記憶の匣 sideウゲツ
眠っているギルベルトを運んだのは、ルカと僕が数か月を過ごした「地下室」だ。ここならどこにも出口はないし、窓の外を見られて猫の庭の現在地を万が一にも察知されることがない。
訓練場のど真ん中に置かれたソファの上で眠っているギルベルトへ、ニーナからもらってきた清核で「睡眠解除」のアンチ・ファンガスをかける。図体だけはでかい男が、「う……」と言いながらのそりと起き上がった。
「な、なんだここ……」
僕はシャドウをカミルの姿で出し、自分へリンクしてしゃべらせた。
もちろん僕は、そばにいるルカによって不可視にしてもらっている。
『ギルベルト・スクワイア・蘇芳』
名前を呼ばれて弾けるように肩をビクッとさせたギルは、シャドウを訝しげに見た。
「……あんた、さっきの」
「お前がラウードにかけられた洗脳効果は解いた。気分が悪かったりしないか?」
「洗脳!? ラウード師匠はそんなことしないだろ!?」
「洗脳してお前を操ろうと思う者が、正直にそんなそぶりを見せるか?」
「……それは、確かに……で、でもラウード師匠は何の容疑であんたらに掴まったんだよ!師匠は俺に体術の指導をしてくれただけだし、親父にも信頼されてた!」
「ラウードはタンランのスパイだ。奴がどの事件の容疑者なのかはお前に伝える必要などない。それとお前の父親……ダライアス氏は、あまりラウードと接触するなと再三お前に忠告していたと聞いているが」
「言ってたけど、そんなの関係ない。ラウード師匠は忙しいのに俺にいろいろ教えてくれたんだ」
「関係ない、かな?じゃあ順を追って話そうか」
僕の出したシャドウのそばで、ルカがカミルと一緒に潜入調査した内容を淡々と映像記憶として出していく。それに沿ってシャドウも、淡々と話す。
彼の父親がマザーの第三の鍵を持つというダミー情報について。父親は最初からラウードが怪しいと思って手元に置いて様子を見ていたが、ギルベルトが父に隠れてラウードと接触したこと。
「水分補給に最適だから」と言って教わったあの飲み物に混入されていた洗脳準備薬。そしてラウードからもらった琥珀のお守りは呪術をかけやすくするためにうってつけの構造をしており、それはこちらで処分したと。
それらの自白内容をラウード自身が語った様子を見て、段々とギルベルトは蒼白になっていく。
「お、俺が……浅はかに彼へ近づいてしまったのは認める。でもそっちの言うことも鵜呑みにはできないだろ……」
「何も信じられないからか?」
「そ、そうだ。師匠にだって騙されて、レティだって……俺に黙って何であんなことしたんだ……?」
気安くレティの名を呼ぶな。
――ついそう思ってしまったけれど、深呼吸して気持ちを落ち着けた。
シャドウのカミルは後ろ手に組んだ手をほどき、少し呆れた表情でギルへ肩を竦めた。
「洗脳されていたとはいえ、お前を救おうと必死になったあの子へ随分な言葉を吐いていたな?」
「は?俺を救おうとした?」
「彼女には親もなく、幼少の頃からセリナへ師事。見事な才能を開花させつつあった。未成年のため基本的には金糸雀の里で暮らしていたが、数か月前にタンランの賊に拉致されて、危うく手籠めにされるところだった」
「……え!?」
「彼女は寸でのところで軍に救出され、事なきを得た。だから彼女はタンランのやり口をその目で見て知っていたんだ。お前が洗脳された人間にありがちな言動をラウードの前でしていたり、初めてラウードと会った時にタンラン特有の香の匂いがしたため数か月前の恐怖を思い出した。そしてセリナへ相談し、ハイモ副知事へとその話が伝わった。――お前が洗脳状態からこうして救済されたのは、彼女のおかげだ」
ギルベルトは「そんな……」と言って視線を彷徨わせ、何かに思い当ったという顔をした。
そして今度こそ本当に、動揺して真っ青になった。
「う、うそだろ……? レティが、俺を救おうとした? だって……いや、師匠は……いや、ラウード……くそ、あの野郎っ いや、優しかったんだ師匠は。でも、それでも……」
「そうだろうな。お前の父親が第三の鍵の所有者だと信じて、お前から鍵の有りかを聞き出すまでは親切で優しかっただろうよ。だがお前が『それはウソ情報だ』と笑ってラウードへ話した直後から、ラウードはお前のことなど放っただろうが」
「あ……」
ギルベルトはぎりりっと奥歯を噛みしめた後、悄然として「俺が、馬鹿だったって、こと、だな」と力を抜いた。そして小さく「レティ……」と呟く。
「あ、あの、レティはまだカーマインにいるのか?俺、すぐに会わないと……っ」
「そうだな、彼女たちはあと数日カーマインに滞在するだろう」
「よ、よかった!俺も事情聴取とかあるとは思うんだけど、必ず出頭する!だから一旦家へ帰してくれないか?」
「だめだ」
「じゃ、じゃあ事情聴取を手早く済ませてほしい!早く戻らないとレティがカーマインを出ちまう。あいつに謝らないと……!」
まともな思考が徐々にできるようになってきたギルベルトは、酷く焦ってレティのことで頭がいっぱいになっていた。
――ふん、少しはまともな人間だったか。
だが、遅い。
「話は変わるが、ギルベルト・スクワイア・蘇芳。外患による洗脳支配はそう易々と解けるものでもないし、厳重に処置をしないと再発するおそれがある。お前にはその処置を受けなければならない義務が生ずる。理解できるか?」
「あ、ああ」
「この場合、受けなければならない処置とはラウードに関する記憶の封印だ。少なくとも数年は思い出さないようにしないと、その思い出だけで洗脳状態へ戻ってしまうケースがあるんでな」
「わかった、早く処置してくれ」
「――いいんだな?理解し、納得したな?」
「ああ!わかってる!」
「では、そんなに早く帰らなくてはと焦る必要はないはずだ。ラウードに関連した記憶となれば、奴を捕縛した我々のことも、捕縛へ協力したレティ嬢のことも封印されるということなのだから」
「 !? 」
……こういうところ、やっぱり直情型の考えなし、だな。ダライアス・蘇芳へはこの記憶を一部始終見せて、こいつに思慮深さというものを教育し直せと言うべきだ。
打ちのめされたギルベルトは、呼吸もままならないほど途方に暮れている。だが、ふっとシャドウのカミルが身じろぎすると、身を震わせて「待ってくれ!ちょ、ちょっと待ってくれ……」と言って頭を抱えた。
「処置の前に、レティと……会わせてもらえないか?いや、会わせてもらえませんか!」
彼は必死に懇願するが、冗談じゃない。これ以上レティに何を背負わせる気なんだお前は。イラッとしてしまい、また心を乱されたと思って深呼吸した。
「許可できない。だがお前が彼女へ申し訳なく思っていたということは、伝えておこう。もう処置を開始していいか?」
「そんな……っ」
ギルベルトはなんとかレティと直に会って謝罪できる道がないかと、ぐるぐる考えているようだった。カミルから距離を取るように立ち上がり、ソファの後ろへ回ってみたりと焦っている。
その時、通信機へ信じられない声が聞こえてきた。
『ウゲツ、もういいわ。彼に記憶の封印をかけ始めたら、そっちに行くわね』
「 !? 」
『……そうね、ギルはこんなに後悔してくれてるんだもの。私も少しくらいサービスしたげるわぁ』
「レティ、これ以上何も背負う必要なんかない。罪悪感を背負うべきはギルベルトだ。もう反省したし、レティへの謝罪を伝えると約束もした。これで過不足はないはずだよ」
僕は不可視と同時に展開した遮音方陣の中にいるから、この会話はギルベルトに聞こえていない。だけどシャドウの制御をしている時に思い切り動揺してしまったので、カミルの動きが一瞬止まってしまった。くそ、ギルベルトが不思議そうに見ちゃったじゃん……!
落ち着いて、シャドウの制御を立て直した。そしてルカへ「レティが来たらすぐさま不可視にできる?」と聞いてみた。だけどルカは静かに、レティへ話しかけた。
『レティ?無理することはないと思うけど。それともレティがそうしたいの?』
『……ん、そうしたい、わね。せっかく蘇芳で最初にできた友達ですもの』
『なら、レティがしたいようにすればいいと思うよ。ウゲツもいいだろ?』
「よ……よくないだろルカ!? こいつ、レティが現れたら駆け寄るくらいしそうじゃん!」
レティはそれを聞いてくすくす笑い、「いつものレティみたいに聞こえる声」で言った。
『ウゲツったら、大丈夫よぉ?洗脳されていた人が何か言ったくらいで気にしてどうするの?それにウゲツの心理魔法を受けて、まともに動けた人なんていた?私は知らないけどぉ?』
レティの、ばか……
なんでこんなやつに優しくするんだよ。
ほんとはまだ悲しいくせに。
「……わかったよ。じゃあ処置、するから」
『ヤー。ありがと、ウゲツ』
僕は「呆れて様子を見ているだけ」という体裁で待機させていたシャドウのカミルを再起動させた。
「……そろそろ覚悟は決まったか?」
「決まるわけないだろ!なあ、レティに会わせてくれ!一言でもいいんだ、謝りたい!その後なら何日拘束されてもいい!」
「お前に何日もの時間を割けるほど、こちらもヒマではないんでな」
集中!集中しろ、僕。
シャドウと精霊魔法の同時行使だ、もうレティがどういう行動へ出ても気にしちゃだめだっ!
ざあっと僕の精霊どもを錬成する。
お前らわかってるよな?
あいつの記憶を頑丈な匣へ閉じ込めてしまえ。
もうラウードのことなんて思い出さないように。
僕の大切な姉の記憶なんて、欠片もあいつにはやらん。
きっっっちり、封印してこい!!
ドゥ!と精霊の集団はギルベルトへ襲い掛かる。
自分の記憶が頑丈な鋼鉄の匣へ放り込まれていく感覚に、彼は「う、あああ!」と無駄な抵抗をしようとしていた。そうしてパニックになっているギルベルトの背後へ、レティはすっとゲートを開いて現れる。
そしてそっと耳元へ、優しく囁いた。
「あなたの気持ち、ちゃんと聞いたわ。もしご縁があったら……またファイア・ブリックスで奢ってね」
驚いて目が飛び出そうになったギルベルトは、振り向いてレティを凝視した。
そして泣きそうな顔になった後、苦しげに言った。
「ご、めんな……」
「ふふ、さよなら、ギル」
その言葉を聞くことができたのかどうか。
レティの言葉が紡がれた時、ギルベルトの「封印の匣」はガチンと閉じられた。
そして目の前のソファへ向かって、ゆっくりと倒れていった。




