け。引かなければギャングではない。引くのだ。絶対に引け。
「南」
おい。おいおいおいおい。字牌、馬鹿野郎。大馬鹿野郎。もう追い込まれているのだぞ。気付いているのか。お前は引くしかないのだ。
上家のツモ番だ。
お願い。お願い。引いてくれ。頼むよ。
上家が手を抜いた。
ああ、俺は心臓が張り裂けそうだ。喉が焼ける。耐えられない。
「東」
頭が沸騰する。頭に血が上っている。血圧がヤバいぞ、俺。健康面でも危ない。助けて。どこに『五筒』があるんだよ。
俺は箱に手を入れるしかない。最後の牌に触れる。これしかないぞ。もうこれしか。次はどうするんだよ。どうすればいいんだよ。ここを凌いでも、まだ七巡もあるのだぞ。
俺は手を抜き、牌を河に置く。最後の一枚だ。宣言のために、その牌を見た。
俺はその瞬間に頭が真っ白になってしまった。俺の頭で処理できないことが起きて思考停止になってしまったのだ。
上家と下家もその牌を見た。各々が驚嘆の声を上げた。こいつら、一丁前に声上げやがって。
俺は間違えたのか。間違える訳がないし、記憶の中を確かめたが実際に間違えてもない。だが、間違えた。そうとしか思えない。
吐き気を感じる。目眩も感じる。地震か。俺が揺れているのか。
俺は千切れそうな程に思い切りネックレスを引っ張っていたうえに、もう片方の手に嵌めてある軍手の中指の先を噛んで引っ張っていた。
クソボケダコ畜生野郎が言う。
「カノさん、何を切ったか見てくれ」
「え、俺。なんで」
「いいから」
「ふーん、水を飲んだら酔いが覚めてきたなあ。えー、はいはい。えー、これ何て言うんだっけ。丸が五個ある」
「五筒?」
「あー、五筒だ」
そう、俺が切ったのはなぜか『五筒』だった。
タコ野郎は、そうか、と呟き、俺に向かって言い放つ。
「ロン」
和了。終局。
俺は振り込んでしまったのだ。これはおかしい。なぜ俺は振り込んだのだ。この牌は萬子の筈だ。なぜ萬子でないのだ。変身したのか。そうとしか思えない。
「裏ドラを引くぞ」
タコが箱から一枚引いた。
「乗った。ドラ4だ。役満」
な、は、え?
その牌は『六筒』だった。カンした四枚の『七筒』が全てドラになったのだ。
なぜ、どういうことだ。何が起きた。誰が何をした。何で、何でこんなことが俺の身に起こるんだ。何でこいつはこんなに幸運なんだ。役満なんて不法だ。あってはならない。これは夢だ。夢に違いない。
手でネックレスを、歯で軍手を、引っ張る力が更に強くなった。
殺してやる。殺してやる。殺してやる!
軍手が手から外れて勢いよく顔に飛び込んできた。俺は顔に軍手が衝突したことに驚いて後ろに仰け反ってしまった。その仰け反る勢いでネックレスが千切れ、椅子ごと後ろにひっくり返ってしまった。
幾つもの金属が床に落ちて音が連続したが、程なくして収束した。
酔っ払いが伸びをしながらあくびをする。そして、俺の方を見て言った。
「あ、大丈夫か」
気の抜けた酔っ払いだ。お前は何をしに来たのだ。大丈夫な訳がないだろう。なぜ俺は振り込んだのだ。
俺はセロテープから外した牌を確と管理していた。箱の中で取り間違うことは絶対にない。俺はセロテープから外した牌にしか触っていない。
ということは、上家か下家が箱の中で牌を摺り替えたのか。まさか、ニシマツに寝返ったのか。俺を、フルズを裏切ったのか。こいつらはニシマツのエージェントなのか。
そうとしか思えない。なにせ箱の中に手を入れたのは俺以外にはこいつらしか居ない。ボケダコは手作りを終えてから一度も箱に触れていない。こいつらしか考えられない。
もしボケダコが手作り中に、箱の上面に付いている牌の列を弄ろうものなら、俺は直ぐに気付く。ボケダコの位置から弄るためには、ボケダコは腕を通常の形から百八十度回さないといけないからだ。俺がその様な目立つ行為を見落とす訳がない。
やはり、こいつらだ。裏切られた。俺は仲間だと思っていたのに。俺はお前達のことをずっと心の底から信用していたのに。なぜ裏切る。何が不満だ。フルズへの背徳行為には報復が伴うことを理解できていないのか。仲間への裏切りには・・・。
仲間、え、仲間?
そういえば、あの酔っ払いはカイライの仲間だ。酔っ払いがこの部屋に来たとき、俺は酔っ払いの方を見ていた。
そのとき、タコは何をしていた。
あれは、何だったか、そうだ。南三局が終わって、河の牌を箱の中に戻していたんだ。バカダコは最後だった。箱の中には俺の萬子の塊があった。即ち、バカダコはその塊に触ることができた。塊がセロテープで繋がれているのを理解することもできた。機転を利かせて、セロテープから牌を外すこともできた。外した部分に『五筒』を貼り付けることもできた。
俺は、セロテープに貼ってある牌は全て萬子だと思っていた。そのため、箱の中にある無数の牌から優先的にセロテープの牌をツモっていった。しかし、その中の一枚は、萬子ではなく『五筒』だった。
そうか。そうだったのか。俺は嵌められたのだ。このタコは始めから全て分かっていたのだ。だから、この様な罠を張ったのだ。俺の萬子の列に毒を盛った。
くそ、俺は何も考えていなかったな。タコが最後に箱に手を入れるのは、おかしいよな。変だよ。今までその様なことをされたことは一度もなかったもの。俺はなぜ何も警戒しなかった。
そうかそうか。切れる奴だ、このタコは。俺の負けだ。俺の仕掛けをまんまと利用されてしまった。素晴らしいカウンターパンチだ。賛辞の言葉を贈ろう。
殺してやるぞ、このボケダコが。アホンダラ。絶対に許さねえ。クソダコ風情が調子に乗りやがって。殺してやるぞ、畜生ダコめ。必ず殺してやる。切り裂いてやる。こんなことして無事で帰れると思うな。お前は不正をしたんだ。だから殺す。法律は俺達にある。東はフルズのものだ。お前なんぞ簡単に殺せる。相手を間違えたな、ボケダコが。
俺が床の上で伸びていると、地上で見張りと電話番をやっていた弟分が部屋に入って来て、俺の許に駆け寄った。
「ニーボリさんが来られます」
「え」
その言葉は俺を飛び起こさせた。不味い、あんちゃんにこの様な大負けした場面を見られる訳にはいかない。殺されてしまう。何とかしないと。