パティシエさん、誕生。
美味しいお菓子が作れるならパティシエさんでおk。
「どう、ユーリ?美味しいでしょう?」
笑顔で、それはそれは嬉しそうな笑顔で告げてくるのは、愛らしい顔立ちをした少女だった。線が細く、柔らかな印象を受ける面差しの少女の名前は、ヘルミーネ。白に近い金髪をお下げに結わえているのが、更に彼女を幼く見せる。だがしかし、見た目は愛らしくとも、彼女もまた《真紅の山猫》に所属する訓練生の一人だ。
「うん、美味しいね。…でも、こんなに美味しいのに、どうしてお客さんが僕たちしかいないの?」
「……そこなのよねー」
ヘルミーネはため息をついた。感情が発露したのか、彼女の背中にふわりと真っ白な翼が現れた。ヘルミーネは羽根人と呼ばれる有翼人種である。身体能力はほぼ人間と同じ。ただし、その背中に翼を持ち、空を飛ぶ。そしてその翼は、意思の力で出し入れが可能となる。普段は邪魔になるとしまっている翼が出てしまうのは、ヘルミーネがまだ若く、感情制御がそこまで完璧ではないからだ。
悠利とヘルミーネがいるのは、かなり有名な食堂だった。大商人から貴族様まで訪れると評判の、お値段も結構良い感じの大食堂である。その食堂で、ランチタイムも過ぎ去ったお茶の時間に、二人はくつろいでいる。丁寧に入れられた紅茶と、上品な味わいのケーキを食べながら。
「ごめんなさい、ヘルミーネ。待たせてしまったかしら?」
「ううん、大丈夫よ、ルシア」
「そう?こんにちは、貴方がユーリくんね?ケーキの味はどうだったかしら?」
「とっても美味しかったです。紅茶とのバランスも丁度良くて」
「ありがとう。そう言って貰えると嬉しいわ」
そう言って、ルシアと呼ばれた女性は微笑んだ。真っ白なエプロンを身につけた彼女は、見るからに料理人と思しき格好をしていた。年齢は二十歳前後である。調理の邪魔にならないようにということなのだろう。綺麗な金髪を首の後ろで一つに結わえていた。
「あの、こんなに美味しいのに値段は安いし、お客さんが少ないのは、何故ですか?」
悠利はわからないことは尋ねるタイプだった。そこに他意は微塵も無い。彼はただそう思っただけなのである。
実際、悠利が食べたケーキはとても美味しかった。材料費とか人件費とかがどうなっているのかは悠利にはわからない。だが、この店の、他の料理の値段と比べて、随分と安かったのだ。何故、と疑問に思ってしまうのは無理の無いことだった。
「それはね、私が料理人じゃないからよ」
「…はい?」
「料理人の職業についていない私の作ったものだから、値段は安くなるし、信用が無いからお客様も少ないの」
「…………えーっと、料理を作って売るには、料理人の職業でないとダメとか、そういう決まりがあるの?」
ルシアの発言内容が理解出来なかった悠利は、隣のヘルミーネに質問をした。愛らしい顔立ちの羽根人の少女は、ぷくぅと頬を膨らませて、不機嫌そうだった。悠利が首を傾げ、ルシアが苦笑する。その中で、ヘルミーネはぶすくれたままで、口を開いた。
「ちーがーうーわーよー。…本来、料理を売るのに職業なんて関係ないもん。ただ、このお店は、ずーっと料理人一族が受け継いできた、王都でも指折りの老舗《食の楽園》だから、なの」
「……はい?」
「だからね、このお店は、凄腕の料理人が作る料理が売りのお店なの。勿論美味しいけど。…で、ルシアは料理人の職業を持ってないから、このお店で料理を売るのは難しいの」
「…でも、僕たち今、ケーキセット食べたよね?」
「ランチタイムとディナータイムの間の、客の少ない、本来なら閉店してる時間帯ならってことで、ルシアのケーキを売ってるの。……ただし、めちゃくちゃ安い値段でね」
ヘルミーネはふてくされたままだった。美味しいものを安く食べられるのは嬉しいことだ。消費者としてはそれは事実。だが同時に、ヘルミーネは知っている。ルシアのケーキは、彼女が作るお菓子の数々は、もっとしっかりとした値段を付けられて、多くの人に楽しまれるべきものだと。こんな風に、邪魔物のようにはした金で売られるべきではないのだ。
甘い物に目が無いヘルミーネが、偶然見つけた美味しいケーキ。彼女はそれを、周囲に宣伝した。広めようとした。けれど、ダメだったのだ。ルシアが料理人の職業を持っていないから。《食の楽園》では、それは落第者の意味を持つ。そんな人間の作った料理など、ということになるらしい。食べずにそう切り捨てた輩に、攻撃をしなかっただけ、ヘルミーネはまだ、冷静だった。…多分。
「えーっと、ルシアさんは、こんなに美味しいケーキが作れるのに、料理人じゃないんですか?」
「えぇ。私には料理の技能が無いのよ」
「……技能が無いのに、こんなに美味しいケーキが作れるんですか?」
「……私が得た技能は、製菓というの。お菓子を作るための技能よ」
にこりと微笑んだルシアの顔は、どこか寂しげだった。悠利にはその意味などわからない。ただ、彼は思ったことを、素直に口にした。ルシアは、料理の技能を持っていない。だから、料理人の職業ではない。そして、彼女が持っているスキルは、製菓。菓子作りの為の技能だった。
だから、悠利は彼女のことを、こう思ったのだ。
「ルシアさんは、パティシエなんですね」
いつも通りの、何の気負いも無い普通の笑顔で、普通の口調で悠利は告げた。実際、悠利にとっては普通で当たり前の事だった。料理人が料理をする人ならば、お菓子を作るのはパティシエだ。まして、製菓という、菓子作りの専門家としか思えない技能を保持しているのならば、なおさら。
だがしかし、その言葉に、ルシアは目を見張り、ヘルミーネは胡乱げに悠利を見た。彼女達は、そんな職業を聞いたことはなかったのだ。
「…ぱてぃしえ、というのは何かしら?」
「アレ?この辺りでは言わないんですか?僕の故郷では、お菓子作りの専門家を、パティシエと言うんですよ」
正確にはフランス語であるが、そこは気にしてはいけない。日本は外来語を普通に受け入れて生活出来る国である。お菓子が大好きな人々にとって、パティシエはお菓子作りのプロという認識は間違っていないだろう。料理を作るのがコックやシェフなら、お菓子やデザートを作るのはパティシエである。少なくとも、悠利の中では。
「……ユーリ、つまり、製菓の技能を持っているルシアは、パティシエなの?」
「…と、思ったんだけど、違うの?」
「そんな職業聞いたことない。…ちょっと、ルシアの名前と職業だけ確認してよ」
「えー…。僕、人物相手に鑑定しちゃダメだってアリーさんに言われてるし」
「合意の上なら良いでしょ。ねぇ、ルシア?」
「……そうね、確認を、お願いしても良いかしら?」
「……あ、はい」
人物を鑑定するのは失礼なことなので、自分の許可が無い限り絶対に勝手にするな、とアリーにしつこく言われている悠利である。それでなくても、先日、隷属の装身具関係でちょこっとやらかしたことで、大目玉を食らったのだ。あんまりアリーを怒らせたくはなかった。お父さんは怖いのだ。
だがしかし、ヘルミーネの言う通り、双方合意ならば、怒られないかも知れない。それに何より、悠利を見るルシアの瞳は真剣で、そこまで必死にお願いされると、ノーと言えない日本人なのである。
(とりあえず、望んだ項目だけ鑑定するようにしよう…)
魔眼持ちのアリーに師事したことによって、悠利はちょっとした技量を手に入れていた。それが、鑑定するときに、欲しい情報だけを抜き出す、というところだ。普通、鑑定は使用者に見える全ての情報が開示される。だがしかし、【神の瞳】を所持している悠利がそれをすると、見えすぎて辛いのだ。膨大な情報は扱うのが面倒くさい。
そしてそれは、魔眼の技能を持っているアリーも同じだった。鑑定でも高レベルの者達ならば同じ状態になるだろう。そして、そういった熟練者たちは、見える情報を調節するのだ。必要の無い部分まで見て、自分が疲れるのは嫌なので。
そんなわけで、その特訓というかコツを教えて貰った悠利にも、情報の選別は出来るのであった。この場合、ルシアの名前と職業さえ確認できれば良いわけで、それ以外の個人情報に触れないように、と心の中で気をつけながら、じっとルシアを見つめた。
――名前:ルシア
職業:パティシエ、町人
他の情報を見ないように注意したので、それだけのみ表示された。だがしかし、悠利は首を捻った。パティシエが職業だとは思わなかったのが1点。また、パティシエをルシアたちが知らなかったというのに、職業としてちゃんと反映されているというのが1点。疑問でしかなかった。
「……あのー、ルシアさん、職業がパティシエなんですけど」
「え?」
「……ユーリ、それ、本当?」
「あ、うん。本当。ちゃんと職業パティシエになってるよ?」
「ルシア!明日にでも教会に行って、見て貰うのよ!」
「え、えぇ…!」
ほけほけしている悠利と異なり、ヘルミーネとルシアの反応は凄まじかった。だがしかし、それも無理の無いことだった。それまで、職業を持たないと思われていたルシアに、料理系統の職業があるとわかったのだ。それは、すなわち、彼女の作るお菓子が、《職業持ちが作るもの》として認められる可能性があるということであった。
なお、何故教会かと言えば、教会では個人のステータスを見ることの出来る鑑定水晶が置いてあるからだ。鑑定士に見て貰う場合は、その結果を口頭で聞くしかないが、鑑定水晶はその場で水晶にステータスが表示されて確認できる。冒険者ならばギルドカードに適宜反映されるが、そうではない一般人がステータスを確認するには、教会で金を払って鑑定水晶を使わせて貰う必要があった。なお、料金は1回10ゴルドとお手軽である。
「ありがとう、ユーリ!貴方のおかげよ!」
「え?えーっと、何かよくわからないけど、どういたしまして?」
「もう!全然解ってない!つまり、ルシアに料理系の職業があることがわかったのよ!」
「…うん」
「だーかーら!ルシアのお菓子が、正当な評価を受ける可能性が出来たの!」
「それはすごいね!」
「……気づくのが遅いのよ…」
こめかみを押さえながらヘルミーネが呟いた。だがしかし、相手が悠利なので仕方ない、と思っている。そして、悠利には一切の悪気も他意もないことも、ヘルミーネは知っている。
それはともかく、悠利の知識からパティシエという職業が存在することを知った。そして、その認識を手にしたことで、ルシアに職業が発生した。これはある種の奇跡だとヘルミーネは思う。悠利をルシアに合わせたのは、美味しいお菓子を宣伝したかっただけだ。それがまさか、こんな結果になるなんて、思いもしなかったのだが。
「ユーリ、ありがとう」
「…うん。あ、ルシアさん、お代わり貰えますか?」
「えぇ、喜んで!」
「……ねー、こっちの話、聞いてる?」
ニコニコ笑顔で追加注文をした悠利の頬を、ヘルミーネは不機嫌そうに引っ張った。それほど力を込めているわけではないが、不機嫌を露わにしている彼女に対して、悠利は意味が解らずに、困ったように眉を下げて「痛いよー」と訴えているのであった。
なお、後にパティシエは料理系の職業として立派に認められ、ルシアの作るお菓子はティータイムの名物となるのであった。
なお、こういう感じで職業が発見されることは、あります。
古文書とか遺跡から発見されて、認識されて、発露するパターン。
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