第六話 【普通の子供のように】
その言葉は、まだ続いている。
「故郷の味がする」
翌日になっても、まだ響いていた。
なぜそんなことを言ったのか分からない。故郷の味なんて覚えてもいない。
それを口にする資格があるとも思えない。
世の中の多くの出来事と同じように、ただ、ふと口に出ただけだ。
「ダリアン? 私の子? 大丈夫かしら?」
母の言葉で思考から引き戻された。
その声は優しく、時には儚げだ。
だが怒った時は単刀直入で、もっと強く、少し棘のある響きになる。
奇妙だが、理解はできる。
これが母の力というやつなのだろう。
「ああ、母さん。ちょっと考え事をしてただけだ」
「そう、愛しているわよ」
「……俺もだよ、母さん」
(俺もだよ、母さん……)
俺は詐欺師だ。
◇ ◇ ◇
アレクシオとの訓練は続いた。
フェイントをかけ、躱し、攻撃する。
反応速度を上げていく。
時間が経つにつれ、この新しい体にも適応していった。
ついていくのはまだ難しいが、体が成長するにつれて、少しずつ、
過去と現在の距離は確実に縮まっていた。
だが、一つだけ説明のつかないことがあった。
内部魔力が使えない。少なくとも、まだそこには到達していない。あるいは、遠すぎるのかもしれない。
内部魔力の論理はごく単純だ。
やるべきことは、外部魔力と同じように内部のマナを流すだけ。
体内をマナが流れていくのを視覚化しながら、ただ内側に意識を向ける。
なら……何が間違っている?
アレクシオに言われた通りの基礎、訓練、すべてを実践している。
初めて成功した時や、それから数年の間は、
体のあちこちにチクチクとした感覚を覚えるという。
それは多くの場合、経験不足や成長期の体、そして絶えず精製されるマナによるものだ。
つまり、熟練して大人になれば、
無数の蟻が体の中を這い回るようなその感覚は、自然と消え去るのだ。
一切なかった。
感覚も。
その気配すらも。
体の一部がランダムに自動で動いてしまうような、微かな反応も。
すべてを話すと、アレクシオはただこう言った。
「聞け。まだ理解できなくていい。俺にも似たようなことがあった……今はまず、体を鍛えることが重要だ。その感覚はいずれやってくる。だが、お前はそれに至るにはまだ若すぎるんだ」
「分かるけど、でも……」
そう言おうとしたが、すぐに遮られた。
「お前の気持ちも分かる、ダリアン。だが、どうしようもないだろう?」
「事実だな」
訓練中、アレクシオは決して畏まった話し方をしない。
それでも、今日は少し変だった。どこか心ここにあらずといった様子だ。
おまけに、いつもよりずっと身なりを整えてきている。
「今回はここまでだ」と、分厚い訓練用の人形に剣を突き立て、タオルで顔を拭いながら突然口にした。
「まだ続けられるのは分かってるだろ、アレクシオ……」
静かに頷く。
「それも分かってる。だが俺の判断だ。いいな?」
「分かった。ルールには従う」
「上出来だ。それなら、理屈っぽい言葉は置いといて少し休め」
ふと何か重要なことを思い出したように、目を丸くする。
「ああ、忘れるところだった……」
首の後ろを掻いた。
「今日、俺にとってとても大切な人をお前に紹介する」
そうだ。
昨日、そんなことを言っていた気がする。
今日、アレクシオは妻を連れてくるのだ。
(だからあんなにちゃんとした格好をしてたのか……)
すごく対照的だ。アレクシオの妻は、上品さやドレスなんてものを好むタイプとは対極にいるからだ。
頭のてっぺんから爪先まで、完全な戦士だった。
「んー……弓が得意だったか? そんなことを言ってたな」
「もちろんです、若きダリアン様。俺の知る限り最高の弓使いです」
「最高? それは驚きだ。あれだけ多くの人を見てきただろうに」
「ええ。それでも、あの人ほどの者はいません」
「そうか……それは喜ばしいな。剣士の速度を考えれば、弓がそこまで重要になるとは思っていなかったが」
「内部魔力はすべての武器に応用できます。遠距離武器も含めて」
「なるほど……」
たとえ矢が使い手から大きく離れても、投射物には内部のエネルギーが込められたままになる。
攻撃用の外部魔力が不要になった理由の一つでもある。
それはさておき。別の悩みがあった。
夕食の時、従兄弟たちがやけに観察してきたのだ。
まるで、研究か少なくとも調査が必要な奇妙な生き物でも見るかのように。
特に目を引いたのが、背が高く、テーブルの向こう側から常にこちらを睨みつけてくる一人だった。
たしか名前はカンデリウス。
兄弟の長男だ。
だからこそ、なぜあんな目で見てくるのか理解できなかった。
何か気を悪くすることでもしたか?
いや、一度も言葉を交わしたことがない。
ヴァレリアが何か吹き込んだか、誤解したのかもしれないが、
あんな風に見られると、まるでそこにいてほしくないと言われているようだった。
「アレ! ここよ!」
後ろから思考を遮る声が響き、慌てて振り向く。
そこには、緑色の髪と蜂蜜色の目をした女性が立っていた。
声は甘く、着ている革鎧とはひどく対照的だった。
「メル、愛しの君! あの依頼はどうだった? もし誰かが……」
「落ち着いて。あのトロントって魔獣は大したことなかったわ。跡形もなく切り裂いてやったから」
「ああ、魔獣だったか……可哀想に。せめて手加減はしたのか?」
「ええ、一瞬だったわ。あまり苦しませたくなかったし」
「さすがは俺の妻だ!」
そう言うと、二人はその場でキスをした。
目を逸らすことにした。
恥ずかしかったからではない。
単に、二人の時間を邪魔したくなかったからだ。
唇を離すと、二人はこちらを向いた。
アレクシオはメルを胸に寄りかからせている。
「あっ、ごめんなさい!」
メラニーは顔を覆った。
本気か? 今さら顔を赤くするなんて……。
「私の名前はメラニー・シオスパです。ヴァレリウス様のご子息にお会いできて光栄です」
「畏まる必要はない……ええと。ダリアン・セラフェルだ」
「君も堅苦しいのは苦手なのね?」
「ああ」
「じゃあ、私たちはよく似てるわね」
「よく似てる?」
「ええ、似てるわ。私の場合は、この目が珍しいのよ。高祖母の目だったんだけど、ずっと後になって受け継いだの」
そこでアレクシオが口を挟んだ。
「これで、俺が愛している理由が分かりましたか? 素晴らしいでしょう。美しく、唯一無二で特別な女性です」
「悪いが、そういうのはさっぱり分からない。愛なんて、人それぞれだろ? ただ、一緒にいる時のアレクシオが別人のようになることや、いないとずっとノロケ話をすることだけは明らかだが」
(なぜあんなことを言ったんだ……?)
「観察眼の鋭い子ね、ダリアン様」と、また顔を赤らめながら、メラニーは言った。
「ダリアンでいい」
「え?」
「敬称は不要だ。ただのダリアンでいい」
「でも、作法は守らなきゃ。私が好きじゃなくても、あなたの家系が……」
アレクシオが間に入った。
「いいんだ、メル。この方がそう言うなら、他のことは気になさらないから」
「……分かったわ」
メラニーは再び微笑んだ。
「あなたは賢いのね、ダリアン」
「ありがとう……メラニー」
「メルって呼んでくれていいわ。メリでもいいし」
「分かった、メリ」
その後、二人は自分たちの馴れ初めを話し始めた。
それはある遠征中のことだった。
知覚の力を持つ第三の眼を備えた若き祝福者を護衛することになった。
ただ、その体質は他の祝福者たちとは少し異なっていた。
どうやら、ごく一部の祝福者は毎年長距離を旅し、環境を変え続けなければならないらしい。
一箇所に長く留まると、マナによって窒息してしまうからだ。
希少であり、それゆえに極めて有用なため、王家と教会の保護下に置かれているのだという。
「チームは、メラニー、ララ、サラ、サルドリー、そして俺で構成されていました」
他のメンバーが欠けている。言及されなかった。
おそらく、結末が良くなかったのだろう。
話を逸らした時の表情を見れば、あながち間違いでもなさそうだ。
ララとサラは、鎖鎌をまるで体の一部のように扱える双子だった。
サルドリーは熟練の料理人だ。
「その祝福者は……どうなったんだ?」
「エマは、今は城にいます。旅が数年に及んだため、しばらくは移動する必要がないんです。ただ、いずれまた旅に出る時が来るでしょう。国王陛下の命を救ったので、間違いなくこの王国で最も手厚く保護されている女性です」
なるほど。
祝福者たちは王を守るために存在している。
法がその保護を義務付けている以上、セラフェル家の近衛隊長であるアレクシオでさえ、王命を拒むことはできないのだ。
そうして、大陸中を旅した。
一方でメラニーは、まったく異なる家庭の出身だった。
シオスパ家は出版社を経営しており、この世界では本が高価なため、商売は非常にうまくいっていた。だが、脆い紙やインクで汚れた手になんて全く興味がなかった。望みは、戦士になることだけだったのだ。
一族で初めての戦士になった。
名前に甘さという意味が込められているが、
アレクシオに見せる性格と瞳を除けば、そんなものを連想させる要素はどこにもなかった。
「私の名前は、蜂蜜を意味するメリと、母のルーニーから取ったラニーが由来なのよ」
その名前は、どこを取っても蜂蜜を連想させた。
メリはギリシャ語で蜂蜜。
メルはラテン語で蜂蜜だ。
その後、アレクシオが姓を持たないがゆえに拒絶された時の話になった。
さらに後になって、元奴隷だと告白した時、シオスパ家はすぐさま彼を蹴り出したという。
アレクシオは強い男だ。
腕力や言葉で追い出せるような相手ではない。
しかし、メラニーを尊重し、大人しく追い出される道を選んだ。
数週間後、祖父のアエリウスが介入した。
シオスパ家の屋敷へ赴き、護衛もつけず、たった一人でシオスパ一族の前に姿を現した。
当然のごとく、アレクシオの真の地位を知ると、即座に態度を翻した。
一番驚いたのは、両親がアレクシオの地位目当てで結婚を認めたというのに、
メラニーもアレクシオも、そんなことはまったく気にしていないようだったことだ。
「親が何を言おうが、どう思おうが関係ないわ。アレクシオがシオスパの姓を名乗ることを認めてくれたなら、私にはそれが全てよ」
そういうことか。
姓と、祝福を与え……
そして盛大な結婚式を挙げたのだ。
◇ ◇ ◇
あまりにも多くのことを隠したままの会話の後、貴族街に新しくできたレストランへ行く時間だと決まった。
バンッ!
勢いよく扉が開いた。
「ダイくん! 何してるのっ!」
「いや……その、何もしてなかった」
「そんなの退屈だもん! お外で遊ばないっ?」
「外で? 何のために?」
「従兄弟たちと仲良くなるために決まってるでしょっ?」
腰に手を当てて、小首を傾げる。
「なんでそんなことしなきゃならないんだ? 嫌われてると思うが」
「嫌うわけないよっ! みんな興味があるだけだもん。カンデリウスお兄ちゃんは……うーん、私のお兄ちゃんだし、たぶん過保護になってるか、ダイくんに嫉妬してるかのどっちかだよっ!」
嫉妬? 何に嫉妬するというんだ?
だが、そんな疑問は意味を成さない。
ヴァレリアは手を引き、半ば強引に引きずっていく。
「行くよっ! みんな待ってるもん!」
そして、連行された。
◇ ◇ ◇
庭では、三人の少年が木の枝で遊んでいた。
「おーい! ダイくんを連れてきたよっ!」
一人が近づいてきた。
「お会いできて本当に光栄だよ、従兄弟のダリアン。姉 আমেরさんがどれだけ君の話をしているか、想像もつかないだろうね。寝言でも言ってるんじゃないかって時々思うくらいさ……もしかしたら、もう結婚したいって思ってるのかも。どこか特別なところに惹かれたのかな? あ……ごめん、ちょっと質問攻めにしすぎたね。僕はカッシウス。よろしく」
もう一人も近づいてきた。
「ダリアン、ジロジロ見て悪かったよ。小さい頃からすごく賢いって評判で、母さんもいつもその話をしてるんだ。僕はガイウス。よろしくね」
一番年上の少年は、柱のそばで腕を組んだまま立っていた。
「挨拶する価値もねえよ」
ヴァレリアが間に割って入った。
「カンデリウスお兄ちゃん、何言ってるのっ? ダイくんに優しくしてよっ!」
「なんでこんな温室育ちのガキに優しくしてやらなきゃなんねえんだ? こっちが何かを手に入れるために死に物狂いで努力してるってのに、こいつはヴァレリウスの息子として生まれたってだけで、最初から候補者扱いされてやがる」
(ああ……なるほど。結局は恐れか)
彼が持っていない優位性があった。
前世の記憶を持つ若者の思考力。
恵まれた環境。
明らかな才能。
圧倒的な差だ。
そして、彼自身もそれに気づいていた。
ヴァレリアの表情が変わった。
「カンデリウスお兄ちゃん……本気で言ってるの? お爺様が聞いたらガッカリするよ。ダイくんは……」
「チッ。お前のためだけに来てやったんだ。こいつのため? 笑わせるな」
地面に唾を吐き捨て、その場から立ち去った。
「えっと……」
「気にしないで、ダイくん。すぐに機嫌も直るもん。いつもこんな感じだよっ」
(おそらく変わらないだろうな)
それよりも重要なのは……
庇ってくれたということか?
ただの子供のわがままではなかった。
その表情。
手の動き。
前に立ち塞がるその姿勢。
そして、怒りで真っ赤になった顔……。
「ありがとう……その……庇ってくれて」
考えるよりも先に言葉が出ていた。
「ダイくん……?」
頬を赤らめ、うつむいてしまう。
また何も考えずに口走ってしまった。
話題を変えることにした。
「あー……その……遊びに来たんだろ? 遊ぼう」
地面から木の枝を拾い上げる。
どうやら、全員が意図を汲み取ってくれたようだった。
◇ ◇ ◇
遊び終わった後。
従兄弟たちと交流を終え、疲労困憊していた。
肉体的なものではない。アレクシオとの訓練の方がずっと過酷だ。
だが、自分でもよく分からない疲労感に襲われている。
剣遊び。
かくれんぼ。ここの庭は馬鹿みたいに広い。
鬼ごっこと呼ばれるもの。
それと、見つかったら彫像みたいに止まるゲーム。
単純な遊び。
子供の遊びだ。
ジュリエットが部屋に入ってきた。
「愛しい子、楽しかったかしら?」
「ああ、母さん」
「よかったわ。ずっと見ていたのよ……汗びっしょりじゃない。何も言わなかったの? お風呂に入りたくない?」
「ごめん、母さん。気づかなかった」
「まあ、今回は大目に見るわ。もうお湯の準備はできてるの。行きましょうか?」
頷いた。
部屋の反対側にある浴室へと連れて行かれた。
浴槽は巨大だ。
四人が入っても全く邪魔にならないほどの広さがある。
「ねえ、母さん……どこでチョコレート作りを覚えたんだ?」
頭を洗っていた手を、一瞬止める。
「お父様と結婚する前は、ショコラティエだったのよ。お店はまだあるけど、今は私の従姉妹が引き継いでくれているわ。お父様の援助もあって、事業を拡大して貴族街のいい場所に移転したの。今ではすっかり人気店になったわね」
「でも……どうやって王族の一員になったんだ? 父さんと?」
「お父様は、私と結婚するためにあなたのお祖母様と戦ったのよ」
「祖母さんと戦った?」
「あなたのお祖母様であるセレスティアは、天恵者なのよ、ダリアン」
「えっ? 本当か?」
「ええ。恐ろしい未来と……そして良い未来を見たの。でも、恐れていたわ。その恐ろしい未来が、息子の命を奪ってしまうのではないかって」
だから、初めて会った日、祖母は役に立つと言ったのか。
だが……正確には何の役に立つというんだ?
もし恐ろしい未来と良い未来の両方を見たのなら、どちらが現実になる?
もし役に立てるなら……どうすれば良い未来を引き寄せられる?
二度と同じことは起きてほしくない……。
まるで絶望を運命づけられているような気がして……分からない……。
---
入浴を終えた。
ジュリエットがシーツを整える間、ベッドに横になる。
「おやすみ、私の坊や」
「おやすみ、母さん……」
「愛しているわよ、私の小さな星」
「俺も……愛してるよ、母さん」
パンッと手を叩くと、蝋燭の火が消えた。
部屋を出て、静かに扉を閉める。
(愛している……? 分からない。そうかもしれないし、詐欺師だからそう思い込んでいるだけかもしれない。あるいは……それも防衛機制の一つか、昔のプログラミングと同じなのかもしれない)
いつか、それを確かめたい。




