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俺、もう寝取りしません。でもヒロインが止まらない  作者: 源 玄武(みなもとのげんぶ)


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第44話 消された気配

 夜は、やけに“密度”がある。

 空気に触れるだけで、今日という一日の残り香が指先にまとわりついてくるような、そんな重たさだった。

 そのせいか、ベッドに身体を預けても、どこか現実に引き戻される感覚が残る。

 まぶたを閉じれば終わるはずの一日が、なかなか幕を下ろしてくれない。


(……頼むから今日はもう休ませてくれ……)


 心の底からの願い。

 もう何も起きなくていい。

 ただ、静かに眠りに落ちたい。


 コン、コン。

 小さく、静かで、規則的な音。


(……あぁ……美桜だ)

 

 扉の向こうに立つ“気配”を、もう俺の身体は覚えてしまっている。

 安心と、諦めと、ほんの少しの期待が混ざる。


「どうぞ……入っていいよ」


 囁くように答えた瞬間。

 音もなく、扉が開いた。


 黒髪をゆるくまとめ、いつも通りの端整なメイド服。

 変わらない佇まい。  

 どこか“夜の静けさ”をまとっている。


「……失礼いたします、蓮様。起きていらっしゃいますね?」


 落ち着いた声。

 足音すら気配に溶けるような歩み。

 この静謐さは、この屋敷で美桜にしか再現できない。


 蓮は半身を起こし、目をこする。


「え、あ……うん。ちょっと、眠れなくて」


「でしょうね。廊下まで、蓮様のお疲れが滲み出ておりましたから」


 さらり、と。

 何気ない言葉なのに、核心を突いてくる。


 微笑みは柔らかく、けれどそこに迷いはない。

 まるで最初から、この時間に来ることが決まっていたみたいに自然だった。


(……三人が来たの、気付いてたんだろうな……)


 美桜はベッドへ近づき、そっとシーツの端に触れる。

 いつも通りの、確認の仕草。

 軽く撫でるようにして、状態を確かめるはずだった。

 その動きが、止まった。


 ぴたり、と。

 本当に、時間ごと止まったみたいに。


「……え」

 ごく小さく、息が漏れる。

 それは、いつもの落ち着いた声音じゃない。

 完全に無防備な、“素の反応”。


 わずかに見開かれた瞳。

 瞬きすら忘れたまま、視線は一点に縫い付けられている。


(……え、なに……?)


 あの美桜が。

 何があっても動じないはずのあの人が。

 “きょとん”とした顔のまま、固まっている。

 

「……美桜?」

 思わず声をかける。


「……失礼、いたしました」


 すぐに、姿勢を整える。

 声も、呼吸も、いつものリズムへ。

 何事もなかったかのように、口を開く。


「失礼ながら、複数の香りが混ざっております。

 ……このままではお休みの質にも関わりますので」

 

 淡々とした説明。

 しかし、ほんの一拍だけ、“間”があった。

 それが逆に、さっきの出来事を強く印象づける。


「まずは、ご入浴を」

「……やっぱりそうなる?」


 観念したように肩を落とす。

「はい。当然の処置でございます」


 そして――

 美桜は、もう一度だけ。

 ほんの一瞬だけ、シーツへ視線を落とす。


(……絶対、なんか見たよな……)

 さっきの“きょとん顔”が、やけに焼き付いて離れなかった。



 部屋に戻ると。

 空気が、変わっていた。


「……え?」

 思わず声が漏れる。


 さっきまで確かにあった“残り香”は、跡形もなく消えている。

 代わりに広がっているのは、整えられた静寂と、清潔で落ち着いた香り。

 まるで最初から、この部屋には何も起きていなかったかのように。


 シーツはすべて交換され、皺ひとつない、整えられた白。


「お休みになられる環境として、最適化いたしました」


 背後からの声。

 落ち着きはいつも通り。

 その静けさの奥に、ほんのわずかに硬さが混じっているのを、蓮は感じ取った。


「……早くない?」


 思わず振り返る。

 そこには、変わらぬ表情の美桜。

 微笑みすら浮かべている。


「慣れておりますので」

 淡々とした答え。

 だが、その“慣れ”の中に何を含んでいるのか。


 美桜は一歩だけ近づく。

 ほんの一瞬だけ、ベッドを見た。


「……蓮様は、優しすぎるのです。

 それが重なると、お疲れも深くなるものですよ」


 静かな声音。

 その言葉の奥に、わずかな棘が潜んでいる。


「そんなに……表に出てる?」

「はい。とても」


「では……失礼して」

 そのまま自然に布団へ入る。


「美桜……? 今日も……?」


「警護という名目がございますので」


 肩が触れる。

 体温が、すっと伝わる。

 先ほどまでとは違う、落ち着いた温もり。


 その内側には。

 “他を許さない静けさ”が、確かにあった。


「蓮様。お気になさらないで。私はここにいるだけですから」


 拒む余地を残さないのに、不思議と押しつけがましさはない。

 そっと、手が添えられる。

 包むでもなく、引くでもなく。


「……呼吸が、少し速いですね」


 耳元に近い距離で、静かに落ちる声。

 指先が、ほんのわずかに動く。

 一定のリズムで、なぞるように。


「いや、それは……今日のことが色々あってさ」


 言葉が少しだけ途切れる。

 全部、見透かされている気がして。


「大丈夫です、蓮様。今夜のことは、ひとまず置いておきましょう。

 今はお休みを」


 静かな提案。

 逆らう理由が、どこにも残らない。

 指先が、呼吸に合わせて動く。

 一定のリズム。

 意識を、ゆっくり沈める動き。


 暗闇の中で。

 触れている部分だけが、やけに鮮明に感じられる。

 隣に“いる”という事実だけで。

 さっきまでのざわつきが、ゆっくりとほどけていく。


「……美桜……ありがとう……」


「おやすみなさいませ、蓮様。良い夢を……」


 蓮の寝息が安定するまで、目を閉じない。

 意識が、ゆっくりと沈む。

 その間もずっと。

 美桜の手だけは、そこにあった。

 離れず、揺れず、確かに。


 ――まるで。

 “ここにいるのは自分だけでいい”と、告げるみたいに。


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