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ノスタルジア  作者: 時岡
1/2

01, だから彼は現の閂を外す

R15は念の為です。

いわゆるハッピーエンドではありません。

また具体的な病名が出て来るので、そういったものを不快に思われる方は、お読みにならない方がよいかと思われます。

読後の苦情は受け付けかねますので、ご了承ください。

 それは、澄んだ青空に鱗雲が広がる夏の終わりのこと。

 偶然知人と出くわす、というのはさして珍しいことでもない。

 それが、住み慣れた土地を遠く離れての事でなければ。


 夕方というにはまだ早い午後の時間、私立の大学が幾つかと大型書店、新旧の古書店、楽器店やスポーツ用品店が所狭しと寄せ集まった街を、雑踏に紛れるように尚人は歩いていた。すぐ近くには最近まで毎日通っていた病院もある。もうそこには用はない。

「寺島君?」

 JRの駅へ向かう途中、前から振られている手が、自分に向けられているとは露ほども思わなかった。だから、そのすぐ脇を通り過ぎようとして、懐かしい声と、袖を掴む細い指に呼び止められたのだった。

「こっちの大学に進んでたんだ?」

 少し咎めるような色があるのは、彼が友人たちには進学先を告げること無く、卒業と同時に連絡を絶ったからだろう。

「……萩野さんはどうしたの? 遊びに?」

 いくら親友の恋人とはいえ、地元の大学に進んだはずの彼女が、ここにいる理由など分かるはずもない。

「うん、ちょっとね」

 曖昧に萩野花南はぎのかなは笑った。

 ──似合わない笑い方だな。

 彼の知る彼女は、もっと屈託のない、その名の通り花のような笑顔を持つ少女だった。それに魅了された者は多く、尚人もまたそのひとりだった。

「ね、お茶でも飲まない?」

 わざわざ彼女が自分を探しにここへ来たと思うほどの妄想力はないが、彼女が何を聞こうとしているか察する程度の想像力はある。

 これも巡り合わせなのだろう。

 尚人は、ふつりと湧き上がる感情を押し隠した。 

 案内したのは、小路を少し入ったところにある行きつけの喫茶店だ。

 古びた煉瓦の壁に蔦が這い、地味で小さな看板はほとんどの人が見過ごしているだろう。店内は黒くつややかな木の壁と窓枠に瀟洒なレースのカーテンが掛かり、テーブルと椅子も使い込まれた感のあるアンティークを思わせて、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

「寺島君、こんなとこ入るんだ。なんか意外」

 店主の親しげな笑みに、尚人がこの店の馴染みだと気付いたらしい花南は、そう言ってまじまじと店内を眺めている。

「ファーストフードの方がイメージに合う?」

「なんていうか、スタバとかそういうとこって感じ?」

 取り繕うように花南が言葉を継いだが、あながち間違いでもないと尚人は適当な笑みだけを返しておいた。

「やだ、そういうの、やっぱり寺島君には似合わない。なんか……変わったね」

「それはお互い様でしょ」  

 正面から向かい合うのはそれこそ二年ぶりくらいだ。

 もともときれいな顔立ちではあったが、化粧は更にそれを引き立て、アッシュブラウン染められた髪はきれいにカールして肩口で弾んでいる。そんないかにも女性らしい姿を彼女が好むようになるとは、高校生の頃は想像も出来なかった。

 可愛らしい外見とは裏腹なほど活発で、男勝りな所のあった彼女が、今では花柄のワンピースを着こなし、足元は華奢なピンヒールのミュール、指先も鮮やかに彩られてる。

 時間が、経ったんだ。

 特に拘りもないTシャツにジーンズ、学生の頃よりは長めになっただけの髪、すっかりヘビースモーカーになってしまったこと……変わったような変わらないような自分。

 それそれブレンドとアイスカフェオレを注文した後、会話の口火を切ったのは尚人の方だった。

「あいつ、宏明は元気?」

 久しぶりに舌に乗せる、かつての親友の名は苦い味がした。

「最近会ってないから……」

「何、ケンカでもした?」

 花南は苦笑いをして、お冷やのグラスを揺らした。

 からんと氷が澄んだ音を立てる。

「……ほとんど自然消滅みたいな感じ。高校卒業して、半年もしたくらいからほとんど会ってないの。上条君から聞いてない?」

「貧乏学生だからねー、いろいろ忙しくて帰省もしてないし」

「そっか、親元離れると大変なんだね」

 尚人の両親は共働きで、世間一般からすれば二人とも高収入な方だ。弟がこれから大学受験を控えているとはいえ、経済的な余裕は充分にあるはずなのだが、両親とは高校卒業後の進路について決裂し、仕送りどころか連絡すら一切無い。

 東京の大学へ進学出来たのは、母方の祖父が協力してくれたおかげだ。

「今度ね、同窓会があるの。高校三年の時のクラスで」

 ──ああ、やっぱり。

 予想通りの展開だが、わざわざ察して自分から彼女の求める話をするつもりはない。

「へぇ。仲のいいクラスだったんだ。俺んとこなんて一度もないよ」

 茶化した口調を咎めるように、花南は真っ直ぐに尚人を見据えた。

「……織羽おりはの連絡先、教えて」

 駆け引きだとか暗黙の了解だとかをすっ飛ばして、単刀直入なところは思ったほど変わってないようだった。

 ──やはり、変わったのは、自分か。

「萩野さんは知らないの?」

「全然。織羽が教えてくれたのは最初の引越先だけ。それからすぐにどこかにいっちゃった」

 軽く肩をすくめた彼女は、セーラー服を着ていた頃と余り変わっていない感じがする。

「ね、知ってるんでしょ?」

 教えてもらって当然とばかりにバッグからスマホを取り出した花南に、尚人は苦笑する。

 そんなところも、あの頃から変わっていない。

「あいつから連絡ないんだったら、ほっとけば?」

「ほっといたら一生会えないじゃない。後悔してるの。入学して、あたふたしてるうちに夏休みが来て、ようやく馴染んだと思ったらお正月で。その頃には電話は繋がらないしメールも届かないし、手紙だって宛先不明で返って来ちゃった。……もう連絡のとりようがないんだもの」

「それでいいんじゃない?」

 ちょうど注文したものも運ばれてきたところで、尚人はことさらゆっくりと、ブレンドの最初の一口を味わう。

「なによ、それ。いいわけないでしょ」

 ぷっと片頬を童女のようにふくらませて、花南は尚人を睨み付ける。

「宏明には聞いた?」

「……聞いたわよ。でも知らないって。寺島くんの連絡先すら知らないって言ってたけど、ケンカでもしてるの?」

「あいつ、なんにも言ってなかった?」

「言うような人じゃないでしょ」

 ぎりっと唇を噛んで、ふいっと花南は横を向いた。

「……だから、ずっと知らなかったの、彼が織羽のこと好きだったなんて」

 少し意外な言葉だった。一生気付かないままだと尚人は彼女を侮っていたからだ。

「いつ知った?」

 花南は剣呑な視線を尚人に向けたが、すぐに逸らせて小さなため息を吐いた。

「……そんなことよりも、織羽、どこにいるの?」

「あいつが宏明のこと好きだったって、知ってた?」

 びくりと花南の肩が揺れる。

 そんなに簡単に、彼女の求める答えを与える気など、尚人にはない。

「……だって、織羽はなにも言わないんだもん。知ってたけど、でも、しょうがないじゃない」

「そうだね」

「寺島君、性格悪くなった」

「そう?」

「どうして織羽の連絡先教えてくれないの? さっきからはぐらかしてばっかりじゃない」

 花南が手をつけないままのアイスカフェオレは、だいぶ氷が溶けている。

「何となく萩野さんに教えたくない」

「なによそれ」

「宏明に聞くといいよ。俺、あいつに全部話してるから」

「だって、何にも知らないって……」

「まだまだあいつのこと分かってないね。あいつはそういう奴なんだ」

 伝票を持って尚人は立ち上がった。

「悪いけど、もう行くよ。バイトあるんだ」

 呆然としたままの彼女を置き去りにして、尚人は店を出た。


 バイトを終えて携帯電話を見てみると、随分と着信記録が溜まっていた。面倒だから電源を落としておこうかと思ったのを察したかのようなタイミングで、携帯電話が震えた。

 深夜十二時を過ぎて掛けてくる人間には、家族以外ひとりしか心当たりはない。しばらく迷った後、ようやく通話ボタンを押して無言のまま相手の反応を待った。

『……寺島さん、ですか』

 かしこまった声は、よく知った、かつての親友のものだ。携帯電話なのだから、余程の事でもない限り、本人以外であるわけがないのに律儀なものだと、尚人は半ば本気で感心する。

「ああ、俺。何」

『何じゃねぇよ、お前萩野に何吹き込んだ?』

 本人だと知った途端、遠慮も何もない口調になったのが、妙に可笑しかった。

「別に。ただお前に聞けって言っただけだ」

『根ほり葉ほり聞かれたって、知らないから答えようが無いだろうが、バカ野郎!』

「萩野さん、速攻でそっちに電話したんだ。お前とは自然消滅みたいなこと言ってたから、こんなに早く連絡が行くとは思ってなかったよ。明日にでも連絡入れようかとは思ってたんだけどさ」

『嘘吐け。こんな嫌がらせして何になる』

「俺の気が晴れる」

 街灯の連なる夜道を歩きながら、尚人は嗤った。

 携帯電話の向こうでは、宏明が絶句している。

 どんな表情をしているのだろう。

 痛みに耐えるような、苦渋に満ちた顔が浮かぶ。

 おそらくは本当に痛みを覚えているに違いないと尚人は思った。

「……そろそろ話したいとは思ってたんだ。聞く気、あるか?」

 詰めていた息を一気に吐き出すようなため息の後、

『……話せよ』

 と応えが返って来た。

 彼には聞く権利と同時に、知る義務がある。

 幼稚な恋情の縺れに振り回された当事者のひとりとして。

「あいつね、死んだよ」

 話し声は、住宅街の静けさの中では存外に響いた。

『は?』

 およそ思いも掛けぬひと言だったのだろう、随分の間の抜けた反応だった。

『お前、タチの悪い冗談は』

「あいつが高校卒業と同時に上京したのは、父親の転勤に会わせた進学のためじゃない。入院するためだったんだ」

 古いアパートの階段をそっと上る。軋んだ音を立てるのは避けられないが、遠慮も配慮も無いよりはましだろう。

 鍵を取り出せば、否応無く金属が擦れ合う音がする。

 部屋のドアを開けると、むっとする空気が流れ出てきた。夕方にもなれば、薄手の上着が必要になってきたとはいえ、昼間の熱がこもったままの空気は不快で、尚人はすぐに窓を開けた。

『お前、それでそっちの大学行ったのか』

「別にそういうわけじゃないよ。まあ、入院していた病院のすぐ近くの大学だったから見舞いには行ったけど……最期は肺炎だった」

『最期はって……?』

「重度の再生不良性貧血だったんだ。免疫力が落ちてたから、ちょっと咳してるなと思ったら、あっという間に重症化した」

『それって骨髄移植とか……』

「唯一の家族だった父親は、血縁者じゃなかったし、白血球の型が合うドナーは見付からなかった」

 嘘を吐くのは、案外に容易かった。

 それは、嘘というよりもあらかじめ用意しておいたシナリオだったせいかもしれない。

 初めから彼女はドナーを探してはいなかったし、骨髄移植が彼女に有効な治療法である可能性は、ほぼなかったなどと告げるよりは、気が楽だ。

『無駄だったかも知れないけど、言ってくれれば協力できたのに』

 宏明らしい言葉だと尚人は思った。聖人ではないが、彼は間違いなく善人なのだ。

『いつ亡くなったんだ、彼女』

「去年の十二月」

『どうして知らせてくれなかった!?』

「知らせてどうなる? 線香でも上げに来るって? それなら父方の親戚の所に位牌があるよ。随分と閉鎖的な田舎だったから、行くのはあんまり勧めないけどな」

 感情的に荒くなる宏明の声とは対照的に、尚人は淡々と返す。

「そういうことじゃない!」

「じゃ、どういうことだよ」

「仕方ないだろう」

 しばらく間が空いた後、無理矢理絞り出ししたような声で宏明は言った。

「永瀬は言ったんだ、『花南が笑っていてくれると嬉しい』……そんなこと言われて、俺はどうしたら良かったんだよ……」

 それは宏明の中で、消そうとしても消せない思い出として刻みつけられている瞬間だった。

 図書準備室で、彼女は天井まで届く本棚に掛けたはしごの上で本を読んでいた。しばらくの静寂の後、意を決して宏明が口を開こうとしたのを見越したように、織羽は言った。

 ──花南が笑っていてくれると嬉しい。

 その意味が分からぬ愚か者でありたかったと今でも思う。窓から射す光に、長い髪の輪郭は淡く光り、やさしい微笑を向けられて、何も言うことは出来なかった。

「もういいか? 明日、一限目から講義なんだ。あとは頼んだ」

「ちょっと待てよ、なんで俺が花南……萩野にこのことを話さなきゃなんないんだ?」

「さあな。とにかく頼んだ。じゃあ」

 返事も聞かずに、尚人は通話を切り電源を落とした。

 宏明が己の恋情を徹底的に隠し通した理由を知って、尚人は目眩を覚えていた。

 どうすれば、このスクエアな関係は正しく在れたのだろう。

 宏明に話していないことはまだある。

 彼女がこれほど短く生を終えたことに、彼女が深く関わっていることを。

 朗らかに笑い、いつも人に囲まれているかわいらしい少女の側面は、鈍感で、自分勝手で、愛されることしか知らない娘。

 ──だから好きなの。

 そう言って織羽は笑っていた。

 感情ひとつ伝えることも覚束ない、不器用な、少女。

 尚人はじっと目を瞑り、彼女の面差しを目蓋の裏に描いた。

 花南とは対照的に、酷く屈折した薄い笑顔。

 挑発的で、毛を逆立てた猫のように警戒心を隠さなかったのは、尚人にだけだった。それは、彼女にとって精一杯の甘えだったのだろう。

 言葉にしなくても、多分、互いに分かっていたからこその、それは信頼に基づいたものだったと尚人は確信している。

 引き出しから取り出したものを、掌に載せた。

 ──迷惑じゃなかったら、もらってくれる?

 緑の石の付いた古い指輪。

 父親から母親へと渡されたもので、どちらも亡くしている織羽には大切な形見だった。

 ──捨ててしまってもいい。ただ、私にはもう何も返せるものがないから。

 それはヨーロッパの老舗名門ブランドのもので、売ればかなりの値になるものであることを彼は知らない。

 

 ゆっくりと荒ぶる感情は鎮まってゆく。

 ほんの数年、彼の人生を支配した少女はもういない。

 ぎゅっと指輪を握りしめた後、尚人はそれを引き出しに仕舞った。

 思い残すことが欠片もないといえば嘘になるが、彼女の決めた幕引きに手を貸したことも最期を看取ったことにも後悔は無い。

 だから、この先も歩いていけるのだ。

 多少の揺らぎがあるとしても。

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