懲りない乙女の保護者そのいち
柱時計の鐘が八刻半(午後五時)を報せる頃合いになって、調べ物を終えたグウィネスさんがサロンに顔を出し、私達三人はそのまま暇を告げてすぐにセレンディード邸を後にした。
何やら物足りなそうな顔をした青磁が引き留めにかかってきたけど、『そっちはそれどころじゃないでしょ』と耳元でコソッと言ってやったら、アルビオナさんの顔色を見て口をつぐんだ。
娘の私が思うに、青磁は昔から圧倒的に言葉が足りない。
いつもいつもいつも。
どうでもいい事はいくらでも喋るくせに、肝心要の大事な部分は説明不足。
そんなんじゃ奥さんが不安に思うのも無理はない。
天涯孤独の身の上だとばかり思っていた自分の夫にある日ひょっこり身内が現れる━━━。
自分が知らない夫の“過去”を共有する、血の繋がった肉親が。
その“身内”が血の絆を振りかざして、自分の家族を返せとと迫ってきたら、どうすればいいのか━━━。
実際には、私は青磁に熨斗を付けて彼女に進呈したいぐらいなんだけども。私がそれを口にしたところであんまり意味が無い。
だってそれは本人の口から聞きたいよね?
━━━何処にも行かない、と。
君が一番大切だから、と。
私とお母さんは、青磁からのその言葉を待つのをもう止めた。
待たされ過ぎて心底疲れ切って。
こんな場所での思いがけない再会に舞い上がって、奥さんへの気遣いを欠いたのは青磁なんだから、その辺のフォローは自分でするべき。私は知らん。
「あーーー草臥れたぜ」
帰り道、市街地に向かう辻馬車に乗り込んだ途端、シグの態度がガラリと崩れた。
それまで行儀良く余所行きモードだったのが、襟元のタイをゆるめて足を組むと、座席の背凭れにふんぞり返る。
「あんたは特に何もしてやしなかっただろう、シグルーン」
「その“何もしない”が疲れるんだっつーの!」
確かに今回のシグは借りてきた猫並みに大人しかった。
何の為について来たのかわからないぐらいだ。
前当主の研究資料を閲覧させて貰うのが目的だったから、顔繋ぎ役の私とグウィネスさんの二人でも充分用は足りたはずなんだけど。
「あの男、どう見たって自分の妹に未練タラタラで、よりを戻したがってんのが一目瞭然じゃねぇか。そのうち周りの空気も読まねーで後先考えねえ事言い出すんじゃねーかと思ったが」
「うん。その可能性はあったと思う。シグと違って青磁の場合、空気を“読まない”んじゃなくて“読めない”からね」
確信犯で敢えてデリカシーに欠ける言動をするのと天然でやらかすのでは、どっちがよりタチが悪いだろう。
青磁は私とアルビオナさんを“身内”として引き合わせたかったのかもしれないけど、私は正直まだちょっとどころじゃなく抵抗感がある。
二つ年上の義母とか引くでしょフツー。
「ともかくハネズのお陰で今日は助かったよ。あんたの伝が無きゃ、前当主の研究資料の閲覧は叶わなかっただろうからねぇ」
「いえ、ただの偶然ですから」
物凄い天文学的な確率の偶然だった・・・。
グウィネスさんが興味を示した魔術師の“セレンディード”という人物が、まさか青磁の関係者だなんて。
ハハハ・・・もう乾いた笑いしか出てきやない。
「まあまあ、そう腐った顔しなさんな。それなりの収穫はあったんだ」
「・・そうなんですか?」
「詳しくは家に着いてからにするけどね。━━━帰ったら何か軽い食事を作っておくれよ、ハネズ。あたしゃ午後のお茶を摂り損ねて小腹が空いちまったよ」
「少し時間は早いですけど、別宅の食材で晩御飯にしましょうか。手抜きでもよければすぐに食べられる物もありますし」
パスタなら茹でるだけだし、レトルトや瓶詰めのソースも何種類かストッカーに常備してある。
それにサラダとスープを添えれば━━━・・
「そんじゃ俺には“かっぷらーめん”食わせてくれ。トンコツショーユ味のやつがいい。それと“ヤキソバ”な!」
「シグ・・あんたねっ・・・!人の知らぬ間にすっかりジャンクフード中毒になってんじゃないわよ!!」
前に一度夜中に一人でコッソリ食べてるとこ見つかって、仕方ないから分けてあげて以来なんか味をしめたらしい。
異界部屋の再生機能に含まれてる物品だから、盗み食いされても気付かないのが困りもの。
ちなみに異界部屋産のゴミは、あの部屋の中に置きっぱなしにしとくとリセット時に消えて無くなるため、結果的にシグの完全犯罪(盗み食い)成立に一役買う形になっている。