表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深紅の夏  作者: 立夏
9/10

終焉

 約10分後、敵兵たちは潮が引くように引き上げていった。T-72を一掃した85式が、更に後方のBMP-2の殆どをも撃破したのが決め手となったのだろう。

 後には敵兵の遺棄死体300以上が残っている。原型を留めている死体は銃撃によるもの、潰れた肉塊と化しているのは戦闘の最終段階で85式が放った榴弾を浴びたものである。

 

 (だがこちらも、深刻な打撃を受けた)

 

 携行糧食を無理やり口に押し込みながら和人は思った。戦闘開始時は41両いた85式のうち7両が砲撃で破壊され、2両は敵戦車との砲戦で、そして5両が敵歩兵の放った対戦車ミサイルに破壊された。

 計14両という損失は、決して軽視できるものではない。

 

 それより更に酷いのが歩兵の、要は国立高校生たちが受けた被害であった。戦闘開始時は497名だったのが、今では戦闘可能な者は241名にまで減っている。半分以上を失った計算であり、まともな軍隊なら即後退と再編成が命じられるレベルだろう。

 

 (しかし、俺たちは戦い続けなければならない)

 

 和人は更に暗い気分で思った。本田少佐率いる駆逐戦車大隊には、この地域の死守命令が出ている。普通の軍隊で言う所の死守命令、部隊の組織的戦闘が不可能になるまでではない。旧軍式の死守命令、文字通りの意味で全滅するまで戦えという命令である。

 それを聞いた和人は、やはり時代が変わっても追いつめられた日本人がやることは変わらないのだと、妙な感動を覚えた位だ。考えてみれば、世界から孤立した日本皇国が今も戦い続けていること自体が、日本が「あの時代」から何も進歩していないことを現しているでは無いか。

 




 それから数時間の後、そろそろ夕闇が迫るかと思われる頃、再び神経を掻き毟るような轟音が響き始めた。今やすっかり馴染みとなった音、敵車両の走行音である。

 また上空からは、これまた馴染みになったSu-25フロッグフット対地攻撃機の爆音も聞こえる。幸いSu-25からは森林内に隠れているこちらの車両や兵員を発見できないようで、攻撃は加えてこないが。

 

 「またやって来たか。懲りない連中だ」

 

 各車両の補給・整備作業の指揮を取っていた本田少佐が、作業中止と戦闘準備を命じながら呟いた。”向こう側”のT-72の性能がこちらの85式駆逐戦車より劣ることは、2度の戦いで敵にも分かっている筈だ。

 それなのに性懲りもなくまた正面から突っ込んでくるとは。本田少佐はそう言いたいのだろう。

 

 「撃ち方始め」

 

 やがて敵車両群が射程内に入り、本田少佐が号令を出した。85式駆逐戦車の120 mm滑腔砲が咆哮し、T-72の砲塔が次々に吹き飛ばされていく。

 

 その傍らでは、半減した国立高校生たちが浸透を図る敵歩兵を狙い撃っていた。敵が来なかった数時間のうちに掘った塹壕からの銃撃である。

 


 この銃撃は、意外な程に大きな効果を発揮した。林の中を直進してくる敵歩兵たちは、塹壕と偽装掩体に隠れた国立高校生たちを発見できないまま、その銃火を浴びて倒れて言ったのだ。

 僅か10分間の戦闘で国立高校生たちは約100人の敵兵を死傷させ、自らの損害は8名のみという大勝利を収めた。

 

 「一体どういうことだ、これは?」

 

 その光景を見た和人は喜ぶ前に首を捻った。幾らこちらが塹壕に籠っていて有利な条件で相手を迎え撃ったとはいえ、この結果はどうにも解せない。相手がまともな歩兵部隊ならもっと慎重に攻撃してくるだろうし、こちらにもかなりの犠牲が出る筈だ。

 

 「案外あれも、私たちと同じような非正規軍なのかもしれないわね」

 

 それを聞いた理沙が言った。たった今国立高校生たちが追い返した敵軍は日本人民共和国の正規軍ではなく、赤衛隊と呼ばれる民兵部隊かもしれないと言うのだ。

 確かに民兵であるならその練度の低さも、戦意だけは旺盛だったことも納得できる。

 

 「と言うことは敵の戦力も枯渇しつつあるということか? 民兵を正面から突っ込ませてくるということは」

 

 和人は僅かな希望とともに呟いた。民兵を攻撃に投入してきたことは、敵のこの方面での戦力が欠乏している証ではないか。和人はそう思ったのだ。

 それが全体的なものなのか、この戦域だけの現象なのかは分からないが、とにかく1つの希望が見つかったのは確かだ。このままここで頑張り続ければ敵の戦力は尽きるかもしれない。

 そうすれば和人たちは大手を振って凱旋出来る。生きて家に帰れるのだ。母親と弟の和樹の顔が、和人の脳裏に浮かんだ。

 


 だが次の瞬間、全ての希望が砕け散る音が聞こえた。こちらの85式駆逐戦車たちがいた場所で、連続した爆発音が聞こえたのだ。振り返ると、85式たちが次々と炎上している。

 74式戦車に比べて格段に防御装甲が強化されており、正面からであれば自らの120 mm砲で撃たれても耐えられる筈の85式がだ。

 

 「な、何だ?」

 

 山影に沈みつつある太陽の下で、和人は唖然として呟いた。一体何が起こっているというのだろう。敵の歩兵が浸透して攻撃を加えてきたのか。

 いやそれはあり得ない。複数の85式を葬れる規模の歩兵部隊が接近してきたなら、確実にこちらの哨戒線に引っ掛かる筈だ。では一体何故、85式たちは破壊されているのか。

 


 混乱した和人の目に、見慣れた椀型の砲塔が入ってきたのはその時だった。T-72だ。日本人民共和国軍のT-72が85式の後方にいて、125 mm砲を連射している。

 85式はその125 mm砲によって正面に比べれば遥かに薄い後部の装甲を撃ち抜かれ、炎上しているのだ。

 

 「回り込まれた!?」

 

 和人は愕然として呟いた。状況的にそうとしか考えられない。敵軍はこちらの後方に回り込み、攻撃を加えてきたのだ。

 

 「一体何故だ? 哨戒は行っていた筈なのに……」

 

 和人は叫んだが、すぐに自らの間違いに気付いた。こちらが行っていたのはあくまで1本の道路と、その周辺の獣道の見張りに過ぎない。付近を通る別の道路の見張りは、人数及び通信機の不足から不可能だった。

 敵軍はその別の道路を通ってこちらを迂回した後、反転して攻撃を加えてきたのだ。

 

 「これが、航空優勢を持たないということか」

 

 亡き田中の言葉を思い出しながら、和人は呻いた。こちら側に航空優勢があれば、いや少なくとも五分の状況であれば、こんなにあっさりと敵が迂回してくることは無かっただろう。

 空軍は迂回しようとする敵軍を発見して報告を送ってくれただろうし、こちらはそれに従って何らかの対応が取れた筈だ。

 

 しかし現実は残酷だった。日本皇国空軍は緒戦で壊滅し、上空から聞こえてくるのは日本人民共和国空軍のSu-27やSu-25のエンジン音ばかりだ。これにより日本皇国軍は、言わば目を塞がれた状態で戦いに挑むことになった。

 その結果が午前中に見た大量の避難民を発生させながらの潰走であり、今回の後方からの奇襲であった。

 


 背後からの奇襲を喰らった85式たちは慌ててその場で旋回を試みたが、その間にもT-72の125 mm砲弾は降り注ぎ続けている。多くの85式が旋回中に車体側面を無防備に晒し、そこに125 mm弾を撃ち込まれて撃破されていっていた。旋回砲塔を持たない駆逐戦車の欠点がもろに出たと言える。

 

 「あの正面からの攻撃は囮だったのかもしれないわね」

 

 惨劇を見ながら理沙が言った。つい先ほど行われた正面からの拙劣な攻撃は、本命であるこちらの攻撃を通すための偽装行動だったのかもしれないというのだ。

 どんなに練度の低い部隊であっても敵が攻撃してくれば、日本皇国軍はそれに注意を向けざるを得なくなる。その隙を狙って精鋭が迂回行動を取り、日本皇国軍を後方から襲撃、殲滅する。これが敵の一連の狙いであり、日本皇国軍はそれに嵌められたのかもしれないと。

 

 「いかにも共産主義者らしいやり口だ」

 

 和人は吐き捨てた。大日本帝国の末裔が言えた義理では無いかもしれないが、共産主義国家は自国軍兵士、或いはもっと言えば国民全般を、替えが利く消耗品としか思っていない節がある。

 練度の低い囮部隊に失敗必至の正面攻撃をさせ、その隙に本命の部隊が後ろに回り込むというのは、いかにもその共産主義国家らしいやり方であった。

 


 (しかし敗けた。我が国は敗けた。その共産主義者に)

 

 和人は太陽が沈みつつある天を仰いだ。本田少佐の駆逐戦車大隊は、推定100両はいるT-72が放つ125 mm砲弾の豪雨の中で解体されつつある。いつの間にか現れた敵歩兵に周囲を完全に囲まれている和人たちにも、その運命は旦夕に迫っているだろう。


 そして日本皇国という国、或いは自由主義という政治思想そのものにもだ。これは共産主義者が言う通りの歴史の必然なのだろうか。それとも、より自他に対して非情になれる者が強いという残酷な法則の表れなのだろうか。或いはそのどちらでもない、単なる偶然なのだろうか。和人には分からなかった。

 ただ分かるのは、日本皇国が日本人民共和国に、自由主義が共産主義に敗けたという事実のみであった。

 



 「皆に命令。これより敵部隊に対する反撃、突破戦闘を開始する。総員着剣、突撃用意」

 

 和人は自分でも驚くほどに冷たく渇いた声で命じた。理沙が一瞬目を見張るが、すぐに納得したように頷き、自らのM-16に銃剣を取りつけたのが見える。

 駆逐戦車全てが破壊され、周囲を敵歩兵と歩兵戦闘車に囲まれた今、取り得る選択肢はそれしかない。こちらを取り囲んでいる敵兵を一点突破し、後方に向かって撤退するのだ。

 

 (もっとも、どこに撤退するべきなのかも今や分からないが)

 

 和人の中で状況を俯瞰している部分が囁いた。敵がメガフォンでがなり立てている内容を信じるなら、日本皇国首都大阪は既に敵空挺部隊の攻撃で陥落しており、皇国軍部隊は次々と師団単位で降伏しつつある。

 もはや和人たちが撤退すべき場所など、この世のどこにも無いのかもしれない。

 

 いやそれ以前の問題だ。幾ら戦力差が比較的出にくい森林戦とは言え、小銃を持っただけの高校生の集団が戦車や歩兵戦闘車多数を擁する敵正規軍を突破できるとは思えない。そう考えるには、和人は実戦というものを知り過ぎた。突撃の先に待っているのは恐らく、全き死であろう。

 

 だがそれでも、和人に降伏という選択肢は無かった。共産主義者に降伏すればどうなるかは、第2次世界大戦や東西戦争の後でシベリアに抑留された男たちや、征服者の慰み者となった女たちが証明している。

 そのような運命を逍遥として受け入れるよりは、例え限りなく成算が零に近くても、突破を試みた方がマシだった。

 


 「突撃」

 

 和人は命じると、M-16を抱えて塹壕から飛び出した。その背後には現在生き残っている国立高校生200余名が続いている。 戦車の機関銃と歩兵戦闘車の機関砲がたちまち隊列をズタズタにするが、生き残った者は気にも止めない。彼らはひたすら西へ、自由に向かって駆けた。

 

 「そこをどけ!」

 

 先頭を走る和人は叫びながら、驚いたようにこちらを見据える敵兵にM-16を乱射した。敵兵の胴体に複数の小さな穴が開き、そのまま頽れていくのが見える。アドレナリンのせいか、身体が羽のように軽い。

 和人は更に2人の敵兵を射殺し、2人を銃剣で刺殺することに成功した。

 


 だがその和人の前に、巨大な黒い影が立ちはだかった。T-72戦車である。戦車はゆっくりとその砲塔を旋回させ、同軸機銃を和人に向けた。

 永遠とも思われる程の一瞬が過ぎた後、その銃口に光が煌めく。和人は凄まじい衝撃が全身に走るのを感じた。

 


 「一条! 俺に代わって皆の指揮を執れ!」

 

 和人は破れた肺から最後の息を噴き出しつつ叫んだ。一条理沙の長い亜麻色の髪が夕映えに輝くのが見える。それが日野和人が見た最後の光景だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ