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ノスタルジア  作者: 時岡
2/2

02, 両目を閉ざせば

 綺麗に切りそろえられた髪が制服の肩を包んだ姿は、人気のない図書室のカウンターに密やかに佇んでいると、まるでいびつな日本人形のようにも見えた。

 いびつ、というと異形の者のようかもしれないが、それは、彼女の姿が異形なのではなく、本来在るべき場所から引き離されて、そこに無理矢理つながれているようで、そこに存在の歪みが在るような気がするという意味でだ。

 とは言え、そんな風に感じるのは、自分ぐらいのものだろう。

 そこで、そうして本を読んだり、資料検索用のカードを作ったり、時にはぼんやりと窓の外を眺めている永瀬ながせ織羽おりはの姿はとうに見慣れてはいたが。

 上条はこっそりとため息を付く。

 生徒に図書室の存在が知られてないんじゃないかと思えるほど利用者が少ないのは、おそらく川を挟んだ向かい側にある、市立図書館の方が空調設備が調っており、喫茶室もあって放課後に利用するには便利だからだろう。同じ公立で図書館よりも新しいくせに、県立高校となると奇妙なくらいに施設としての充実度が落ちる。エアコンもなければ学食もない。購買部も実に貧弱だ。

 台車に載せた本を棚に戻す作業は、どれほど時間をかけても十五分もあれば終わってしまう。一日に貸し出され返却される本の数など知れていて、夏休みの前後、つまり恒例の読書感想文の為に貸し出しと返却のピークがあるくらいのものだ。

 最後の一冊を棚に戻して、再び上条はため息を付いた。

 開け放した窓からは、初夏の風に相応しく熱をはらんだ風が通り抜けて、梅雨の中休みにしても、心地のいい午後だというのに。

「上条君」

 落ち着いた低めの声に振り向くと、本に目を落としたまま、

「部活に行ったら? 土曜日の午後に利用者なんて知れてるし」

 彼のため息の理由を、彼女は誤解したようだった。

 大学進学率が高いこともあって、気の早い生徒は二年生の夏で部活動からは引退するから、この時期はいつも以上に練習に熱を入れる者も少なくない。上条もその一人だと思ったのだろう。それに、上条が所属しているバレーボール部の練習は、織羽が所属しているバスケット部の隣で行われていて、状況も把握されている。明日、練習試合があることも知っているのだろう。

「いや、今日は休むって言ってあるし、それに、資料室の整理もいい加減しないとまずいしね」

「そんなこと、上条君がしなくちゃいけないことでもないんだし、放っておけば?」

 冷たいと思えるほどの即答に、上条は肩をすくめた。嫌われているわけではないことには気付いてはいても、言葉を交わす度に、いささかの緊張は禁じ得ない。

「でも永瀬さん一人にまかせきりというのもね」

 さらりと髪を揺らして、彼女は顔を上げた。

「なにも二年生になってまで土曜日の当番を押しつけられなくても良かったのに」

「まあ、なりゆきだよ」

 全学年全クラスから各一名ずつ選ばれる図書委員は、二人一組で当番を持ち回る。

 受験を控えた三年生は優先的に時間的拘束の少ない昼休みの当番を、一、二年生で午後の当番を担当することになっていた。そこで一番の問題になったのが土曜日の午後である。当然誰もやりたがらない上に、二年生は一年生がやるのが通例になっているといって押しつけ、これは一年生でうまく持ち回るしかないな、と上条はのんきに思ったが、一人が塾があるからできないと言いだし、収拾がつかなくなってしまった。そもそも図書委員なんてものを自主的にやる生徒など稀で、ジャンケンに負けたとかで押しつけられている者がほとんどでは仕方のないことだったのだろう。

 それまで黙っていた織羽が自主的にやると言っても、当番は二人一組が原則だったから、もう一人をどうするかで更に揉めはじめてしまった。彼女が社交的な雰囲気も持っていなかったから、という理由が無かったわけではないにしろ、結局のところは、かなり自分勝手なところにおのおのの言い訳はあったのだった。

 業を煮やして、少しは建設的に話し合おうと言い出した上条が、結局貧乏くじを引かされることになる。

『だったらあんたがやれはいい』。

 よくある話だ。

 そして、二年生になって、上条が図書委員になったのは、おそらく織羽もだろうという予測があったからではないとは言い切れない。いくらその年の一年生が度し難いほど生意気で自分勝手な連中だったとしても、彼らに土曜日の当番をさせられないことはなかった。それでも、「丸く収める」ことを言い訳にして、再び二人で土曜の当番になったのは、意図的なものだ。

「そう」

 義務であるかのように、短い返答を残して、織羽は窓の外に目を向け頬杖をついた。

 窓からの風に揺れる髪を、そっと耳に掛けて、光の眩しさに目を細めて。

「じゃあ、俺、資料室の片付けに行ってくる」

「え」

 抗議にも似た響きを持って、彼女は振り向く。

 そこに読みとれる表情は何もなかったが、上条は

「それとも永瀬さんがやる? 俺より勝手が分かってるみたいだし」

 資料室に他人が入ることを織羽が密かに疎んじていることを、上条は知っていた。

 歴史とはとても呼べない薄っぺらい年月しか重ねていないとはいえ、開校された当初からの蔵書の中で、棚に入りきらなかったり、擦れて補修が必要になったりした本や、その他の資料を適当に放り込んで数年もほったらかしにすれば、整頓し直すのに二の足を踏むほど乱雑になって当たり前である。

「じゃあ、カウンターの方お願いします」

 ほとんど使われたことのない鍵を手に織羽は立ち上がった。

「なんか手伝うことあったら呼んで。利用者なんか来やしないだろうから」

 僅かに織羽はうなずいた。


 なんか、勘違いされてるみたいだな。

 カウンターのすぐ裏にある司書室の更に奥にある。妙に立て付けの悪いドアをいつものように軽く蹴飛ばして資料室に入った織羽は、深々とため息を付いた。

 天井まで届く棚に挟まれ、作業用の机が一つと、明かり取りの小さな窓が一つあるきりのその部屋は、確かに隠れ家のようで織羽のお気に入りの場所だ。その部屋の存在を知っている者は限られているし、ドアが開けにくいだけでなく、鍵にも変なクセがあって、簡単に開けることができない。だから、当番で、手が空いている者は資料室の整理をすること、といわれても誰も入ろうとせず、資料室に放り込みたいものを司書室の片隅にある段ボールに放り込んでゆく。専任の司書がいれば、パソコンでの管理も進むのだが、現代国語の担当と掛け持ちではほとんど居ないに等しい。去年の予算枠で購入されたパソコンで作成したデータベースの8割方は織羽によるものだ。もちろん図書委員は他にもいるが、面倒くさい単調な打ち込み作業をやらされるのはまっぴらと見向きもしない。

 壁に立てかけられた脚立を昇って、天井近くにある小窓を開けた。

 一週間締め切っていたせいで、空気は埃っぽく、湿気っている。

 滅茶苦茶に突っ込まれていたものを、分類しながら一度床に全部積み上げて、改めて棚に入れ直すという、面倒なようだが、一番手っ取り早い方法で整理をし終えて以来、実のところ、ここでの作業は新たに放り込まれるものの整理と、本の修繕くらいのものなのだ。

 腕時計にちらりと目をやり、そろそろかな、と織羽は脚立の上で耳を済ませた。

 

「こんにちはー。織羽、います?」

 部活を途中で抜け出してきたのだろう、ジャージ姿で現れた彼女に、上条は

「いつものところだよ」

 と、いつものように答えた。

 はっきりした目鼻立ち、特に大きな瞳は印象的な少女。少し癖のある髪を後ろで一つにくくって、いかにも活動的だ。その溌剌とした姿に、女子バスケット部の主将だと、言われなくてもなんとなくそんな気がする。成績も、テストがある度に職員室の掲示板に発表される上位成績者の中に名前が無かったことがないせいか、萩野花南の名を知らない生徒はまず居ないだろう。

「またぁ? 織羽、あそこに籠もると出てこないんだけど、そんなに居心地がいいの?」

「さあ。俺もあんまり入らないし」

「ほんとに、あんな辛気くさい所のどこがいいのかな。大会も近いっていうのに」

 カウンターに一番近いイスを引いて、浅く腰掛けると、彼女は不満げに頬をふくらませた。

 確か彼女は運動部は運動部でも、マネージャーではなかっただろうか。

 放課後、体育館の隣で見かける姿は、少なくとも基礎練習以外は部員に混ざっていなかったはずだと上条は思い出す。

「どうして織羽が二年生も図書委員の、それも土曜日当番なんか引き受けたか知ってる?」

「いや」

「できるだけ部活に来たくないのよ」

 それは個人の自由ってもので、強制することじゃないんだから仕方ないことだろうと思いつつ、上条は黙って彼女が言葉を継ぐのを待った。

「辞めたければ、辞めればいい。進学校なんだし、誰も文句は言わない。でも、マネージャーならやる、って、それ、おかしくない?」

「……ゴメン、よく分からない」

「中学の時に県大会の決勝に織羽出てるんだもん、結構な実力があるはずなのに、マネージャーの仕事しかしないのよ? 普通、コート走ってるほうが楽しくない?」

 いつだったか、雨の日のことだ。

 膝さえ痛まなければ、こんな日も好きなのに。

 そんなことを言わなかっただろうか。

 その週の図書当番がさぼりにさぼってためた返却本を棚に戻している最中に、不意に何もない所で転びそうになった織羽の腕をつかんで支えた時に……。


 こんな身のない会話を交わすようになって、もう一年余り。

 初めて彼女と言葉を交わしたのは、高校の脇を流れる川沿いの桜並木が、青々と葉を茂らせ始めた頃だったか。

「こんにちは。織羽、居ます?」

 ジャージ姿の萩野花南が、息せき切って図書室に飛び込んできた。

「今ちょっと出てるよ」

 珍しく時間を気にしているなと思っていたら、ほんの数分前に少し用事を済ませてきたいからと席を外したのだ。

「逃げたな。全くもう……」

 そんなに長くもないクセのある髪を後ろで一つにくくって、両手を腰にあててぴんと背中を伸ばして立っている姿は、ちょっと生意気そうな雰囲気で、なかなか可愛らしい。もともと目鼻立ちのはっきりした顔立ちは可愛らく、そのうえテストがある度に職員室の掲示板に発表される上位成績者の中に名前が無かったことがないせいか知名度はやたらと高い。上条も彼女のことは知っていた。

「何処に行ったか聞いてない?」

 上条は両の手のひらを上に向けて、肩をすくめた。

「そっかぁ。今日こそは、って思ったんだけどなぁ」

「今日こそって?」

「バスケ部の練習見学に連れてこうって思って。お昼のときも逃げられちゃってるの」

 要約すれば、中学生の時には県下でも強豪のチームでレギュラー選手だった織羽を勧誘しているということらしい。

「まあ、いいわ。来週、またリベンジするから。お邪魔しました!」

 すこし照れくさそうに笑って、花南は来たときと同じように去って行った。

 やや強引そうだが、元気で気持のいい子だな、というのが、上条が花南に持った印象だ。それは今でも変わらない。

 彼女の姿が消えると、急に図書室の閑散とした様子が物寂しくなる。ただ無機質なものが並んでいるだけの空間であることを意識するほどに、生き生きとした少女だ。

 その後、どう口説き落としたのか、とりあえず入部させることには成功したものの、選手ではなくマネージャーということが、彼女にとっては納得のいかないようだ。

 ただ、部員たちの耳に入るところでそんな話をすべきではないという分別はあるらしく、こうして土曜の午後にやってきては、同じように進捗のない会話をするか、逃げられている。最早、ただのルーティンワークと化しているのかも知れない。


「ほんと、織羽ってよく分かんないのよね。やっぱり、あたしが無理矢理付き合わせてるのかな」

 深々とため息を付いて、花南は立ち上がった。部活の休憩時間など10分がせいぜいだ。

「織羽が出てきたら、いつものところで待ってるって、伝えておいてもらえる?」

「了解」

「それじゃ」

 いつもとさほど変わらない会話を終えて、花南は部活の練習に戻っていった。思い切り駆けているだろうわりに、軽やかな足音が遠ざかってゆく。

 いったい何しに来ているのだろうと上条は正直思う。彼女と言葉を交わすことは苦痛ではないが、織羽を説得するのに協力を要請されているでもなく、ただ愚痴を聞かされているだけのような気もする。

 なんだか、彼女らしくない。

 そんなことを思いながら、上条はカウンターを離れ、資料室の重い扉をノックした。鍵は開いているだろうが、慣れない扉は、なかなか開けられない。

 何度かノックをしても、いらえはなかった。聞こえていないはずはない。

 仕方なく、上条はノブを捻り、力任せに引いた。

 ぎぎっと嫌な音を立てて、身体ひとつすべりこませるには充分な隙間が開く。

「花南はもう行ったの?」

「行ったよ。いつものところで待ってるそうだ」

「わざわざありがとう」

 脚立の上で、何をしているのかと思えば、のんきに膝の上で背表紙と表紙がちぎれかけた古い本を開いている。

「資料室の片付け、ほとんど終わってたんだな」

「去年のうちに、大まかな所は終えていたから」

「あとは、このドアを何とかしないと」

「そうだね」

「……そうだね、っていいの、他人が入っても?」

「別にここ、私個人の部屋じゃない」

「でも、なんか入られたくなさそうな感じがしてた」

「そう?」

「うん。でも、なんとなく分かるよ。ここ、隠れ家みたいな感じがするから」

 どうやらそれは的を得ていたようで、薄い笑みが織羽の横顔に浮かんでいた。




 それにしても、もう少し花南はうまくやれないのかな。

 上条を見下ろして、織羽は思う。

 会話の材料に自分が使われるのはいい。

 ただ、あれではただの世間話で、上条としてはどう対応して良いのか困るだろう。

 花南が部活の休憩時間にわざわざ此処に来るのは、何も織羽と帰りの待ち合わせを確認する為でないことは、彼女自身は何も言わないが、とうに気付いている。資料室に籠るのは、ささやかな協力も兼ねていた。

 それが上手に活用されているとはとても思えない状況なのが残念なところだが、有効なアドバイスを織羽は持っていない。

 顔の美醜に付いては好みがあるにせよ、すっきりと癖の無い顔立ちをしているし、バレーボール部でのポジションはレフトというだけあって、身長も高い。成績はさすがに花南には及ばないようだが、定期考査終了後に発表される上位成績者リストには度々入っているようだ。性格も、ややお人好しで気遣いし過ぎているきらいはあれど、特に悪いと感じたことはない。友人の彼氏としては優良物件だけに、後押ししたい気持はやまやまなのだが。

「……永瀬さんは、バスケ、やんないの?」

 乱暴に扱われたせいだろう、本分が背から外れてばらばらになりかけのまま、修繕もされず放っておかれた本を手にしながら、上条は尋ねた。

「マネージャーが精一杯」

「膝のせい?」

 以前、ふと漏らしたつぶやきを織羽は覚えていなかったから、どうしてそれを知っているのかと怪訝な顔を上条に向けた。

「雨が降ってたときに、そんなこと言ってたよ」

「……そう」

 その時のことは思い出せなかったが、雨の日や、急に冷え込んだりしたときに膝が痛むのは事実だ。

「怪我?」

「これといったことはなかったんだけど、痛いのを我慢して放っておいたら、酷くなっちゃった」

 織羽は何でもないことのように肩をすくめた。

 痛みが強くなった時点で、病院で治療を受けるなり休養するなりすれば避けられたことだった。最後の大会直前に歩けないほどにまで悪化したのは、自身の医者嫌いと、時代遅れな精神論を振りかざす監督という悪条件が重なった結果だ。

 将来、プロの選手になりたいと思っていたわけでもなく、辞めるにはちょうど良いきっかけでもあったから、さほど気に止んでもいない。

「でも、バスケは今でも好きなんだ?」

 好きでもなんでもない、などという本音は胸の裡だけで呟いて、曖昧に頷いてみせた。

 ただ、最初に仲良くなったクラスメイトに誘われてバスケットボール部に入っただけのことで、全く楽しくなかったとは言わないが、織羽にとって部活動だけでなく中学のことなど、さっさと葬り去りたいことでしかない。

 一瞬だけ出てしまった険しい表情を上条が見ていたことに、織羽は気付かなかった。

 上条が口を開こうとしたのを遮ったのは、能天気とも思える声だった。

「宏明、いねーの?」

 彼の登場も、毎度の事だ。

 あからさまに眉を顰めた織羽を見て、上条は「ごめん、うるさくて」と言って資料室を出て行った。

「あー、萩野さんと入れ違った? 今日、外練だからなー」

 心底残念そうな声に、織羽は小さく鼻を鳴らした。

 その声の主は、寺島尚人だ。上条の友人で、彼と同じくバレーボール部に所属している。

 いつもは体育館のコートを半面使用しての練習なのだが、土曜は試合形式の練習ということで男子と女子が交代で全面使用するため、体育館が使えない時間は、外でのトレーニングになる。練習場所が違ってしまうと、たった10分程度の休憩時間を合わせるのは難しい。幾ら隣同士といっても、バレー部とバスケ部ではさほどの交流もない。

「また、あいつは御籠り中?」

 不躾にもあいつ呼ばわりされるにはそれなりに訳がある。

 寺島尚人から、織羽は天敵扱いされているからだ。

 さもあらん、ここで四人が揃うときに限らず、織羽は寺島が花南に話しかけようとする度に邪魔をしていのだから。

 だから、特に敵意を持っていたわけではないのに、気が付けば互いに反目し合っていた。もし今、そこの扉を開けて顔を見せれば、いつものような埒もない嫌味の応酬が始まるのだろう。

 花南がいなければ、ひと言も言葉を交わさぬまま、過ごしたかも知れない相手なのにと思うと、酷く不思議な心地がして、織羽はひとり、微笑った。




「にしても、ほんっとに物好きだよな、土曜日の図書当番なんてさ」

「ま、なりゆきだよ」

 上条と幼稚園の頃からの腐れ縁で、彼の律儀すぎる性格などとうに知り尽くしている寺島は、左肩だけを軽くすくめた。

「何が面白くて、図書委員なんてやってんだかなぁ」

「ほら、うるさいからさっさと連れて行って」

 資料室から出ると、織羽は素っ気なく告げた。

 要するに、後はもういいから部活の方へ行けと言っているのだが、その表情だけを切り取ると、部外者に騒がれて気分を害しているようにしか見えない。

「うるさいってなんだよ」

 まるで吠えてうるさい犬のごとき言われようでは、尚人の反応も尤もだと言えば尤もだ。

 自分の厚意を他人にくみ取られることを拒否して、意図的にやっているのでは無かろうかと思うようになったのは、上条にしても割と最近のことだった。

 無愛想で、およそ話すときにも目を合わすどころか顔を話し相手に向けないような少女に対して、初めから好印象を持っていたわけではない。ただひたすらに無言の時間が続く土曜の午後が苦痛だったことも確かだ。

それが薄れていったのは、何のきっかけだったか。

 尚人が食ってかかっても、気にした様子もなく、織羽はカウンターに就いた。

 その顔を正面から見たのは、当番に就いて三週を過ぎようかという頃だっただろう。

 萩野さんが永瀬さんを訪ねてきて……

 笑ったんだ。

「ほら、行くぞっ。だいたい明日、練習試合だってのに」

「分かったよ、行くよ、ゴメン、永瀬さん」

「気にしなくていいよ。お疲れさま」

 穏やかな微笑に見えなくもない表情で、織羽は軽く手を振る。

 けれど、彼にあの時のような笑顔が向けられることはないのだった。




 しんと静まりかえったその空間で、織羽はゆっくり思考を沈めていった。

 自分の手のひらを見つめ、そこに流れる血について、ただ、思う。

 引き金を引こう、出来るだけ早く。

 花南の望むことは、何でも叶えたかった。

 けれど。

 光が翳る。雲が出てきたのだ。

 梅雨の中休みももうおしまいなのだろう。

 でも、もう少しだけ。

 どうか。

 神でない何かに、彼女は祈った。

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