ちょっぴり贅沢、海鮮出汁茶漬け
「……お刺身?」
「ううん、出汁茶漬け」
淡々としたマグの問いかけに、悠利は頭を振って答えた。答えた瞬間、目の前の出汁の信者が目を光らせたことには気づいたが、それ以上は何も言わなかった。これから作る献立だと解っていれば、マグもそこまで暴走しないようになったのだ。確実に食べられることが解っているので。
マグが悠利に刺身かと聞いたのは、まな板の上に生魚のサクが並んでいるからだ。いつもの焼いて食べる切り身の魚とは違う、ブロックをほどよい大きさに切り分けたような形状の生魚。それを悠利が切り分けて生で食べる刺身として楽しんでいるのをマグは知っているのだ。
ただし、王都ドラヘルン近郊では生魚をそのまま食べる文化は存在しない。港町ならば色々と食べ方はあるだろうが、いくら流通が優れていても長年の食文化はそうそう変わらないのだ。そのため、《真紅の山猫》で悠利と同じようにお刺身を食べるのは、ヤクモとイレイシアぐらいである。
「鮮度の良いお魚が手に入ったけど、皆は生で食べるの苦手でしょ? だから、熱いお出汁をかけて半生ぐらいで楽しめば良いかなと思って」
「……しゃぶしゃぶ?」
「あぁ、うん。しゃぶしゃぶみたいな感じだよね。そういう感じの、海鮮出汁茶漬けにしようかなって思って」
「諾」
悠利の説明を聞いたマグは、なるほどと言いたげな顔をした。そういうことなら問題ないということだろう。……まぁ、マグにとっては出汁を堪能できる料理というだけで満足なのだろうが。何故この少年はここまで出汁に、それも特に昆布や鰹節を使った和風系に執着するのであろうか。誰にも解らぬ謎である。
とりあえず、献立を理解したマグは、何をすれば良いのかと言うように悠利をじぃっと見ていた。
「下準備としてこのお魚を漬けにするから、マグは生姜とニンニクをすりおろしてくれる? 生姜はすりおろしたら絞ってほしいんだけど」
「諾」
その程度なら任せておけと言うように請け負って、マグは作業に入る。それを見届けてから、悠利はまな板の上のサク状の生魚を切り分けることにした。お刺身で食べるよりは気持ち小さめに、平べったい四角のような感じで切っていく。スプーンでご飯と一緒に食べやすいだろう大きさを考えてだ。
ちなみに、厚みも控えめである。悠利としては食べ応えのある厚みの方が嬉しいが、そうすると熱々のお出汁をかけても火の通りが甘くなる。皆が食べやすいようにと考えると、厚みは控えめの方が良いだろうと判断したのだ。
あと、厚みが控えめの方が漬けダレが染みこみやすいのもある。どうしても表面に味が付いても中までは届かないことになりがちなので、厚みを控えることでそこを補うのだ。美味しく食べてもらいたいという気持ちからの、ちょっとした工夫である。
悠利が魚を切り終わるのと、マグが生姜とニンニクをすりおろし終わるのがほぼ同時だった。黙々と作業をしていたコンビである。
「あ、マグも終わった? じゃあ、漬けダレを作ろうか」
「諾」
そう告げると、悠利はボウルにマグがすりおろしたニンニクと、生姜の絞り汁を入れる。更にそこに追加するのは、醤油と料理酒だ。とぽとぽと慣れた手つきで調味料を入れる悠利の姿を、マグがじぃっと見ている。
何となく何を期待されているのかを理解した悠利は、淡々と答えた。
「味付けには別にめんつゆも白だしも使いません」
「……何故」
「何故と言われても……。今日作るのはその二つを使わない味付けってだけです」
「……諾」
そうか、残念だ、とでも言いたいのだろうか。頷くまでの時間が少しかかったマグであった。まぁ、この程度の反応なら可愛いものである。悠利も気にしていない。
そんな会話をしつつ、悠利はボウルに入れた調味料を丁寧に混ぜる。全体が混ざったら味見をする。生姜の絞り汁とすりおろしたニンニクの持つほのかな辛みと、醤油が混ざり合って食欲をそそる。味に問題ないことを理解した悠利は、そのボウルに切った生魚をぽいぽいと放り込んだ。
「それじゃ、タレに漬け込んでる間に、ライスと出汁の準備、それと他のおかずの準備だね!」
「諾!」
「……あー、うん。お出汁はマグに任せるよ。すまし汁っぽい感じで仕上げてくれたら良いから」
「諾」
任せてくれとやる気満々のマグ。悠利に仕事を託されて、張り切って準備に取りかかっている。好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、マグは仲間内でも特に出汁の扱いが上手になっていた。より美味しさを求めて生きている。
そんなわけで出汁茶漬けに使う出汁をマグにお任せし、悠利は米の準備や副菜の準備にとりかかる。漬けにした魚をたっぷり盛り付ける予定なのでメインディッシュは特にいらないとしても、副菜はあった方が良いよなーという感じであった。
流石に、食べ盛りであったり身体が資本である冒険者の仲間達に対して、晩ご飯が海鮮出汁茶漬けのみというのは物足りないだろうという気持ちである。勿論、お代わりは大量に用意しているが。
副菜として小松菜とシメジを炊いたものと、ごま油で風味をつけた濃いめの味付けの野菜炒めを用意する。各テーブルに大皿で置いておき、食べたい人はたっぷり食べてもらう方向である。
そうやってそれぞれの作業をしていると、夕飯の時間が近づいた。マグが作った出汁も良い感じに仕上がっており、ほのかな醤油の風味が優しい味わいである。ちょうどご飯も炊けたので、ひとまず味見を準備する悠利。
……その背後に、べったりとマグが張り付いていた。味見なのだから自分の分があることは解っているが、待ちきれないというところだろうか。
マグの反応はある意味で予想できていた悠利は慌てず騒がず、一口分の海鮮出汁茶漬けを作り上げてマグに差し出した。ちょびっとの白米に、一切れだけの漬けにした魚が入った器に、熱々の出汁を注げば完成である。
「熱いから気をつけてね」
「諾」
渡された器を受け取って、マグはふーふーと冷ましながらスプーンで中身を口へと運ぶ。熱々の出汁をかけたことで火が通った漬けの魚に、炊きたてのご飯のコンビネーションに、それらを調和させる出汁の優しい味わいという取り合わせである。たった一口でもマグの表情は幸せそうに緩んだ。
それを確認して、悠利も味見をする。生姜の絞り汁とすりおろしたニンニクを入れた漬けダレで食欲をそそり、しっかりと存在感を持たせた上での、優しい味わいの出汁でそれらを包み込むバランスが上手に出来ている。これは味見なので薬味は入れていないが、お好みで追加できるように、ネギ、青じそ、ミョウガ、すりごまを用意してある。各自で好きに使ってもらう予定だ。
ただ生の魚を使った出汁茶漬けでは、魚にあまり味がなくて物足りない可能性があったので、こうして漬けにしてみたのだ。そしてその目論見は成功していた。色々な種類の魚を漬け込んでいるが、漬けダレとの相性は良さそうだ。これなら問題ないだろうと、悠利は胸をなで下ろす。
「それじゃあマグ、皆の分を盛り付けようか。出汁をかけるのは配膳する直前にするから、まずは器にライスを入れて、そこに魚をいっぱい乗せようね」
「諾」
「お代わり分もあるから、ほどほどに盛り付けてね。お茶漬けって、ご飯控えめでお茶とかお出汁がたっぷりある方が食べやすいから」
「諾」
お代わりがあると理解したマグは素直に頷いた。これはご飯も魚もいっぱいいるなぁと悠利が思うほどに、やる気満々の顔だ。……なお、出汁はマグが作ったので大量に用意されている。多分、最後に残った分は自分で飲み干すつもりだろう。そんな気配がする。
とにかく、人数分の器に盛り付ける作業を二人で黙々とこなす悠利とマグなのであった。一応、各人の胃袋に合わせて盛り付けの状態は変えている。それもまた気配りである。
そして、夕食の時間。熱々の出汁がかけられた状態の海鮮出汁茶漬けを見た仲間達の反応は、珍しい料理だなーぐらいであった。基本的に、悠利の作る料理に外れがないと思っているからかもしれない。
単なる魚の漬けを乗せた海鮮丼が出てきたとしたら、生魚になじみのない大多数は微妙な顔をしたかもしれない。しかし、彼らの目の前にあるのは熱々のお出汁がたっぷりと入った海鮮出汁茶漬けなのである。お出汁の熱で魚に火が入っているのは一目で解るので問題ないらしい。
「美味」
「……珍しいな。お前が出汁を使った料理なのにゆっくり食べてんの」
「お代わり」
「あぁ、なるほど。良かったな」
「諾」
味わうようにゆっくりと海鮮出汁茶漬けを食べているマグに対して疑問を口にしたウルグスだが、マグは淡々と答えるだけだった。それでどういうことか理解したらしいウルグスは、大人しく食べているマグの姿に納得している。
納得できなかったのは、同じテーブルについているヤックとカミールだった。いつものことだが、何故今のやりとりで事情を理解できるのか。彼らにはさっぱり解らない。
「ウルグスー、説明ー」
「あ? 説明も何も、大量にお代わりしても良いようにあらかじめ準備してあるって話じゃねぇか。今ので解るだろ」
「解らないよ!」
「それで理解できるのはウルグスだけだっつーの……」
変な奴らだなと言いたげなウルグスに、ヤックとカミールはツッコミを入れた。自分達は間違っていないと主張する二人と、面倒くさそうな顔をするウルグス。そんな三人のやりとりを、マグは我関せずと言いたげに黙々と海鮮出汁茶漬けを食べていた。……発端が自分だということをまったく理解していなかった。安定のマグ。
まぁ、マグにとっては騒ぐ三人などどうでも良いのだ。この出汁の旨みを堪能する料理を食べることが大切なので。
「……美味」
スプーンで海鮮出汁茶漬けを掬って口へと運び、満足そうに呟く。自分が美味しくなるようにと作った出汁と、悠利が味を調整して作った漬けにした魚の味が口の中で混ざる。漬けの魚はそれだけだと濃い味付けに感じるが、出汁に溶け込んだ状態だと良い感じのアクセントに仕上がっている。
それに、味見のときは一口分なので一種類しか食べられなかったが、今は数種類の魚を堪能することが出来るので余計に美味しく感じるのだ。同じ漬けダレにまとめて放り込んでいたのだが、魚の種類が変わると味わいが変わるのである。
例えば、鯛はするりと口の中に溶け込むような淡泊な味わいが魅力的であるし、脂がたっぷりのったサーモンはその脂の風味が漬けダレに溶け込んでよりコクを出している。マグロは漬けにしたことでねっとりとした食感も持ち、それが食べ応えに繋がっている。ブリもサーモン同様にしっかりと乗った脂が良い仕事をしている。
そして、そのどれもが出汁茶漬けとして食べるととても美味しいのだ。マグにはどの魚を使うのが正解かは解らない。解っているのは、今食べている料理がとても美味しいということだけだ。なので、繰り言のように美味と呟いているのである。
他の仲間達も美味しいと思って食べているようで、あちこちから声が上がっている。そんな中、既に半分ほど海鮮出汁茶漬けを食べたブルックが、傍らの悠利に問いかけた。素朴な疑問があったらしい。
「ちなみにユーリ、これは何故出汁茶漬けになっているんだ?」
「半生ぐらいなら皆さん食べるの平気かなと思ったからです」
「……普通に火を入れた料理ではダメだったのか?」
「だって、お刺身で食べられるぐらいに鮮度が良くて美味しいお魚ですよ? 勿体ないじゃないですか!」
「そうか……」
悠利の意気込みはブルックには通じなかった。ただ、それが悠利なりのこだわりなのだと理解はしてくれたらしい。自分も甘味に関しては色々とこだわりがあるので、生で食べられる魚に関しては何かあるのだろうと思ったらしい。互いを尊重し合うのは良いことです。
ブルックに力説した悠利はと言えば、幸せそうな顔で海鮮出汁茶漬けを食べている。やはり魚を漬けにしたのは正解だと悠利は心の中で自画自賛した。単純に生魚を乗せて熱々の出汁をかけただけの出汁茶漬けでは、この複雑に調和する味は出せない。
それに、中まで味が染みこむように厚みを調整して切った甲斐がある。生姜とニンニクのパンチ力も、醤油と酒の風味もちゃんと染みこんでいるので、噛んだ瞬間にその味が口の中に広がるのだ。つまりは、お魚だけ食べても美味しいということである。
満面の笑みを浮かべて海鮮出汁茶漬けを堪能する悠利。普段はお代わりはしないけれど、今日はちょっとお代わりしようかなーという気持ちになっている。
そんな悠利の耳に、レレイの声が聞こえた。
「これ美味しいけど、お魚完全に火が通っちゃってる……」
「……冷めるまで待ってたからだろ」
「だって、熱いの食べられないんだもん!」
もぐもぐと海鮮出汁茶漬けを食べながらレレイが呟けば、クーレッシュがツッコミを入れる。それに対するレレイの訴えは、切実なものだった。彼女は猫舌なので、熱々の出汁をかけた出汁茶漬けを食べるには冷めるのを待つしかないのだ。そして、その間に出汁に漬かっていた魚に火が入ってしまったということである。世は無常だった。
レレイは別に生魚に興味があるわけではない。割と何でも食べる彼女だが、食べ慣れていないのもあって生魚にはあまり箸が伸びない。悠利を信頼しているとはいえ、それとこれは別らしい。
ただ、半生とか、表面をあぶったタタキのようなものは美味しく食べるタイプだった。なので、仲間達が堪能している、完全に火が通ったわけではない漬けの魚を楽しむ海鮮出汁茶漬けにも興味があるのだ。しかし、猫舌の彼女がそれを味わうのは難しそうだった。
うぅと唸っているレレイ。しょんぼりしている姿に思うところがあったのか、同席していたアロールが口を開く。
「そんなに半生の状態で食べたいなら、途中で魚を取り出しておけば良いんじゃないの?」
「……え?」
「だから、お代わりするときに出汁をかけるでしょ? で、半生になったところで魚を取りだして、出汁が冷めてから器に戻して一緒に食べたら良いだろって話」
「アロール、天才なの!?」
「レレイが何も考えてないだけじゃない?」
「ありがとう! そうしてみる!」
十歳児に本気で感謝する成人女性。大変微笑ましい光景であるが、いつも通りに鋭い一撃も放っているアロール。しかし、食べたいものが食べられるという未来に心が飛んでいるレレイは、何も気にしていなかった。
そんな女子二人のやりとりを見ていたクーレッシュとラジが、ぼそりと呟く。
「……すげぇな。毒舌を完全にスルーしてる」
「食べたいが勝ってるんだろうなぁ……」
「あいつマジで食欲だけで生きてないか……?」
「まぁ、レレイだから」
「……そうだな」
他人に迷惑をかけているわけではないので、それ以上彼らは何かを言うことはなかった。ただ、猫舌には猫舌なりの大変さがあるなと思うだけで。
ちなみにレレイは、お代わりに希望を見出したのでせっせと器の中身を空にしようとしている。がっつくように食べているわけではないが、かなりの速さで器の中身が減っていた。
ぺろりと一杯目の海鮮出汁茶漬けを食べ終えたレレイは、アロールの助言を実行するためにお代わりを求めて移動するのだった。その表情は幸せそうに笑んでおり、足取りは大変軽やかであった。
軽やかな足取りでお代わりに向かう姿は、他にもあった。普段は小食なイレイシアが、珍しくお代わりをしているのだ。彼女の場合は最初に盛り付けてあった分が小食向けに控えめだったこともあるのだが。やはり、美味しい魚を堪能できる料理は食欲が湧くらしい。
そのイレイシア同様にお代わりを堪能しているのは、ヤクモだった。悠利やイレイシアとは生魚を愛する仲間でもあるヤクモは、普段は率先してお代わり争奪戦に参加しないのだが、今日は別らしい。漬けの魚を盛り付ける表情はいつになく緩んでいる。
常に糸目で柔らかく微笑んでいるような表情のヤクモだが、今のそれはどこか幸せそうな、楽しそうな、感情が漏れているような笑みである。やはり好物を食べられるとなると表情が緩むのだろう。自制心のある大人でもそうなるのだから、好きな食べ物というのは偉大だ。
そんな二人の姿を見て、もぐもぐと海鮮出汁茶漬けを頬張りながら悠利も思わず笑顔になる。生魚を愛する者達だけならば海鮮丼であるが、他の仲間も食べやすいようにと出汁茶漬けにしたのだが、ヤクモやイレイシアが喜んでくれているのが解って嬉しいのだ。やはり悠利は、作った料理を喜んで食べてもらうのが好きだった。
「ところでユーリ、皆がお代わりをしているが大丈夫なのか?」
「あ、大丈夫です。お代わりいっぱい出来るように、魚もライスも出汁もたっぷり用意してありますから」
「……そうか。では俺も貰ってこよう」
「ライスと魚はたっぷりの出汁に浸かるぐらいの方が美味しいと思います」
「了解だ」
悠利のアドバイスを受けて、ブルックも器を手にお代わりしにいった。お茶漬けの黄金比みたいなものは個人の好みがあるとは思うが、悠利は液体たっぷりの方が好きだった。こう、さらさらと流し込んで食べるとなるとやはり、汁気が多い方が良いと思うのだ。
お代わり自由と最初に伝えておいたこともあり、ちらほらと皆がお代わりを堪能している。魚の好みもあるらしく、自分の好きな魚を多めに盛り付けて楽しんでいる姿も見られた。晩ご飯にメインとして提供されることがない出汁茶漬けであるが、皆の口には合ったらしい。良かったと思う悠利だった。
なお、小さな身体のどこにそんなに入るのかという感じで、最終的に残った出汁は全てマグの胃袋に消えました。自分が責任を取ると言わんばかりの態度に、本当に出汁が好きなんだなぁと思う仲間達なのでありました。
ご意見、ご感想、お待ちしております。
なお、感想返信は基本「読んだよ!」のご挨拶だけですが、余力のあるときに時々個別でお返事もします。全部ありがたく読ませて頂いております!