乙女心と桜吹雪
日本の自宅へと繋がるこのクローゼットの扉に手をかけるたび、━━━私は、いつも願わずにいられない。
・・・一度だけでいい。
たとえほんの僅かな時間でも構わないから、時の流れが向こうと繋がりはしないだろうかと。
だけど現実は無情だ。クローゼットを潜り抜けた先の時間は、常にあの春の午後で止まったまま。
カチャリと音を立てて“扉”を明けると、本来ハンガーに掛かった衣服が吊るされている場所には何もかもなく、奥の壁がフェイクアートみたいに不自然に切り取られて、そこから異質な空間が覗いている。
私には見慣れた1LDKのリビングだ。
そしてそのリビングのソファーに、我が物顔でふんぞり返る、━━━超絶美貌の不良老人。
そしてテーブルの上には空のお皿。
「あああああっ!あんたまた、私の作り置きスイーツを盗み食いしてぇぇ!!」
「ナンの事だぁ?」
「シレッとすっとぼけてんじゃないわよ!明日のお茶請けにしようと思ってたタルトレットを三個も!!・・・せめて買い置きのコンビニスイーツの方にしといてよ~~~」
そっちだったら再生するのに!きぃいいいいーーーーー!
「んー?そっちも悪かないんだが、どっちかってえとお前が作ったやつのが好みの味だし」
「・・・~~~っ、、、」
それはまあ、ある意味当然ではある。
元々食べる人の好みに合わせて作ってるんだから。
・・・・・じゃなくて!!
「ナニ当たり前みたいな顔して、いつも堂々と人んちに上がり込んでんのよ!」
「まあまあ、堅ぇ事言いっこなしだぜ。仮にも何度も裸の付き合いをした仲だもんなぁ?最早他人じゃねーだろ」
「・・・っ、ああああんなの事故じゃない!!毛皮をモフってただけなのに、シグが急に人型に戻るから悪いのよ!!」
「オメーは毛が生えてる男だったら、誰彼構わず跨がるようなヤツなのか?」
「━━━言い方!!」
・・・この瞬間、ついさっきまでの繊細かつ微妙でアンニュイな乙女心は、ハンマー投げの要領で遥か彼方に投げ棄てられた。
誰でもいいから、このセクハラ大王に重石を付けて冬の日本海に沈めてきてくれないだろうか。
「なんかもう・・・、何もかも色々どうでもよくなった」
シグが一緒だとシリアスな気分が持続しないってのは、嫌ってくらい骨身に染みたわ。
「なあなあネージュ、コーヒー淹れてくれ。豆を挽いたやつで」
「注文が多い。インスタントで我慢しときなさいよ」
「俺は━━━」
「『違いがわかる男』なのよね、はいどーぞ」
「ちぇ、結局ブレン〇ィか・・」
「嫌なら自分で淹れたらー?」
「愛が足りなくねぇ?」
「そんなものは最初から無い!」
顔と毛並み以外何一つ褒めるところが無い男の、いったいどこに惚れる要素があると思ってんのか。
せめて汗水垂らして日銭を稼ぐマメマメしさがあれば、ちょっとは見直してやるのに。
たまに気が向いた時だけ猟師の真似事をするだけで、あとは基本何もしないとか、私の『頼れる男子像』としてはまず有り得ないから。
でもって、この夜更けにいつまで乙女の城に居座る気だと、シグを追い出しにかかろうとした、━━━その時。
シグが奇妙な事を言った。
「おい、窓の外、見てみろネージュ・・・」
「え?何よいきな・・り・・・」
言われるままに振り向いて、私は自分の目を疑った。
「━━━桜吹雪・・・!風が、吹いて・・るの・・・?」
なんで、どうして。
この部屋の窓から見える景色はずっと、私の記憶の一片を切り取って貼り付けた静止画でしかなかった。
だけど現在の窓の外の光景は━━━。
音こそ消えたままだけど、生きて動くものの気配さえ窺える。
慌ててリビングの窓からベランダに出て街並みを見下ろすと、以前は影も形も無かった通行人の姿が、まるで当たり前のように通りを行き交っている。
「時間が・・・繋がった、の?なんでこんな突然・・・」
自分がそう願ったから、その通りになった━━━なんて、そんな都合の良い事があるわけない。
自らの異能が発現した後、私は幾度となく密かに故郷への帰還を試みた。
だけど結果は惨敗。何度“向こう側”への転移を試みても、身体が弾き返されて終わりだった。
「外・・・。そうだ、取り敢えず外に出て確かめて━━━」
「待て待て、勝手に動き回んな!明らかに様子がおかしいだろ。全く音がしやがらねえし」
ベランダから回れ右で玄関に向かおうとした私は、シグに肩を掴まれてその場でたたらを踏んだ。
自分でもかなり混乱してる自覚はある。
「俺がグウィンを呼んでくるまで大人しく━━━」
「待っていろ」とでも言うつもりだったんだろう。
けど、そこで事態は予想だにしていなかった方向に展開を見せた。
━━━玄関の扉が、外側から開いた。




