33 父親の台詞
ミュゲは窓を開けて、薄明かりの中、黒く浮かび上がる山の稜線を目で辿っていた。
まだ太陽が山から顔を見せるまでには30分はあるだろう。
いつもなら、こんな朝は大好きだったが、憂鬱な気分のせいでため息をついて眺めるだけだ。
「アスランが王都に帰るのはいつだろう?」
宰相となって、政治に疎いサルートを操り、好き放題していたゾルタン・ゼルニケはいない。
その、サルートもいなくなった今、アスランは国王として待望されている。
国民の人気もあり、政治的な手腕もある。
トリーガー国王が帰国する前に、今回の件で賠償金を求めないことと、レイカールト国が和平を結んでいる国々に、出兵しないことを約束させ、さっさと帰国させた。
アスランが王都に帰還するなら、ミュゲも婚約者としてついて行きたいが、以前公的には婚約破棄されている身分である。
そのため、ダンメルス領地内では婚約者として周知されているが、王都ではどうなるかわからない。
もっと、アスランにお似合いの令嬢が婚約者として現れる可能性は大。
幼い頃から、アルガスの山を駆け巡っていた自分と、貴族として幼い頃から教育を受けた令嬢なら、比べるまでもなく百人いれば百人が貴族のご令嬢を推薦するだろう。
以前は放置された王子として、誰も見向きもしなかったアスランだが、今の立場は誰にも邪魔されないし、堂々と国王になるべき存在だ。
「こんな私を推薦してくれる人がいるの? いるなら父と兄くらいか・・」
溺愛してくれている家族と、ダンメルスの領地の皆以外には思い当たらない。
それよりも、最も肝心なアスランから、未だについて来て欲しいと言われていないのだ。
「昨日も待っていたのにな・・」
そう、じっと物欲しげな顔で見ていれば、アスランの方から『君は私の婚約者なのだから、王都に一緒に行こう』と言ってくれはしないかと、念を送って待っていたが、他愛もない会話で終了・・。
銀山の件から、坑夫達もすっかり元気になり王都まで帰る体力も戻った為、帰路の食料の用意など馬車に積むなど、準備が始まった。
萎れていくミュゲと同じくして、焦っているアスラン。
同時刻にアスランも起きていた。
カーテンを閉めたまま、項垂れているアスランは、実は一睡もしていない。
「婚約しているのだから、一緒につれて帰ってもいい・・よね?」
早急に帰って無秩序な国を立て直さねばならない。
だが、困ったことが起きた。
この領地に帰ってきてからのミュゲの表情の明るく、楽しそうなこと。
そして、父のドルクと兄のイフサンが、ミュゲを手離したくなさそうなのは言わなくても分かる。
・・で、連れて帰るとは言い出し難くなっていた。
「しかも、昨日のあのミュゲの険しい表情はなんなのだ?」
こちらを睨んでいたミュゲの真意を確かめられずにいたのだ。
「警戒している? 何を? もしかして、ミュゲも婚約したとはいえ、この領地から離れがたくなっているのだろうか? 生まれ育った土地を離れるのは寂しいのだろうか?・・」
お互いの部屋で、答えを見いだせないまま、お日様はのんきに今日も領地を照らしだす。
父もまた、眠れない夜を過ごしていた。
「せっかくミュゲが帰ってきて、アスランまで一緒で楽しかったのに、アスランが王都に帰る時、ミュゲもついて行くんやろな・・」
可愛い娘が帰って来て、親友の忘れ形見のアスランも居て、それはそれは楽しかった。
それが、一気に二人とも王都行ってしまえば、寂しくなるにきまっている。
チャーリーから手紙が来た時は、まさか娘を嫁にやるつもりで出したわけじゃなかったのに、あれよあれよと言う間にアスランの婚約者になってしまった。
あの時も言い知れぬ侘しさがあったが、今回も再び手元から愛娘が去って行くのかと思うと、踏ん切りがつかない。
ため息も増えるわけである。
そんな三者三様の心模様の中、再びチャーリーからの手紙と贈り物が届き、三人は決断を迫られることになった。
ミュゲは、朝御飯が出来た事を知らせるために、ドルクの執務室をノックした。
だが、バサバサと妙な音がするだけで返事もない。
気になったミュゲは父の返事も待たずに部屋に入ってきた。
「お父さん、ノックしたのに、なんで返事をしてくれないの?」
ここでミュゲ、以前と同じように机の下に落ちている手紙を拾う。
ピクリとするドルク。
「もう、またチャーリーさんのお手紙をこんなところに落として!!」
拾いあげた手紙を机に置こうとすると、大きな箱が2つ無造作に蓋が開けられたまま放置されているのが見えた。
その一つの箱には真っ白な布の塊と、もう一つは黒い布の塊。
しかし、ドルクが二つの箱に蓋をしようと焦っている。
「何を隠しているの?」
娘の探るような目付きに、追いつめられた子供のように首を振るドルク。
「ちゃう・・これはミュゲに送ってきたドレッじゃないくて! これはそのぉぉ・・」
(今ドレスって言おうとしたわね)
「ふーん、チャーリー様がわ・た・しにド・レ・スを送ってくれたのね!!」
「ッッ!! ちゃう!!」
必死のドルク。
だが、箱から出されて広げられたら、すぐにバレた。
「うわぁぁぁ!! 素敵!!」
チャーリーから送られたきたのは、真っ白なドレス。
そう、ウェディングドレスだ。
「じゃあ、もう一つのは?」
ミュゲがもう一つの箱を確かめると、そこにはダンメルスの男性用正礼装で、かなり大きめ・・というより特大サイズだ。
「ははは、チャーリーはなんでこんなもん送ってきたんかな? 誰か結婚するんかな?・・・」
最早、苦しすぎる台詞にドルクも、後半の言葉が聞こえなくなるくらい小さい声だ。
その小さな声と同様に、あんなに大きなドルクの体が小さくなった気がした。
ミュゲは父が大好きである。
いつも大きな体で、一杯の愛情を、ミュゲに向けてくれて、ミュゲの心はいつも暖かかった。
いつもミュゲのしたい事を見守ってくれるので、どこにいても大きな安心感があった。
その父が小さく感じた。
アスランと一緒に王都に行きたい気持ちは100%だ。
しかし、父と一緒にこの領地で暮らしたい気持ちも100%なのだ。
悩む娘の気持ちを察した父は、自分の気持ちよりも、娘のこれからの未来を応援しようと顔をあげる。
親鳥が大事に大事にそだててきた雛。
雨の日は傘代わりに、日差しの強い日は日除けにと羽を広げる。
餌を与え、敵から守ってきた。
親鳥の最後の仕事はなんだ?
巣立ちに、巣から追いやることだ!
ドルクは男性正礼装の服をつかむと、震える声で言う。
「・・わし、ミュゲがそのウェディングドレスを着た横で、この服を着て胸を張って歩きたいな!」
喉に渾身の力を込めて言いきったドルク。
「おとーさん・・ありがとう・・でも・・」
ミュゲも背中を押してもらったのが、分かった。
でも、ここでミュゲの一言がこの感動的な場面に水を挿してしまう。
「でも、アスランに・・王都についてきて欲しいって言われてないの・・」
「ん?」とドルク。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
この時開けっ放しの扉の前で、丁度二人を呼びにきたアスランが立っていた。
「お、おまえには、大事な娘をやらーーん!!」
朝からドルクの大声が領内に響き渡ったのだった。




