第四章 2-3
目的のピザ屋は、渡良瀬川を渡りおじさんといつも会う喫茶店を通り過ぎて更に北へ進むとある。僕は額に汗をにじませながら自転車をこいでピザ屋へたどり着いた。
店員に確認すると、すでにおばさんは店の中に居て、彼女の座る奥の方のテーブル席に通された。席は四人掛けで、三方を壁に囲まれ、半分個室のようになっている。
このピザ屋には僕はこれまでにも二、三度妻と来たことがある。僕たちの住む町では珍しく、まともな料理を出す店だ。ピザ回しの世界チャンピオンがオーナーをしていて、ピザの生地がもちもちしていておいしい。
おばさんは安っぽいチノパンに黒のポロシャツを着て席に座っていた。ポロシャツの腹のあたりがでっぷりと突き出て、チノパンのベルトラインに肉が乗っているのが見てとれる。僕はそれを見て、小説のためとはいえこんな中年女性と二人っきりで、自分は何をしているんだろうと自分自身にがっかりした。
挨拶もそこそこに、二人でランチコースを選び、早速来た前菜の生ハムサラダをつつきながら、話をした。というより、おばさんが一方的にしゃべり続けた。話題は主に、前菜を食べている時は日本とアメリカの凶悪殺人事件についてで、メインのピザを食べている時は日本の安全保障問題に移り、デザートを食べている時はピザの時の話題から派生した、北朝鮮のミサイル発射問題だった。
話の全てをここに描写すると、読者の皆さんの苦痛を喚起すると思うので、一部だけ抜粋して場の雰囲気を表そうと思う。
ピッツァ・マルゲリータを咀嚼し、グラスワインで流しこんでから、おばさんは興奮気味に続けるのだった。
「だからですね、何度も言いますけど、要するにスネ夫なんですよ、スネ夫。いくら九条で平和国家をうたったって、アメリカの武力に守られてるだけじゃないですか。自分はジャイアンの陰に隠れて、その後ろで『暴力反対だ!』って叫んでる、スネ夫と一緒なんですよ、この国は。卑怯ったらありゃしない。
左翼の人たちの中には、九条は絶対的に正しくて、なんとしても守るべきだって言う人がいるみたいですけど、自衛隊と米軍無しに本当に侵略されないんですかね? それに沖縄の人たちの負担は、どう考えるんですか? 私は、いっそ日本も核武装しちゃった方がいいと思いますよ。北なんかより、よっぽど技術は優れているでしょうし。だいたい今日本が配備している迎撃ミサイルって、すごく費用がかかるそうなんですよ。しかも技術的に完成されてないから、都度バージョンアップする必要があって、そのたびに買い換えなければいけない。だったら核武装して牽制するほうが、よっぽど安上がりなんですよ。ふふふ。面白いですねえ。
(と言っておばさんは手に持ったワイングラスをくるくる回し、中に入っている赤ワインを透かして見た)……話戻しますけど、日本の殺人事件。世田谷一家殺人事件の発生時、真島さんはいくつでした? 分からない? それはよくないですね、失礼ですけど、真島さんおいくつですか? 三十一? じゃあ、中学生のころかな? それじゃあ社会情勢にも何も興味がないころですね、あの事件すごいんですよ、犯人が異常なんです。被害者の家に入り込んで一家を惨殺したあと、その家に残ってパソコンでインターネットを見たりしてるんですよ。おっかしいですよね。さあ、語り合いましょう、世田谷一家殺人事件について!」
「……について!」と言いながら、ぐっとワインを飲み干した。僕は、はじめこそおばさんの話に律儀に相づちを打っていたが、この時にはそれもやめて、ただ苦笑してやり過ごしていた。ピザを食べながら殺人事件の話はやめて欲しいとは思ったが、話の腰を折るとおばさんがひどく不機嫌になることがもう分かっていたので、仕方なく彼女の「世田谷一家殺人事件の犯人がいかに大胆かつ巧妙に捜査関係者を翻弄しているか」についての考察を続けさせた。
人とランチを過ごして、こんなに疲れるのは初めてだった。デザートをさっさと食べ終えた時、僕はこの場から解放されるといううれしさで正直ホッとした。
おばさんはティラミスをフォークで丁寧に切って食べていたが、それもとうとう最後の一切れになった。その一切れにフォークを突き刺した時、おばさんは金正恩の髪形について語っていた。
「それにしてもなんだってあの髪型なんでしょうね? 頭に黒電話の受話器を乗っけてるみたいじゃありません? 北だと、あの髪型にするように、若者が強制されてるって話もあるんですよ。床屋に行くと勝手にあの髪型にされちゃうんですって。恐ろしいったらありゃしない」
そこまで言って、ティラミスを食べた。しばらくもぐもぐ口を動かしていたが、飲み込んでしまうと、フッと鼻から息を吐いて、ちょっと黙り込んだ。
「じゃあ、そろそろ――」
僕がこのランチを終わらそうとすると、おばさんはそこにおっかぶせて、
「ああ……どうしよう、酔っちゃった」
テーブルに片肘をついて肘から先を立て、その手で頬を支え、しなを作ってこちらをじっと見てきた。確かにその顔は若干赤くなっていた。
「はあ、酔いましたか」
「酔いました。あああーっ。酔っちゃったなあ。これはひどい」
言いながら、相変わらず手で頬を支え、僕の方をじっと見てくる。媚びるような嫌な笑みを浮かべていた。
「……」
「……どうしましょう?真島さん、この店の前の通りをもう少しあっちに行くと、あかまホテルっていうホテルがあるの、知ってます?」
「はい」
「どうでしょう? そこでちょっと休んでいきません?」
「……二人で、ですか?」
「そう」
「いや、僕には妻がいるので」
「関係ない!」
おばさんは鋭く言った。
「川谷絵音にだって、奥さんがいたんですよ。いいんですよ、特別に縛らせてあげます」
「いえ――」
僕が気まずさを感じながらどうにか断ろうとした時だった。半個室になっている席の壁の向こうから、パグのような顔をした見覚えのある男が現れた。セブンイレブン栃木F町店店長・おばさんの夫だった。




