第十五話 【朝のチョコレート】
エミリアがあの廊下で俺に本を読んでから三日が経った。
正直に言うと、待っていてくれるとは思っていなかった。
つまり、どの日も前の日と同じようにはならないと本気で思っていたのだ。
だが、まだ背を丸めているとはいえ、少なくとも待っていてくれた。
そして、ほんの少し――廊下に出るだけだとしても、外に出ようとしてくれていた。
この三日間、ずっと絵を描き、エミリアは本を読んで過ごした。
読んだ本の中には、またしても『フィリップ王子』があった。
一日目はかなり早口で読んでいたし、本自体もそれほど長くはなかった。だから今度は、もう少しゆっくりと、感情を込めて読んでほしいと頼んでみた。そうすれば廊下のことも忘れ、俺にだけ集中してくれるかもしれない。
本来はそうではなく、もっと外の世界を見てほしいのだが、今はこれでいい。
エメリンと生花店の本も読んでいた。
自分にふさわしい居場所を求めて奮闘する女の物語だ。
お気に入りというわけでもなく、植物にも詳しくないはずだが、まるで全てを知っているかのように読み上げていた。
「やあ、エミリア。準備はいい?」
再び部屋に顔を出して、最初にそう口にする。
「え……?」
エミリアはじっとこちらを見つめてきた。
俺が何を言っているのか分からないという様子だ。実際のところ、分からないだろう。
今の時点では、ただの思いつきで動いているだけだからだ。
両親には、少し外に出て新鮮な空気を吸ってくるように言ってある。
夫婦でリラックスするか、何か他のことをして過ごすようにと伝えたのだ。
使用人たちにも、この棟には立ち入らないよう手配した。
警備が手薄になるとして最初は渋られたが、安全を守るには俺がいれば十分だ。
それに、レオフルの屋敷に忍び込もうとする命知らずなどいない。
「準備? 準備って何のこと、ダリアンくん?」
エミリアは本を抱きしめるようにしてうつむいた。
「少し廊下を歩くためのね。庭を見たり……それに、チョコレートを作ってみたりするのもいい。ママから少し教わったんだ」
弾かれたように顔を上げたが、何も言わない。
そのまま話し続けた。
「俺が個人的に好きなものを知ってもらいたいんだ。歩くこと、観察すること、分析すること、それからチョコレート。他の人にはくだらないことかもしれないけど、俺にとっては必要なことなんだ。君が本を読むのが好きなように、俺は見ることと考えることが好きなんだよ」
気持ちを知ることは、支援のための効率的な手段だ。理解を深め、解決策を見つける手助けになる。
とはいえ、それがかなり複雑な作業になることは分かっていた。
だから、棟の中を少し散歩するくらいなら大した負担にはならない。
午前中をチョコレート作りに費やすことも同様だ。
「分かったわ……」
あまり納得していないようだったが、本の後ろに隠れることもしなかった。
それどころか、すでに本を手放し、脚のそばに置いている。
じっとこちらを見つめ、唐突に立ち上がった。
「いいわ、行きましょう」
そうして、歩き始める。
レオフル家の屋敷は間取りが優れている。
壁には絵画が飾られ、水術に関するものが数多く見受けられる。
また、個人用の魔法陣もいくつかあるが、今はもう使われていない。
かつて町に供給を行っていた魔法陣は、より効率的なものに置き換えられたため、今では芸術作品と化している。
すでにノートに記録済みだ。
エミリアは二歩後ろを歩いていた。
背を丸め、床を見つめている。
わざと立ち止まると、背中にぶつかってきた。
「あっ! ごめんなさい!」
「エミリア、一つ言ってもいい?」
「えっ? も、もちろん」
落とした本を拾い上げ、こちらを見た。
「これらを全部見て、どう感じる?」
大きな窓に近づく。
「この庭を見た時、という意味だけど」
エミリアがさらに近づいてきた。
窓の外を見て、俺を見て、また窓の外へと視線を戻す。
「ええと、とても綺麗だなって……これまで見たことがなかったから……もっと早く見るべきだったのかも……待って、あれは私……?」
自分と瓜二つの形をした植木を指差した。
ただ、それは今の彼女よりも若く、輝くような笑顔を浮かべている。
「なるほど。あの植木はずっと手入れされていたんだな……」
エミリアを見てから、植木に視線を移す。
「歩き続けようか? 厨房は近いよ」
もうしばらくの間、それを見つめていた。本人にとっては大きな発見だったのだろう。
やがて、新たな決意を宿したかのようにこちらを向き、隣に並んで歩き始めた。
厨房に着くと、エミリアにエプロンを渡した。
そして調理台に近づく。
ここには様々な材料が揃っている。
チョコレート作りに最も重要なのは、カカオパウダー、カカオバター、砂糖、そして牛乳だ。
香り付けのバニラや、味を引き立てるためのひとつまみの塩もある。
カカオ豆はテオコの森と呼ばれる特別な森で育つ。
収穫には最適な環境であり、大量に自生している。だが、そのカカオ豆を最大限に活用したのは、ジュリエットの母であるジュリーだった。
その豆をより美味しく味わう方法を発見したのだ。
祖母がどんな人だったのか、詳しいことはあまり知らない。
母の名前は、ジュリーとその父親であるマテオから取って名付けられたという。
二人ともすでにこの世にはいないが、その名前の中で生き続けている。
テオコの森はとても近い。ゼレニアの王都のほぼ隣にあると言っていい。
特に南区からなら、あっという間に着いてしまう距離だ。
「さて、始めようか」
「は、始める? で、でも、ダリアン、私こういうのは全然分からなくて……」
「俺もだよ。記憶を頼りにやってるだけだから、実力はほぼ同じさ」
まずやるべきことは、カカオ豆を焙煎することだ。
フライパンを手に取り、中火にかける。
この世界のオーブンで調理に使われる魔法陣を利用した。
前の世界の熱源と比べると遥かに効率的だ。余計な汚れも出ない。
ただ、定期的に魔力を補充する必要がある。そのため、多くの人にとっては頭痛の種になっている。
カカオ豆が香りを放ち始めたら、次は皮を剥く作業だ。
「エミリア、俺がやってるみたいに皮を剥いて」
「は、はい」
その後、残ったのはカカオニブだけ。
純粋なカカオの欠片だ。
「次はこれをすりつぶすんだ」
すり鉢を手に取り、中にカカオニブを入れる。
エミリアも自分のすり鉢を持ち、恐る恐る作業を始めた。
優しく扱いすぎているせいで、うまく砕けていない。
「いや、もっと力強くやって。心配しなくていい。ちゃんとやれば、いい結果になるから」
エミリアは少し躊躇した。俺を見てから、確認するようにすり鉢に視線を落とす。
小さく頷き、再び挑戦する。
今度は、よりしっかりとした音が響いた。
「うまくできてるよ、エミリア」
少しずつカカオニブが崩れ始めた。
天然の油分が溶け出し、ドロっとしたペースト状に変わっていく。
「これで……いいの?」
手を止め、少し不安そうにこちらを見る。
近寄って、混ざり具合を確認した。
頷く。
スプーンで少し掬い上げ、再びすり鉢の中へと落としてみせる。
「こんな風になれば正解だ」
エミリアは頷き、再びすりつぶし始めた。
今度はもっと自信を持った手つきだ。時折、こちらの様子を窺ってくる。
作業が終わると、ペーストを容器に移し、弱火でゆっくりと温める。
「ここからが重要なところだ」
砂糖を少し取り、混ぜ合わせる。
続いて少量の牛乳と、カカオバターを加えた。
「これで味と滑らかさが決まるんだ」
エミリアはそれを見つめていた。
「私……やってみてもいい?」
「ああ、いいよ」
脇に退く。
エミリアは慎重に混ぜ始める。
最初はぎこちなかった。だが、徐々にその動きは……何と言うか。滑らかに。的確に。あるいは、もっと確かなものになっていった。
厨房を満たす甘い香りを嗅ぐと、エミリアは少しだけ顔を上げた。
まるで、空気の明確な変化に気づいたかのように。
「ダリアン、これ……すごくいい匂い。なんていうか……」
「それがカカオの魔法さ」
「カカオの、魔法……」
それ以上は何も言わなかった。その必要はなかった。
すべてを理解したようだった。以前のように背を丸めることも、もうなくなっている。
ペーストが仕上がると、家から持ってきた小さな型にそれを流し込んだ。
「あとは待つだけだ」
エミリアは興味深そうにこちらを見た。そしてしゃがみ込み、オーブンの中を覗き込む。
どこか魅了された様子で、ガラス越しに見つめていた。
「これで……終わり? 私たち、あの有名なチョコレートを作ったの……?」
「有名なチョコレートかは分からないな、うちのママが作るのは魔法みたいなものだから。でも、間違いなく基本的なやつだ。ジュリエットの母親が作ってたものを完全に再現できるわけじゃないけど、少なくとも工程自体は良かっただろ?」
「え、ええ、楽しかったわ……待って、私が作ったの?」
「そう、君が作ったんだよ」
エミリアがまだオーブンを見つめ続けている間、しばらくしてから日記を取り出し、こう書き留めた。
今日、エミリア・レオフルはチョコレートを作り上げた。何より素晴らしいのは、自分にはできないと思いながらも、完成するまで諦めなかったことだ。つまり、その気になれば彼女はとても強いということだ。
エミリアはその体質ゆえに過去の出来事を忘れられない祝福者だ。乗り越える唯一の方法は、それを受け入れ、立ち向かうこと。祝福者としての精神は強いはずだから、きっとできるだろう。そして、彼女が自分の人生を前に進めていけるよう願っている。俺の仕事が終わった後も、二度と塞ぎ込まないことを祈る。
三日目・チョコレートの工程
力強く本を閉じる。
手を伸ばし、それだけでオーブンを消した。
「よし、もうできてるはずだ」
布を手に取り、オーブンから天板を取り出した。
それを調理台の上に置く。
立ち上る香りが厨房全体に広がった。
オッドアイの白猫さえも引き寄せられてきたほどだ。
「まあ、ガスパ、こんなに大きくなって!」
ほんの一瞬、エミリアは猫を見て喜んだ。抱き上げて撫でてさえいる。
「猫がチョコレートを食べられるのかは知らないけど、食べさせないわよ、ガスパ」
数分間冷ました後、ようやくチョコレートを試食する準備が整った。
「どう? どんな感じ?」
エミリアはひとかけら手に取り、口に運んだ。
目が大きく見開かれる。
「あっ……! すごく……美味しい」
止まることなく食べ続け、とうとう止めに入らなければならないほどだった。
「食べ過ぎないで。これを食べるには、一日に三食きちんと食べなきゃいけないんだ。そうすれば、夜にチョコレートを食べられる」
「本当に……? でも……」とエミリアが不満を漏らす。
「それがチョコレートの条件なんだ。うちのママもそう言ってる」
「分かったわ……」
うつむいたまま手を伸ばすのが見えた。その唇がわずかに開いている。様々な意味に取れるが、一番理にかなっているのは、それが笑顔だということだ。
「エミリア……」
「ごめんなさい、ごめんなさい。デザートとしてね、分かってるわ」
ガスパもひとかけら奪おうとしたが、空を切るだけだった。
◇
さらに一時間後、残りのチョコレートを箱にしまい、鍵をかけた。
「夕食の時間まではフレデオが保管しておくから。昼食、おやつ、そして夕食を食べたら、チョコレートをもらえる。いいかい? ほんの少しだけだけどね」
「うん、頑張ってみる……」
帰ろうと背を向けたが、その声に呼び止められた。
「ダリアン、あの……一緒に時間を過ごしてくれてありがとう、でも……部屋まで付き合ってくれる?」
「ああ、行こう」
ドアは閉めずに部屋まで送り届けた。それから、自分の家へと戻る。
外のテーブルではレイアとネレアスが待っていた。お茶を飲みながら、夫婦の会話でもしていたのだろう。
「おお、ダリアンくん。娘の様子はどうでしたか?」
「ええ、娘の様子はどうだったの?」
二人はまったく同時にそう言った。
「チョコレートを作ったんだ。おそらく昼食も食べるはずだよ……」
それを聞いて、レイアは歓喜の悲鳴を上げそうになる。
「でも……」
それでも、その熱狂を抑え込んだ。
「まだ部屋で食事をするつもりだ。少なくとも本人は努力すると言っていたから、プレッシャーはかけないでほしい。昼食を運んで、必要なら中に入って。食事を渡すだけで、何も言わないこと。強くいてほしい。悲しそうな目でも、嬉しそうな目でも見ないでくれ。自分が二人を嫌な気持ちにさせていないと、知る必要があるんだ。分かった?」
二人は顔を見合わせ、それから俺を見た。
「本当に老人のような話し方をしますね、ダリアンくん……分かりました、言う通りにしましょう」
そう言われ、自宅へと帰路につく。
自宅?
ああ、前の人生で自分に問いかけた疑問だ。
ジュリエットは、とうの昔に失ったと思っていた感情を思い出させてくれる女性だ。
ヴァレリアは、俺が時折冷たく当たっても、無条件でそばにいてくれる。
ヴァレリウスは書類仕事に追われているにもかかわらず、常に俺と過ごす時間を作ってくれる。
アレクシオやコービンでさえ、本当の甥のように扱ってくれる。
ため息をつき、ポケットから何かを取り出した。
今は鍵を持っているので、誰かがドアを開けてくれるのを待つ必要はない。
家に入り、そのまま自分の部屋へ向かう。
あまりの疲れに、ベッドに倒れ込んだ。
ここは本当に家なのだろうか?
俺は本当にその問いに答えたのか?
いや。
家が何であるかを知らないまま過ごした十八年。それに加えて、この新しい世界での六年。
そう簡単には消えないものだ。
◇
数時間後、厨房に下りた。
図らずも、調理台に座る母と、キスをしている父に出くわしてしまった。
「あっ、ダリアン……その……!」
「ダ、ダリアン、ママはちょっと気分が悪くて、ただ……」
二人を慌てさせる必要はなかった。
「ママ、パパ。チョコレートを作ったんだ」
「えっ……? ダリアン……チョコレートを作ったの? どうりで私の型が一つ足りないわけだわ」
ジュリエットは飛び降りて近づいてきた。
「うん、部屋に置いてある。後で持ってくるよ。あ、教えてくれてありがとう。エミリアはすごく上手に作れたよ。むしろ、食べ過ぎようとしてたくらいだ」
ヴァレリウスは咳払いをして、髪と服を整えた。
「そ、それじゃあ、私は書類仕事に戻るとしよう」
俺の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「ママを頼むよ、ダリアン」
耳まで真っ赤にして立ち去っていった。
「ママ?」
「な、なんでもないわよ、ダリアン。きっとただ暑かっただけだわ」
「分かった」
暑かった?
人間がなぜこのような生理的反応を示すのか、さっぱり理解できなかった。




