第二十六話 【赤髪の少女】
目の前にいる女は手を振り、ふっと息を吹く。
「この連中をずっと探してたんだ……」
こっちを見る前に、そう口にした。
「ん? 坊や?」
今のは内部魔力か? いや、そうは感じなかった…。
「坊や」
内部魔力の使い手と戦う時、特有の感覚が広がるものだが、そんな気配は一切なかった。達人のアレクシオでさえその存在感を放っていたのだから、違いはないはずだ。
「坊や!」
その大声に思わずビクッとする。
「何?」
「ここで何をしてるのかって聞いてるんだよ」
「何をしてるか? まあ、通りすがりだ。行かなきゃいけない場所があって……」
「なるほどね。ちょっと待ってな、まだ一匹残ってる」
顎で、肩に矢を受けた男を指し示す。地面で苦痛にのたうち回っている男だ。
毒が塗られているようだ。いや、矢の全体に毒が回っている。
自分の手を見ると、付着していた毒が蒸発していくところだった。
(間違いない……)
もっと早くこうなっていればよかったのに……。
「おや、お魚が」
(ん?)
顔を上げる。女は片膝をつき、盗賊がのたうち回るのを観察していた。
「頼む……家族が……命令に従っただけなんだ……こんなことしたくなかった……」
「あぁ、したくなかったのかい、お魚さん?」
「そうだ……あいつが……どれだけ恐ろしい奴か、あんたも知ってるだろ……」
「そんなに恐ろしいなら、どうして仲間になったんだ?」
「金が必要だった……今はただ、家族を守りたかっただけで……」
「自分の姿を見てみなよ」
女は立ち上がり、男を見下ろして唾を吐きかけた。
「……あんたのせいで罪のない人々が死に、たくさんの子どもたちが奴らの手に落ちた。それを誇りにでも思ってるのかい?」
「何を……?」
「そして今度はこの子をあいつのところに送ろうとした……いや、その矢で殺そうとしたね。どうしてだ?」
「こ、このガキが思いのほか強くて……」
「ああ、それで?」
男は一瞬、俺を見た。それから女を見る。その顔に涙が浮かぶ。
唇が震えていた。
「すまない……クリスタ……最低の父親だった……」
肩から矢を引き抜き、そのまま自分の首へ突き立てた。
女はただ一言、そう口にする。
「チッ……世界ってのはこういうもんだろ?」
凍りついた。
人の死を目の当たりにしたのは、これが初めてだ。
いや、以前、日本にいた頃、死んで当然の人間を殺したことはある。
だが、そいつの帰りを家で待っている者がいるかどうかなど、立ち止まって考えたことは一度もなかった。
【あいつらは酷い連中だった。正当化されるはずだ。】
(たとえ正当化されるとしても……)
【正当化される。あいつらがどれほど酷い連中だったか。】
(人殺しだ。少なくとも見つけ出せた限りでは。)
【だったら? なぜ気にする必要がある?】
「おい坊や、悪かったね。あいつがこんな反応をするとは思ってなかった」
女の声に、思考を遮られた。
「えっと……ほら……場所を変えようか?」
だが、女は顔を上げ、姿を変える魔物の方を見た。
「ああ、変化の魔物か。坊や、こいつが目当てで来たのかい?」
そして再びこっちを見た。今度は好奇心を浮かべて。
「知り合いの女の子に似てたから。危険な目に遭ってるのかと思って」
「ああ、奴らの常套手段だ。精神を騙すんだが、それは視覚的なものだけさ。実際には、模倣している相手がどんな人物かまでは分かっちゃいない。特にこれといった理由で狩られるわけじゃないが、単に危険だから近づかない方がいいってだけさ。ああ、まあ……人を誘い込むために利用されたりもするんだろうけどね」
こちらの言葉は、彼女を完全に納得させたわけではないようだった。ただ軽く唸り声を上げると、そこにあったシャベルを使い始める。
数分後、彼女はその男を埋葬し、残る二人の男をロープで縛り上げた。
「ああ、そういえば、どこへ行く途中だったんだい?」
「エルピダへ」
「本当かい? アタシはそこに住んでるんだ。よかったら一緒においでよ」
「本当か?」
「ああ。何しろ、子どもを守るのがアタシの義務だからね。それに、こんな場所に子どもを一人で置いていくわけにはいかない」
女は歩き出す。
そして指笛を吹いた。
すると瞬く間に、二頭の馬が現れる。
「おや、アバグにクリオ、来るのが早かったね」
「アバグとクリオ? 早いな……」
「ああ、最高の子たちさ。アタシの馬だよ」
彼女は馬たちの背中を撫でた。
手慣れた様子で、二人の男を片方の馬に乗せる。
「よし、行くよ」
女は大きな方の馬、アバグにまたがり、腕を伸ばした。
「おいで、坊や。アタシは腹ペコなんだ」
「あ、うん、悪い」
手を握ると、そのまま引っ張り上げられた。
彼女の前に座らされ、手綱を握る。
「ねえ坊や、あんた誰の息子だい? エルピダで、あんたに似た顔は見たことがない。少なくともアタシの知る限りはね。エルピダの住人は全員知ってるんだけど……」
「えっと……そこが故郷じゃないんだ。家族を失って。それで、エルピダに行くのがいいんじゃないかって思ったんだ、すごくいい場所だって聞いたから」
「いい場所ではあるけどね、あんたはまだほんの子どもじゃないか。あそこでどうやって生きていくつもりだったんだい?」
「分からない……なんとかするつもりだった……少しはお金も持ってるし」
「ふぅん、なるほどね。アタシは宿屋をやってるんだ。よかったら泊まっていきな」
本気で言っているのだろうか?
「もちろんタダだよ。あんたみたいな子どもからお金を取るわけにはいかないからね」
「せめて掃除くらいはさせてもらえるか?」
「本気で言ってるのかい、坊や?」
「ああ」
「まあ、いいよ」
馬が嘶き、軽く跳ねた。
「なんだか興奮してるね。アバグは子どもが大好きなんだ。いつも守ろうとするのさ。信じられるかい? 昨日なんて、子どもを騙そうとした商人を蹴っ飛ばしたんだよ。すごい子だろ」
「ああ、そうだな……すごい……」
彼女は体勢を直してくれた。悪い姿勢で窮屈そうにしていることに気づき、少し持ち上げて馬の上にしっかり座らせてくれたのだ。
「さて、着く前にあんたの名前を聞かせておくれ。いつまでも坊やって呼ぶわけにもいかないからね」
「俺の名前はダ……ダイキ。それが名前だ」
「ダイキ?」
一瞬、彼女は黙り込んだ。その表情は見えない。前を見据えたまま、数分間何も言わなかった。
「そうかい。それで、家族を失ったんだったね?」
「ああ、ひどい……ことになって……」
「分かった。それなら、アタシの宿屋で暮らすといい……よろしくね、ダイキ。アタシはマリアっていうんだ」
マリア……。
その名前……。
どこで聞いたんだったか?
「マリア? 助けてくれてありがとう」
その後、奇妙なほどの疲労感に襲われた。十分な食事をとっておらず、アドレナリンも切れてしまったからだ。そのまま、彼女の腹部に頭を預けて眠りに落ちる。
意識が完全に途切れる直前、ある言葉が耳に届いた。
「ダイキ……どうしてそんなにたくさんのものを背負ってるんだい?」
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目を覚ますと、ベッドの上にいることに気づいた。
「いつの間に……?」
上体を起こす。屋敷に戻っていることを期待したが、そこは違った。
壁は古びていて、風で窓がガタガタと揺れている。
「どうなったんだ?」
ゆっくりと立ち上がる。
マリアと一緒に馬に乗っていたことは覚えている。それから……。
いや……まさか……同じ人物か?
マリア。
肩まである短い赤髪。
エルピダ。
ありえない。ルビーの姉だ。
慌ててベッドから降り、部屋を出た。
廊下の突き当たりで、マリアが待っていた。
「お目覚めのようだね。何時間も寝てたよ。お腹が空いてるんじゃないかい?」
何も言えなかった。言葉が出ない。
目の前にルビーの姉がいて、どう反応していいか分からなかった。
やがて、ぐっと拳を握りしめる。
「ああ、すごく腹が減ってる」
「よし。おいで、ごちそうしてあげるよ」
こっちへ来るようにと合図される。
廊下は湿った匂いがして、床板が軋み、屋根からの雨漏りを受けるためのバケツが置かれている。
だが、そんなことはどうでもよかった。
肉の香りに釣られて、無意識のうちに足が前へと進んでいた。
「うちの特製さ。コネドリーの肉に、エルピダにしか生えない香辛料を使ってる。それに、ペプロの葉を肉に添えることで、他にはない食感が出るんだ」
「ペプロの葉?」
「ペプロという植物の特別な葉っぱさ。ミントの仲間なんだけどね。ミントは口の中をスッキリさせるのに使うけど、こっちは独特の風味を出すために使うのさ」
そんな葉のことは知らなかった。
「さあダイキ、冷めちまうよ」
「ああ、分かった」
テーブルに座り、肉を切り分ける。
フォークに肉の塊を刺したものの、なかなか口に運ぶ気になれなかった。
「ダイキ、何度も言わせないで。お食べ」
フォークを口に運ぶ。そして……その味は言葉では言い表せないほどだった。
あまりの美味さに、気づけば猛然と食べ始めていた。空腹に完全に支配されたように。
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マリアは何かを探すために外へ出た。
何を探しに行くかは言わず、ただ、時折ビクッとしてしまうような大きな声で「ここで待ってな、坊や」とだけ言い残した。
その様子は、なぜかジュリエットを思い出させる。結局いつも、言う通りにさせられていたからだ。
(ここがエルピダか……)
窓の外を見る。
小さな村ではなく、大きな町だった。
ルビーから、この場所についての話をいくつか聞いたことがある。
最初は小さいと言っていたが、おそらく発展して大きくなったのだろう。
しかし時が経つにつれ、人々はゼレニアへと移り住み、今では人口が減り続けている。
それが、この町について知っていることのすべてだ。
部屋に戻り、鞄を手に取る。別れ際にオソリオが言っていたことを思い出した。この町に住んでいるというエレナとかいう人物……だが、見つけられるだろうか?
靴を履き、マントを羽織って外へ出ようとする。
「あ、ちょっとダイキ。そんな服で出かける気かい?」
だが、出て行く前にマリアに止められた。
「服をもらってきたんだ。ベアトリスさんが息子のお下がりを持っててね。もう息子も大きくなったし、新しく子どもも産めないからって、譲ってくれたのさ」
「服……? 別にそんなに必要じゃ……」
「つべこべ言わない。それに、雨漏りする宿とはいえ、うちにも基準ってもんがあるんだ。ここに居たいなら、アタシが用意した服を着ること。分かったね?」
「分かった……」
「よし。着替えたら、町を見て回ってくるといい」
服を受け取り、きびすを返した。
---
町は賑わっていた。
大人たちは広場に集まり、子どもたちは近くの大きな木で遊んでいる。
見ず知らずの余所者であるにもかかわらず、彼らは白い目を向けることも、陰口を叩くこともなかった。おそらく、マリアが何か手を回してくれたのだろう。
「あなたがダイキね?」
「ああ、何かあったのか?」
「いいえ、別に。でも、私があげた服、サイズは合ってる? どこか合わなかったら縫い直すわよ」
「いや、大丈夫だ。服をくれてありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ、散歩を楽しんでね」
頷き、再び歩き出す。
「待ってくれ、ベアトリス。一つ聞きたいことがある」
「あら? ええ、もちろん」
振り返り、小走りで近づいてくる。
「何かしら?」
「エレナって人を知らないか? 伝言を頼まれてるんだ」
「エレナ? うーん、そういえば、随分と会いに行ってないわね。あっちも人が訪ねてくるのを嫌がるし……ええと、そうね、どう説明したらいいかしら」
顎に手を当て、それから指を差した。
「あの通りを進んで。家を四軒通り過ぎてから右に曲がると、他の家より古びて見える家があるわ。それがエレナの家よ」
「ありがとう」
微笑み、自分の用事へと戻っていった。
マントを直して、教えられた通りに進む。
そこで、その家を見つけた。
文字通り、別の時代から来たかのような家が、近代的な家々の中にぽつんと建っている。
近代的というのは、建築素材の加工が新しいという意味だ。
扉に近づき、息を呑んでから、ノックをして中へ呼びかけた。
一分経過。返事はない。
二分。椅子が動く音が聞こえた。
三分……慌ただしい足音。
「誰だい、こんな時間になんの用だ? 砂糖なら切らしてるよ。帰んな」
扉が勢いよく開き、こちらを睨みつける。
エレナは想像以上に年老いた女性だった。オソリオよりもずっと歳をとっているように見える。
「子ども? なんの用だい、クソガキ」
「伝言を持ってきたんだ、エレナ」
「伝言? ばかなこと言ってんじゃないよ、もし……」
鞄から預かっていたものを取り出し、手渡す。
「この袋……誰から渡されたんだい?」
「中身を知るまでは、それは重要じゃない」
老女は袋の中から一つの指輪を取り出した。
「これは……どこで手に入れたんだい、あんた? 誰から盗んだ?」
冷静さを保った。
「盗んでない。その人があんたに渡してくれって頼んだだけだ。ここに来る途中だったし、ついでにその願いを聞き入れたんだよ。助けてもらったからな」
葛藤しているようだった。手の中の指輪をきつく握りしめる。
その一方で、横目で睨みつけてくる。右目は絶えず痙攣していた。
「オソリオがこれを渡したのかい? 自分じゃ来れなかったって? そのために子どもを使いによこしたのかい? どこまでも臆病な男だよ、あいつは」
「でも、ずっとあんたを愛してた。だからこそ、決して戻らなかったんだ」
「何だって?」
「俺は何も言ってない。彼が話したことだ。すごく怖がってた。それほど愛していたからこそ、なぜあんたがエルピダへ行ったのか理解したんだ。だからこそ、もう誰も傷つけないように残ることを選んだ。それに、彼の力じゃ、発展し始めているこの町に受け入れられるはずがない」
「子どものくせによく回る口だね。でも、伝言はありがたく受け取るよ。さあ帰んな、考え事をしたいんだ」
何かを言う前に、扉は勢いよく閉められた。
これでよかったのだろうか?
残されたのは、不確かな思いだけだった。
あんな反応をするとは予想していなかった。
もっと別のことが起こると思っていた。だが、人生とはそういうものなのだろう。
今頃どこかで、母は辛い思いをしているはずだ。そしてヴァレリアは悲しみに打ちひしがれているかもしれない……俺は、そうではないと信じようとしているのに。
エレナに会って、時間というものがどれほど人を傷つけるのかを思い知らされた。
オソリオのようにはなるまい。いつか、事態が落ち着いてすべてが良くなった時には、必ず帰ろう。
俺の探し求めるものは、本当に実現できるのだろうか?
それを確かめたい。




