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ロンドンうどん  作者: lovely plants
第1章 出汁と麺の黎明編

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第1話 悪魔の儀式と小麦の下僕

 19世紀末、霧の都ロンドン。


「シャーロット・アシュフォード!お前の冷酷な仕打ちにはもう耐えられん!本日をもって婚約を破棄する!」


 豪華絢爛《ごうかけんらん》な舞踏会の中央で、波打つハニーゴールドの髪を揺らして声を荒らげたのは、エドワード第二王子(19歳)だ。エメラルドグリーンの瞳を怒りに燃やす彼に、小柄で可憐な男爵令嬢クロエ・メイフィールド(17歳)がしなだれかかっている。


「エドワード様……私、恐ろしいですわ。シャーロット様はいつも私を冷たい目で見下して……私のような身分の低い者をいじめるのです……っ」


 ふんわりとした栗色のウェーブヘアとピンクブラウンの大きな瞳を涙で濡らし、儚《はかな》げに胸元へしがみつくクロエ。そのあざとく計算し尽くされた被害者パフォーマンスに、周囲の貴族たちはまんまと騙され、可哀想な少女への同情と嫉妬深き悪徳令嬢への冷ややかな視線を向けていた。


 そんな視線を一身に浴びる当事者、伯爵令嬢シャーロット・アシュフォード(18歳)は——まったく別の思考に囚われていた。


(……中力粉がねぇ。この国の小麦粉は強力粉か薄力粉の二極化だ……タンパク質の量が違いすぎる。これじゃあグルテンの網目構造が綺麗にできねぇじゃねえか……!)


 艶やかなブロンドヘアーとサファイアブルーの瞳を持つ「冷酷無比な悪徳令嬢」。その美しき令嬢の正体は、現代の日本で讃岐《さぬき》うどん作りに人生を捧げ、「源さん」と親しまれた頑固職人——讃岐 源造(さぬき げんぞう 享年《きょうねん》68歳)が生まれ変わった姿だった。


 地元の夏祭りで『うどん音頭』をキレッキレに踊っていた最中、櫓《やぐら》から足を滑らせて事故死した源造。まさか記憶と職人魂を持ったまま、異国のお嬢様として転生するなど夢にも思っていなかった。


「おい、聞いておるのかシャーロット!」


「ええ、聞いておりますわ(グルテンが……)」


 婚約破棄など知ったことか。源造の心を持つ彼女を絶望の淵《ふち》に突き落としていたのは、この霧の都の凄惨《せいさん》な食事情である。マグネシウムだらけの硬水、昆布や鰹節の欠如《けつじょ》、そして求めている食感(コシ)を生み出せない小麦粉。


「わたくし、急用がございますのでこれにて失礼いたします」


 破滅の危機すらそっちのけで舞踏会を後にしたシャーロット(源造)は、伯爵家の潤沢《じゅんたく》な財力をすべて「至高の一杯」のために投じ始めた。


◇


 数日後、アシュフォード伯爵家の地下室。


「次!身長180センチ以上、体重75キログラム以上の紳士はお入りになって!」


 シャーロットは扇子を片手に、冷徹な眼光で目の前に並ぶ英国紳士たちを睨みつけていた。集められたのは、社交界でも名のある貴族の次男坊や若手将校たちだ。


(けっ、ロンドンの軟弱《なんじゃく》な坊ちゃんどもが……だが足腰のガタイだけは悪くねぇ)


「シャーロット様、これは一体……何の圧迫面接ですか?」


「黙りなさい。うどんのコシは、良質な足踏みによってのみ生み出されるのです。さあ貴方、その清潔な靴を脱ぎ、この特製のゴム引き防水布に包まれた生地の上へお乗りなさい!体重を均等にかけ、リズミカルに踏むのです!」


「な、なんだこの弾力は!?踏んでも踏んでも押し返してくる……!?」


「甘い!甘いですわよ!もっと腰を入れて!讃岐……いえ、英国紳士の意地を見せなさいな!」


 こうして、地下室では連日連夜、筋肉質の紳士たちが汗だくで生地を踏みつけるという、謎の「儀式」が執り行われることとなった。


 さらにシャーロット(源造)の執念は留まることを知らなかった。ロンドン郊外に住むドイツ出身の若き天才化学者フランツ・シュミット(22歳)を買収し、カルシウムとマグネシウムを除去して硬水を「軟水」へと変換する試作装置を開発。そればかりか架空の巨大海運シンジケート「ロイヤル・オリエント商会」の裏ルートを極秘裏に使い、スエズ運河経由の蒸気船でインド洋を渡り、極上の「利尻昆布《りしりこんぶ》(と同等の海草)」と「東洋の本醸造・木桶仕込み醤油」を密輸することに成功したのだ。


◇


「……間違いない。シャーロット令嬢は、地下室で悪魔を召喚する恐ろしい儀式を行っている」


 彼女を密かに監視していたのは、社交界で最も冷徹と恐れられる「氷の公爵」にして近衛騎士団長のギルバート・ペンブルック(25歳)であった。宵闇《よいやみ》を思わせる艶やかな黒髪を隙なくオールバックに整え、軍服を着こなす彼の氷青色(アイスブルー)の瞳が鋭く光る。


 夜な夜な伯爵家の館から立ち上る、怪しい白い蒸気と、今まで嗅いだこともない香ばしく官能的な香り。ギルバートは意を決し、武装した騎士団を引き連れて地下室へ突入した。


「そこまでだ、シャーロット!お前の悪行も——」


 バン!と扉を開けたギルバートの言葉は、そこで途切れた。


 目の前には、盛大に湯気を上げる大鍋と、その傍らに用意された見慣れぬ陶製の器(どんぶり)。その中には、透き通った黄金色のつゆに浸った、艶やかな「白い縄」のような何かが入っていた。


「……あら、ギルバート公爵。不法侵入ですわね」


 シャーロットは腕を組み、不機嫌そうに言った。


「ちょうど試作品が完成したところです。悪魔の儀式だと疑うのでしたら、毒味としてこのどんぶりを召し上がれ。残したら絞首刑《こうしゅけい》に処しますわ」


 出されたどんぶりから立ち上る、昆布と干し魚の芳醇《ほうじゅん》なだしの香り。ギルバートは警戒しながらも、添えられた銀製のフォークでその白い麺をすくい上げ、意を決して口へと運んだ。


 チュルモグモグ……ッ!


(……!?何だこの食感は……!歯を押し返すような力強い弾力、それでいて喉を滑り落ちる圧倒的な滑らかさ!そしてこのスープ……肉の旨味とは違う、細胞の隅々にまで沁みわたるような深い滋味《じみ》……!)


 一口、また一口。気づけば「氷の公爵」と呼ばれた男は、なりふり構わずフォークで麺を口へと運び、スープを最後の一滴まで飲み干していた。


「ふぅ……」


 どんぶりを置いたギルバートは、赤らんだ顔でシャーロットを見つめた。


(まさか、讃岐源造としての俺の一杯が、異国の公爵サマにここまで刺さるとはな……)


 心の中でほくそ笑むシャーロットに対し、ギルバートは胸に手を当て、真剣な眼差しで告げた。


「……撤退だ。騎士団、引き揚げるぞ」


「はい?悪徳令嬢のわたくしを逮捕しないのですか?」


「……こんなにも温かく、尊い麺を創り出した女を、悪徳と呼べるはずがない。シャーロット……君の『企み』に、私をもっと巻き込んでくれないか」


 こうして、ロンドンの歴史をほんの少し(食文化的に)変えてしまう、一人の元・頑固職人令嬢と公爵の奇妙な関係が始まったのだった。



 第1話 悪魔の儀式と小麦の下僕 了

最後までお読みいただきありがとうございます。


『ロンドンうどん』は、全3章12話完結のライトノベル作品ですが、小説家になろうでは第1話のみの公開になります。

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