ウルム湖ダンジョンで調査訓練
一応、訓練でもあるのですよ?
一応ここもダンジョンなんだな、と悠利は今更な感想を抱いた。ピクニックを楽しんでいると、うっかりここがダンジョンだと忘れてしまうのだ。
何か所かダンジョンには足を運んだことはあるが、ここが一番ダンジョンという雰囲気からはかけ離れているな、と悠利は思う。
少なくともこの場には、入り口らしい入り口が存在しない。湖だけでなく、湖畔の一帯もダンジョンの領域らしいのだが、美しい花々が咲き乱れ、特に人に危害を加えるわけでもない。己のテリトリーを守るだけの魔物がおり、ごく普通に動物達が存在する。そんな、実に穏やかな湖畔なのである。
それでも一応はダンジョンだということで、仲間達は各々が周囲の調査をしている。悠利には何が何やらさっぱり解らない状況ではあるが、これも訓練の一環らしい。
要は、目の前の土地の状態を調査、分析、確認するという修行らしい。ここは安全なので、そういう意味で練習にもってこいなのだろう。
そして、ごく普通の湖畔に見えるが一応ダンジョンであるので、その植生などは付近とは少々異なっているらしい。
例えば、咲いている花々は季節に影響されないだとか、土壌や気候を考えても咲かないはずの花があるとか。他には、本来ならこの規模の湖に存在するわけがない魚がいたり、生育具合がちょっぴり季節感を無視しているとか。そんな風に色々と、普通ではない部分は存在するらしい。
仲間達が調査をしている間一人ぽつねんと待っているのもアレなので、悠利は足元にルークスをお供につけながら調査をしている皆の周りをちょろちょろしている。勿論邪魔にならないように気をつけてではあるが。
そんな悠利を邪魔にすることもなく、ただし目の前の調査に真剣に向き合っているので悠利から声をかけない限りは反応をしない仲間達。一生懸命頑張っている皆の会話を聞くだけでも悠利は楽しいので、全然問題はないが。
「えーっとこの植物は本来、えーっとえーっと……」
「もうちょい寒い季節に咲く花じゃなかったっけ、それ」
「あ、そう。そうだよ。寒い季節に咲く花っと……。でも、何で咲いてるんだろう?」
「その花が咲いてんのって、湖に近いとこだよな。ってことは水温が影響してるんじゃね?」
「水温?」
カミールの言葉に、ヤックは不思議そうに首を傾げる。自分の疑問に答えてくれたのは嬉しいが、与えられた答えの意味が良く解らなかったのだろう。
「いやほら、水温が影響してるか、ダンジョンコアが湖の中枢にあるって言うから、そこに近い方がその影響を受けやすい、とかあるかなって」
「あー、なるほど」
納得したようにヤックは真面目な顔で頷いていた。ヤックとカミールは湖の周辺に咲いている花について調べているらしい。
悠利にとってはきれいな花だなぁで終わるが、彼らにとってはその土地を知るための情報の一つだ。どういった種類の草花で、どういった時期に咲くもので、物によっては毒があるのかないのかなども調査対象だ。また、それを好む魔物を引き寄せるのか、あるいは逆に魔物や動物を遠ざけるのかどうかという感じで、植物一つとっても情報は大切なのだ。
他の皆は何を調べているのかなと思いながらユーリは視線をアロールに向けた。魔物使いの少女は何をしているのかと思えば、どうやらこの地の魔物と話をしているようだった。
「君達の邪魔をするつもりはないよ。うん、なるほど……。そうか、そちらから手を出してこないのは、そうすることで身を守ってもいるんだね」
悠利には、何を言っているのかさっぱり解らない魔物の言葉だが、異言語理解という技能を持っているアロールには、普通の人間との会話と同じように聞こえるらしい。
ふむふむとうなずきながら魔物と話している姿は若干シュールなのだが、話している相手の魔物が角の生えたウサギなので、そこまで威圧感はなかった。何も知らなければ、可愛いウサギと戯れている十歳児の姿である。まあ、そんなことを言うとアロールの機嫌を損ねるのだが。
「キュー」
「ルーちゃん気になるの?行ってみる?」
興味深そうにアロールとウサギの魔物のやりとりを見ていたルークスが、ちょっとうずうずしているのに気づいた悠利が声をかけると、ルークスは嬉しそうにぽよんと跳ねた。アロールの邪魔はしたくなかったが、ルークスの好奇心も満たしてやりたいし、悠利もどういう話をしていたのかが気になるので動くことにしたのだ。
悠利がルークスを伴ってアロールの傍らへと歩くと、二人の接近に気づいたらしいアロールの首元という定位置にいたナージャがシャーッと息の音を出した。
「なんだいナージャ、いきなり……」
それで何かあったことに気づいたアロールが顔を上げ、振り返る。そうすると、ごめんと言いたげに拝むような仕草の悠利と、目をキラキラと輝かせているルークスと目が合った。君達かと小さく呟いてから、アロールは改めて質問を口にした。
「何か気になることでもあった?」
「えっとね。ルーちゃんが何だか混ざりたそうだったから」
「キュピ、キュピ!」
「こっちから手を出さなければ攻撃してこないから、普通に話す分には大丈夫だと思うよ。……行っておいで」
「キュ!」
解ったと言いたげにルークスをぽよんと跳ねてから、アロールと話をしていたウサギの魔物へ近づいた。ウサギの魔物は最初警戒していたようだが、アロールが大丈夫だと伝えると安心したのか、ルークスと何やら話し始める。
そんな可愛らしい光景を見ながら、悠利はアロールに問いかけた。
「アロールは何を調べてたの?」
「ん?ああ……、今まではちゃんと調べたことがなかったからね。このダンジョンの魔物達が、テリトリーに入らない限り、あるいはこっちから攻撃しない限り、敷地内に入っても攻撃してこない理由とかを聞いてたんだ」
「教えてくれるものなの?」
「別に教えてもいいみたいだから、教えてくれたよ」
「へー。それで理由って何だったの?」
わくわくと、興味津々と言わんばかりの表情をする悠利に、アロールは小さく笑ってから説明をしてくれた。
「ダンジョンマスターの意向みたいでね。ここを周辺となじむ、排除されない普通の湖畔にしておきたかったみたい。それでも魔物がいるのはダンジョンの守りの一種で、後は情報収集にも必要だってことらしい。自分達から攻撃しないのは、そうしておけば不用意に近づいて、敵認定されて攻撃されることもないからっだって。それでも湖の中央、ダンジョンコアに続くあの建造物、祠みたいなのがある周辺に近づくときだけは気をつけた方がいいって」
「例外ってこと?」
「流石にダンジョンコアに通じる場所だからね。そこに不必要に近づくなら攻撃するし、門番よろしくそこそこ強い魔物もいるからってことらしい」
「やっぱり、どこもかしこも大丈夫ってわけではないんだね」
「まあね。ただ逆を言えば、そこにいる以外の魔物はこっちから攻撃しなかったら攻撃してこないってさ」
「穏やかな魔物さんが多いんだね」
感心したように言う悠利に、アロールは思わず声を上げて笑った。
穏やかな気性の一言で片付けられるようなものではない。魔物は本来、自分の生活圏内に入ってきた相手に対して敵意をむき出しにするものだ。まあ、魔物でなくとも、野生動物もそういうところはあるが。
アロールが比較的魔物に対して友好的なのは、彼女にとって魔物達は言葉の通じる相手だからだ。逆を言えば、言葉が通じない者達が、強力な爪や牙を持つ魔物を恐れ、戦いに発展するのは仕方のないことだと思ってもいる。
ただし、どちらかが一方的に相手を殴るような状況は彼女としても許容しないだろうが。
そんな風に会話をしていた悠利は、不意に頭上に影が差したので視線をそちらへ向けた。視線の先では、翼を広げて空を飛ぶヘルミーネの姿が見える。どうやら空から周囲の地形を確認し、調べているらしい。
先ほどもやってきたと言っていたはずなのだが、何故同じことを繰り返しているのかとちょっと首をかしげる悠利。そんな悠利に答えをくれたのはフラウだった。
「ヘルミーネは今、市販されているこの辺りの地図と実際の光景に差異がないかどうかの確認をしているんだ」
「地図って確か、冒険者ギルドのナビゲーターの人とかが作って、正式に販売されているものですよね?」
「ああ、ダンジョンというのは時々変化するものだからな。地図と完全に同じかどうか、何か新しい光景があるかどうかを確かめて報告するのは、ある意味冒険者の義務とも言える」
「うーん……。でもそれって、ちょっと困っちゃう話ですよね?」
「ん?」
悠利は大真面目な顔で、真剣な眼差しでそう告げた。そんな悠利を見てフラウが首をかしげるので、素直に思ったことを口にする。
「だって、そもそも地図ってそれが合ってるのを前提に皆は行動するわけじゃないですか。なのに、今のフラウさんの話で言うと、地図を疑ってかからなきゃいけないってことですよね?」
「なるほど。そこが引っかかったか」
そんな悠利の言葉にフラウは楽しげに笑った。問題はないよと笑うその姿は実に清々しい笑顔で、悠利は自分が真剣に捉えすぎたのだろうかと思わず首をかしげる。
「確かに地図を完全に信用してはいけないというのは、不安が残るように思えるだろう。しかしな、ダンジョンを大幅に変化させるというのは、ダンジョンコアやダンジョンマスターにとっても決して容易いものではないのだ」
「そうなんですか?」
「基本的に、維持するだけでも力が必要だからな」
「でも、マギサとかウォリーさんは結構色々とやっているような……」
「あれは特殊だと思うぞ」
そうなんですか?と悠利は首を傾げた。何せ、悠利のダンジョンマスターの知識は仲良しのお友達からのものだ。収穫の箱庭のダンジョンマスターであるマギサ、無明の採掘場及び数多の歓待場のダンジョンマスターであるウォルナデット二人は人間に友好的で、悠利ともお友達として過ごしてくれている。その二人は、お客さんが来るからということで、ダンジョンの中をいじって調整していることがよくあるのだ。
例えばマギサならば、悠利達が来るからとピクニックできるようなフロアを用意してくれたりする。ウォルナデットの方は内装をいじって、ダンジョンに宿屋を作ってしまっている。そんな事例を知っているので、やろうと思えば好き放題に変更できるのではないかと思ったのだ。
「そもそも、内部をいじるのにもエネルギーを使うから、ほとんどのダンジョンは広げることはあっても作った部分を変えることはあまりないらしい」
「そうなんですか?リフォームの方が楽そうなのに」
「まぁ、中には入るたびに内装の変わるダンジョンもあるが、それはそういう仕様だからな。ダンジョンマスターやダンジョンコアとて、無駄にエネルギーを使う気はないのだろう。そもそもダンジョンは、冒険者を誘い込まねばならない」
「はい。知ってます。来訪者からエネルギーを貰うんですよね」
フラウの言葉に、悠利はこくりと頷いた。だからこそマギサはダンジョンを農園みたいにして王都の皆様を招いているし、ウォルナデットは各地の建造物が楽しめる宿屋として観光客を呼び寄せようとしている。彼らが人間に友好的だというだけでなく、来訪者がいなければエネルギーが枯渇して大変なことになるからだ。
「そうだ。だからこそ、意味もなく拡張を繰り返し、それを警戒して冒険者が入ってくることがなくなれば本末転倒だ。意外とその辺りのバランスを考えているようでな。ダンジョンに変化があるのは、よほど長い時間が経ったか、あるいはよほど大きな何かがあった場合だけだ。滅多にないよ」
「そうなんですね」
フラウの言葉に、悠利は安心したと言いたげに胸を撫で下ろした。というのも、仲間達が地図を頼りにダンジョンに向かって、その地図が役に立たなかったら困るなと思ったからだ。
悠利自身はダンジョンに行く予定は友達のダンジョン以外にはないので、そういったことは心配していない。まあ、仮に隠し通路や罠などがあったとしても、ありとあらゆるものを見抜く最強の鑑定技能【神の瞳】さんが悠利にはついているので、何の心配もないが。
普段の使い方は色々と間違えているが、持ち主がぽやぽやしていようと技能の方は有能で、危険なことはあらかじめ察知して先回りして教えてくれるのだ。そういう意味で、悠利は割と安全だった。
とりあえず謎が解けたので、悠利は満足そうにうなずいている。ヘルミーネがやっているのも念のための調査でしかないと解って、一安心なのである。頑張ってねと胸中で応援するぐらいの余裕は出来た。
ふと視線を転じれば、いつの間にか見習い組の四人が固まっていて、植物を見ながらあーだこーだと言い合っている姿が見えた。協調性がなさそうなマグも他の三人と一緒になって話をしているのは、やはりこういったときはきちんと仲間達と共に話を聞くべきだと思っているのかもしれない。
「皆頑張ってるんですねぇ」
しみじみとした表情で呟く悠利の姿を見て、フラウはくつくつと楽しそうに喉を鳴らした。
「フラウさん?」
「いやユーリの言い方がまるで母親のようだったのでな」
「お母さんになったつもりはないんですけど……」
僕、男ですし、と相変わらずのほわほわした口調で告げる悠利。まぁ、何を言われてもゆるーく受け止めるから彼なのだろう。
別段皆の保護者のような気持ちになっているわけではない。ただ何となく、いつもいってらっしゃいと見送っている仲間達の頑張っている姿を直に見られると、色々と感慨深いなと思ってしまうだけなのだ。
そう、悠利は基本的に冒険者として修行に出かける仲間達を見送るだけなのだ。見送って、皆が出かけている間にアジトを掃除したり、美味しいご飯を作ったり、洗濯をしたりしている。だから、こうやって間近で冒険者として頑張っている仲間達の姿を見るのが何となく面白くて、ついつい見てしまうのである。
なので、そんな思いを抱きながら悠利は、皆頑張ってるなと思いながら笑みを浮かべている。単なるピクニックを楽しむのもいいが、一生懸命頑張っている仲間達の姿を見られて一石二鳥だなと思うのだった。
「あのフラウさん」
「なんだ?」
「僕が技能でお手伝いすることとかあります?」
「今のところ特にはないな」
「解りました。何かあったら言ってくださいね」
「まあ、ここではそんな風に頼ることはないと思うがな」
悠利の鑑定能力の高さは理解していても、ここは平和でまったりとしている初心者のための場所みたいな感じなので、出番はないだろうというのがフラウの判断だった。というかむしろ、そんな事態が起きたとしたらそれは、かなりのイレギュラーということになる。
そもそも、今まで何度もこうしてピクニックにやってきても特に何事もなかったのだ。なので、フラウがこんな風に言うのも当然である。
まあ、悠利もその辺りのことは解っていて言っている。手伝えることがあるなら手伝いたいと思う気持ちは本当だが、ここが平和で平穏なのは理解しているので、まあやることないよねと思ってはいるのだ。
そんな風にのんびりと会話をしていると、空の調査から戻ったらしいヘルミーネが何やってるのと言いたげに駆け寄ってくる。
「ユーリ、どうしたの?」
「ああ、うん、皆が色々頑張ってるから、僕もお手伝いできることあったら言ってくださいねってフラウさんに言ってたんだ」
「ユーリのお手伝い……」
「何でそこで固まるの……?」
何もおかしなことを言っていないはずなのに、ヘルミーネは一瞬動きを止めた。止めて、そして、真剣な顔で悠利を見てこう告げる。
「いい、ユーリ?私達は今日、ピクニックに来たのよ」
「うん」
「少なくともユーリはピクニックに来てるの。解った?」
「解ってるけど……」
「解ってるならいいの。余計なことはしないの」
「えーっと、つまり……?」
「ユーリが普段と違うことすると何か起こるって皆言ってるんだから、そういう危ないことは言わないの!」
「お手伝いしようと思っただけなのに、そういう扱いひどくない?」
「ひどくないわよ。色々と今までのことがあるんだから」
ひどいよ、と訴える悠利と、自分は普通だと言いたげなヘルミーネ。二人のやりとりにフラウは口を挟まなかった。ははは、仲がいいな、と言わんばかりの眼差しである。彼女にしてみれば、子供達がじゃれているようにしか思えないのだろう。
二人が言い合いをしている姿に気づいたのか、仲間達がやってきてなんだなんだと事情を聞く。そしてヘルミーネに説明を受けた皆は、顔を見合わせてこう言うのだった。
「ユーリ、ヘルミーネさんが正しい」
「うん、オイラもそう思う。ユーリはいつもと違うことしちゃダメだよ」
「何かあってからじゃ遅いんだからな」
「皆して言わなくてもいいじゃない!」
特に悠利と接する機会の多い見習い組は容赦がなかった。マグは口には出さなかったが、やめておけと言わんばかりにかぶりを振っている。あのマグにこんな反応をされる程度には、悠利の認識はそういう感じなのだ。
ほんの気まぐれでちょっと口にした言葉でこんなに大げさにしなくてもいいのに、と思う悠利であったが、まあ今までが今までなので仲間達の反応も仕方ないことなのであろう。多分。
とにかく、そんなわちゃわちゃとした雑談を挟みつつも、調査訓練は続くのでした。
悠利は遊びだけど、皆はお勉強なのでこういうこともあります。
ご意見、ご感想、お待ちしております。
なお、感想返信は基本「読んだよ!」のご挨拶だけですが、余力のあるときに時々個別でお返事もします。全部ありがたく読ませて頂いております!





