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第六話 【普通の子供のように】

 訓練はいつも通り続いた。


 フェイント。

 回避。

 攻撃。

 反応速度を上げていく。

 そして時が経つにつれ、俺はこの新しい肉体に順応していった。


 だが、その全てのプロセスにおいて、一つの澱のような疑念があった。


 理解不能。

 説明不能。

 実行不能。


 それは、内部魔力の使用についてだ。


 論理は単純だ。外部のマナを、内なるものという思考をもって流動させる。

 第一段階の構造を理解しているなら、第二段階の処理も予測できるはずだ。


 なら……一体、俺のどこにエラーがあるというんだ。


 本来なら、体のあちこちが疼くような感覚があるはずらしい。

 例えば腕、脚、胴体、胸、そして脳に至るまで。


 アレクシオはその感覚を体の中に大量の蟻が這っているような感じと表現したが、俺にはそれが見つけられなかった。

 いや、正確には……ほとんど何も感じなかったのだ。


「焦ることはない、ダリアン。

 今理解できずとも、大事なのはまず体を鍛えることだ。

 その感覚は後からついてくる。

 今は他のことに集中しろ」


 アレクシオは円を描くように歩きながらそう言った。


 訓練の時、アレクシオは俺に対して敬語を使わない。

 それにしても、今日の彼は妙に様子がおかしい。

 というか、いつもよりかなり身なりが整っている。


「ダリアン、一旦終わりにするぞ」

「どうして? まだ続けられるけど……」

「俺の判断だ。師匠としての俺に従え。分かったな?」

「うん、分かった」

「さて、ダリアン様。

 本日は私のとても大切な人をご紹介します」


 そういえば、今日はアレクシオが奥さんを連れてくる日だった。

 だからこんなに洒落た格好をしていたのか。彼女も彼と同じ戦士のはずなのに。

 ええと……まだその辺の感覚がよく分からないな。


「弓が得意だって言ってたけど、本当?」

「もちろんです、ダリアン様。

 私の知る限り最高の射手ですよ」

「そっか、それは嬉しいな。

 弓がそんなに重要だとは思わなかったけど」


 本心ではそう思っていなかった。もちろん、攻撃魔法がない場合、弓は非常に有用だろう。

 だが、熟練の剣士が出せる速度は、矢の速度を凌駕していると推測される。


 それでも、どんなものかという疑問は残る。

 もしかして、内部魔力と同じ原理を使うのだろうか。

 とりあえず、今は普通の子供を演じなければ。


 知らない人と接すること以外にも、俺にはもう一つ大きな悩みがあった。

 従兄弟たちの視線だ。

 夕食の時、彼らは大抵、奇妙なものを見るような目で俺を見てくる。

 特にその中の一人、他の子よりも図体の大きい奴は、廊下ですれ違うたびに明らかな敵意を込めて睨みつけてくるのだ。

 カンデリウス……確かそんな名前だった。

 ヴァレリアの兄であり、ルキウスの長男。


「アーレ、ここだよ!」


 背後から声が聞こえた。


 振り返ると、緑色の髪と蜂蜜色の瞳を持つ女性がいた。

 とろけるような甘い声だ。

 少なくとも、その時の俺にはそう感じられた。


「メル! 依頼はどうだった?」

「あのデカいトロントをバラバラにしてやったわ」

「おいおい、少しは手加減してやったんだろうな?」


 二人はその場で口づけを交わした。彼女は片足をぴょこんと上げる。

 それから体を離し、俺の方を見た。


「ダリアン様、お目にかかれて光栄です」


 彼女は必要以上に深くお辞儀をした。


「お気になさらず。その……こ、こちらこそ」

「あなたも堅苦しいのは苦手、そうでしょう?」

「うん」

「その点では私たち、似た者同士ですね、ダリアン様。メラニー・シオスパと申します」

「よろしく、メラニー。

 俺はダリアン・セラフェル。まあ、知ってると思うけど」


 彼女はニコリと笑った。

 なぜ笑ったんだ。


 アレクシオが口を開く。


「私が彼女を愛している理由、お分かりいただけましたか。ダリアン様」

「愛している理由は分からないよ。それは人それぞれだろ。

 でも確かなのは、彼女がいるとアレクシオが幸せそうだということ。

 彼女がいない時でも、訓練中に彼女の話ばかりするくらいにはね」


 ……俺、今なんて言った。


「それは非常に的確ですね、ダリアン様」

「ダリアンでいいよ」

「え?」

「敬語もなしで」

「ですが、私は形式に従わなければ……」

「アレクシオ、俺に従うんだろ。次期候補として。なら命令する……いや、感じ悪いな。

 お願いだ、ダリアンって呼んでくれ」

「……はい、分かりました」


 メラニーが再び笑みを浮かべた。


「君は賢いのね、ダリアン」

「ありがとう……メラニー」

「メルって呼んでいいわよ、もしよかったら」

「分かった。メル」


 正直、どう呼べばいいのか分からなかった。

 ただ彼女がそう言ったから受け入れただけだ。

 そう言われたら、従うべきだろ。

 普通の子供に見えるように、そう、それだ……

 だが、俺の返答は普通の子供のそれじゃなかった。

 くそっ。時々自制が効かなくなる。


 それはさておき、二人は自分たちの馴れ初めを語り始めた。


 前にも言った通り、二人が出会ったのはある遠征でのことだ。

 一人の祝福者の少女を護衛する任務だった。

 どうやら、ごく少数の祝福者は毎年長距離を移動し、環境を変えなければならないらしい。

 同じ環境に長く留まると病気になってしまうからだ。

 その意味で、彼女は王に従う運命にあり、最高の護衛がつけられていた。

 俺が最近まで彼女と正式に会えなかったのはそれが理由だ。

 彼女はもう子供ではなく、二十歳近い女性になっていた。

 彼らが長年護衛していたのは彼女だったのだ。


 以前は年に四ヶ月ほどの任務だった。

 だが、重い病気がきっかけで、彼女を守るために最高の戦士たちを割り当てざるを得なくなった。

 アレクシオは同意するしかなかった。

  祝福者は王を守る存在だ。

 法により、王を守る全てのものは保護されなければならない。

 神聖なものと見なされる以上、拒否権はなかった。

 そうして彼らは大陸中を旅して回ったのだ。


 メラニーは彼女の家系における異端児だった。

 通常、戦士になるのは男だけだ。

 だが、その家系からは多くの戦闘員は輩出されず、他の分野の専門家ばかりが出ていた。

 つまり、メラニーはシオスパ家初の戦士だったのだ。

 彼女の甘い名前は、その戦闘能力と強烈な対比を生んでいた。


 当初、アレクシオの存在はシオスパ家にとって警報のようなものだった。

 彼に名字がないという事実が、彼らを苛立たせた。それは奴隷とまではいかずとも、下層階級であることを示唆していたからだ。

 彼自身が元奴隷だと告白した時、彼らは即座に彼を追い出した。


 数週間後、俺の祖父アエリウスがシオスパ家の屋敷に赴き、彼らを説得した。

 俺の推測では、アレクシオが王国で最も裕福な家系の将軍であると知って、即座に掌を返したのだろう。

 彼らはアレクシオに名字と祝福を与え、盛大な結婚式を挙げた。


 ---


 アレクシオはメラニーと共に、商業区にできた新しい酒場へと去っていった。


 それ以上のことは話してくれなかった。

 まだ隠していることがある。

 だが、この世界について少しだけ詳しくなった。


 祝福者(ベンド)天恵者(ブレス)には違いがある。


 祝福者。

 第三の眼と呼ばれる知覚能力を持つ者。

 不安定なマナを操作できる。

 あまり食事を必要としない。

 そして、無口だ。


 天恵者。

 物語に出てくるような存在。

 具体的なことは何も教えてくれなかった。

 だが、その口ぶりからして、祝福者とは全く異なる、遥かに強大な何かのようだった。


 バンッ!


 部屋の扉が勢いよく開いた。

 誰だかは明白だ。いつもこんな開け方をするのは一人しかいない。

 ヴァレリア・セラフェル。


「ダリくん! 何してるのっ?」

「あぁ……祝福者と天恵者について書いてたんだ」

「えーっ……退屈だもん。

 外で遊んで、従兄弟たちと会いたくないの?」

「会う? 俺、嫌われてると思うんだけど」

「なーに言ってんの、嫌われるわけないじゃんっ! みんな興味津々なだけだよ! 

 カンデリウス兄さんが睨むのは……まあ、私の兄さんだからっ! 

 あの人分からず屋だけど、心の底ではダリくんのこと気にかけてると思うんだ。ただ怖がってるだけだよ!」


 怖がっている、か。

 結局のところ、彼は従兄弟の中で最年長だ。

 彼の父親は長男だが、ルキウスは弟が当主の座を継いだ時に文句一つ言わなかった。

 リーダーになるには、ただ血を継ぐだけでは不十分だからだ。


 俺に次期当主の座を奪われるのが怖いのか。


 俺にその気はないと伝える方法があればいいんだが。

 直接言えば、彼の夢を侮辱していると思われるかもしれない。

 言わなければ、俺はリーダーに祭り上げられてしまうだろう。


 生まれてからこのかた、俺は泣かないことで自制心を示してきた。

 いわゆる老成した魂だ。

 アエリウスの眼を受け継いだ。

 優れた知性を見せつけた。

 そう……俺は全く隠そうとしなかった。

 それが今、仇となっているのかもしれない。


 ヴァレリアは俺の手を取り、思考の海から引き上げた。


「ほら行くよ、ダリくん! 

 庭でみんな待ってるからっ!」


 俺は抵抗せず、ただ流れに身を任せた。

 流れろ、止まるなってやつか。


 ……


 数分後、俺たちは庭に到着した。


 大きな噴水のそばで、木の枝を使って戦闘ごっこをしている三人の姿があった。


「お兄ちゃんたち、ダリくんが来たよ! 

 挨拶してっ!」


 俺は貴族の礼をした。

 利き手を胸に当て、軽く頭を下げる。

 彼らもそれを真似た。

 最年長の一人を除いて。


 一番背の低い少年が近づいてきた。

  白髪に青い瞳。


「お会いできて光栄です、従兄弟のダリアン。

 妹がどれだけ君の話をしてるか想像もつかないでしょうね。

 時々、寝言でも言ってるんじゃないかな……もしかして、もう結婚したいとか。君に何か見たのかな。

 えっと……ごめん、質問ばかりで。

 僕はカッシウス、よろしく」


 次にもう一人が進み出た。

 薄茶色の髪に青い瞳。


「ダリアン、ジロジロ見てごめんね。

 君が小さい頃から頭がいいって評判で、母上がいつもその話をするんだ。

 僕はガイウス、よろしく」


 最年長の少年は、柱に寄りかかったまま腕を組んでいた。


「挨拶する価値もねえ」


 彼が言ったのはそれだけだった。


 ヴァレリアが俺たちの間に割って入った。


「何言ってんの、カンデリウス兄さん!? 

 ダリくんに優しくしてよっ!」


「なんで俺が、温室育ちのボンボンに優しくしなきゃならねえんだ。

 他の奴らは必死に努力しなきゃ何も手に入らねえってのに、こいつはヴァレリウスの息子として生まれたってだけで、いきなり候補者扱いだ」


 ああ。


 そうか、やっぱり恐怖だったのか。

 俺には彼が持っていないアドバンテージがあった。

 前世の記憶を持つ若者の精神。

 恵まれた環境。

 明らかな才能。

 俺たちの差は歴然としていた。

 そして、彼はそれを知っていたんだ。


 ヴァレリアの表情が変わった。


「カンデリウス兄さん……本気で言ってるの。

 お祖父様が聞いたらガッカリするよっ。

 ダリくんはその地位を自分で勝ち取ったんだもん! 

 すごく賢くて、可愛くて、強いんだからっ!」


「ケッ。お前のために来ただけだ。こいつのため? 冗談じゃねえぜ」


 彼は地面に唾を吐き捨て、その場を去っていった。


「え……」

「気にしないで、ダリくん。

 すぐに機嫌直すからね。

 いつもあんな感じなんだよ」


 たぶん変わらないと思うよ、と言いたかった。

 だが黙っておくことにした。


 それよりも……彼女、俺を庇ってくれたのか。

 ただの子供の気まぐれじゃなかった。

 彼女の表情。

 手の動き。

 俺の前に立ちはだかった姿。

 怒りで顔を真っ赤にするほどに。


 考えるより先に言葉が出た。

「ありがとう……その、庇ってくれて」

「ダ、ダリくん?」


 彼女の頬が染まり、視線が地面に落ちた。


 なんであんなこと言ったんだ。

 また何も考えずに喋っちまった。


 俺は話題を変えることにした。

「えっと……その……遊びに来たんだよね。遊ぼうよ」


 俺は地面から木の枝を拾い上げた。

 彼らはそのメッセージを理解してくれたようだ。


 ---


 遊び終わった後、俺はへとへとになっていた。なぜだか分からないが。


 大げさなフォームでの剣術ごっこ。

 かくれんぼ。庭は広大だった。

  鬼ごっこと呼ばれるもの。

 そしてだるまさんが転んだのような遊び。


 単純な遊び。

 子供の遊び……

 ……極めて普通の。


 ジュリエットが部屋に入ってきた。

「たくさん遊んだかしら」

「うん、母様」

「そう、見てたわよ。汗びっしょりじゃないの。

 お風呂に入らないつもりかしら、若様」

「ごめんなさい、母様。気づかなかった」

「まあ、見逃してあげるわ。

 お湯はもう準備できてるの。行きましょうか?」


 俺は頷き、部屋の向こうにある浴室へと連れられた。

 言い忘れていたが、浴槽は巨大だ。

 四人が入っても邪魔にならないほどの広さがある。


 浴槽に浸かる。

 湯加減は完璧だった。

 母様はいつものように、俺と一緒に入ることにしたようだ。


「ねえ母様……どこでチョコレート作りを覚えたの」


 彼女はマッサージしていた手を一瞬止めた。


「お父様と一緒になる前、ショコラティエをやっていたのよ。

 店はまだあるけど、今は私の従姉妹が切り盛りしてるわ。

 お父様の援助で店を大きくして、貴族街の良い場所に移転して、随分と評判になったのよ」


 母様はその店のことを何度か口にしていた。


「でも……どうやって王族に? 父様と?」

「あなたのお父様が、私と一緒になるためにお義母様と戦ったのよ」

「お祖母様と戦った?」

「お祖母様のセレスティアはね、祝福者なのよ、ダリくん」

「えっ? 本当に?」

「ええ。彼女は恐ろしい未来と……良い未来を見たのよ。

 でも彼女は怯えていたわ。

 もしその恐ろしい未来が、息子の命を奪うことになったらどうしようってね」


 だから、初めて会った日、彼女は俺に役に立つだろうと言ったのか。

 でも……正確には何の役に立つんだ。

 もし彼女が恐ろしい未来と良い未来の両方を見たのなら、

 どちらが実現するんだ。

 そしてもし俺が役に立つなら……

 どうすれば良い未来を引き寄せられるのか。


 同じことが起こるのはごめんだ……。

 俺は絶望に運命づけられているような気がして……

 分からない……。


 ……


 入浴が終わった。

 俺はベッドに横たわり、ジュリエットがシーツを整えてくれていた。


「おやすみ、私の坊や」

 彼女は俺の額にキスをした。

「おやすみ、母様……」

「愛しているわ、私の小さなお星様」

「俺も……愛してるよ、母様」


 彼女が手を叩くと、蝋燭の火が消えた。

 彼女は退室し、扉を閉めた。


 俺は長い溜息をついた。

 彼女を愛しているのか……。

 その答えは分からない。

 たぶん愛している。あるいは、それもまた防衛本能の一つなのかもしれない……。


 そんな最後の思考と共に、俺は眠りに身を委ねた。

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