第2話 秘密の工房と、最初の仲間
決意を新たにした翌日から、私の秘密の計画は始まった。
まずは情報収集。10歳の侯爵令嬢という立場は、意外と便利だった。大人たちは子供の好奇心を無邪気なものと捉え、警戒心が薄い。私は書庫に入り浸り、領地の歴史や産業に関する資料を読み漁った。父であるグリュース侯爵や、領地の運営を任されている筆頭側近のアルト様の会話にも、それとなく耳を澄ませる。
(やっぱり…ゲームの通りだわ)
ディルフィア領は、かつては豊かな果樹栽培と、それを使った素朴な焼き菓子で知られていた。しかし、近年は貴族たちの関心が中央の社交界や投機的な事業へと移り、伝統的な産業は衰退気味。領民たちの生活も、決して楽ではないらしい。資料や会話の端々から伝わる現状は、ゲームで語られた「悪役令嬢マティルドが財政を傾ける前の、緩やかな衰退期」そのものだった。
(でも、だからこそチャンスがある!)
幸い、領地の土壌は果樹栽培に適しているし、腕の良い職人がいなくなったわけではない。そして何より、私には前世で培ったパティシエの知識と、この世界の伝統的なレシピを改良できるアイデアがある。
「問題は、活動拠点と…協力者ね」
こっそり計画を進めるには、侯爵邸の中では目立ちすぎる。領内を散策するふりをして、使えそうな場所を探す日々が続いた。そして見つけたのが、村はずれにある、忘れられたように建つ石造りの古い蔵だった。かつては領主が収穫物を保管していたらしいが、今は蔦に覆われ、誰も近づかない。
(ここなら、秘密基地にぴったり!)
埃っぽく、蜘蛛の巣が張った蔵の中を掃除するのは大変だったけれど、なんだか宝探しみたいでワクワクした。古い木箱の中から、偶然にも埃をかぶった一冊の古いレシピ帳を見つけた時は、思わず歓声をあげてしまったほどだ。革表紙には、かろうじて「ディルフィアの恵み」と読める文字が刻まれている。
そんなある日の午後、蔵の周りの伸びすぎた草をむしっていると、近くの果樹園から快活な声が聞こえてきた。
「あら? あんた、見ない顔だね。侯爵様とこのお嬢様かい?」
声の方を見ると、木に登って枝の手入れをしていたらしい、そばかすの浮かんだ元気そうな少女が、ひょいと身軽に地面に降り立った。年は私と同じくらいだろうか。日に焼けた肌に、動きやすい農作業着。手には剪定ばさみを持っている。
「えっと…はい。マティルド・フォン・グリュースと申します」
「やっぱり! あたしはフローラ。この辺の果樹園の手伝いをしてるんだ。で、お嬢様がこんな所で草むしりなんて、どうしたのさ?」
フローラと名乗った少女は、貴族令嬢である私を前にしても、全く物怖じする様子がない。その屈託のない笑顔と、好奇心に輝く大きな瞳に、私はかえって好感を覚えた。
「実は…この蔵で、秘密のことをしようと思って」
「秘密のこと?」
フローラの目が、ますますキラキラと輝く。これは、下手に隠すより正直に話した方が良さそうだ。私は意を決して、自分の計画――この蔵でお菓子を作って、領地の人たちを笑顔にしたいこと、そしてそのためにはこの土地の美味しい果物が必要なこと――を打ち明けた。もちろん、転生やゲームの話は伏せて。
最初は「侯爵令嬢がお菓子作り?」と目を丸くしていたフローラだったが、私の真剣な表情と、レシピ帳に描かれた美味しそうなお菓子のスケッチを見るうちに、その表情は驚きから興味へと変わっていった。
「へえ…! あんた、面白いこと考えるんだね! このリンゴとか、そこのベリーとか、うちの畑のもすっごく美味しいんだよ! それが、もっと美味しいお菓子になるってのかい?」
「ええ! このレシピと、私の知識があればきっと! …だから、フローラ。お願いがあるの。私に、この土地の果物のことを教えてくれませんか? そして、もしよかったら…一緒に、この秘密の工房を手伝ってほしいの!」
貴族令嬢が村娘に頭を下げるなど、普通ならありえないことだろう。けれど、私にとってフローラは、身分など関係なく、心惹かれる「仲間」候補だった。フローラは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにニカッと笑った。
「いいよ! 面白そうだし、あたしも美味しいものには目がないからね! その代わり、出来上がったお菓子、一番に味見させてよ!」
「もちろん!」
こうして、私にとって初めての、そして最高の協力者ができた瞬間だった。
それからの日々は、まさに秘密基地作りと実験の連続だった。フローラは持ち前の行動力と知識で、蔵の掃除や修理を手伝ってくれただけでなく、果樹園から最高の状態の果物をこっそり運んできてくれた。私は前世の知識を総動員し、簡易なオーブン代わりに使えそうな古い魔道具を蔵の中で発見し、修理・改良した。
そして、いよいよ最初の試作品作り。選んだのは、レシピ帳の最初にあった「おばあちゃんのリンゴタルト」。フローラが持ってきてくれた、蜜がたっぷり詰まった真っ赤なリンゴを使う。
生地を捏ね、リンゴを煮詰め、型に詰めてオーブンへ。前世では当たり前だった作業も、勝手の違う道具や材料では失敗の連続だ。焦がしたり、生焼けだったり。それでも、二人で「あーでもない、こーでもない」と笑いながら試行錯誤するのは、最高に楽しかった。
そして数日後、ついに納得のいくタルトが焼きあがった。蔵の中に、バターと砂糖、そして甘酸っぱいリンゴの香りが満ち満ちる。黄金色に輝くタルトを前に、私とフローラはゴクリと喉を鳴らした。
「…すごい。こんな綺麗な焼き色、初めて見た…」
「試食、しましょう!」
切り分けた温かいタルトを、恐る恐る口に運ぶ。サクサクの生地、とろりと甘いリンゴのフィリング、そして鼻に抜けるシナモンの香り。それは、前世で食べたどんな有名店のタルトにも負けない、素朴で、どこまでも優しい味がした。
「美味しい…! 信じられないくらい、美味しい!」
「ほんとだ! なにこれ、めちゃくちゃ美味しいよ、マティルド!」
フローラも目を丸くして、あっという間に自分の分を平らげてしまった。二人で顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべる。これなら、きっと大丈夫。
翌日、私たちは蔵の前に「マティルドの菓子工房」と書いた小さな木の看板を掲げた。そして、焼き上げたリンゴタルトをいくつか並べてみたのだ。最初は遠巻きに見ていた村人たちも、甘い香りに誘われて一人、また一人と近づいてくる。
「お嬢様、これは…?」
「リンゴのタルトです。よろしければ、どうぞ」
おそるおそるタルトを買い、一口食べた村人の顔が、ぱあっと明るくなる。
「うんめぇ! なんだこりゃ!」
「うちの子にも食べさせてやりたい!」
その言葉が、何よりの報酬だった。次々とタルトは売れていき、買ってくれた人々の笑顔が、私の心の不安を少しずつ溶かしていく。隣で嬉しそうにしているフローラと目配せし、私たちは小さくガッツポーズをした。
まだ、ほんの小さな一歩。けれど、確かな手応えがあった。このお菓子で、私はきっと、この領地の人たちを笑顔にできる。そして、いつか必ず、ヒーローになってみせる。
問題は山積みだ。材料の安定供給、工房の運営資金、そして何より、この活動をいつまでも秘密にしておくわけにはいかない。特に、あの堅物で合理主義者のアルト様にどう説明するか…。
まあ、いいか。今は、目の前にある達成感と、これからへの期待を胸に抱いていよう。空には、ディルフィアの優しい夕焼けが広がっていた。
(第二話 了)




