第4話 救うつもりが修羅場に
朝の教室。窓から差し込む光が、ざわめく教室の机を照らしていた。
けれど、その空気には“静かな混乱”が流れている。
「ねぇ聞いた? 玲奈と彼氏、仲直りしたって!」
「うそ、あの二人ずっとギクシャクしてたじゃん!」
「しかも仲直りのきっかけが……神谷連だって!」
その名前が出た瞬間、空気が微妙に変わった。
神谷蓮――かつて“恋を壊す男”と呼ばれた問題児。
今は改心して平穏に暮らしたい(※本人談)。
神谷蓮は欠伸を噛み殺しながら、教室のドアを開ける。
だが、踏み込んだ瞬間――空気の違いに気づいた。
ざわ……ざわ……。
あからさまに周囲の会話が一瞬止まる。
そして、すぐに再開される。が、微妙に声がひそひそ小さい。
「……お、俺、またなんかやらかした?」
「ううん、むしろ“やらかした”って思われてるだけだよ。」
隣の席の男子・斎藤が、妙に優しい笑顔で答える。
「玲奈と彼氏、仲直りしたってさ。お前が関わったんだろ? なんか“神谷が恋愛相談に乗るとカップルが復活する”って噂になってる。」
「は?」
「“恋愛カウンセラー神谷”だってさ。」
「やめろ。なんかいろいろ誤解を産む肩書きだろそれ。」
神谷は机に突っ伏す。
周囲の視線がじりじりと突き刺さる。
クラスメイトたちの視線は、もはや好奇心と恐怖の入り混じったものだった。
「神谷に相談したら彼女取られそうだよな……」
「いや逆に、相談したら彼氏と仲直りできるって話もあるし……」
「どっちだよ!」
神谷は机を指で軽く叩きながら深くため息をつく。
「……おい、俺は恋愛万能薬じゃねぇぞ。」
「でも効き目はあるらしいよ?」
「効き目ってなんだよ!」
クラスの笑いが起きる。
だが、笑いの奥にあるのは「恐る恐る触れる距離感」。
神谷の善意は、まだ信じてもらえる段階にない。
男子からは避けられ、女子からは“妙な信頼”を寄せられる――
そんな微妙な立場、誰が望んだろう。
昼休み。
廊下の向こうで女子たちが囁いていた。
「神谷くんって、怖いけど優しいとこあるんだね」
「うん。でも、もし相談したら……なんか、好きになっちゃいそう」
「……そうなったら、彼氏に誤解されるじゃん」
「それでもちょっと話してみたいかも……」
神谷(廊下の影から聞きながら):
「……なんで俺、爆弾みたいに扱われてんだ……」
ため息をひとつつき、屋上を見上げる。
昨日の夕焼けの中で、里奈が涙を流した場所。
それを思い出して、神谷は少しだけ笑った。
「……あいつ、ちゃんと笑ってたな。よかった。」
だが、その穏やかな時間は長く続かない。
放課後。
「神谷蓮、至急、生徒会室へ。」
校内放送の声に、クラスがざわつく。
「うわ、また呼ばれてる」
「前回は生徒指導室だったよな」
「今度はどこの恋を壊したんだろ……」
「俺は壊してねぇっての!」
神谷は頭を掻きながら、生徒会室のドアをノックした。
「失礼しま――」
「遅いわね、神谷くん。」
出迎えたのは、生徒会長・桐生由奈。
切れ長の瞳に、冷たい知性を宿す美少女。
だが、神谷にだけはいつもどこか警戒した目を向ける。
「神谷くん。あなた、また“人の恋愛”に関わっているそうね?」
「いやいやいや、関わってるっていうか……話聞いただけです。」
「“話を聞くだけ”で女子が泣いて笑顔を取り戻すなんて、どんな魔法?」
「そ、それは……その子が前向きになっただけで!」
「前向きに“あなた”を見始めたって話もあるけど?」
「会長、それは根拠のない噂です!」
「……あなたに関する噂は、だいたい根拠がないのよ。」
由奈はため息をつきながらも、目を逸らさなかった。
(また他の女の子にも手を出しているのかしら……)
「まぁ、いいわ。今回は“利用”させてもらうわ、あなたの特技を。」
「と、特技って……俺、特技なんて……」
「“恋のトラブルメーカー”としての勘。役に立つでしょ?」
神谷はがっくりと肩を落とした。
「……俺、便利屋扱いされてない?」
「事実でしょ?」
由奈は資料を取り出し、淡々と言う。
「“問題児カップル”の調査をお願いしたいの。」
「俺に調査……? 先生じゃなくて?」
「あなたの“特殊な立ち回り”を利用するの。どうせ暇でしょう?」
言い返せない。
神谷は肩をすくめ、苦笑した。
「……で、そのカップルって?」
由奈は一枚のメモを差し出す。
「写真部の水瀬先輩カップル。最近、部内でギクシャクしてるらしいの。」
「原因は?」
「彼氏が他の女子ばかり撮って、彼女が嫉妬してる。典型的なすれ違い。」
神谷は顎に手を当てた。
「なるほど。芸術の嫉妬か。」
「そう聞こえはいいけど、現実は修羅場寸前よ。」
「……つまり俺が、その仲直りの手助けを?」
「そう。“君の人たらし能力”を建設的に使いなさい。」
「人たらし言うな!」
由奈はくすっと笑った。
「安心して。監視は私がするから。」
「安心できる要素どこにもねぇ!」
――とはいえ、“恋を救う”って目的は悪くない。
神谷はしばらく考え、軽く笑った。
「まぁ、“壊す”のは得意だけど、“救う”方も練習中なんで。ちょっと話してみますか。」
由奈は目を細める。
「……あなたが“救う”なんて言葉を使う日が来るとはね。」
数日後。
放課後、写真部の部室。
神谷は水瀬先輩に話を聞くことにした。
美術室の隅で、カメラを磨く彼女の背中はどこか寂しげだった。
「水瀬先輩、少しお話いいですか?」
「え? 神谷くん? どうしたの?」
「いや、その……最近、彼氏さんとすれ違ってるって聞いて。」
「……生徒会の命令?」
「まぁ、そんな感じで会長に頼まれて。最近、彼氏さんと……。」
「……もう、どうせ私が悪いんでしょ。」
水瀬先輩は視線を逸らした。
神谷はその表情を見て、即座に悟る。
(あー……完全に誤解パターンの目だな。)
「いや、悪いとかじゃなくて。ちょっと整理した方がいいかなって。」
「整理……って、つまり、私たちもう終わりってこと?」
「いや、違います! そういう話じゃ――」
水瀬は苦笑した。
「“相談”って……そういうこと?」
「はい? いえ、話を――」
「つまり、私の気持ち、慰めてくれるんだ?」
「ち、違います! そういう意味じゃない!!」
「……じゃあ、どういう意味なの!?」
だが、女子の方は勘違いのまま突っ走る。
「神谷くん……優しいんだね。みんなが言う通り……。」
「いや、優しいとかじゃなくて!」
「私、誰にも言えなかったの。彼に撮られても、私だけ見てくれないのが怖くて……」
「……なるほど。それは――」
「ねぇ、少しだけ……そばにいてもいい?」
神谷の脳内:
(ダメだこれ! また誤解コース一直線!!)
周囲の部員たちの視線が刺さる。
誤解の嵐、再び――。
夜、神谷家の屋敷。
玄関を開けると、すぐに声が飛んできた。
「おかえりなさいませ、神谷様。」
メイドの美桜が、微笑……ではなく、ジト目で立っていた。
「……また“女の子とトラブル”ですか?」
「違う! 今回は相談に乗ってただけ!」
「相談、ですか。なるほど。で、その“相談”で何人の女の子が泣きました?」
「ゼロ! 今回はゼロ!」
「ゼロ……“今回は”?」
神谷は頭を抱えた。
「俺、今は真っ当に生きようとしてんの!」
美桜は少しだけ顔を柔らげるが、目の奥には複雑な光。
(その真っ当が一番危険なんですよ……。)
「……お願いです、神谷様。あなたが変わっても、誰かを泣かせないで。」
「泣かせるつもりなんてないよ。」
「“つもり”が一番怖いんです。」
――その言葉が、妙に胸に刺さった。
翌日。
神谷は誤解を解こうと、水瀬先輩を屋上へ呼び出した。
「昨日のこと、誤解してませんよね?」
「誤解って?」
「その、“俺が変な意味で相談に乗ったわけじゃなくて――」
水瀬は神谷を見つめ、ふっと笑った。
「……優しいのね、神谷くん。」
「え?」
「最初は怖い人だと思ってた。でも、違う。あなた、本当は――」
その瞬間、彼女は神谷の胸に飛び込んできた。
「ちょ、ちょっと!?」
ドン、と背中に腕が回る。
そこへ偶然、ドアが開いた。
――彼氏の先輩が立っていた。
目が、完全に“修羅場”の目。
「……お前、俺の彼女に何してんだ!!」
「ちょ、待って先輩! 俺、誤解です!」
「誤解だと!? この状況で!?」
カメラ片手に立ち尽くす水瀬の彼氏。
水瀬も叫んだ。
「あなたが他の子ばかり撮るから、寂しかったのよ!」
「それとこいつに抱きつくのは別問題だろ!」
怒鳴り合い、涙、シャッター音。
その混乱の中で、スマホのレンズが神谷を捉えた。
数時間後、“屋上で密会”“神谷また修羅場”の噂が学園中に拡散された。
翌朝。
「神谷、またやったらしいぞ。」
「今度は写真部の先輩と密会だって。」
「屋上に続き、部室でも……!」
「やば、もう校内ラブコメのラスボスじゃん。」
教室の空気は重かった。
神谷が入ると、全員が静まり返る。
「……おはよ。」
返事はない。
机に突っ伏して、小声で呟く。
「……俺、何やっても“寝取り役”なんだな。」
その背中を見つめる二つの視線。
生徒会長・桐生由奈は、静かに拳を握る。
(他の女の子に負けないんだから。)
メイド・美桜は唇を噛みしめる。
(また、誰かを泣かせた……もう、許さない。)
窓の外では、午後の風がカーテンを揺らしていた。
誤解の連鎖はまだ終わらない。
――“善意”が、再び恋を狂わせていく。




