09 賢しきミザントロープ
ごちそうさまでしたと手を合わせた後、お風呂をどうするかと尋ねられた。
もう疲れて動きたくないようなら着替えだけして休んでもいい、という選択肢も添えて。
疲れているのは事実だ。だが食事のおかげで温まったがさっきまでは雨に濡れて躰が冷えていたし、滑ったり転がったりしたせいであちこち汚れてもいる。シャワーでも浴びさせてもらえるなら有り難いところだ。
「お湯抜いてないので残り湯でよければすぐ浸かれますが、少し待ってもらえれば張り直しも……」
「いえ充分です。助かります」
普段からシャワーだけで済ませることも多いのだから。
トミオの言葉に花那はひとつ肯き、じゃあ追い焚きだけしてきますねと言ってお風呂場に向かった。
こうしてお言葉に甘えてトミオはお風呂をいただいた。そして出てくる頃にはしっかり寝床の支度までが整っていたのである。
○
トミオ少年がもくもくとうどんを啜っている間、手持ち無沙汰だった花那は卓袱台の横に置いてある新聞の折り込みチラシを眺めた。祖父が新聞を読む時にまとめてそこに置いたのだろう。花那が見て参考になるのはせいぜいスーパーの広告ぐらいだが。
「ごちそうさまでした」
気づけばうどんを啜る音はなくなっており、顔を上げるときちんと手を合わせてご馳走さまをしているトミオがいた。
「お粗末さまです。……トミオくん、」
「はい」
花那は眠そうに視線を落としているトミオを見る。顔や髪の毛はマシだが、長袖の肘部分や背中はまだ濡れているし汚れている。
「お風呂、入りますか?疲れて動きたくないようなら着替えだけ済ませて休んでもらっても構いませんが」
「お風呂、」
言われて本人も着ているものの汚れを気にし出した。入りたい気持ちはありそうだ。
(着替えは私のジャージで……下着はお父さんの新品のがあるからそれでいいですかね)
サイズは合わないだろうが、寝てる間だけのことだ。今着ているものは洗って乾燥機にかければすぐ乾くだろう。
「お湯抜いてないので残り湯でよければすぐ浸かれますが。少し待ってもらえれば張り直しも……」
できますが、と続けようとしたのだが被せるようにトミオが口を開く。
「いえ充分です。助かります」
「なら追い焚きだけしてきますね」
お湯を抜いてなかったのはたまたまだ。普段は祖父とふたりだがどちらが先にお風呂に入るだとかは決まっていない。
(先に入ったから後にお祖父さんが入るつもりで抜くの忘れてただけですが)
結果としてはいいように転んだなと思う。
お風呂場で追い焚きのボタンを押した後、自分の適当なジャージと父親の新しい下着とバスタオルを持ってリビングに戻る。
「ありがとうございます」
「いいえ、ごゆっくりどうぞ」
間に合わせのお風呂セットを差し出すと、トミオはぺこんと頭を下げた。
(寝床はリビングでいいですかね。卓袱台避けてお客さま用のお布団を敷いて……)
台所で後片付けをしながら段取りを考える。
(明日は朝からトミオくんを駐在所に送るから、それまでにしておくことは……)
気づけば後片付けも寝床の支度も終わっていた。
トミオくんを見送ってからしばらく経っていて、眠そうにしていたしお風呂で寝てやしないかと心配しかけた時に戻ってきた。
「お風呂いただきました」
「はい、お布団敷いておきましたよ。ゆっくり休めるといいんですけど」
「なにからなにまで本当にありがとうございます」
「いいえ、もうお布団に入りますか?」
「……はい、」
肯いたトミオは掛け布団を持ち上げて座ったが、花那は一瞬の沈黙の中に躊躇を感じ取った。
「お風呂に入って目が冴えてしまいました?」
「そうかも」
「なら少しお話しますか?お布団の中で」
「……いいですか?」
「どうぞ」
掛け布団を持ち上げ、布団の上に座ったところでトミオが動きを止める。花那は隣に腰を下ろし促すように軽く布団を叩いた。
横になった躰に上掛けをかけてやると、トミオの表情が緩む。
「ありがとうございます……」
「眠くなったらいつでも寝ていいですから」
「はい」
疲れているのは間違いないからすぐにでも寝てしまいそうなものだが、ひとりになるのが不安なのだろう。夜だからというのもある。
だがそれよりも、おそらくトミオにはまだ吐き出したいことがあるのだ。花那はそれを感じ取っていた。
(別に私がそこまでお世話を焼く必要はないのでしょうが……)
この際乗りかかった船ではあるし、なによりこの少年は四鏡神社で幼少時の思い出を視た。それは白壁の四鏡による何らかの干渉があったからだ。四鏡の神々が手を下したのならトミオ少年には『心から願うこと』があったのだろう。
(心から願うことがあるなら、それがどんな形でも。わかりやすく目に見える形ではなくても。本人が望んだ形とは違ったとしても。きっと彼はまだこの先も叶えるために立ち向かうことになるだろうから)
手助けしたいだなどとおこがましいことは思ってもいない。花那にできるのは自分の知ることを伝えて、あとは見守るだけ。
「トミオくん、今日スマホを持ってなかったのは、もしかしてわざとですか?」
ずばり切り込んでみた。
今日一日のトミオ少年の言動を見てきて、花那が唯一不自然に感じたのが『スマホを忘れた』という発言だった。現代っ子にとってスマートフォンは必需品、そうそう忘れるとは思えない。
またトミオは『スマホを忘れた』から『家族に連絡を取る手段がない』と暗に言った。自宅の電話番号は覚えていても個々人の携帯番号を覚えていることは少ない。携帯電話のメモリ機能がそうさせる。これによって『今日は自宅に誰もいないからスマホを忘れた自分には両親に直接連絡を取る手段がない』という言い分が成り立つ。
(本人はこう言われたくはないのだろうけど、年齢のわりには大人びている……し、頭がいい)
とは言え、今トミオが吐き出したいのはきっと罪悪感だろう。このまま帰ったら今まで通りの『年齢にしては大人びた賢い子』を続けることになると本人も察している。それが悪いことだとは言わないが、本人が望んではいないのだ。




