救援要請はダンジョンマスターからでした
ダンジョンの中はごく普通の建造物、ごく普通のダンジョンのようにも見えた。少なくとも石造りの壁や呼吸が問題なく出来ること、時折罠や魔物が姿を現すところなども、一般的なダンジョンとそう違いは見受けられなかった。
あくまでも途中までだ。唐突にその変化は現れた。
「わー。すごい」
思わず、悠利は感嘆の声を上げる。先ほどまで石造りのダンジョンの中を歩いていたと思ったのに、突然床を除く三面がガラス張りのようになり、外の景色を映し出している。水の中で泳ぐ魚達の姿がよく見える。まるで水族館のような光景が突然広がったのだ。
驚いているのは悠利だけではない。他の皆も驚いていた。驚いていないのは、様々な経験をしてきているアリーぐらいだろうか。もしかしたら、前情報としてダンジョンの詳細を知っていたのかもしれない。
ラジとクーレッシュは、突然様変わりした光景になんだこれと言わんばかりの反応である。壁がいきなり消えたように見えるのだから仕方ない。実際は、外が見える壁があるのだが。
ただ、水に縁が深いというか、海育ちのイレイシアは、目の前に突如現れた光景を懐かしく感じているのか、緊張していた表情が和らいでいる。彼女にしてみれば、水中の景色は馴染んだ故郷の光景と同じようなものなのだろう。
そんな中、アリーがぽつりと感想をこぼした。
「これは、こちら側からは見えるが、向こう側からは見えないのか」
「え?どういうことですか、アリーさん」
じっと壁の様子を確認していたアリーの言葉に、悠利は思わず問いかけた。そんな悠利に、アリーは自分の意見を伝えてくれる。
「あちら側からもこちらが見えているなら、向こうにいる魚や魔物達がもう少し俺達に対して反応するだろう?それがないから、一方的に見えてるだけなのかと思ってな」
「ああ、確かに」
「特殊な構造で作ってあるのか、それとも外が見えているのではなく何かが映し出されているのか……」
何がやりたいんだか解らんと言いたげなアリーに、悠利はこう告げた。
「アリーさん、これ、閣下のお家にあった、隣の部屋が見える壁と同じような感じじゃないんですかね」
「あ?」
悠利の言葉に、アリーは記憶を探り、しばらくして「あぁ……」と納得したようにつぶやいた。あれと同じ構造か、と。
閣下というのは、以前ちょっとした事件のときにお世話になった前辺境伯閣下のことである。ティファーナのお知り合いの優しそうな老紳士で、そのお宅で悠利達は反対側からは壁にしか見えないが、こちら側からは隣の景色がきれいに見える、まるでマジックミラーのような不思議な壁を見せてもらったのだ。それを思い出したのである。
「まあ、そういう構造なら出来るだろうが、何でまたこんな仕組みに」
「もしかしたらここのダンジョンマスターさんは、外の景色が見たいのかもしれませんね」
「は?」
「湖の中のダンジョンなんですから、ダンジョンマスターさんも水が好きとか、水の中が好きとかかもしれないじゃないですか。でも、ここは石造りで、外と全く違う雰囲気なので、せめて見えるようにってやったのかもしれないですよ」
ニコニコと笑う悠利。実に好意的なというか、ダンジョンマスターを自分達と同じ感覚を持つ普通の人のように判断して語っている。アリーは何も言わなかった。言っても無駄だと思ったのかもしれない。
また、悠利の知っているダンジョンマスターが問題だった。
一人は、生粋のダンジョンマスターのくせに人間に妙に友好的で、いっぱい遊びに来てくれると嬉しいなんてことを宣い、本来は植物系の採取ダンジョンだというのに、もうどう考えても農園としか思えないような構造にしているマギサ。
そして今一人は、元人間のダンジョンマスターで、殺伐系なダンジョンコアと反発して、エネルギー回収のためには色んな人に来てもらわなきゃいけないだろうという趣旨のもと、悠利のアドバイスを受け、世界各地の建造物を模したダンジョン部分を宿屋として運営し、観光地よろしくお客様を呼び込もうとしている男、ウォルナデット。
どう考えても悠利の中で、ダンジョンマスターが付き合いやすい何かになってしまうのは仕方がなかった。こればっかりは、今まで引いたカードが色々とアレすぎるのが原因だ。一般的なダンジョンマスターがどういうものか、悠利が学習する機会がなかったのである。
そんなやりとりをしつつも、先へ進むことを優先した一同。三面を湖の中の景色が映し出された状態のまま進む彼らの前に、明らかに他とは違う場所なのだと示すような精巧な扉が現れた。明らかに重要な場所に繋がると解る扉だった。
本来ならばそういう扉の場合は門番のような魔物がいるはずなのだが、今は何もいない。むしろここへ来るまでの間も奇妙に平穏だった。罠は存在してはいるものの発動せず、魔物もこちらを見ても遠まきにするだけで襲ってこなかった。明らかに誘導されている状況だった。
「コアの部屋に近づいたとしても妨害がないとなると、やはり」
「呼ばれてたってことですよね」
アリーの言葉を引き取るように悠利がつぶやく。明らかに彼らはこのダンジョンの中枢へ招かれている。それはもう、間違いなかった。状況が状況なので。
そこでアリーは、ちらりとイレイシアを見た。本来ならばリーダーであるアリーが扉を開けるべきなのだろう。何かあったときに対処できるという意味で、アリーに勝る者はいない。
しかし、今回のキーパーソンはイレイシアだ。あちら側が出迎えようと思う相手、呼ぼうとした相手はどう考えてもイレイシアでしかないのだ。
となれば――。
「イレイシア、お前が扉を開けろ」
「わたくしがですか?」
「相手が呼んでいるのがお前なら、俺達が開けるよりはお前が開ける方が妨害はないだろう」
「解りました」
言われた言葉に、イレイシアはこくりとうなずいた。彼女は荒事に向いていないが、向いていないだけで覚悟がないわけではない。この状況は自分が気になると言ったから起こっているのだと解ってもいる。
だからこそイレイシアは深呼吸をした後に、扉にそっと手を添えた。重そうな石造りの扉は、イレイシアの手が触れると、まるで自動ドアのようにスーッと開いた。
そして――。
「お待ちしておりました」
涼やかな美しい声が悠利達の耳に届いた。若い女性の声だった。
視線を向ければ、開かれた扉の向こう側で、ダンジョンコアを背景に一人の女性が立っていた。美しい女性だった。全体的な印象が何となくイレイシアに似ている。線の細さやすらりとした手足の長さなどの特徴が似ているのだ。
すらりとした長身の色白美人で、群青色の長い髪を一本の三つ編みにして背に垂らしている。瞳の色は優しい水色だった。目は垂れ目だが眉がつり眉なので全体的な印象は凜としている。
服装はへその見える短いタンクトップに、パレオのような巻きスカート。そしてシースルーのショールを羽織っている。足元は素足だった。何となく、夏場のビーチで見かけるような服装だなと悠利は思った。
悠利達に声をかけてきたその人は、それ以上は何も言わなかった。ただ、待っていたと言うからには、やはりイレイシアを呼んだのは彼女なのだろう。
なので、意を決したように、イレイシアが口を開く。
「お初にお目にかかります。昨日の帰り際にわたくしを呼び止められたのは、貴方で間違いないのでしょうか」
イレイシアのその問いかけに、女性はふわりと笑った。肯定の意を示すように、その表情は友好的だった。そして彼女は、優しい声で答えてくれる。
「その通りです。私が貴方を呼びました。手間をかけて申し訳ありません。ですが、来てくれて嬉しく思います。遠き同胞よ」
そう言って、恐らくはこのダンジョンのダンジョンマスターであろう女性は、ふわりと笑みを浮かべた。敵意も悪意もどこにもなかった。
そんな彼女に、アリーはイレイシアの隣に立つと質問を投げかけた。リーダーとしては確認するべきことが色々とあるのだ。
「一つ、確認をさせてくれ。アンタはこのウルム湖のダンジョン、豊水の源流のダンジョンマスターで間違いないのだろうか?」
「その通りです。改めて自己紹介を。私の名前はニコレット。ここ、豊水の源流のダンジョンマスターをしている元人魚の女です」
元人魚。その言葉に、イレイシアはだからかと言いたげな顔をした。先ほどニコレットはイレイシアのことを遠き同胞と呼んだ。同胞とはすなわち、同族や仲間を示す言葉だ。今はダンジョンマスターでも元々は人魚だというのなら、人魚のイレイシアと親和性が高く、声が届いたと考えるのも自然だった。
ニコレットが丁寧に挨拶をしてくれたので、ならば次はこちらからと一同を代表して、まずはアリーが口を開く。お互いに名乗り合うのはコミュニケーションの第一歩である。ましてや今回は、相手も友好的なのだから。
「はじめまして、俺の名はアリー。《真紅の山猫》というクランのリーダーを務めている。そこにいるイレイシアはうちの所属でな。保護者代わりも兼ねているので、今日はここに同行してきた」
「ご丁寧にありがとうございます。そうですね。ここは間違いなくダンジョンですし、彼女はあまり戦闘に長けているようにも見えませんから、ご心配なさるのも当然です」
そう言って、ニコレットは気を悪くした風もなく柔らかく笑ってくれた。人当たりはいいらしい。
ただ、柔らかな笑みを浮かべていても凜とした雰囲気は崩れず、悠利の中で彼女のイメージは真面目に仕事の出来るかっこいいお姉さんという方向になっている。表情や仕草、所作などが仕事の出来る女みたいな感じに見えたのだ。
「で、後ろの四人はうちのメンバーだ。人魚のイレイシアに、護衛として連れてきた虎獣人のラジ。ナビゲーターを目指してるんで、マッピング担当として連れてきたクーレッシュ。それと……。……それと、今日は調査担当として連れてきた、うちの家事担当のユーリだ」
アリーに名前を呼ばれた順番に、一同はペコペコと頭を下げた。それに適宜相づちを打つようにうなずいていたニコレットは、最後の最後、悠利の紹介の段階になって動きを止めた。アリーの方も若干言葉に詰まってからの発言だったので、それにつられたとも言えるがそうではない。
家事担当……?と小さくニコレットがつぶやいたのが聞こえる。まあそうだよなと悠利以外の全員が思った。ダンジョンの調査に、何でまた家事担当の者を連れてきているんだという当然の疑問だ。悠利の事情を知らなければそうなっても無理はない。
ここはやはり、自分がきちんと説明せねばなるまい。何故かそんな風に謎の使命感に駆られて、悠利は一歩足を踏み出してニコレットに声をかけた。
「はじめましてユーリです。普段は《真紅の山猫》で家事を担当しています。でも僕は鑑定系の技能を持っているので、調査のときにはこうやってみんなのお手伝いで外に出てくるんです」
「そうなのですね。では、普段は家事を担当されている、と?」
「そうです。僕、お料理が大好きなので」
満面の笑みを浮かべる悠利になるほどと言いつつ、それもどうなんだろうみたいな顔をしているニコレット。この少年が家事担当という現実をいまいち理解しきれていないのかもしれない。というかそもそも、冒険者が家事担当を連れ歩いているという状況が理解できないのかもしれない。
そんなニコレットの困惑を理解しつつもアリーは口を開いた。
「まあこいつが特殊なのは今更なので、横に置いてほしい。それで、用事があって呼んだということは確かなんだな?」
「その通りです。道中の魔物達も大人しくしていたでしょう?そのように指示を下してあります。大切なお客様なので丁重に出迎えるようにと」
そう告げたニコレットの表情は、線の細い面差しとは裏腹にどこまでも凜々しい。元人魚と名乗ったが、同じ人魚でもイレイシアとは雰囲気が少し違う。優しげではあるが、場合によっては強硬手段も辞さないような鋭さが見え隠れする。それが、ダンジョンマスターになってから得た性質なのか、元々の性質なのかは解らないが。
会話が一段落したのを確認して、悠利が口を挟んだ。どうしても気になることがあったのだ。
「あの、ニコレットさんのそのお姿は、生前のお姿ってことでいいんでしょうか?」
「生前?」
「あ、えっと、生前というか、ダンジョンマスターになる前の、人魚のときのお姿かなって思いまして?」
「ええ。その通りです。それがどうかしましたか」
「それなら、ダンジョンマスターとしてのお姿はまた違う感じですか?」
期待に満ちた眼差しで、わくわくと言いたげなオーラを放ちながら問いかける悠利。何でそんなことに興味がと言いたげなニコレットであるが、悠利にとっては結構重要なことだ。
何せ、お友達である元人間のダンジョンマスターであるウォルナデットも、普段の姿は生前の人間であったときの姿だが、ダンジョンマスターとしての姿は角やら翼やらの生えた異形っぽい姿だという。それならば、目の前の元人魚のお姉さんもちょっぴり今とは違う異形っぽい外見になるのだろうかと思ったのである。
そんな風に興味津々な悠利に、ニコレットは困ったように笑った。だが、特に気分を害してはいないのか、そのまま説明に入ってくれる。実に優しい。
「私のダンジョンマスターとしての姿は、もう少し魚っぽくなりますね」
「魚っぽくですか?」
「ええ、耳が魚のヒレのようになり、肌も青くなります。あとは、うっすらと鱗も生えますね。たとえるなら、魚人のようなというところでしょうか」
そう言って微笑むニコレットは、別段その姿を忌避しているようではなかった。
ウォルナデットは何とも悪魔っぽい威圧のある状態の姿になるのが得意ではないらしく、周囲をおびえさせない配慮も含めて人間の形を維持しているのだが、彼女は違うのだろうかと悠利は小首をかしげる。その視線の意味に気づいたのか、今の自分の姿を見下ろしてニコレットはこう告げた。
「どちらの姿でいようとあまり変わりませんが、客人を迎えるならばこちらの方が威圧感を与えないだろうと、今は元の姿になっているだけですよ」
「じゃあ、ニコレットさんはダンジョンマスターとしての姿のままのときもあるんですね」
「というか、普段はそちらで過ごしています。その方が力の消耗もありませんし」
「あ、やっぱり少し力は消耗するんですね」
「そうですね。今の私の本来の姿というのがダンジョンマスターとしての姿になりますから」
「なるほど、教えてくれてありがとうございます」
ペコリと頭を下げる悠利。また一つ賢くなったぞみたいな雰囲気を醸し出しているが、その会話を聞いていたアリーはこめかみを押さえていた。違う、そうじゃないと言いたかったのかもしれない。なお、イレイシア、ラジ、クーレッシュの三人は雑学が増えたなぁぐらいの緩い反応だった。
何というか、悠利の仕入れる知識がどんどんちぐはぐになっていくのだ。基本的にアジトから出ないおさんどん担当だというのに、知り合いにダンジョンマスターがいるせいで、その周辺の情報だけは一生懸命研究している方々よりも変に突出して特殊なことまで知っているようになっている。
何せ、聞けば答えてくれるダンジョンマスターが二人もいるのだ。おまけに一人は生粋の、今一人は人間から作り変えられたダンジョンマスターである。経緯の違う二人のダンジョンマスターが、お友達という立場から悠利が投げかける素朴な疑問に、トップシークレットなんてありはしないと言わんばかりの状態で、何でもかんでも教えてくれるのだ。やはり色々とちぐはぐになっても仕方ない。
そんな中、アリーが再びニコレットに声をかける。今回の責任者としては諸々確認しておくべきことがあるのだ。
「最初に確認しておくが、このダンジョン豊水の源流は近隣との共存を望んでいるということでいいんだな?」
「はい、間違いありません」
「なら、イレイシアを呼んだのも近隣との共存に関わるという方向か?」
「もちろんです。間違ってもダンジョンの脅威度を上げて周囲を圧迫しようなどとは思っていません。そもそもダンジョンコアは、この辺りの陸地に水の恵みを与えることを最優先事項としていますから」
そう言って、ニコレットは誇らしげに胸を張った。自らをダンジョンマスターに作り変えたダンジョンコアを信頼しているという姿。ニコレットの言葉に応えるように、ダンジョンコアがピカピカと少しばかり光った。眩いばかりの光ではないが優しくも温かな光である。力に満ちたダンジョンコアだ。
ニコレットの言葉、そしてダンジョンコアの反応を見て、協力をしても問題ないとアリーは判断したのだろう。そうかと頷くと、イレイシアをすっとニコレットの方へと一歩進ませた。
「そちらに害意がないというのなら、そして協力する方がこの辺りの平和につながるというのなら、出来る範囲で協力させてもらおう」
「わたくしも、お手伝い出来ることがあるならさせていただきますわ」
「ありがとうございます」
アリーとイレイシアの言葉に、ニコレットはほっとしたように表情を緩めた。彼女の告げる感謝の言葉は本心なのだろう。それほど困っているということだ。
ただ、悠利は不思議に思う。少なくともこのダンジョンのダンジョンコアは、力に満ちあふれている。ニコレット自身も元気そうだ。ピクニックに来たときに過ごした湖畔にも、特に異変はなかった。いつも通りののどかで柔らかな空気だった。
だからこそ、一体どんな異変が起こっているのか気になった。ニコレットは、一体何に困ってイレイシアに助けを求めてきたのか。そんなことを悠利は思った。
ひとまず自己紹介も終わり、ここが安全なダンジョンであるということも再確認できて、話は一歩前進した。どんな困りごとが来ようとも、皆で頑張って解決するぞと一人決意を固める悠利なのでありました。
なお、目敏く察知したアリーが「頑張りすぎなくていい」というツッコミを入れるのだが、まあいつものことです。
新しいダンジョンマスターさんが増えたよ☆
ご意見、ご感想、お待ちしております。
なお、感想返信は基本「読んだよ!」のご挨拶だけですが、余力のあるときに時々個別でお返事もします。全部ありがたく読ませて頂いております!





